帰宅後、友梨は引っ越しを早めようとしたが、足の怪我が完治していなかったため、引っ越し業者に依頼した。大小の段ボールがリビングに積み上げられ、作業員たちが梱包作業に追われ、出入りを繰り返していた。庄司は帰宅後、混乱した状況を見て事情を尋ねた。友梨は用意していた説明を告げた。「景苑のマンションが完成したの。事務所にも近いから、そっちに引っ越しましょう」先日署名した不動産契約書を思い出し、庄司は頷いた。靴を脱いでソファに座り、間取りを思い出しながら話を続けた。「花を育てるの好きだったよな?東側のベランダを花壇にしてみたら?」数秒の沈黙の後、友梨は静かに答えた。「もういいの。その趣味はやめたから」庄司は机の上の新しいユリの花を見て、嘘を感じた。さらに言葉を続けようとした時、作業員が運び出す箱に自分の物ばかり入っているのに気付いた。「なんで俺の物ばかり?お前の荷物は?」「もう運んだわ」即答だったため、新居に運び終えたと思い、庄司はそれ以上聞かなかった。水を飲みに立ちながら、作業員に指示した。「荷物のラベルを貼って、部屋を間違えないように」友梨は黙って彼を見つめ、言葉を飲み込んだ。間違えるはずがない......新居にあるのは、あなたの物だけだから。片付けが終わり、庄司は友梨を支えて階下へ。エレベーターを出ると、杉山美咲と杉山一輝兄妹と鉢合わせ、全員が固まった。庄司は動揺し、彼女の手を離して前に出た。「どうしてここに?」一輝は眉を上げた。「美咲が新居を見たがって。ご両親から住所を聞いて、サプライズしようと」美咲の視線は友梨に釘付けだった。確か、この女性とは二度会ったはず。事務所と、バーの外で。直感的に身分が気になり、笑顔で探りを入れた。「庄司兄、この方は?」庄司は珍しく口ごもった。紹介の仕方を探っているようだった。友梨は平然と、むしろ友好的に美咲に手を差し出した。「友梨です。高橋弁護士の大学の同級生。離婚の相談に来たんですが、引っ越しの最中で悪いタイミングでした」庄司は我に返り、申し訳なさそうに友梨を見てから、彼女の言葉に乗って紹介を済ませた。自然な流れに見えたが、美咲は何か引っかかった。しかし人目もあり、それ以上は聞けず、兄に手伝いを促した。美咲は友梨の側に寄り、
同じ境遇と知り、美咲は同情して慰めた。「私も同じです。でも離婚すれば全て良くなりますよ。庄司さんがきっと助けてくれます」そう、一番難しい署名は、既に手伝ってもらった。友梨は頷き、言葉を継いだ。「あなたの件も担当したそうですね。随分尽力してくれたのでは?」美咲は照れた表情を浮かべ、明るい声で答えた。「はい。証拠集めから身の安全まで守ってくれて。庄司さんがいなかったら、元夫に殺されていたかも」甘い表情で辛い過去を振り返る彼女を見て、友梨は思わず不適切な質問をした。「庄司さんのこと、好きなんですか?」美咲は凍りついたように固まり、躊躇いながら答えた。「わからないんです。最初は兄みたいな存在で、小さい頃から遊んでくれたり、プレゼントをくれたり。いじめられた時は喧嘩までして......離婚の時も自ら手を差し伸べてくれて。後から兄に聞いたんですが、庄司さんは随分前から私のことを好きで......」「あんなクールな人が片思いするなんて、どうして私を好きになったのか不思議です」友梨は複雑な思いで聞いていた。美咲の話から、全く違う庄司を知った。冷淡なのではなく、自分を好きではなかっただけ。受け身なのではなく、自分が彼のやる気を引き出せなかっただけ。深く傷ついて、気付くのが遅すぎた。何年も無駄にしてしまった。美咲は友梨の表情に気付かず、心を開いて話し続けた。「友梨さん、庄司さんってどんな人だと思いますか?」友梨は空になりつつある部屋を見上げ、正直に答えた。「十年の付き合いですが、最近まで本当の彼を知らなかった。だから評価は難しいです。ただ、こんなに誰かを好きになった彼を見たのは初めてです」美咲は考え込むように頷き、心が落ち着いた様子。日が暮れかけ、友梨を夕食に誘った。庄司は渋い顔をした。その表情を見て、友梨は微笑んで断った。「用事があるので、失礼します」庄司は兄妹の反応を待たず、友梨を車に乗せた。「先に行ってて。送ってから合流する」トラックが後に続いて団地を出た。庄司は信号に合わせて心臓を跳ねさせ、必死に説明を考えていた。友梨が淡々とした声で先に口を開いた。「そんなに緊張しなくていいの。結婚前に約束したでしょう?両親以外には内緒にして、二人が良いと思うまで公表しないって。あな
道中、友梨は黙り続けた。庄司は彼女の落ち込んだ様子が気になりながらも、理由を聞き出せず、近頃の出来事を頭の中で整理した。美咲の件で彼女を疎かにしていたせいだと結論付け、珍しく自ら提案した。「もうすぐ結婚三周年だ。旅行に行かないか?」離婚まで数日。友梨は怪我を理由に断った。庄司は他の祝い方を提案したが、友梨は全て断り続けた。以前なら約束だけで喜んでいた彼女の冷淡さに、庄司は首を傾げた。彼の困惑した表情に、友梨は悟られないよう提案した。「その日は週末だから、母校に行かない?」なぜ突然の懐古趣味か。庄司は理解できなかったが、頷いた。車内が再び静かになった。友梨はカレンダーを開いた。9月7日には「離婚」の文字。9月6日は結婚記念日。そして彼への片思いも十年目。この特別な日に母校を訪れるのは、まさに始まりと終わりを繋ぐ。十年の青春に、きちんとピリオドを打とう。「今度は、すっぽかさない?」と友梨は冗談めかした。「すっぽかしたことなんてないだろう?」と庄司は笑った。友梨は黙って数えた。前回は美咲と海に行くため、退院の迎えを忘れ。その前は美咲離婚の証拠集めで、誕生日ディナーを忘れ。さらにその前は彼女を慰めに行き、郊外に置き去り。......美咲のことになると、全て約束を破った。一週間、庄司は戻らなかった。友梨は毎朝カレンダーをめくり、空っぽの家で最後の片付けを続けた。9月6日、早起きして化粧し、数年前のワンピースに着替え、カメラを持って記念撮影に出かけた。庄司が待っていて、ドアを開けてくれた。もうすぐ解放される安堵か、友梨は学生時代の思い出を楽しく語った。二人で話が弾み、庄司も写真を撮ると申し出た。S大の門に着くと、友梨は先に降り、彼を待った。庄司の携帯が鳴り、美咲からのメッセージ。「熱が出たの。病院に連れて行ってくれない?」庄司は躊躇った。友梨は彼の表情を見た。「友梨、事務所で急用が。行かなきゃ」友梨は意外そうに「一時間後じゃダメ?」彼女には分かっていた。嘘をついているのは、また美咲のためなのだろう。「重要な案件なんだ。無理そうだ」庄司が断言するのを聞いて、友梨は追及せず、ただ深く見つめるだけで彼を見送った。庄司はシー
その瞬間、彼女は確信した。残業ではなく、病気の美咲の看病に行ったのだと。あの夕方の庄司の断言的な口ぶりを思い出し、友梨は苦笑した。彼女のために三十分も割けないのか。庄司、これが最後の時間だと知っていたら、約束を破ったことを後悔するのかしら。答える人はいない。もう答えも気にならなかった。山本弁護士にメッセージを送った。「山本先生、今日が熟慮期間最終日ですが、手続きは必要でしょうか」「不要です。宮本さん、これで全ての手続きは完了です」「新たな人生の始まり、おめでとうございます」そう、新たな人生。今日から、庄司を愛さない日から、庄司のいない日から、友梨の人生は、もっと輝くはず。気持ちが晴れ、家に戻った。残り三時間、自分の残り物を全て処分し、一人でソファに座り夕陽を眺めた。残り二時間、写真を編集してビデオにした。残り一時間、ビデオを確認し、もう一度カメラを向け、録画を始めた。庄司への別れの手紙を録る。最後に、SDカードをカメラに戻し、離婚協議書と共にベッドサイドに置いた。庄司。これで私たち、離婚ね。おめでとう、そして私にも。全てを終え、最後の荷物を持って、この家を、この街を去った。行き先を知る人はいない。未練も後悔もなく、振り返らなかった。一方。美咲の病状が落ち着いてから、庄司は彼女の家を出た。車を走らせながら友梨に電話をかけ、約束を果たそうとした。十回以上かけても「電源が入っていません」の音声ばかり、メッセージも返信なし。結婚して三年、初めて連絡が取れなかった。前回の事故を思い出し、不安になって家に戻った。新居は整然としていたが、違和感があった。友梨の物が一つもない。心臓が跳ね、旧居に急いだ。空っぽの家を探し回り、寝室でカメラと書類を見つけた。笑顔で撮影していた彼女を思い出し、電源を入れた。明るい音楽と共にS大の風景が流れ、文字が現れる。「庄司、広場にはスケボーの学生がいるわ。初めての告白の場所。断られて一日中泣いたっけ」「図書館は相変わらず人気ね。静かにしなきゃ、だから遠くから撮ったの。あなたの好きな場所よ」「バスケのコート。私、四年間ここであなたを見てたの」......六年前の青春時代が蘇った。あの
「一ヶ月前、私が署名し、あなたも署名した。だから今日から、私たち自由よ。私は去ります。探さないで。美咲との幸せを願っています。そして私も、自分の人生を自由に生きていきます」一言一句が春の雷のように庄司の耳に響いた。聞いたことが信じられず、瞳孔が開き、唇が震えた。署名?離婚?いつ署名したというのだ?!カメラが落ち、書類を倒して足元に散らばった。大きな文字で書かれた「離婚協議書」が目に入る。急いで拾い上げ、最後のページを開くと、友梨の署名があった。そしてその左側にも署名があった。見覚えのある筆跡。自分で書いた、「高橋庄司」という文字!一瞬で、見過ごしていた細部が全て蘇った。法律事務所での偶然の出会い。署名のためと言いながら、二階から降りてきた友梨。山本弁護士のオフィスは二階だった。山本弁護士から財産分与書類を渡された時の、友梨の一瞬の動揺。この一ヶ月、徐々に消えていった彼女の持ち物。新居の様子。全ては彼女の計画だった。彼女は彼の目の前で大きな嘘をつき、気付かれることなく離婚協議書に署名させ、一人で去った。真相を理解し、怒りと焦りが込み上げた。書類とカメラを持って階下へ走り、車を飛ばして事務所へ。二階の事務所に駆け込み、離婚協議書を山本弁護士の机に叩きつけた。「この協議離婚、あなたが担当したんですか?山本先生」慌てた様子を見て、山本はコップを置き、書類を確認した。「ああ、担当しましたが」庄司の怒りが頂点に達し、理性を失って叫んだ。「なぜ友梨の件を先に教えてくれなかったんですか」状況が分からない山本弁護士は困惑した。「手続きは問題なく、既に審査に提出済みです。なぜ先に知らせる必要が?」「私に関係があるのに、なぜ教えない」山本弁護士は大きく目を見開き、最後のページの名前を確認した。高橋庄司。高橋庄司???友梨さんの夫が高橋庄司?庄司は結婚していた?独身じゃなかった?疑問が次々と浮かび、表情が目まぐるしく変わった。「友梨さんがあなたの妻だとは知りませんでした。独身じゃなかったんですか?」その言葉が冷水のように怒りを消し去った。我に返り、先ほどの態度を詫びた。山本は気にせず、むしろ経緯を尋ねた。だが庄司は友梨の居場所を探すことに必
京北を去った友梨は駅へ向かい、適当に選んだ行き先の切符を買い、離婚後初めての旅に出た。一日の間に北から南へ、気温が徐々に上がり、空気も湿り気を帯びてきた。荷物を持って、見知らぬ街、龍城に到着した。京北の慌ただしさとは違い、小さな街は何もかもがゆっくりとしていた。荷物を宿に預け、目的地を決めない散策を始めた。麺を注文し、賑やかな通りで冷たい飲み物を飲みながら、心も体もリラックスした。携帯が鳴り、新しいSNSアカウントには数人しかいない。開くと山本弁護士からの二通のメッセージ。「義妹さん、身分を明かさずに離婚とは。庄司が怒って大変でした。手紙を預かったので、読んでみてください」庄司が怒るのは予想していた。でも手紙を書くとは、意外だった。文書を開くと長文で、まず文字数に目が留まった。8000字。離婚するだけなのに、8000字も。必要?全部非難の言葉かしら。でも晴れやかな気分を壊したくなかった。そのまま文書を閉じ、携帯をサイレントにし、届いた麺をすすった。食後は夜市を一人で食べ歩き、心の中の複雑な感情は食欲と共に消えていった。夜、ホテルに戻り、山本弁護士にお礼を送り、一つの文書を返信した。庄司は文書を受け取り、期待を持って開いた途端、凍りついた。「長すぎ、読めません。離婚は成立。以後連絡不要」たった二行の言葉が、落ち着きかけた心に大波を立てた。急いで長文を打ち始めたが、「長すぎ」を思い出し、イライラと削除した。ついに我慢が限界に達し、携帯をベッドに投げ、床に崩れ落ちるように座り、疲れた目を閉じた。混乱した頭の中で、あのビデオの場面が次々と蘇った。机のカメラを手に取り、最後の部分を何度も再生し、美咲の場面で止めた。友梨が去って36時間、庄司は離婚の理由を理解した。彼と美咲のことを知っていたのか。その考えが浮かんだ瞬間、心臓が跳ねた。かつてない動揺が押し寄せた。頭を抱え、どこで間違えたのか必死に思い出そうとした。過去の出来事が次々と浮かび、引っ越しの日で止まった。一輝と階段を行き来している間、美咲と友梨は二人きりの時間があった。でも熟慮期間の九日目。何かを知ったとしても、予測はできないはず。全ての始まりは、法律事務所での出会い、不動産契約と騙して署名さ
友梨があのアルバムを見つけたと気付き、庄司は一睡もできなかった。一晩中、この数年の出来事が頭の中で巡り続けた。最初の十数年は美咲を追いかけていたとすれば、彼女の結婚後の三年は、彼女を諦める日々だった。彼女が結婚した瞬間から、妹としてしか見ないと決めていた。そして、ずっと彼を追いかけてきた友梨は、最初は友人でしかなかった。おそらく同じような叶わぬ恋の苦しみを知っていたから、ずっと申し訳ない気持ちを抱えていた。その後ろめたさは三年前の再会まで続いた。再会した瞬間、彼は分かっていた。彼女はまだ諦めていないと。結婚を迫られた時、長い間ずっと同じことを考えていた。親の言う通り、見知らぬ相手と結婚するか。それとも友梨に機会を与えるか。結局、彼女と結婚すれば、少なくとも彼のような苦しみは味わわせないだろうと考えた。若かった庄司は、彼女の願いを叶えることで、叶わぬ恋の絶望を和らげられると思っていた。でも当時は知らなかった。望まない結果は、時として叶わぬ恋よりも受け入れがたいことを。そして、誰かの願いを叶えることは、簡単なことではなかった。失った恋の深い苦しみと、これから入る結婚という檻の間で。彼は両方の間を行き来し、心が引き裂かれそうだった。崩壊寸前の状態で、隠婚を提案し、友梨は即座に承諾した。人を忘れる方法も、結婚生活の営み方も分からないまま、庄司は結婚した。結婚後の三年、美咲とはほとんど連絡を取らず、たまの食事会で顔を合わせる程度だった。大勢で撮った写真は全てそのアルバムに収めていた。日々の生活の中で、少しずつその想いを手放そうとしていた。でも、手放すのは簡単ではなかった。長年の習慣で、無意識に彼女を見つめ、彼女のことで感情が揺れ動いた。特に彼女の離婚を知った時、苦しみから解放されて新しい人生を始めてほしいと切に願い、だからこそ全力で助けようとした。本当に愛した人だからこそ、一緒になれないと分かっていても、幸せになってほしかった。でもこれは全て庄司の胸の内で、誰にも話したことはなかった。片思いは一人の心の中の出来事だと思い、うまく隠せていると思っていた。でも友梨も彼に片思いしていたから、簡単に見抜かれていたのだ。失ってから気付いた。とっくに気持ちは見透かされていたこと
友梨が去って三日目、庄司はあらゆる手を尽くしても連絡が取れなかった。時が過ぎるごとに、心の不安は膨らんでいった。この数日、美咲から何度も連絡があったが、全て断っていた。だから彼女が訪ねてきて憔悴した姿を見た時、心配そうな目を向けた。「庄司兄、何かあったの?」今となっては、美咲を目の前にして複雑な感情が湧いた。愛情は既に家族愛に変わっていたが、伝える機会を見つけられずにいた。しかし友梨が二人の関係を誤解して去った今、もう先延ばしにはできない。全てを説明しなければ。「美咲、ずっと友梨を探しているんだ」「友梨さん?どうかしたの?」美咲の表情に浮かぶ緊張を見て、庄司の後悔は深まった。「消えてしまったんだ。見つからない」「えっ?なぜ突然......離婚のこと?元夫と何か?」「離婚のことだし、元夫とも関係がある。より正確には、私との関係だ」美咲は更に困惑した。その困惑した表情を見て、庄司は勇気を振り絞って告白した。「私が友梨の元夫なんだ。三年前に結婚していた。ずっと黙っていてごめん、美咲」その言葉は鈍器のように美咲の心を打ちのめした。その場で凍りついた。あの違和感、第六感は間違いではなかったのだ。理解はしたものの、現実を受け入れられず、声を震わせて問いただした。「なぜ黙っていたの?友梨さんに対して、フェアじゃない」庄司は言葉を失い、複雑な感情をどう説明すればいいのか分からなかった。その沈黙に、美咲の感情は高ぶった。前回の友梨との会話を思い出し、後悔と罪悪感で胸が潰れそうになった。もし友梨さんの夫が庄司だと知っていれば、余計な感情は全て押し殺し、あんな話もしなかったはず。無意識とはいえ、二人の結婚生活を壊す一因になってしまったことに、耐えられない痛みを感じた。「謝るべき相手は私じゃなくて、友梨さんでしょう!」「分かってる。でも離婚後、消えてしまって見つからないんだ」それを聞いて、美咲は友梨が完全に諦めたのだと悟り、胸が締め付けられた。友梨さんの気持ちは誰よりも分かった。「人は跡形もなく消えることなんてできない。連絡する方法が全くないということは、あなたが彼女を全く心に留めていなかった証拠よ!」その一言が血なまぐさい真実を突き、庄司の胸に鋭い痛みが走った。
十月の江城は気温が徐々に下がり、秋風が疲れを吹き飛ばしていく。友梨はホテルの予約情報を確認しながら、ゆっくりとロビーに向かった。フロントに着くと、またしても庄司と鉢合わせた。一度や二度なら偶然だが、三度目となると友梨も我慢の限界だった。「こんなに大きな街で、これだけホテルがあるのに、また偶然なんて言わないでよね!」彼女の怒りの詰問に、庄司は平然とした顔で答えた。「偶然にも、天意と人為がある。どちらにしても、出会うには運が必要だろう。私は運がいいのかもしれない。君と縁があるってことさ」友梨はこめかみを押さえ、気を取り直した。「もし本当に縁があるなら、離婚なんてことになったはずないでしょう。嘘はやめて、庄司」「もしかしたら、私たちの縁は離婚の後から始まるのかもしれない」もっともらしく言うが、友梨にはただの戯言にしか聞こえず、思わず皮肉った。「じゃあ私たちの縁は離婚の日に尽きたって言えるわね。今はただの因縁よ!」庄司は大いに賛同するように頷いた。「因縁かもしれないね。でもそれも悪くない。七年前、君が偶然を装って何度も現れて、私に深い印象を残してくれなかったら、結婚相手の第一候補に君を選ぶこともなく、こんなにも縺れて、今日まで続くこともなかった。君が求めた因縁が尽きたと思うなら、今度は私が君の昔のような粘り強さと諦めない精神を見習って、私たちの縁を更新したいと思う」友梨にとって、庄司を四年間追いかけたことは、まるで前科のように人生の記録に残っていた。特に本人の口から語られると、恥ずかしさと怒りが込み上げてきた。「過去のことばかり蒸し返して!」「偶然の出会いも演出できるよ」友梨は彼のこの頑なな態度に呆れ笑いが出そうになった。「私が何をしたっていうの。なぜこんなにつきまとうの!」庄司は深い眼差しで彼女を見つめ、複雑な感情を滲ませながら言った。「十年前、君が私に関わってきたことが間違いだったんだ、友梨」友梨は珍しく彼に同意した。拳を握りしめ、落ち着きを取り戻して、理性的な会話を試みた。「じゃあ、どうしたら私から離れてくれるの」「わざとつきまとっているわけじゃない。全て縁のなせる業だよ。どうして信じてくれないんだ」そんな神秘的な言い訳を盾にするのを見て、友梨は完全に我慢が限界に達
「あのアルバムを見たから、離婚を決めたのか」庄司はあの疑問をまず口にした。友梨は迷うことなく、正直に答えた。「そうね、でもそうじゃないわ。離婚の考えはずっと前からあったの。アルバムは導火線に過ぎなかった。たとえアルバムを見なくても、いつか我慢の限界が来て、離婚を切り出していたはずよ」その確信に満ちた口調に、庄司はまた後ろめたさを感じた。「私の至らなさで、君がこんなにも不満を抱えていたのに、どうして言ってくれなかったんだ」友梨は彼を横目で見て、さらりとした口調で答えた。「あなただって美咲のことを好きだって言わなかったでしょう。私はただ、あなたを真似て黙っていただけよ」今でも誤解していることを知り、庄司は急いで説明を始めた。「確かに好きだった。でもそれはずっと昔のことで、結婚してからは少しずつ彼女のことを忘れて、君と一緒に......」友梨はそんな空虚な言葉を聞きたくなくて、遮った。「あなたがいつ彼女のことを諦めたのかも、私に本気だったのかも、もう興味ないわ。全て過去のことだもの。もう価値のないことに心を費やしたくないの。分かる?」その澄んで決意に満ちた瞳を見て、庄司は用意していた説明の言葉を飲み込むしかなかった。両手を強く握りしめ、力が入り過ぎて関節が白くなり、目には深い諦めと暗さだけが残っていた。友梨は彼の今の気持ちなど全く気にしていなかった。ただ世界が再び静かになったことに安堵し、イヤホンとアイマスクを取り出して、しっかり休もうと準備した。飛行機は京北の上空を飛び、雲の頂きを翔けていた。機内が静かになり、庄司は顔を傾け、すぐ近くにある安らかな寝顔を見つめながら、激しく揺れる心が少しずつ落ち着いていった。彼女がこれほど過去を拒絶するなら、もう諦めるしかない。でもそれは、彼が全てを諦めるという意味ではなかった。二時間後、飛行機は江城空港に着陸した。友梨が荷物を押して車に乗ろうとした時、バックミラーに映る庄司の姿を見て、思わず睨みつけた。「言うべきこと、言うべきでないこと、全て話し終わったでしょう。まだ付きまとうの」「話し終わったとは言えないよ。結婚後のことは水に流したとしても、その前の七年間と、これからの人生について、まだ話すことがあるはずだ」「七年間片思いして、離婚後はそ
友人たちと別れを告げた後、友梨は荷物をまとめ、中断していた世界一周の旅を再開する準備を始めた。皐月は空港まで見送り、離したくないかのように彼女を抱きしめていた。「気を付けて行ってきてね。何かあったらすぐに電話して。美味しいものとか、面白いところとか、綺麗なものを見つけたら写真を送ってね。疲れたら休みたいけど泊まるところが見つからないときは、そのまま帰ってきて。私の家の暗証番号知ってるでしょう......」延々と続く言葉を聞きながら、友梨は困ったような表情を浮かべた。「旅行に行くだけで、遠くに嫁いで行くわけじゃないのよ。皐月ママ、そんなに心配性にならないでくれる?」そんな軽い冗談で別れの雰囲気が壊れ、皐月は思わず友梨の頬をつねった。「このママは、あなたがまた羽目を外すんじゃないかって心配なの。この前だってメッセージを数日も返さなかったじゃない。だから念を押すのよ」「もう何百回も説明したでしょう。念力で返信したのよ。まだそのことを根に持ってるの!」二人は子供のようにしばらく言い合い、搭乗時間が近づいてきてようやく名残惜しく別れた。友梨がバッグを背負って保安検査を通り、機内で座席を探していると、早くも皐月からメッセージが届いた。「!!!今、庄司さんに似た人を見かけたわ!」その一言で、友梨は警戒心を抱いた。反射的に周りを見回したが、あの見慣れた顔は見当たらず、少し安心した。「見間違いじゃない」「絶対に彼かもしれない。気を付けて!」友梨は半信半疑だった。誰にも告げていない旅程を、庄司がどうして知り得るだろうか。念のため、山本弁護士にメッセージを送って確認してみた。「庄司君は一昨日辞表を出しました。今どこにいるのか分かりません」そのメッセージを見た瞬間、友梨は不吉な予感が込み上げてきた。庄司が辞職した?では皐月が先ほど見かけた人は、本当に彼だったのか。そう推測している時、背後から聞き慣れた声が謎を解き明かした。「すみません、通していただけますか」その声を聞いた瞬間、友梨の体は凍りついた。呆然と振り返ると、庄司が後ろに立っており、驚いたふりをして挨拶をしてきた。「友梨?なんて偶然だ」偶然かどうか、お互いの胸の内は明らかだった。友梨は彼の芝居に付き合う気もなく、眉をひそめ
最後まで聞いて、友梨の心には大きな石が投げ込まれたかのような波紋が広がった。美咲の視点からは、こんなにも異なる物語として映っていたとは思いもよらなかった。驚きはあったものの、これが真実だとは思えなかった。結局のところ、恋愛とは水を飲むがごとく、温かいか冷たいかは自分にしか分からないもの。もし庄司が本当に彼女のことを好きだったのなら、それを少しも感じ取れなかったはずがない。だから美咲の懸命な説得と説明に対して、しばらく沈黙してから答えた。「彼があなたに抱く感情が恋愛なのか、家族愛なのか、それとも友情なのか、それは分からないけれど、元妻の私よりもずっと深いものだと思います。私が離婚を決めたのは、あなたの存在だけが理由じゃないの。昔からの大小様々な出来事が積み重なって、結婚の本質が見えてきて、完全に失望してしまったの」彼女が冷静に事実を語るのを見て、美咲も深く感じるものがあった。まだ口に出していない説得の言葉は、唇の間に留まったまま。二人の視線が空中で交差し、友梨は彼女の赤く潤んだ瞳を見つめ、軽くため息をついた。「結局これは私と庄司の問題で、あなたは何も悪くない。巻き込まれるべきじゃなかったの。今は私たちの離婚は既成事実になって、当事者の私でさえ受け入れて前に進めているのに、傍観者のあなたが悩む必要なんてないわ。全てを手放して、自分の人生を歩んでいけばいい。あなたも私も、まだやり直せる時期なんだから」この会話は終わったものの、美咲の心の中の感情はなかなか収まらなかった。一人で席に座ったまま、長い時間をかけてようやく友梨の言葉の意味を理解した。昨日のことは、昨日と共に死に。今日のことは、今日と共に生まれる。一瞬にして、彼女の心に積もった暗雲は晴れていった。美咲は立ち上がり、隣の個室に向かってドアを開けた。部屋の中は静まり返っていて、椅子に寄りかかったまま黙り込む庄司を見て、彼女は優しく声をかけた。「庄司兄、大丈夫ですか」先ほどの二人の会話は、一言も漏らさず庄司の耳に入っていた。彼は決して大丈夫ではなかったが、美咲の前では全ての感情を抑え込み、平静を装った。「大丈夫だよ」声にかすかな震えが混じり、美咲はすぐにそれに気付いた。彼女は俯いて、彼の向かいに座り、しばらく考えてから慰めの言葉を
カフェで美咲と会った時、友梨は何か遠い昔のような感覚に襲われた。一ヶ月ぶりの再会で、彼女は少し憔悴し、元気もなさそうに見えた。その変化に友梨は少し驚いたが、それでも丁寧に挨拶を交わした。注文を済ませた後、あまり親しくない二人は何を話せばいいのか分からなかった。結局、美咲が先に沈黙を破った。「友梨さん、今日お会いしたのは謝りたいことがあって......申し訳ありませんでした」その真摯な謝罪に、友梨は驚きの表情を浮かべ、慌てて手を振った。「私たちの間には何もなかったでしょう。謝らなくていいのよ」こんなにも寛容で気にしていないという言葉を聞いて、美咲の目には更に強い罪悪感が浮かんだ。「あの日、私は友梨さんが庄司さんと結婚していたなんて知らなくて、余計なことを言って傷つけてしまって、本当にごめんなさい」こんな些細なことだったのか。友梨の心に小さな波紋が広がり、彼女を見る目が優しさを帯びた。「私が隠していたのが先だもの。あなたは本音を話しただけで、気にしていないわ。それに、あの時私はもう離婚を決めていたの。むしろあなたの言葉で決心が固まったくらいよ。感謝してもいいくらいね。あなたの言葉がなければ、こんなに早く立ち直れなかったかもしれないわ」美咲は慰めの言葉だと分かっていても、心の中の壁を越えられず、目に涙が光った。「こんな結果になってしまったのは、私と庄司さんの責任です。私たちが友梨さんを裏切ってしまったんです」彼女が頑なに責任を背負おうとするのを見て、友梨は一瞬言葉を失った。罪悪感に囚われた美咲の感情は徐々に高ぶっていった。「友梨さん、実は私と庄司さんはもう話し合って、これからは兄妹としての関係だけにすることにしました。もう一度、彼にチャンスをあげていただけませんか」この突然の話題転換に、友梨は固まってしまった。二人は相思相愛で、離婚した日にすぐに入籍するような関係だったはずでは?どうして皆、揃って復縁を勧めてくるのだろう。この疑問は友梨の心の中で長い間渦巻いていて、今回ついに聞かずにはいられなくなった。「私たちは既に離婚したのに、どうしてあなたたちは一緒にならないの」美咲の声は既に涙声になっていた。「庄司さんが私のことを好きだったってことは、ずっと前から知っていた。でも私は彼を
「手伝おうか」振り返ると、庄司が玄関に寄りかかり、心配そうな眼差しを向けていた。友梨は聞こえなかったふりをし、その言葉に応じなかった。庄司も気まずそうな様子もなく、独り言のように話し続けた。「こんな大雨が降ったのは、一年前だったかな。あの日は二人とも家で休んでいて、君が手作りケーキを焼くって言い出して......」彼の声はしとしとと降り続ける雨音に混ざりながら、時の流れの中に埋もれた思い出を語り続けた。どこにも行けない友梨は、否応なく彼の追憶に耳を傾けることになった。聞いているうちに、頭の中にいくつかの場面が浮かび上がり、静かだった心も揺れ始めた。雨の日から最初のデート、結婚後から大学時代まで、庄司は追憶に浸りきったかのように、懐かしむ気持ちを込めた口調でどんどん語っていく。彼の口から語られる思い出は美しく楽しいものばかりだったが、友梨の耳には、去り行く人の後に残された寂しさだけが響いた。とうとう我慢できなくなった彼女は、彼の言葉を遮った。「そんなに暇なら、車で送って小遣い稼ぎでもしたら」目的を達成した庄司は、すぐに彼女を車に招き入れた。これ以上邪魔されないよう、乗車するなり友梨は目を閉じて居眠りのふりをした。庄司はもう何も言わなかった。彼女が隣に座っているのを見るだけで、彼の心は徐々に落ち着いていった。目的地に着くと、友梨は財布から2000円を取り出して渡した。「ご苦労様。お釣りはいいわ」庄司も遠慮せずに、にこにこしながら受け取った。「ご利用ありがとうございました。また送迎が必要な際はご連絡ください」友梨は彼とこれ以上言葉を費やす気もなく、車のドアを開けて立ち去ろうとしたが、呼び止められた。「美咲が君の連絡先が欲しいって言ってるんだけど、いいかな」その名前を聞いた瞬間、友梨の心臓が一拍飛んだ。以前こっそり彼女をフォローしていたことを思い出した。でもすぐに、そのアカウントはもう削除したことを思い出し、安心して軽く頷いた。友達申請が来ると、友梨はすぐに承認した。画面に「入力中」の表示が続くのを見て、彼女は胸が高鳴った。なぜ突然美咲が連絡を取りたがっているのだろう。何か知ってしまったのだろうか。そう推測している間に、一通のメッセージが届いた。「友梨さん、明日お
二日酔いで、友梨は午後まで寝込んでしまった。皐月はすでに仕事に出かけており、簡単な昼食を済ませた後、暇を持て余した彼女はバッグを手に取り、先日立てた計画を片付けようと外出した。階下の八百屋でフルーツバスケットを受け取り、そのまま法律事務所へタクシーで向かい、山本弁護士と面会した。この二ヶ月間、山本弁護士は彼女の離婚について多大な尽力を注ぎ、法に則って彼女の個人情報を守り、仲介役として数々の言葉を伝え、おそらく庄司を何度も諭してくれたからこそ、円滑な離婚が実現できたのだ。彼がしてくれたことの多くは弁護士の職務を超えており、友梨は随分と迷惑をかけてしまったと申し訳なく思い、直接お礼を言いに来たのだった。二人が離婚届を提出したことを知り、山本弁護士の表情には残念そうな色が浮かんだ。「義妹さん、なぜ私に黙っていたのですか」山本弁護士に対して、友梨は本当に申し訳なく思いながら謝罪し、同時に彼の言い間違いを訂正した。「私たちはもう離婚しましたので、義妹さんというのは適切ではないと思います。山本弁護士、もしよろしければ、友梨と呼んでください」「実は黙っているつもりはなかったんです。ただ、ご存知の通り、私たちは入籍を公表していなかったので、先生を困らせたくなくて、お伝えしなかったんです」入籍の非公表について触れると、山本弁護士も彼女の気持ちを理解し、それ以上この件を追及しなかった。「そうですね。全て庄司が悪い。彼が私たちに黙っていたのが良くなかった。古い同級生同士だと聞いていますが、こんなに慌ただしく離婚してしまって、心の整理もついていないのではないですか?今後は本当に付き合いをなくすつもりですか」この質問は友梨の心の琴線に触れた。昨日までは、庄司との付き合いを絶つつもりでいた。しかし昨日の彼の様子を見ると、完全に縁を切るのは難しいと感じた。同級生という関係は置いておいても、離婚後どのように両親に説明するかということだけでも頭が痛い。彼女の両親の性格を考えると、おそらく庄司のところまで押しかけて一悶着起こさないと気が済まないだろう。その時にはやはり事前に彼に説明しておく必要がある。どうやら二度と関わらないというのは、全てが片付いた後でないと実現できそうにない。そう理解すると、友梨はため息をつきたくなったが、それ
友梨の笑みが引きつった。確かにそんなことを言った。でも離婚を急がせるための言葉で、深い話をするつもりなど毛頭なかった。離婚証明書を手にした後に元夫と気まずい会話なんて、誰がするの?友達と飲んでお祝いするものでしょ!約束は守る主義だけど、この晴れがましい時に気分を害したくなかった。「確かに言ったけど、今とは言ってないでしょう?今度、時間があるときに」庄司は手を離さなかった。「前回、離婚協議書で騙されて、君が突然消えた後じゃ、信用できない。連絡先も全部変えて、今日また居なくなったら、約束はどうやって果たすの?」弁護士らしい正論に、友梨は妙に後ろめたさを感じた。その微かな表情の変化を見逃さず、庄司は優しく攻め続けた。「離婚には反対だったけど、結局は君の望み通りにした。少し引き延ばしはしたけど。君の意思を尊重して、騙された件も追及せず、ただ話がしたいだけなのに、その機会すら与えてくれないの?四年の同級生で三年の夫婦、そこまで冷たくする?」離婚証明書を手に入れた高揚感で、それまでの冷徹な態度を忘れていた。こんな謙虚な庄司は初めてで、少し心が揺らぎ、携帯を取り出した。「分かったわ。連絡先は教えるけど、この前みたいに執拗なメッセージは駄目。言葉遣いにも気を付けて。会うのは、また時間を合わせてから」庄司は彼女が考え直す前に素早く連絡先を追加し、手を離して階段を降りながら念を押した。「じゃあ君も約束して。ブロックしない、削除しない、返信もする。約束は守って」友梨は耳にタコができそうで、また苛立った声で言った。「同級生としての礼儀を守って、線を越えなければ、削除しないって約束するわ!」その言葉で、庄司はようやく安心した。助手席のドアを開け、丁寧に招く仕草をした。友梨は見なかったふりをして、タクシーを拾おうとした。背後から切ない溜息が聞こえた。「離婚したら、相乗りもダメか。冷たいなぁ」鳥肌が立って、急いでタクシーに乗り込み、運転手に急ぐよう促した。皐月の家のドアを開けると、クラッカーの音に飛び上がった。部屋中の風船と花、テーブルの上のお菓子やケーキ、独身祝の横断幕を見て、目が潤んだ。皐月は泣かれそうで、急いで抱きしめ、優しく慰めた。「おめでたい日に何泣いてるの。涙は飲み込んで!
十分で、友梨は情報を照らし合わせながら、全ての資料を見つけ出した。確認を終え、書類を持って出てきた時、入口で崩れ落ちている庄司を見て、目を細めた。また何を演じているの?離婚を引き延ばすために病気のふり?彼の前に立ち、警戒心を露わにした声で尋ねた。「具合でも悪いの?」それは心配ではなく、疑いの言葉だった。庄司にも分かっていた。首を振り、ドアに寄りかかって立ち上がり、無理に笑顔を作った。「大丈夫だ。行こう」ドアを開けるのを見て、友梨はようやく警戒を解き、後に続いた。区役所への道中、二人とも黙っていた。友梨は時計を見続け、時間を気にして、車を降りると彼の手を取り、急いで階段を上がった。結婚の日、反故にされることを恐れて、彼女もこんなに焦っていたと庄司は思い出した。あの時は気持ちが晴れなかったが、彼女の焦る様子に思わず笑みがこぼれ、結婚への不安も和らいだ。三年後、同じ場所に離婚のために来ることになるとは。離婚に来た夫婦たちを見て、離婚も大したことではないと突然思えた。友梨が結婚は間違いだと言うなら、終わらせよう。間違いをここで止めれば、新たに始められる。結婚に縛られず、別の立場で彼女の元に戻ればいい。今度は彼が一からその思いを証明する番だ。彼の時のように機会をくれるかは分からないが、もう迷いはなかった。十年でも一生でも彼女を追い続ける覚悟があった。結婚の誓いを守るため。生涯を共にすると決めた以上、後悔はしない。手続きは五時、退社時間に終わった。新しい離婚証明書を見て、友梨はほっとした様子で、庄司の顔さえ好ましく見えた。手首を回しながら、明るい声で言った。「お世話になりました。これで清算ね。さようなら!」そう言って歩き出したが、手首を掴まれた。「誰が清算したって?」友梨は離婚証明書を見て、彼の顔を見て、その自信に満ちた表情を疑わしげに見た。「法的に離婚が成立したのに、まだ清算じゃない?」「そうだ。法的には夫婦じゃなくなった。でも同級生という関係は変わらない」「言っておくけど、学生時代そんなに親しくなかったし、これからも付き合う理由なんてない」庄司はそれを否定しなかった。「確かに、当時は冷たかった。君がずっとついて来るからね」友梨は