「内海唯花、俺たちはもう合意書にサインしたんだ。たった半年待つだけで離婚ができる。それを待ってから次の相手を探せばいいだろ?今から探す必要がどこにあるんだ。今俺たちはまだ法律上夫婦なんだ。今のお前の行為は不倫だぞ」 「俺はお前のことが嫌いだし、お前を愛することもない。だが、男は、普通の男は不倫されるのが嫌なんだよ」 結城理仁は彼女と金城琉生が一緒にいることが嫌なのだ。 彼の様子がおかしいのは、怒っているからだ。離婚前に次の男を探し、不倫することに怒っているのだ。 金城琉生は彼女に片思いをしているんだぞ。 あいつは彼の恋敵なんだ! これは愛の問題ではなく、面子の問題だ。大の男の尊厳の問題だ。 内海唯花はキョロキョロと見回し、何かを探していた。ちょうど良いものがなかったので、彼女は直接手に持っていた鍵と携帯を入れた袋を力いっぱい結城理仁に向かってぶつけた。彼女は空手を習ったことがあるので、人を殴る腕前はかなりのものだった。 結城理仁は彼女がこんなことをするとは思っておらず、完全に油断していて、彼女の袋が完全にヒットした。 袋の中に鍵と携帯が入っていたうえに、彼女は彼の口めがけて殴ってきたので、殴られた後、結城理仁は口元がとても痛んだ。 彼は顔を暗くし内海唯花を睨みつけた。 今まで彼に、こんなことをする度胸があるやつはいなかったんだぞ! 彼を殴った張本人の内海唯花が近づいてきて、腰を曲げて袋を拾った。口調もとても悪かった。「結城さん、そんなでたらめを言うのが好きな口なんて、殴られて当然よ!」 「わけも聞かずに、自分で勝手に解釈して。結城さん、いつもこんなに独りよがりで横暴で、この世で自分だけが正しいとでも思ってるの?」 結城理仁は痛む口を触り、目を見開いて彼女を睨んだ。 「なにそれ?どっちが目が大きいかって?私だってあんたなんかに負けませんけど」 内海唯花は怒ってまたその袋を持って殴りかかった。 結城理仁:......まだ殴る気か! 一体彼女はどこにこんな度胸を隠し持っていたんだ? こ、これは家庭内暴力だ! 「バイクで帰ってきている途中で、どうしてかわかんないけどバイクが動かなくなったのよ。でも、ちょうどいいところに、親友の従弟の金城琉生が通りかかった。彼とはあんたなんかより長い付き合いな
結城理仁の顔はこわばっていたが、耳は少し赤くなっていた。彼が内海唯花を誤解していたから赤くなったのだ。決して恥ずかしいからではない。彼、結城理仁が恥ずかしがるわけなどないだろう!「これは男の尊厳の問題だ!」内海唯花は鼻で笑った。この瞬間、結城理仁の顔は真っ赤になった。「俺は君なんか好きじゃないし、愛してもいないんだ、ヤキモチなんか焼くわけないだろ?君が不倫さえしない限り、どこの誰と一緒にいようがどうだっていい」「いちいち何度も私を好きじゃない、愛してないって強調しないでよ。まるで私があんたのことが大好きで愛して仕方ないみたいじゃない。私たちは結婚して、ただシャアハウスの生活をしているだけでしょ。正直に言うけど、私はね、ただ姉に私のことで義兄と喧嘩してほしくなくて、急いで姉の家を出てきたかっただけ。住むところを提供してくれるから、あなたのおばあさんの申し出を受け入れてあなたと結婚したのよ」「たくらみがあるって言うなら、これこそがあなたへのたくらみよ。あなたに家があって、私はタダで住まわせてもらえる。家賃が浮いたし、姉さんを安心させてあげられるから」結城理仁「......」彼の持ち家は彼自身よりも魅力的なのだ。彼の口からはスラスラと彼女が嫌いで、愛してないと出てきた。でも、彼女の口から彼が嫌いで愛してないと聞くと、その言葉が耳に刺さった。「私も不倫なんてしないわよ。あなたがさっき言ったとおり、半年後離婚してあなたが本当に家と車を譲ると言うなら、私はこの家に住んであの車を使うわ。そして正々堂々と新しい男を探しに行くから、これじゃダメなの?なんでわざわざあなたに不倫してるなんて言われなきゃならないのよ」結城理仁「......」しばらく経って、彼は態度を柔らかくし内海唯花に謝罪した。「内海唯花、申し訳ない。俺が君を誤解していた」彼の言い分は筋が通っておらず、彼女には敵わないのだ。ただ頭を下げて謝るしかなかった。「今後なにか問題があれば、直接私に言って。さっきみたいに内側から鍵をかけて私を外に放っぽり出すような真似はしないで。あなたのその性格はね、将来奥さんをもらっても、仲違いしやすいわ。もし奥さんもあなたと同じような性格だったら、あなたたち夫婦はすぐ冷戦に突入して、最終的には離婚するわよ」結城理仁は黙ってから
それから一晩、会話はなかった。次の日の朝、内海唯花は起きると、まずベランダに行って花たちに水をやり、観賞した。毎日起きてこの花の庭園を見ると、心が洗われ、結城理仁に対するちっぽけな不満など消えてしまうと言うしかない。この庭園は結城理仁が花を買ってきてくれたおかげで完成したのだから。心の状態を整えた後、内海唯花はキッチンへと向かい、夫婦二人の朝食の準備に取りかかった。すぐ結城理仁も起きてきて、キッチンの入口まで来ると、内海唯花が忙しそうにしていた。きつく引き締まった唇が動いた。「内海唯花、おはよう」唯花は後ろを向いた。「おはよう」「何か手伝うことはあるか?」「いいわ、もしやることがなくてつまらないなら、私の服を干してくれる?それから掃き掃除も」結城理仁はびっくりした。彼女は本当に遠慮がないな。口先では彼女に応えた。「わかった」彼は後ろを向いて去っていった。内海唯花の代わりに服を干して、掃除を始めた。こんなに大きく広い家に夫婦でたった二人、どちらも朝早く夜遅く家には基本いないので部屋はとてもきれいだった。結城理仁はどの部屋も隅まで掃き掃除した。唯花が二人分の朝ごはんを作り終わった時、彼はまだ掃除をしていた。「なんでそんなにタラタラしてるの」内海唯花はひと言つぶやくと、近づいていって、彼の手からホウキを取り上げた。結城理仁は無言になった。彼女は素早く、数分で終わらせてしまった。結城理仁は口を開いて何か言おうとしたが、結局何も言わなかった。こっそりと何度か彼女の顔色を伺ってみた。昨晩、彼に誤解されてから彼女はものすごく怒って、彼に手まで上げたのだ。まあいい、今朝も引き続き彼に朝食を用意してくれて、顔色もそこまで不機嫌そうではなかった。この娘、手ごわい!結城理仁は内海唯花の性分が少しわかった。なにか問題があるならその場で解決し、復讐ならその場で面と向かってやるのが一番だ。面と向かっていけないなら、チャンスを見計らうのだ。ひと言で核心を突き、彼女に無実の罪を着せず、怒らせない。彼女は気性の良い女性だ。「私の様子を伺いたいなら、コソコソしないで堂々と見たら。私がコンテストで最低でも準優勝できるくらいきれいなことは知ってるけど」結城理仁は我慢できずに笑った。「優勝できるくらいだと言うかと思っ
結城理仁は内海唯花の審美眼に問題があるんじゃないかと疑った。金城琉生は確かに顔が悪くないが、彼と比べることができようか?彼は金城琉生よりも、もっとイケメンのはずだ。彼女の携帯の連絡先に、彼の名前はどう登録されているのだろうか?結城理仁はふいにとても知りたくなった。内海唯花は金城理仁の電話に出た。「唯花さん、おはようございます」「こんなに早くから電話してきて、どうしたの?」「唯花さん、朝ごはんを食べましたか?僕が迎えに行って、店まで送りますよ。途中で朝ごはんを食べませんか。それか、唯花さんが僕に奢ってくれてもいいです」金城琉生の言葉には少し期待が込められていた。昨夜、彼は内海唯花を助けたのだ。今日、唯花姉さんを誘って朝ごはんを一緒に食べて送り迎えをする良い口実ができたというわけだ。「ううん、もうすぐ食べ終わるから。自分で朝食を作ったのよ。あとで夫が店まで送ってくれるから、あなたがわざわざ遠くまで来る必要ないわよ」内海唯花は金城琉生が彼女に片思いをしているとは、露ほども思っていなかった。彼女はただ単純に金城家からトキワ・フラワーガーデンまでがとても遠いと思っていた。朝の通勤ラッシュは渋滞しやすい。金城琉生に遠くからわざわざ来てもらって、渋滞にまで巻き込みたくないと思っていたのだ。金城琉生の満ち溢れていた期待は唯花の「夫が店まで送ってくれる」という言葉で、跡形もなく消えてしまった。まるで冷水を頭から浴びせられ、全身ずぶ濡れになったようだ。彼は内海唯花が既婚者だということを見落としていた!唯花姉さんはずっと彼氏がいなかったのに、突然スピード結婚してしまった。その相手は知らない人......彼女はどうして彼のことを待ってくれなかったのか?彼は今はまだ若いけれども、彼女のスピード結婚の相手に喜んでなるのに。残念なことに、唯花姉さんは一度も彼をその対象として見たことはなかったのだ。彼のことをただ弟としか見ていなかった。知り合ってから長い間、彼に物心がついた頃から、唯花姉さんは片思いの相手だった。しかし......結局のところは虚無でしかなかった。「わかった。唯花さんのバイクが直ったら、店まで持って行かせるから」金城琉生の心はとても苦しかったが、態度を変えずにいたので、内海唯花に彼の様子がおかしいこ
「おばあさんが病気なんだ。肝臓癌で。でも早期の癌だからよかったんだけどな」内海智明は電話で言った。「医者が都内の病院で治療を受けたほうがいいって言うんだ。君たち姉妹は都内に住んでいるし、詳しいだろう。病院の予約を先にして準備しておいてくれないか。私たちはもうすぐ出発する。おばあさんを都内の病院に連れて行くよ」「予約しておいてくれたら、着いてすぐ看てもらって、入院もできるだろう。入院時に保証金を前払いしないといけないところもあるって聞いたんだ。そちらで前払いしといてくれ。君の両親はもう亡くなっているけど、祖父母の世話も責任はあるだろ。君たちは生活費もあげたことないしさ。今おばあさんが病気になったんだから、君たち姉妹で病院にかかる必要を出してくれ。今までの生活費の補填だと思ってさ」従兄の話を聞いて、内海唯花の顔は青ざめた。彼女は十歳で両親を亡くした。二人が命と引き換えにした賠償金は全部で一億二千万だった。祖父母もお金を要求してきたが、それは理解できる、彼らは父親の両親なのだからだ。姉妹は当時幼く、祖父母が奪っていった賠償金は彼らの分の割り当て額をはるかに超えた金額だった。彼女は祖父母が一億二千万の賠償金を受け取った後、そのお金を彼女のおじさんたちに分けていたと知った。彼女には伯父が二人、叔父が一人、おばが二人いる。おじさんたちの家それぞれに一千五百万、二人のおばにはそれぞれ二百五十万、残ったお金は祖父母の老後の費用に当てられた。当時の彼女はまだ小さかったが、十歳でもしっかりと覚えていた。彼女は今でも、祖父母ができるだけ多くの賠償金をもらうために、村の役場や彼女の母親方の親戚の前で今後は姉妹に老後の面倒を見てもらわなくていいと言っていたのを覚えている。しかも合意書にサインまでしたのだ。祖父母、おじたち、そして姉妹二人の拇印までした。合意書は三枚あり、姉妹二人に一枚、祖父母に一枚、村の役場にも一枚保管してあった。証人はこんなにたくさんいるというのに、今従兄は姉妹に対して祖父母に生活費をあげていないと責めるのか!両親が亡くなった後、親戚には誰も姉妹二人を引き取ってくれる人は誰もいなかったことを考えた。一億二千万の賠償金の半分の六千万は祖父母に取られ、母方の祖父母も不公平だと思い四千万取られ、姉妹に残ったのは二千万だけだった。まだ十五
夫婦二人は黙々と朝食を食べ終わると、結城理仁は本当に内海唯花を店まで送っていった。夫婦が一緒に下まで降りると、下で待っていたボディーガードたちは状況判断し、全員通りすがりの人を演じ、散り散りに去っていった。内海唯花は高級車が何台も駐めてあるのを見た。そのうちの一台はロールスロイスで結城理仁に話しかけた。「ここって高級マンション群なのって嘘じゃないのね。ロールスロイスまで見かけるなんて思わなかった」こんなに高い高級車が買えるとは、タワーマンションの最上階に部屋を買ったのだろう。ここまで来て住むなんて、仕事や子供の通学に便利だからなのだろうか?金持ちの世界は彼女はよく理解できなかった。結城理仁はうんと一声言った。「多くの人は富豪や金持ちだろう。でも、謙虚なんだ」内海唯花は心の中で思った。ロールスロイスのどこが控えめなの?結城理仁は平然と彼のあのホンダ車を見て、妻を店に送った。彼が去った後、ボディーガードたちは集まり、お互い無言で見つめ合った。最終的に、全員一致した。車を運転してこっそり若旦那について行き、若旦那が若奥様を送り終えたところで、若旦那を会社まで送るのだと。内海唯花は自分の傍にいるこの男性がステルス富豪だということは知らなかった。ロールスロイスのような超高級車を持っていながら。頑なに二百万ちょっとの車で彼女を送るのだから。彼女は姉に電話をして、おばあさんが病気になり、内海家の人がおばあさんを都内の病院に連れて行くということを教えた。姉に絶対に言われるままに医療費を出さないように注意した。姉妹二人は長年実家の方には帰っていないが、おじさんたちが毎日贅沢して暮らしているのは知っていた。彼女の従兄弟たちが、会社勤めだろうが、自分で商売をしていようが、収入はなかなか悪くないと聞いていた。祖父母にはたくさんの孝行息子と従順な孫たちがいるのに、彼女たち姉妹に治療費を払わせる必要もないだろう。佐々木唯月は妹よりも五歳年上だ。知っていることはもっと多く、その恨みはもっと深かった。父方の親戚だろうが、母方の親戚だろうが、関係なく憎んでいた。妹の話を聞き、彼女は冷笑した。「私に今お金がないのは関係なく、たとえお金があったとしても、あのふざけたおばあさんなんかに治療費は出さないわ。唯花、彼らの電話に二度と出ないで、すぐ
内海唯花は姉に夜、結城理仁と一緒にごはんを食べに行くと返事した。姉妹二人が電話を終えた後、結城理仁がひと言尋ねた。「君と親戚は仲が悪いのか?」「そうよ」内海唯花は隠さずに、また嘘もつかずに話し始めた。「私が十歳の時、両親は交通事故に遭って死んじゃったの。父方の親戚と母方の親戚は誰も私たち姉妹を引き取ろうとしなかった」「でも、両親の事故の賠償金は持っていったわ。次から次にお金を分けて持っていったの。兄弟、おじ、甥姪にはお金をもらう資格なんてなかったから、おじいさんたちにお金を奪わせようと裏で手を引いていたの。私のお父さんは四番目よ、祖父母は父をそんなに大事にしてなかったの。他の兄弟、つまり私のおじさんたちのほうを愛してた」「賠償金の額を知って、なるべく多くのお金を分配してもらうために、彼らは当時言ったの、今後は老後の世話もお墓のことも私たち姉妹にはお金も労力も出してもらわなくていいって。それで六千万を持っていった。合意書にもサインしたわ。両親が亡くなるちょうど前に建てたばかりの二階建て一軒家は祖父母が住んでる。両親がいなくなったんだから、その家は彼らのものなんだって」「私たち姉妹は女の子で大きくなったら嫁いでいくから、家も土地も分けてくれないんだって。あの頃はまだ子供だったし、誰も私たちの味方なんかいなかったから、家は祖父母に取られちゃったの。私と姉さんは学校の長期休みの時だけ帰ってそこに住んでた。でも白い目で見られて、顔色を伺いながら生活してた。まるで私たちがあの家を奪いに帰ってきたみたいにね」「お姉ちゃんが言ってた、あの家の不動産権利書に書かれてる名前は両親の名前なんだって。あの老人二人が死んだら、裁判を起こして家を取り返すわ。おじさんたちに得させたりしないんだから」結城理仁は口を開いた。「その時、裁判で俺が必要だったら、何か手伝うことがあるなら言ってくれ。弁護士ならたくさん知り合いがいるから」結城グループには法務部があるからだ。内海唯花は感激した。「その時必要だったら、あなたにお願いするわね」彼女の祖父母は、まだある程度の年月はこの世でのたうち回るだろう。本当に裁判になった時、彼女と結城理仁がまだ夫婦であるかどうかは分からない。「君の母方の親戚は、君たちのために何もしなかったのか?」一般的に、母親方の祖父母
彼は一円も出さないのが内海唯花にとって一番良いことだと思った。 お金を出しても、出さなくても、どのみち不孝者だと罵られるのは目に見えている。それなら一円も出さないほうがいい。 当時、姉妹はどちらも未成年だったのに、彼女の親戚たちは全員性根が悪く、彼女たちのことなど全くお構いなしだった。多額の賠償金を持って行ってしまっただけでなく、家も占拠した。もし彼のあの義姉が分別がわかる人でなかったら、姉妹はどうなっていたことか検討もつかない。 内海唯花は結城理仁が言ったことは理にかなっていると思い、少し考えてから言った。「結城さん、あなたの言う通りだわ。私そうする、一円も出さない。あの人たちが何を言ってもね」 彼らは彼女に当時やったことを誰かに非難されるのを恐れないのだろうか。 やられたほうの彼女は誰かに非難されるのを恐れることはないだろう。 おじいさんとおばあさんは歳なんだからとか、彼女の血が繋がった祖父母だろうとか言ってきても、真面目に取り合わなくていい。彼女は絶対に強く言い返す。彼女の立場に立って、同じような経験を喜んでする人間がいるのか。あんな経験をしても言い争ったり、徳を持って恨みに代えられるような人がいるのであれば、彼女のことを非難すればいい。 自分自身が苦しみを経験してはじめて、他人を理解し助言することができるのだ。 彼女が一番嫌っているのは、倫理観を利用して人につけこむような人間だ。 すぐに結城理仁は内海唯花を星城高校の入口まで送っていった。 この時間帯は高校生たちはもう授業中だ。周辺のお店は暇そうだった。 牧野明凛はレジに座り携帯をいじっていた。結城理仁が内海唯花を車で送ってきたのを見て、急いで立ち上がり外へ出て行った。 「結城さん」 牧野明凛は結城理仁に一声挨拶をした。 結城理仁は車からは降りずに、車の窓を開けて店の様子をざっと確認した。牧野明凛が挨拶をしてきたので頭を下げて無理やりに微笑んでみた。これが牧野明凛への挨拶返しというところだろう。 「いってらっしゃい。会社に着いたら、メッセージ送ってね」 「わかったよ」 結城理仁は二人の女性に頭を下げて、車の窓を閉めるとバックして車の向きを変え走り去っていった。 「あなたのバイクは?」 牧野明凛は曖昧に尋ねた。「それとも、これからは旦那
内海唯花は買い物袋をテーブルの上に置き、佐々木陽を抱き上げて優しく尋ねた。「陽ちゃん、お粥食べてるの?」佐々木陽は頷き「うん、たべてる」と返事した。「じゃあ、お腹いっぱいになった?」佐々木陽は自分の小さなお腹をさすり、少し考えてから首を横に振った。彼はまだご飯を食べてなくて、ちょっとお腹が空いていると思った。内海唯花は笑ってソファの前に座り、姉の手から半分残ったお粥を受け取った。「おばちゃんが食べさせてあげようか?」「いいよ」牧野明凛は佐々木唯月に挨拶をし、同じように荷物をテーブルの上に置いた。佐々木家の母娘に対しては、少し会釈をしただけで、それを挨拶代わりにした。佐々木唯月は妹が代わりに息子に食事をさせてくれているので、義母と義姉のほうを向いて言った。「私は俊介を迎えにいったりしないわ。彼が帰って来たいなら、帰って来ればいい。帰りたくないっていうなら、悪いけどお二人に彼の世話は任せるわ」彼は生活費でさえも彼女に返すよう要求してきた。夫婦がもうこんなに冷めた関係になったら、後は他に何が言えるというのだ?佐々木唯月は自分も間違っていたとわかっていた。それは佐々木俊介をあまりに信用しすぎたことだ。佐々木英子はまだ何か言いたそうだったが、それを母親に止められてしまった。佐々木母は無理やり笑顔を作って言った。「わかったわ。帰って俊介に帰るように伝えるから。唯月さん、俊介が戻って来たら、あなた達はもう喧嘩したり手を出したりしないでちょうだいね。俊介は外ではちゃんとした仕事があるんだから、面子がとても重要なのよ。あなたが彼をあんな顔にしちゃったら、誰かに会ったりできないから、仕事にも行けなくて収入も減るでしょうが。損をするのはあなたたち一家なのよ」佐々木唯月は冷たく笑った。「彼は以前一か月に六万円の生活費しかくれなかった。それ以上は少しでも拒んでたし。今割り勘制にして、彼は三万円しかくれてないから、それで陽を養っているだけよ。彼の給料がいくらなのかなんて、今の私には関係のない話ね」彼女も以前、仕事をしていなかったわけではない。結婚前は彼女と佐々木俊介は同じ会社にいた。佐々木俊介が今就いている役職は、一か月に数十万円の給料がある。しかも副収入もあるから、それよりもずっと多く稼いでいるのだ。少なくても一か月に百五十万前
佐々木陽はパパが恋しいとも恋しくないとも言わず、ただ「パパおしごと」と言った。彼は母親と叔母が世話をしている。普段、彼が朝起きると父親は仕事で家にはおらず、夜寝てから帰って来る。だから、父親という生き物は週末にやっと会える程度なのだ。佐々木陽の父親への感情はまったく深くない。父親が家にいたとしても、息子と一緒に遊ぶことはなく、ただ携帯をいじっているだけだった。「唯月さん、見てごらんなさい。陽ちゃんは数日パパに会ってないから、こんなに冷たい態度になっちゃってるわ。このままじゃ、子供の成長に悪影響しかないわ。男の子は成長過程で父親からの愛がなくちゃいけないのよ。多くのことはパパから教えてもらわなくちゃいけないんだから」佐々木母は本来、孫が父親が恋しいと返事すると思っていた。そして彼女はそれを利用して嫁に息子のためにプライドを捨てさせようとしたのだ。だが、まさか孫が想像したような返事をしないとは。しかし、幸いなことに彼女の頭は冴えていて、孫のその対応にも上手に唯月を言いくるめようとした。佐々木唯月は義母を見て、冷ややかな口調で言った。「佐々木俊介が家にいたとして、あなた達は彼が息子の世話をするのを見たことある?陽は私と彼の子だけど、ずっと私一人で面倒を見て来たのよ。子供の世話をしないのはまだいいとして、一緒に遊ぶこともしないのよ。週末家にいて暇でも、携帯を持ってずっと誰かとしゃべったり、動画を見たりしてバカみたいに笑って息子とはまったく遊ばないわ。こんな父親、この子が彼に対して情が深くなるとでも言うの?」親子の情というものは培っていかなければならない。血の繋がった父子だとしても、コミュニケーションを取って関係を築き上げていかなければ、うまくいくはずはないのだ。佐々木母は口を開いたが、何も言葉が出なかった。やはり佐々木英子がその言葉に続けて言った。「俊介は普段、仕事がとても忙しいでしょう。週末家にいる時だってリラックスして休みたいのよ。あんたは仕事もせず、ずっと家で子供の世話をしてさ。家事が多いなんて言わないでよね、前は妹がここにいてほとんどの家事は妹がやっててあんたは何もしてなかったじゃない。あんたの専門は食べることで、見てごらん、今のこの醜態をさ」彼女の弟だけが佐々木唯月が太って醜くなったのを嫌っているのではなく、佐々木英
内海唯花と牧野明凛は佐々木唯月の住むマンションに到着した。唯花が車から降りると、見慣れた車が目に飛び込んできた。そして、彼女の顔に緊張が走った。「どうしたの?」「あれは佐々木俊介の姉の車よ。またお姉ちゃんのところに押しかけてきたらしいわ。あの人は紛れもなくクズ中のクズよ。うちのあの親戚たちといい勝負なの」牧野明凛はそれを聞いて慌てて言った。「早く上に行きましょう。もしその人が唯月さんをいじめてたら、うちらで追い出してやるわよ」内海唯花はすでに荷物を持って歩き出していた。牧野明凛は急いでその後を追った。佐々木家の人たちがまたやって来た。来たのはやはり佐々木英子たち母娘だった。彼女たちは佐々木俊介を迎えに唯月を佐々木家に行かせたいのだ。佐々木俊介は実家に帰っている。しかし、両親は姉の家に孫たちの世話に行っているので、ご飯は姉の家に行って食べていた。ちょうど両親の家から姉の家まで近い。同じコミュニティ内で、マンションは向かい側にある。毎日両親が弟に美味しい物をたくさん買って食べさせていた。もちろん彼女一家もそれを一緒に食べることはできるが、心の中ではやはり両親のその様子が不愉快だった。両親は弟に対してひいきしていると思っているのだ。弟が帰ってきたとたんに、高い物をたくさん買ってくるから。佐々木英子は確かに最低な人間であるが、幸いにも身の程はわきまえていて、その不愉快だと思っている心のうちを見せることはなかった。両親のサポートを長い事受けていた佐々木英子は両親からの恩恵を独占することに慣れきってしまっているのだ。弟が家に数日泊まっていて、彼女が一番積極的に弟夫婦の仲直りをさせようとしているのは、この弟を自分の生活圏から早く追い出したいからだ。「唯月さん、夫婦が一生一緒にいるからには口喧嘩や手が出ることだって避けられないことよ。一生全く喧嘩をしない夫婦なんてごく稀よ。すれ違いで喧嘩して、冷戦も数日続いたんだし、もう十分でしょう。これからも一緒にやっていかないといけないんだし、そうでしょう?俊介も男だから、プライドも高いけど実際はちょっと後悔しているのよ。あの日はあの子が先に手を出したんだから、あの子が悪かったの。私たちもわけを聞かずに彼に合わせて喧嘩しちゃって、間違えてたわ。彼の面子も考えて、迎えに行ってやってち
牧野明凛は意外そうに尋ねた。「本当に?フラワーガーデンが高級マンションってのは間違ってないけど、まさかロールスロイスを運転してる人までいるとはね。なんでその人って一戸建ての大きい家に住まないんだろ?」「結城さんが、近くの学校に通ってる子供がいるから、通学に便利なようにフラワーガーデンの部屋を買って住んでるんじゃないかって言ってた。もしかしたら、その人いくつも家を持ってるかもよ?」牧野明凛は笑った。「それもそうだね。さあ、スーパーに行こう。あ、そうだ、結城おばあさんが来るって言ってたよね?」「来ないって」「なんで?」「家の持ち主が同意しなかったんでしょうね」牧野明凛「……」親友の家の持ち主と言えば結城理仁じゃないのか?彼は結城おばあさんの孫だろう。おばあさんが週末来たいというのに、孫がそれを拒否するなんて……祖母不孝者め!二人は牧野明凛の車に乗り込むと、カフェ・ルナカルドを後にした。少し車を走らせて、大きなショッピングモールに車をとめた。モール内をぶらぶらして、二人は両手にたくさんの買い物袋をぶら下げて出て来た。この時、内海唯花は以前、結城理仁と一緒にモールを回ったのを懐かしく思っていた。彼がいれば、彼女がどれだけ買っても、代わりに持ってくれた。牧野明凛は荷物を車に載せた後、ぜえぜえ息を切らして言った。「ショッピングする時は、男性がいればいいのにって思っちゃうわね。買い物してる時は、あれもこれもってなるけど、いざ荷物を持つとなると、まったく、重くて死んじゃう。なんであんなに買っちゃったんだろうって後悔しかないわ」内海唯花はそれを聞いて思わず笑った。さすが、彼女と牧野明凛が親友になるはずだ。二人の考え方はまったく同じだった。これって、彼女がさっき考えていた結城理仁と一緒にスーパーを回った時の良いところを、親友が口に出したんじゃないか。「だったら、早く彼氏を見つけることね。これから先ショッピングする時は楽ちんでしょ」牧野明凛は運転席に座り、シートベルトを締めながら言った。「見つけたいと思ってすぐ見つかると思うの?自分に合った人を見つけないといけないし、いいなって思うような人じゃないといけないじゃない。そんなに簡単に見つかるんなら、私だってずっと独り身でいないわよ。家族から結婚の催促ばかりされて家に帰りたく
九条悟も少し呆気に取られていた。この上司は彼の前で何度も妻がいることを自慢していたが、あれは全部演技だったというのか?だけど、結城おばあさんはすでに会社のことは全て孫に任せていて、会社に来ることは稀だ。だから、結城理仁は彼の前でそんな演技をしてみせる必要はないはずだ。ボケちゃったのか?まあいい、それは結城理仁のプライベートな事だ。彼は自分でどうにかできるだろう。彼ら親友たちは何か面白いことがあれば、椅子とポップコーンでも持って来て、かたわらでそれを食べながら座って見ていればいいのだ。何も面白いことがないなら、家に帰って寝るまでだ。二時間後のこと。内海唯花は時間を確認し、もう三時になったので親友に言った。「明凛、そろそろ帰ろっか。お姉ちゃんのとこにも行かないといけないから」「わかったわ」牧野明凛も時間を見て、親友が帰るというのに何も意見はなかった。「後でちょっとスーパーに行こう。フルーツとおもちゃ二つ買って私もお姉さんの家に一緒に行く。家に帰りたくないのよ。母さんのあの意地悪な継母みたいな顔といったら、帰る気なくすわよ」内海唯花は笑って言った。「大塚家のパーティーで誰かさんが床に寝ちゃったせいでしょ?あなた自身も恥かいたのに、牧野のおばさんの面子も潰しちゃって。お母様が怒って当然よ」牧野明凛は自分がやらかした事を思い出し笑って言った。「恥くらいかけばいいのよ。母さんとおばさんに私は大和撫子で優秀な女性だからお妃様にでもなれるっていう妄想を消し去ってもらいましょう。今やあの人たちも大人しくなって、私も静かに過ごせるってもんよ。「あれ、ねえ唯花、あのテーブルに座ってる三人組、あの人あんたんとこの結城さんじゃないの?」牧野明凛が立ち上がって結城理仁を見て親友の手をポンポンと叩き内海唯花に確認させようとした。内海唯花は親友に促されて見てみると、本当に彼女の夫がそこにいた。「彼だわ」結城理仁が全身から漂わせるあの冷たく厳しい雰囲気を持っている人間は滅多にお目にかかれない。内海唯花は一目ですぐ彼だとわかった。「ちょっと挨拶しに行かなくていい?」内海唯花はためらって言った。「彼は友達と一緒みたいだし、彼らとは知り合いじゃないわ。声かけるのもあまり良くないんじゃないかな」実際、結城理仁の友人とは一人も会っ
結城理仁と親友たちがここで食事をしていたことなど、内海唯花は全く知らなった。彼女と親友の明凛、そして金城琉生の三人は食べながらおしゃべりをし、かなり長い時間レストランにいた。金城琉生にある電話がかかってきて、先に帰らなければならなかった。内海唯花は言った。「私と明凛も十分食べたわ。じゃあ、お会計してくる。琉生君、急用があるなら早く行って。私たちは隣のカフェに行っておしゃべりするから」以前親友に付き合ってお見合いでここに来てから、内海唯花はルナカルドの落ち着いた雰囲気を気に入っていた。この付近は人通りも多く、とても賑やかなところだ。カフェ・ルナカルドの店長はお金を惜しむことなく、店の中は防音がしっかりしている。それでこのカフェに一歩踏み入れると、外の喧騒からは離れることができるのだ。金城琉生は従姉も車で来ていることを思い出し、後で内海唯花を家まで送ることができるので、こう言った。「明凛姉さん、唯花さん、じゃあ俺はこれで」「うん、運転気をつけてね」牧野明凛は従弟にそう注意した。「姉さん、後で唯花さんを送ってあげてね」内海唯花は車を持っているが、あまり使用することはない。ガソリン代も上がっているし、満タンにするだけでも何千円もかかってしまうのだ。使わなくていいなら、使わない。生活していくには、細かく計算して生きていかなければならないから。結城理仁は彼女に渡している生活費に関しては十分だと思っているのだが。彼女も贅沢に使うことはできない。牧野明凛は笑って言った。「わかったから、あなたに言われなくても唯花お姉さんは私が送っていくよ。早く自分の用事済ませなさい。週末なのに、ゆっくりご飯を食べることもできないなんてね」大企業の後継者になるのは、そう簡単なことではない。金城琉生は少し名残惜しそうにしていたが、仕方なくその場を離れた。内海唯花は会計を済ませた後、親友と腕を組んで一緒にレストランを出た。そして隣にあるカフェ・ルナカルドへと歩いて行った。彼女が店に入ると、結城家のボディーガードはすぐに彼女に気づいた。そしてすぐに結城理仁に連絡した。結城理仁はコーヒーは飲んでおらず、ただ祖母のカフェで少しゆっくりしたかった。静かに落ち着きたい。内海唯花から影響を受けた心を静めたいのだ。ボディーガード
たとえ名義上の夫婦でも、結婚を秘密にしているのは東隼翔も面白くないと思った。結城理仁は友人二人がからかってくるのを聞きながら、それ以上は話さず、引き続き食べていた。そしてすぐにお腹いっぱいになった。「俺はばあちゃんのカフェで座ってるから、二人はゆっくり食べてくれ」箸を置いて、ティッシュで口元を拭くと、結城理仁は立ち上がり、そこから離れようとした。「俺らも腹いっぱいになったし、一緒に行くよ」東隼翔と九条悟も箸を置き、結城理仁と一緒に隣にあるカフェ・ルナカルドへと行くことにした。ボディーガードたちもすでに食事を終えていて、自分たちの主人が店から出ていこうとするのを見て、何も言わず立ち上がり主人を守るようにそっと外へと向かって行った。女主人に気づかれないように。女主人は金城家のお坊ちゃんと食事をしている。金城坊ちゃんは彼らの主人と顔を合わせたことがある。だから女主人には気づかれてはいけないのだ。もしそうなれば主人の正体がばれてしまうから。東隼翔はお会計に行った。九条悟は彼が会計を終わるのを待って一緒に外に出た。歩きながら小声で話した。「隼翔、今日理仁のやつ、なんかおかしいと思わないか?いや、店に着いた時にはいつも通りだったろ。表情だってあんなに冷たくなかったしさ」結城理仁が落ち着いていて、冷たく厳しい感じの人だというのは誰もが知っている。しかしプライベートで友人たちと付き合う時には、ある程度その冷たさは消え、友人に対しては和らいだ表情を見せる。「あいつがトイレから戻って来て、ちょっとおかしくなったよな」九条悟は突然足を止め、後ろを振り向いて中へと進み言った。「ちょっとトイレに行って、あいつに何があったのか確認してくる」東隼翔は彼を引き留め、外に向かって歩き出すと、笑って言った。「あいつが何か見てたとしても、もう時間が経ってるんだから、今行ってそれが見られると思うか?理仁はずっとあんな感じだ。お前の考えすぎだよ」東隼翔は誰かが、あるいは何かが結城理仁の顔色を一瞬にして変えることはできないと思っていた。結城理仁は落ち着き払っていて、たとえ山崩れが起きても顔色を変えやしないだろう。「考えすぎじゃないよ。あいつは絶対に何かに出くわして、突然冷たくなったんだ」九条悟は本当に興味津々で、結城理仁が一体トイレで
結城理仁は自分の席に戻ると、平常心を保っていた。注文した料理が運ばれてきて彼は食べ始めた。友人二人がどんな話をしても、彼は一向に黙ったまま何も話さなかった。頭の中には内海唯花が笑顔で金城琉生に料理を分けていた様子が浮かんでいた。「理仁、なんかお前今日変だぞ」東隼翔は料理を一口食べた後、向かいに座っている結城理仁を見ながら言った。「なんでずっと食べるばっかで、一言もしゃべらないんだ?」九条悟もそれを聞いて頷いた。結城理仁は淡々と「腹が減ってるんだ」と言った。朝食食べたくもないおにぎりを食べたが量は多くなかったので、彼は本当にお腹がすいていた。もちろん、機嫌が良くないのは言うまでもない。気分がすぐれないので、彼はひたすら食べ続けた。彼女が金城琉生に自分の料理をあげるのを彼は別に羨ましいわけではない。彼もそうしてほしいとでも?彼がヤキモチを焼くとでも思ってるのか?彼は以前言ったが、ヤキモチなど焼かない人間だ。ネチネチしたものなんて好きじゃない!彼ら夫婦はもともとルームメイトとして日々暮らしているだけだ。それに契約書にもサインして、プライベートなことはどちらもお互いに干渉したりしない。彼女が契約期間中に次の相手を見つけたいと思ったとして、金城琉生と同居して不倫などしない限り、彼は見て見ぬふりをするつもりだ。結城理仁は心の内で自分に言い聞かせていた。しかし、彼の頭の中には、やはりさっきの内海唯花と金城琉生が楽しそうに笑っておしゃべりしている光景が浮かんできた。親友二人はどちらも結城理仁がおばあさんからグチグチ言われて、それに耐えきれず結局おばあさんの命の恩人と結婚したことを知っていた。彼からお腹が空いていると聞いて、九条悟はからかって尋ねた。「君は奥さんがいるだろ?どうして腹が減るんだよ。今朝は何も美味しい物を作ってくれなかったのか?」これまで会社で彼に会った時には、毎回妻が彼と一緒に朝食を食べようと誘ってくると言っていた。結城理仁はいつも妻がいる人間なんだと自慢しキラキラした顔をしていたじゃないか。九条悟は手を伸ばし、結城理仁がこの日着ていた服を引っ張って言った。「妻がいる人間が、どうして自分で買った服を着ているんだよ」結城理仁は冷たい表情になり、九条悟の手を叩いて払うと、冷ややかな声で言った。「俺と彼女は
少し迷って彼は結局食卓に座り、再びその袋の結びを解いて、食べる気のなかったおにぎりを黙々と食べ始めた。内海唯花と生活するようになって、彼も少し普通の人の暮らしをするようになったと言わざるを得ない。今までの彼だったら普段食べることのない、多くの食べ物を口にするようになった。朝食を食べ終わると、結城理仁はベランダに行き、ハンモックチェアに腰掛け彼女が育てている草花を観賞した。十一時頃までそこに居続け、九条悟からの催促の電話を受け取り、彼はようやく部屋に戻って服を着替え出かけて行った。内海唯花が姉の家に行っているので、結城理仁は夫婦二人がばったり出くわすこともないと思い、ホンダ車には乗らずいつもと同じようにあの高級車ロールスロイスを運転していった。ボディーガードが乗った数台の車に送られて威勢よくビストロ・アルヴァへと向かって行った。付近まで来ると、車を祖母のカフェの前に駐車し、歩いてレストランへと向かった。そうすることであまり目立つことはない。結城理仁がレストランに到着した時、東隼翔と九条悟はすでに来ていて、彼に手招きしていた。彼はボディーガードを引き連れて中に入っていった。ボディーガードたちは三人のすぐ隣の席に座った。こうすれば近くで主人を守ることができるし、友人たちとの食事の邪魔をすることもない。東隼翔と九条悟の誘いだからこそ、結城家の坊ちゃんをここまで来させることができるのだ。結城理仁たちの選んだ席は静かな端の方の席だった。「理仁、注文どうぞ」東隼翔はメニューを結城理仁の前に置いた。結城理仁はそのメニューは置いたまま淡々と言った。「よく来ていた店だぞ、店長にいつものと言えばいい」「他のを試してみないのか?」九条悟がその言葉を受け取りこう言った。「彼はこだわりがあるから、他の料理にしたら食べられないかもしれないぞ。俺もいつものにしようっと」東隼翔は友人二人がいつもの料理を注文すると言ったので、店員を呼んで三人の料理を書いて渡した。「ちょっとお手洗いに」結城理仁は立ち上がって行った。ボディーガードが一人立ち上がり彼について行った。彼らはここで主人が何か都合の悪い状況になるかもしれないと心配しているわけではなく、彼に女性が付き纏うのを心配しているのだ。結城家の御曹司はまるで大きな移動式の磁