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第6話

Author: 浜崎沙絢
瑠奈は、部屋に閉じ込められたまま、こっそりと和樹に電話をかけた。

「和樹にい……どこ行っちゃったの……?

あたし、すごく怖いよ……早く戻ってきて……ね?」

電話越しの泣き声に、和樹は疲れたように眉間を押さえた。

「……すぐ帰るよ」

そう答えるしかなかった。

和樹が慌ただしく家に戻ると、両親はまだそこにいた。

二人とも、暗い顔でソファに腰かけている。

和樹が玄関に入るや否や、和樹の母さんがすぐに駆け寄ってきた。

「――ありすちゃん、見つかった?」

和樹は、黙って首を振った。

和樹の母さんの顔に、焦りと不安が広がる。

「どうしよう……どうしたらいいの……

ありすちゃん、赤ちゃんがいるのよ?もし何かあったら……!」

「……病院には?」

和樹は、ありすがもう子どもを失ったことを口に出すことができなかった。

彼女がその事実を知ったら、きっと受け止めきれないと思ったから。

「……行ったよ。でも、いなかった。

心配しないで、母さん。俺が必ず、ありすを見つけるから。

……それより、瑠奈はどうしたの」

その言葉を聞いて、彼女の声が鋭くなった。

「――いまは、ありすちゃんのことを心配すべきでしょ。

なんで、まだあんな女のことを気にしてるの!」

和樹の父さんもついに黙っていられず、使用人に命じて瑠奈を連れ出させた。

瑠奈は大声で泣き叫びながら、また倒れ込んで気絶するフリをしようとした。

けれど、和樹の母さんには見破られてしまう。

「山の中にでも放り込んでこい!それでもまだ気絶してられるか見ものだね!」

それを聞いた瑠奈は、顔面蒼白になり、必死に泣き叫んだ。

「和樹にい、助けてぇ!」

和樹はその姿に一瞬だけ胸を痛めた。

「……母さん、この件は瑠奈には関係ないんだ。どうか許してやってくれないか」

瑠奈もすぐに頷きながら必死で言葉を重ねた。

「そ、そうだよ!ありすねえが流産したのは、あたしのせいじゃない!あたし、なにもしてないもん……」

「……なんだって?!」

和樹の母さんはその言葉にピクリと反応し、立ち上がった。

「如月瑠奈!」

和樹も怒鳴った。

瑠奈は自分が何を言ったのか分かっていないようで、ビクビクしながら口ごもる。

「な、なんにも言ってないよ……」

「あんた、ありすちゃんが流産したって言ったのか?!」

和樹
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    検査結果の束の下に、ふと、色あせた一枚の便箋が挟まっていた。それは――和樹が、初めて私に想いを伝えてくれたとき、自分の手で書いてくれた手紙だった。そっと指でなぞると、あのときの彼の、まっすぐな筆跡が指先に伝わってくる。でも、もう違う。今の和樹の目には、瑠奈しか映っていない。そんなことを考えていたときだった。いきなり扉が開いて、和樹が入ってきた。私の顔を見て、一瞬ぎょっとした表情になる。「――どうした?なんで泣いてるんだ」彼は慌てて私に近づき、涙を拭こうと手を伸ばしてきたけど、私はそっと身を引いた。「大丈夫だよ」涙声になりながらも、私は笑おうとした。「ただ……自分に赤ちゃんができた日のこと、思い出しただけ」和樹の視線が、私の手元に気づいた。私は咄嗟に、便箋を隠すように引き寄せる。「……さっき探し物をしてたら、うっかり出てきちゃっただけだから」和樹は訝しむような目で私を見たけど、それ以上何も言わなかった。「今、お腹に子どもがいるんだから、あんまり泣くなよ」「平気だよ。心配しないで。……それで、なんで戻ってきたんだ?」「着替えを取りに。それと……あの、ベビー用の足輪、どんな模様にするか聞きたくて」思いがけない質問に、私は一瞬言葉を失った。まさか、そんなふうにちゃんと考えてくれているなんて、思わなかったから。「……『すべてがうまくいきますように』って意味の模様で、いいんじゃない?」私は俯き、お腹に視線を落とす。「……あなたが決めたのでいいよ」――それでいい。きっと、これからは、お互いに別々の幸せを目指していくのだから。荷物をまとめ終えた和樹が、もう一度こちらを見る。「本当に……大丈夫か?」その顔を見て、思わず、胸の奥から小さな希望が湧いてしまった。「……もし、私が『平気じゃない』って言ったら――少しは、ここにいてくれる?」思わず漏れたその問いに、和樹は苦笑いした。「ありす……そんなこと言うなよ。瑠奈が待ってるんだ……一人にさせたくないんだよ」私は、かすかに笑った。「冗談だよ。早く行ってあげな」心の中で、自嘲する声がした。――本当に、馬鹿だな。まだ期待してる自分がいるなんて。どうして、まだ和樹に期待してしまうんだろ

  • 初恋優先の彼氏に絶望して、私は母になることを諦めた   第2話

    もう、何も考えたくなかった。背後で聞こえる瑠奈の笑い声が、耳を刺すように響いて、私は自然と歩く速度を速めた。和樹が家に帰らなくなってから、家の中はがらんとして、私と早乙女さん以外には誰もいない。私が帰ってきた気配を聞きつけて、家政婦の早乙女さんが嬉しそうに出迎えてくれた。だけど、私の顔色を見た途端、心配そうに眉をひそめる。「粟田さん、お顔の色が優れませんが……ずっとお戻りにならなかったのは、どこかご体調でも崩されたのでしょうか?」――早乙女さんですら、私をこんなに心配してくれるのに。どうして和樹は、一度も私を気遣ってくれないんだろう。心の奥が痛んだけど、私は無理に笑みを作った。「大丈夫だよ、早乙女さん……ちょっとお腹すいちゃっただけだから、何か作って?」「すぐご用意いたします。粟田さんのお好きなスープ、たっぷりお作りしますね」早乙女さんはそう言って、慌ただしくキッチンへ向かった。私はテーブルに、ポケットから取り出したあの瓶をそっと置いた。星を詰め込んだ瓶を、じっと、じっと見つめる。――そのとき、玄関のチャイムが鳴った。私は立ち上がり、ドアを開ける。そこに立っていたのは――和樹のお母さんだった。彼女は私の顔を見るなり、驚きの声を上げた。「まあっ、ありすちゃん!そんなに顔色悪くして……!」すぐに私の手を取って中へ引っ張り込み、今にも病院へ連れて行こうとする勢いだった。私は慌てて彼女を制した。「だって、ありすちゃん、今は大事な身体なんだから。赤ちゃんのこともあるし、無理しちゃダメよ」彼女は心底心配そうな顔でそう言った。「……和樹は?あの子、そばにいないの?最近、あの子会社にも全然顔を出さないから、私たち、てっきりありすちゃんと一緒にいると思ってたのよ。早乙女さんから連絡なかったら、私、ずっと気づかないままだったわ……ありすちゃん、あなたも隠すつもりだったんでしょう?」彼のお母さんは、昔から私にとても優しかった。その温かさに、胸がじんわりとあたたまる。だけど、何を言えばいいのかわからずにいたら――タイミングよく、早乙女さんがスープを持って現れた。「粟田さん、差し出がましいようですが……ずっとご様子が気になっておりまして、心配しておりました」私は微笑んで

  • 初恋優先の彼氏に絶望して、私は母になることを諦めた   第1話

    退院の手続きを終えた私は、病院の中庭で天音和樹(あまね かずき)とばったり出くわした。如月瑠奈(きさらぎ るな)は彼の胸に甘えるようにもたれかかり、ふたりは耳元でそっと言葉を交わしていた。けれど、私に気づいた瞬間、和樹の顔から笑みはすっと消えた。彼は瑠奈を庇うように背後に隠し、まるで私が何かするんじゃないかとでもいうように、冷たい目で睨んできた。「ここで何してる」その視線があまりにも鋭くて、胸の奥がひやりと凍った。瑠奈が和樹の袖をつまんで、甘えた声で言う。「和樹にい、そんな怖い顔しないで。ありすねえが驚いちゃうよ」私が何か返すより早く、彼女は今にも泣きそうな顔でこちらに向き直った。「ありすねえ、誤解しないで。私、怪我してるから、和樹にいが心配してくれてるだけなの」和樹は彼女を優しく慰めながら、私を見る目にはやっぱりあの、鬱陶しそうな色しかなかった。「用があるなら早く言えよ」唇を開きかけて、けれど言葉が出なかった。結局、私はかすかに首を振っただけだった。「……通りすがっただけ」和樹は、私の様子に何か感じたのか、珍しく少しだけ優しい声をかけてきた。「何もないなら、家に帰れ。おまえ、今お腹に子どもがいるんだから、気をつけろよ」その後ろで、瑠奈はつまらなそうに私を睨んでいた。私は小さく頷く。「……うん」それだけ言って、和樹は瑠奈を連れてさっさと去っていった。ふと見ると、瑠奈の顔には、またしても勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。私は背を向け、自然に両手をお腹へと重ねた。胸の奥から、どうしようもない痛みがこみ上げてくる。今この瞬間、私の夫は――別の女を守り、笑いかけ、寄り添っている。けれど、彼は知らない。彼の背後にいる妻は、すでに、彼との子どもを失っていることを。あの日、ほんの一度だけでも彼が振り返ってくれたら。ほんの一度でも病室に来てくれたら。そしたら、すべてを知ることができたのに。私は、自嘲するように口角を引きつらせた。ふと、ポケットの中の小さなガラス瓶に触れる。ぎゅっと握りしめた瞬間、胸の奥に押し込めた思い出が一気に蘇った。彼が初めて――そして最後に――病院に付き添ってくれた日。そのとき、彼の初恋の人が現れた。それからというもの

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