結城理仁の下にはあと八人の弟や従弟たちがいるのだが、彼だけがおばあさんの悩みの種だった。おじいさんは亡くなる前に彼女と一緒に九人の孫を分析していた。結城理仁はおばあさんに対して最も孝行者だが、一番彼女を悩ます存在でもあった。さらに理仁の性格からいって、彼女が理仁の結婚を助けない限り、一生独身だろうと言っていた。今考えてみると、おじいさんの分析は正確だったといえる。「おばあ様、お二人のお気持ちはそんなに焦らなくてよいと思います。一生を共に生きていくのは、これは人生においてとても重要なことですから。もし唯月さんのように人を見る目が足りなかったら、離婚をするのはいいですが、何年もの彼女の青春を無駄にしたわけですから、その代価はとても高いです」外からドアを開ける音が聞こえてきた。「若旦那様と若奥様がお戻りになられたようです」おばあさんは彼女にまた注意した。「私の呼び方には気をつけてね」清水は何度もうなずいた。結城理仁夫婦がドアを開けて入ってきた時、清水はおばあさんと一緒にテレビを見ていた。「結城さん、内海さん、お二人ともおかえりなさい」清水は立ち上がり、笑って言った。「結城さん、おばあさんがいらっしゃっていますよ」「ばあちゃん」内海唯花はやって来て「おばあちゃん、先に来ていたのね。結城さんにどうしておばあちゃんが店に来ないんだろうって言っていたのよ」「お店に行って邪魔になるんじゃないかなと思ったの。それで辰巳に直接ここまで送ってもらったのよ」結城家の中で、おばあさんは内海唯花が一番親しい存在だ。二人はまるで祖母と孫の関係のようだった。この二人の中を結城理仁は嫉妬してしまうくらいだった。内海唯花と彼が一緒にいる時、そんなに深く仲の良い話などできない。おばあさんがここに住むのは、彼から内海唯花を奪う目的なのか?「あ、しまった!」内海唯花はあることを思い出し、結城理仁の太ももをパシンと叩いて言った。「結城さん、うちにある三部屋にはベッドがあるけど、他にはないわよ。おばあちゃんは今夜どこで寝てもらうの?」清水にベッド用品を買った時、客間にもベッドを買っておくべきだった。おばあさんが来たのに、何も準備できていないじゃないか。結城理仁は彼女が自分の太ももを叩いた手を見て、そして自分の祖母のほうに目を
内海唯花の部屋で、彼女はおばあさんの荷解きを手伝っていた。おばあさんはお茶を飲むコップまでも持ってきていた。「おばあちゃん、一体何があったの?ここに引っ越してくるなんて」「はあ、聞かないでちょうだい。私が不孝者の孫なんて育ててしまったせいで、毎日毎日悩まされるのよね。労力もかかるのにうまくいかないし、いっそのこと構わないようにしようと思って、ここに暫くお世話になることにしたの。争いごとを避けるために会わないようにして心を落ち着かせたほうがいいでしょう」内海唯花はおばあさんの荷物を整理した後、浴室に行って浴槽にお湯をためてあげると、おばあさんを呼んだ。「おばあちゃん、お風呂がたまったわ、先に温かいお風呂に入ってきて」おばあさんは返事をし、すぐにパジャマを持って浴室に入った。「どうして私が娘か女の子の孫が欲しいかっていうと、やっぱり女の子のほうが優しく気が利くからなの。見て、私がここに来てから、理仁のあのおバカは私に気の利いた言葉の一つや二つも言えないでしょ。唯花ちゃん、やっぱりあなたは優しい人だわ」内海唯花は笑って言った。「おばあちゃん、私と結城さんの仲を取り持った時に、結城さんってとても気が利いて優しい人だって言ってたでしょう。おばあちゃん、お孫さんにはお孫さんの幸せがあるでしょう。だから孫のためにいろいろする必要はないと思うわ。おばあちゃんは晩年の生活を楽しんだら良いのよ。いつもいつも多くのことを心配する必要なんかないの」彼女が見た感じ、おばあさんの息子とその奥さんはとても親孝行な人たちだった。「そりゃあ心配しないようにしたいけど、できないんだもの。理仁が優しいだなんて私が言った?じゃあ、唯花ちゃんは彼の優しさとか気が利くところとか感じた?おばあちゃんが言ったのは間違ってなかったでしょう?」内海唯花は笑って何も言わなかった。結城理仁が誰かに関心を寄せている時、彼は確かにとても気が利いて、優しいのだ。結城理仁だけではない、誰だって同じだろう。誰かに関心を寄せている時は、いつだってその人のことを考え、優しくし、なんだってしてあげるのではないか?おばあさんはお風呂に入った後、内海唯花のベッドに横になった。内海唯花が浴室から出て来た時には、おばあさんはすでに夢の中だった。ただ――おばあさんのいびきが、ものすごくうるさ
彼女は数歩進むと、部屋のドアが突然開いた。それは彼女の部屋ではなく、結城理仁の部屋だった。彼は温かそうな厚めのパジャマを着て、コップを持って出て来た。水でも飲みに行くのだろう。夫婦二人は向かい合った。彼は彼女を見つめ、彼女は彼を見つめた。結城理仁は電気をつけて内海唯花に尋ねた。「まだ寝ていなかったの?」内海唯花は少しすまなさそうに小声で言った。「結城さん、あなたのおばあさん寝る時いびきがすごいのよ。すごく大きくって、私眠れないの」結城理仁は彼女の部屋の前まで来て、部屋の扉を開け、中をのぞいて見てみた。確かに自分のところの祖母は大きないびきをかいて寝ている。それを聞いたらすぐにわざといびきをかいているのがわかった。彼は黙ってドアを閉め、内海唯花のほうを向いて言った。「じゃあ、君はどこで寝るつもり?」「清水さんのところで寝させてもらおうと思ったけど、彼女もう寝ちゃったみたい。呼んでみたけど、部屋は中からロックしてるみたいで、入れないからソファで寝るしかないわ」結城理仁は水を注ぎに行った。本当にソファの上にまくらとコートが置いてあった。「今夜はとても冷えるわ。雨も降ってきたし、足が出るからすごく寒くて眠れないのよ。だから部屋に戻って靴下を履いてから寝ようと思って。結城さん、明日、ベッドとか布団をいくつか買ってきましょうよ。あの客間にもベッドを置きましょ」当初は夫婦二人が住むだけで、それぞれ自分のことだけやっていればいいと思っていたから、客間にはベッドを買っていなかったのだ。清水が来てからは彼女にベッドとクローゼットを買ったが、もう一つある客間は空っぽの状態だった。これは、今夜この家の女主人が寝るところがないということだ。「部屋にも水があるんじゃないの?」内海唯花は何気なく言った。彼女が彼の顔を洗ってあげる時に、彼の部屋には何も足りないものなどなかったのだ。結城理仁は淡々と言った。「部屋には水があるけど、沸かしてお湯を飲みたかったからさ」内海唯花は「そっか」と言った。ソファの前に行くとそこに座り、彼が水をいれて、部屋に戻るのを見ていた。「結城さん」すでに部屋の入り口まで戻っていた結城理仁は彼女が呼ぶのを聞き、立ち止まって彼女のほうへ向いた。黒い瞳が獲物を狙う鷹のように彼女を見つめた。薄い唇を結び、彼
結城理仁は、この娘が男が服を脱ぐのを見て叫ぶような女ではないとわかっていた。彼女はそのような状況になったら、なめまわすように体を眺め、好き勝手ベタベタあちこち触ってくるはずだ。彼は姿勢を元に戻すと、さっきの曖昧な姿勢で彼女に迫ることはなくなった。彼女にそんな態度を取っても無駄だからだ。「耳に脱脂綿か何か詰めたら寝られる?」内海唯花は首を横に振った。「それじゃどうも気持ちが悪いし、無理」ソファで寝るには布団もない。結城理仁もあのベッドのない客間の床に何かを敷いて彼女に寝ろなどとは言えない。今夜は確かに冷えるから。暫く黙った後、彼はあのコップを持って再び自分の部屋に戻ろうとした。「俺の部屋で寝て」そう言う彼の低い声が耳に届いた。内海唯花は驚いた。彼女が腹を立てて彼に一言文句を言ったら、それが効果抜群だったらしい。結城理仁は部屋の入り口まで来て、立ち止まり後ろを振り返った。内海唯花が全く動く気配がないのを見て、顔色を暗くし冷たく言った。「嫌なら別にいい。君はソファで寝ればいいだろ」そう言いながら、彼は部屋に戻りドアを閉めようとした。内海唯花はすでにまくらを手に掴み、マッハで彼の部屋のほうに急ぎ、片足をドアが閉まりきる前に部屋に突っ込み、閉まるのを阻止した。彼女のあの美しい顔に、理仁のご機嫌を取る笑みが浮かんだ。「嫌じゃない、嫌じゃないわ」結城理仁はこわばった顔で彼女を見つめた。彼女は彼のその顔は見なかったことにして、まくらを抱きしめ膝を曲げ、一気に彼がドアを押さえている片手の腕の下を通り抜けて、彼のテリトリーに入った。この日の朝、彼の顔を洗ってあげる時、内海唯花は彼の部屋全部をじっくりと見ていなかった。今この部屋に二回目入って来て、自分を抑えることができず、部屋のあちこち隅までじっくりと見渡した。彼の部屋は彼女が掃除をする必要はなく、彼が自分でやっていた。その埃一つない綺麗に掃除された部屋は、おばあさんが言っていた通り、彼が少し潔癖であるのをうかがわせた。結城理仁の部屋の見学が終わり、内海唯花は遠慮なく彼の大きなベッドに上がった。自分のまくらをベッドに置き、場所取りをして、横になり布団をかけた。寝られるベッドと暖かい布団があるって、なんて気持ちが良いのだろう。横になって二分も経たずに内海唯
暗いため息をついて、結城理仁は内海唯花の隣に横になった。理仁は、彼女が欲しいと思っても、このような形で関係を持ちたいわけではない。彼女もそうしたいと思っていて、起きている時じゃないとだめだ。彼女が寝ぼけて朦朧としている時に、一体誰と関係を持ったのかわからないような状況では絶対に嫌なのだ。内海唯花は寝る環境が変わっても、相変わらずいつもと同じようにぐっすりと眠っていた。しかし、結城理仁のほうはそうはいかなかった。彼は今まで誰とも一緒に寝たことがない。容姿が美しく、スタイルが良い若い女性となんてなおさらだ。しかもこの女性は好きで結婚して妻となったわけではなく、名ばかりの妻なのだ。彼はものすごく慣れなかった。眠ってしまった内海唯花は彼のほうへ身を寄せ、暖を取ろうとしている。それに悶々とした結城理仁は手を伸ばして彼女が着ているパジャマのボタンを外そうとした。一つだけ外して彼はやはり止めてしまった。彼女の綺麗に整った寝顔を見つめ、結城理仁はもっと近づき、唇に口づけをした。そして、覚悟を決め、彼女が自分の胸に潜り込んできたのに全力で意識しないようにして、心の中で念仏を唱えるかのようにつぶやいていた。「俺は聖人君子だ!」絶対に邪なことなどしたりしない!機が熟すのを待とう。食べ頃になったら、彼は遠慮なく彼女の全てをいただくとしよう!正直本当に眠かった結城理仁は、このような考えを巡らしながら、ウトウトと夢の中へと落ちていった。この夫婦二人は、この時、彼の部屋の扉の前に誰かがピタリと身体をドアに貼り付け、部屋の中の様子をうかがっていることなど知る由もなかった。そこにいるのは言わずもがな、おばあさんだ。「どうですか?」驚いたことに、清水が尋ねる声が聞こえた。その声はとても小さかったが、おばあさんはびっくりして心臓がバクバクした。清水はおばあさんがこんなに激しく動揺するとは思っておらず、彼女自身も驚かされて数歩後ずさりした。おばあさんは清水を見て、自分の心臓辺りをトントンと叩きながら、小声で彼女を責めた。「清水さん、なんで忍びみたいに気配を消して急に現れるのよ。びっくりしたわ」清水は「私の存在にはとっくにお気づきかと思っていまして」と返した。おばあさんは全ての神経を孫の部屋の動きに集中させていて、清水が来たことには
雨は一晩降り続いて、明け方には止んだ。内海唯花はいつもの時間に目が覚めた。目を開けるとすぐ結城理仁のあの端正な顔が見えて、彼女は驚いたが、昨晩のことを思い出し急いでベッドに座ると、そうっと音を立てないようにして出て行こうとした。少し考えて、彼女は結城理仁のほうへ振り返った。起きていないか試すために彼の体を少し揺さぶってみると、彼はまだぐっすりと寝ていた。昨日一日中、コーヒーだけでなんとかやり過ごしていたことを考え、熟睡するのは当然だと思った。どうせ彼は今日会社に休みを申請したことだし、このまま暫く寝させてあげよう。内海唯花は心では結城理仁の邪魔にならないようにしようと思っているが、やっていることはそれとは真逆だった。彼のあの整った顔を見て、内海唯花は我慢できずに何回かキスをし、小声でつぶやいた。「私よりも綺麗だなんて、もしあなたが一日中、冷たく厳しい顔をしていなかったら、さっさと襲ってあげてたのになぁ。私がもうちょっと度胸がついたら、しっかり炙って食べてやるんだから」数回こっそりと彼にキスをした後、内海唯花は最も重要なことを思い出した。彼の部屋は彼女にとっては立ち入り禁止区域だ。苦労してようやくこの部屋に入ることができた。しかも、彼がまだ熟睡している隙に、彼の分の契約書を盗んでこの世から消し去る絶好のチャンスではないか。でなければ、彼女はやはり自分だけなんの保証もないように感じた。なぜなら、彼女の分はすでに彼が無意識のうちに捨ててしまったからだ。そう思いながら、内海唯花は結城理仁が夢の中にいるうちに、彼の部屋でこっそりとあの契約書を探すことにした。動きは大胆にはできない、彼が物音で目を覚ましてしまっては困るから。しかし、残念なことに、彼女がベッドの下まで隈なく探しても結城理仁の分の契約書は見つからなかった。彼の部屋には金庫がある。それは彼女には開けることができない。「まさか金庫の中に保管しているっていうの?」内海唯花はぶつぶつ言った。ただの契約書なのに、それを金庫に入れて固く守る必要があるのだろうか。彼女は自分の予想が間違っていないと確信した。彼はあの契約書を大事にここに保管してしまっているのだ。なんの収穫もなく、内海唯花は自分のまくらを抱きかかえて、まだ明け方の誰も起きていない中、そろりそろりと彼の部屋を出て
結城理仁が起きた時、内海唯花はいなくなっていた。彼は不機嫌そうに独り言をつぶやいた。「俺と寝たくせに、俺が起きるまで待ってないのか」その言葉を聞いていれば唯花は「お兄さん、ご飯は好き勝手に食べればいいけど、話は言葉を選んだほうがいいわよ。好き勝手に話さないで。私はあなたと寝たんじゃなくて、ただベッドに横になって寝させてもらっただけだし」と言うだろう。そんなことを言われたら理仁は無言になるくせに。彼が部屋を出ると、家にはペットの犬と猫以外、女性たちはみんないないことに気づいた。聞く必要はない。みんなで市場に買い物に行っているのだ。結城理仁はベランダのハンモックチェアに腰かけた。そして昨夜、妻と同じベッドで寝たことを思い出していた。まとめて言うと、慣れない。けど、すごく期待してしまった。少しして、内海唯花たち三人が帰ってきた。野菜を買うだけでなく、彼女はベッド用品も一緒に買ってきていた。家具屋はまだ開いていなかったので、新しいベッドはまだ選んでいない。もう少ししてからもう一度出かけて、ベッドを買って帰りセットすれば、安心して仕事に行くことができる。あ、今日は仕事に行かないのだった。結城理仁は今日会社を休むので、彼女とおばあさんを連れて、なんとか山荘に気晴らしに連れて行ってくれるのだった。これでおばあさんを喜ばせてあげる予定だ。話し声が聞こえてきて、結城理仁はベランダから部屋へと戻り、おばあさんがたくさん袋を下げているのを見た。それはすべてベッド用品で、彼は不満そうな目をしていたが、何も言わなかった。「理仁、まだ家にいたの。私はてっきりあんたはもう仕事に行ったのかと思ってたわよ」おばあさんの孫を見る目つきは不満そうだった。彼女が演技をしたのは無駄だったのだ。この孫は千載一遇のチャンスを無駄にしてしまった。本当に融通の利かないバカ者だ。「ばあちゃん、今日は仕事は休みにしたから、後で朝食を食べたら、久光崎まで陽君を迎えに行こう。そのあと、俺がみんなを連れて西郊外の山荘に気晴らしに行こうじゃないか」結城理仁はおばあさんが睨みつけてくるその目を無視して、彼女たちのほうに向かって来ながら、自分が家で待機していたその理由を説明した。彼はやって来て、内海唯花の荷物を持ち、夫婦二人でベッド用品を空の客室に運んで行
内海唯花はそれを聞いてギクリとした。離婚する時、夫婦のどちらかが自分の財産を他所に移すようなことは意外と多いのだ。佐々木家のあの性格を考えると、佐々木俊介が本気で財産を移してしまう可能性は大きい。「おばあちゃん、私、必ずお姉ちゃんにこのことを伝えるわ」おばあさんは頷きながら「何か必要なことがあれば、理仁に言ってちょうだい。彼が人に頼んで調べさせるから」と言った。「おばあちゃん、本当に助けが必要な時は私、絶対に結城さんに遠慮せず言うんだから」おばあさんは内海唯花が結城理仁に気を使わずに接してくれることにとても満足していた。結城理仁は優しそうな顔をしていた。おばあさんが彼のほうを見ると、また厳しそうな真面目な顔つきに戻った。おばあさんはそれを見て、心の中で彼に文句をこぼした。そうやっていつまでも取り繕ってなさい。一体いつまでそうしていられるでしょうね?朝食を取ってから、彼らはまず久光崎へと向かった。唯月はすでに息子を連れて、マンションの下で待っていた。数日間続けて叔母と一緒にいたので、陽はもう慣れてしまい、今日はもう泣くことはなかった。「おばあさん」おばあさんも一緒にいるのを見て、唯月は笑顔でおばあさんに挨拶をした。おばあさんは笑顔を見せ、彼女にファイトのポーズをしてみせた。唯月はそれを見て心が温かくなった。妹の夫家族は彼女の夫家族と比べて何倍も良い人たちだった。内海唯花は甥を抱き上げ、姉に言った。「お姉ちゃん、佐々木俊介の収入が一体いくらくらいあるかわかる?あいつが財産を他所に移さないように気をつけて。明日、私たちみんな一緒に行くから、落ち着いて話し合いましょう。この世が終わろうとしても、私たちはお姉ちゃんの傍にいるんだから」唯月は言った。「私はだいたいは知っているわ。彼の本業のほうの給料はそんなに多くはないと思うけど、他所でやってる副業を考えれば、もし彼がこっそり彼の姉一家にお金をあげていないなら、貯金はたぶん三千万くらいあると思うわ」佐々木俊介が成瀬莉奈にプレゼントしていた高価なジュエリーたちに関しては、彼女のところにはその証拠が揃っている。離婚訴訟を起こしたら、佐々木俊介が贈ったそれらも彼女に返してもらう。今、佐々木俊介は唯月の夫であるのだから、佐々木俊介の財産は結婚後にできた夫婦の共同財産
「唯花さん、どうしたんだ?」理仁は彼女の異様な様子に気づき、急いで近寄ってベッドの端に腰をおろした。そして手を伸ばして彼女の身体に当て心配そうに尋ねた。「具合が悪いの?」「お腹が痛いの」「お腹が?もしかして夜食を食べた時に、食べ過ぎで痛くなったの?」唯花は彼をうらめしそうに見ていた。「違うの?だったら、どうしてお腹が痛くなった?」唯花は体の向きを変えて彼に背を向けた。「あなたにはわからないわ。ちょっと横になって我慢してたら良くなるわよ」理仁は眉をひそめた。彼は立ち上がって、すぐに腰を曲げ唯花をベッドから抱き上げた。そして整った顔をこわばらせて言った。「俺には医学的なことはわからない。でも医者にならわかるだろう。病院に連れて行くよ。我慢なんかしちゃだめだ。もし何かおおごとにでもなったら、後悔してももう遅いだろ」「病院なんか行かなくていいの。私はその……月のものが来ただけよ。だからお腹が痛くなったの」理仁「……月のもの……あ、あー、わ、わかったよ」彼は急いで唯花をまたベッドに寝かせた。「どうして痛くなるんだ?」彼は女性が生理中にお腹が痛くなるということを知らなかった。彼の家には若い女の子はいないのだ。両親の世代には女性がいるが、若い女性には今まで接したことがない。そう、だから本気でこんなことは知らなかったのだ。唯花が生理になった当日は、彼は彼女にジンジャーティーを入れてあげたが、あれは彼が以前、父親が母親にそのようにしてあげていたのを見たからだった。それで女性は生理中にはジンジャーティーのようなものをよく飲むのだと理解していた。「たぶん昼間たくさん動いたし、寒かったし、それで痛くなったんだわ。またジンジャーティーでも作ってくれない?」「わかった。暫く耐えてくれ。すぐに作ってくるから」理仁はすぐにジンジャーティーを作りに行った。キッチンで彼は母親に電話をかけた。「理仁、お母さんは寝ているぞ。何か用があるなら明日またかけてくれ」電話に出たのは父親のほうだった。「父さん、母さんを起こしてくれないか?ちょっといくつか聞きたいことがあるんだ」「聞きたいことって、今じゃないとダメなのか?言っただろ、母さんはもう寝てるんだって。彼女を起こすな。何だ、どんな問題なんだ?父さんに言ってみろ、解決できるかも
俊介はかなり怒りを溜めていた。一方、唯花のほうは今日、かなりスッキリしているようだ。夫婦二人が姉の賃貸マンションから出て来た後、唯花はずっと笑顔だった。理仁は可笑しくなって彼女に言った。「そんなに豪快に笑ってないでよ。お腹が痛くなるよ」「笑いでお腹が痛くなるっていうなら、ウェルカムよ。今頃、佐々木俊介はあの家に帰ってる頃よ。あいつ家に着いてどんな反応をしたかしらね?絶対入る家を間違えたって思ってるわよ。あはははは、あいつの反応を想像しただけで、思わず笑いが込み上げてくるわ。またちょっと大笑いさせて、あはははははっ……」理仁も彼女につられて笑ってしまった。そして危うく街灯にぶつかってしまうところだった。驚いた彼は急いでハンドルを切り、それをなんとかかわした。唯花もそれに驚いて笑いを止めた。安全運転になってから唯花は言った。「理仁さん、あなたの運転技術は如何ほどなの?下手なら、今後は私が運転するわ。私運転は得意なのよ。カーレースだって問題ないわ」「俺は18歳の時に免許を取ったもう熟練者だぞ。さっきはちょっとした事故だ、笑いすぎて集中力が落ちてたんだよ」唯花「……まあいいわ。もう言わないから、運転に専念してちょうだい」彼女は後ろを向いて後部座席に座っているおばあさんを見た。おばあさんが寝てしまっているようだから、夫に注意した。「おばあちゃん、寝ちゃったみたい。音楽をちょっと小さくして」清水はまだ唯月の家にいて、一緒に帰ってきていないのだった。理仁は彼女の指示に従った。そして唯花はあくびをした。「私も眠くなってきちゃった」「もうすぐ家に着くよ」「ちょっと目を閉じてるから、家に着いたら起こしてね」「君は一度目を閉じたら朝までその目を覚まさないだろうが。寝ないで、あと十分くらいだから。おしゃべりしていよう」唯花は横目で彼を見た。「あなたとおしゃべりしたら、優しい神様ですら飽きて寝ちゃうかもしれないわよ」理仁「……」暫くして、彼は言った。「唯花さん、俺は大人になってから、君を除いて俺にそんなショックを与えられる人間は一人もいなかったよ」「私は事実を述べただけよ」唯花は座席にもたれかけ、携帯を取り出してショート動画を見始めた。ショート動画によってはとても面白いので、眠気も全部消えてしまった。そし
俊介「……こんなにあるゴミも片付けてねぇじゃねえか!」唯月は可笑しくなって笑って言った。「私が当時、内装を始めた時には同じようにゴミが散らかっていたじゃないの。それは私がお金を出してきれいに片付けて掃除してもらったのよ。その時に使ったお金もあんたは私にくれなかったじゃないの。今日、それも返してもらっただけよ」「人を雇って掃除してもらったとしても、いくら程度だ?そんなちっぽけな金額ですらネチネチ俺に言ってくるのかよ」「どうして言っちゃいけないの?あれは私のお金よ。私のお金は空から降ってきたものじゃあないのよ。どうしてあんたにあげないといけないのよ。一円たりともあんたに儲けさせたりするもんか」俊介「……」暫く経ってから、彼は悔しそうに歯ぎしりしながら言った。「てめぇ、そっちのほうが性根が腐ってやがる!」「私はただ私が使ったお金を返してもらっただけよ。そんなにひどいことしてないわ。あんたが当時、自分のお金で買った家と同じものにしてやっただけでしょ」俊介は怒りで力を込めて携帯を切ってしまった。そして、携帯を床に叩きつけようとしたが、莉奈がすぐにその携帯を奪いにいった。「これは私の携帯よ、壊さないでよね」「クッソ、ムカつくぜ!」俊介はひたすらその言葉を繰り返すだけで、成す術はなかった。唯月の言葉を借りて言えば、彼女はただ自分が内装に使ったお金を返してもらっただけだ。彼が買ったばかりの家はまだ内装工事が始まる前のものなのだから、誰を責めることができる?「俊介、これからどうするの?」莉奈も唯月は性根の腐った最低女だと思っていた。なるほど俊介が彼女を捨ててしまうわけだ。あんな毒女、今後一生お嫁には行けないだろう。莉奈は心の中で唯月を何万回も罵っていた。「こんな家、あなたと一緒に住めないわ」彼女は豪華な家に住みたいのだ。「私もマンションは大家さんに返しちゃったし、私たちこれからどこに住むの?」俊介はむしゃくしゃして自分の頭を掻きむしって、莉奈に言った。「ホテルに行こう。明日、部屋を探してとりあえずそこを借りるんだ。この家はまた内装工事をしよう。前は唯月の好みの内装だったことだしな。また内装工事するなら、俺らが好きなようにできるだろ。莉奈、君のところにはあといくらお金がある?」莉奈はすぐに返事をした。「
「ドタンッ」携帯が床に落ちた時、画面がひび割れてしまった。俊介は急いで屈んで携帯を拾い、携帯の画面が割れてしまったことなど気にする余裕もなく、再び部屋の中を照らして見渡してみた。莉奈も携帯を取り出して、フラッシュライトで彼と一緒に部屋の状況を確認するため照らしてみた。豪華な内装がないだけでなく、ただの鉄筋コンクリートの素建ての家屋にも負けている。「俊介、やっぱり私たち入る家を間違えてるんじゃないの?」莉奈はまだここは絶対に自分たちの家ではないと希望を持っていた。俊介は奥へと進みながら口を開いた。「そんなわけない。間違えて入ったんじゃない。それなら、この鍵じゃここは開かないはずだ。ここは俺の家だ。どうしてこんなことになってるんだ?うちの家電は?たったのこれだけしか残ってないのか?」俊介の顔がだんだんと暗い闇に染まっていった。彼は食卓の前に立った。このテーブルは彼がお金を出して買ったものだ。この時、頭の中であることが閃いた。俊介はようやく理解したのだ。唯月の仕業だ。「あのクッソ女ぁ!」彼はどういうことなのか思いつき、そう言葉を吐きだした。「あいつが俺の家をこんなにめちゃくちゃにしやがったんだ!」俊介がこの言葉を吐いた時、怒りが頂点に達していた。莉奈はすぐに口を開いた。「早く警察に通報してあの女を捕まえてもらいましょう。賠償請求するのよ。あなたの家をこんなふうにしてしまったんだから、どうしたって内装費用を要求しなくっちゃ」内装費?俊介は警察に通報しようと思っていたが、莉奈の言った内装費という言葉を聞いて、すぐにその考えを捨ててしまった。そして、警察に通報しようとしていたその手を止めた。「どうして通報しないの?まさかしたくないとでも?まだあの女に情があるから?」莉奈は彼が電話をかけたと思ったらすぐに切ってしまったのを見て、とても腹を立て、言葉も選ばず厳しく責めるような言い方をした。彼女は自分が借りていたあの部屋はもう契約を解消してしまったし、全てを片付けて彼と一緒にこの家に帰ってきたのだ。ここに着くまでは、豪華な部屋に住めると思っていて、家族のグループチャットにキラキラした自分を見せつけようと思っていたというのに。結果、目に入ってきたのは素建ての家屋にも遠く及ばない廃れ果てた家だったのだ
「私たちの家は何階にあるの?」「十六階だよ」俊介は莉奈のスーツケースを車から降ろし、それを引っ張って莉奈と一緒にマンションの中へと入っていった。エレベーターで、ある知り合いのご近所さんに出くわした。彼らはお互いに挨拶を交わし、そのご近所さんが言った。「佐々木さん、あなたの奥さん、午後たくさんの人を連れて来てお引っ越しだったんでしょ?どうしてまたここに戻ってきたんですか?」「彼女は自分の物を引っ越しで運んで行っただけですよ」相手は莉奈をちらりと見やり、どういう事情なのか理解したようだった。そして俊介に笑いかけて、そのまま去っていった。なるほど、この間佐々木さんが奥さんに包丁で街中を追い回されていたのは、つまり不倫していたからだったのか。夫婦二人はきっと離婚したのだろう。唯月が先に引っ越していって、俊介が後から綺麗な女性を連れて戻ってきたのだ。もし離婚していないなら、ここまで露骨なことはしないだろう。「さっきの人、何か知っているんじゃないの?」莉奈は不倫相手だから、なかなか堂々とできないものなのだ。俊介は片手でスーツケースを引き、もう片方の手を彼女の肩に回し彼女を引き寄せてエレベーターに入っていった。そして微笑んで言った。「今日の午後、俺が何しに行ったか忘れたのか?あの女と離婚したんだぞ。今はもう独身なんだ。君は正式な俺の彼女さ、あいつらが知ってもなんだって言うんだ?莉奈、俺たちはこれから正々堂々と一緒にいられる。赤の他人がどう言ったって気にすることはないさ」莉奈「……そうね、あなたは離婚したんだもの」彼女は今後一切、二度とこそこそとする必要はないのだ。エレベーターは彼ら二人を十六階へと運んでいった。「着いたよ」俊介は自分の家の玄関を指した。「あれだよ」莉奈は彼と一緒に歩いていった。俊介は預けてあった鍵をもらって、玄関の鍵を開けた。ドアを開くと部屋の中は真っ暗闇だった。彼は一瞬ポカンとしてしまった。以前なら、彼がいくら遅く帰ってきても、この家は遅く帰ってくる彼のためにポッと明りが灯っていたのだ。今、その明りには二度と火が灯ることはない。「とっても暗いわ、明りをつけて」莉奈は俊介と部屋の中へ入ると、俊介に電気をつけるように言った。俊介はいつものようにドアの後ろにあるスイッチ
賑やかだった午後は、暗くなってからいつもの静けさへと戻った。唯月は結婚当初、この家をとても大切に多くのお金を使って内装を仕上げた。それが今や、彼女が当時買った家電は全て持ち出してきてしまった。そして、新しく借りた部屋には置く場所がなかった。彼女は中からよく使うものだけ残し、他のものは妹の家にではなく、中古として売ることにした。それもまた過去との決別と言えるだろう。唯月が借りた部屋はまだ片付けが終わっていなかったので、料理を作るのはまだ無理で、彼女はみんなを連れてホテルで食事をすることにした。そして、その食事は彼女がまた自由な身に戻ったお祝いでもあった。唯月のほうが嬉しく過去と決別している頃、俊介のほうも忙しそうにしていた。夜九時に成瀬莉奈が借りているマンションへとやって来た。「莉奈、これだけなの?」俊介は莉奈がまとめた荷物はそんなに多くないと思い、彼女のほうへ行ってスーツケースを持ってあげて尋ねた。「もう片付けしたの?」「普段は一人暮らしだから、そんなに物は多くないのよ。全部片づけたわ。要らない物は全部捨てちゃったの」莉奈はお気に入りのかばんを手に持ち、それから寝る時に使うお気に入りの抱き枕を抱えて俊介と一緒に外に出た。「この部屋は契約を解消したわ」「もちろんそれでいいよ。俺の家のほうがここよりもずっと良いだろうし」「あの人はもう引っ越していったの?」莉奈は部屋の鍵をかけて、キーケースの中からその鍵だけ外し、下におりてから鍵をそこにいた人に手渡した。その人は大家の親戚なのだ。「もう大家さんには契約を解消すると伝えてあります。光熱費も支払いは済ませてありますから。おじさん、後は掃除だけです。部屋にまだ使える物がありますけど、それは置いたままにしています」つまり、その人に掃除に行って、彼女が要らなくなったまだ使える物を持っていってくれて構わないということだ。おじさんは鍵を受け取った後、彼の妻に掃除に行くよう言った。俊介はスーツケースを引いて莉奈と一緒に彼の車へと向かい、歩きながら言った。「暗くなる前に、あいつから連絡が来たんだ。もう引っ越したってさ」同時に唯月は彼女の銀行カードの口座番号も送っていた。今後、彼に陽の養育費をここに振り込んでもらうためだ。そして彼女は俊介のLINEと携帯番号を全て削
理仁は悟のことを好条件の揃った男じゃなかったら、彼女の親友に紹介するわけないと言っていた。確かに彼の話は信用できる。一方の悟は、来ても役に立てず、かなり残念だと思っていた。彼が明凛のほうを見た時、彼女はみんなが荷物を運ぶのを指揮していたが、悟が来たのに気づくと彼のもとへとやって来た。そして、とてもおおらかに挨拶をした。「九条さん、こんばんは」「牧野さん、こんばんは」悟は微笑んで、彼女に心配そうに尋ねた。「風邪は良くなりましたか?」「ええ。お気遣いありがとうございます」唯花はそっと理仁を引っ張ってその場を離れ、悟と明凛が二人きりで話せるように気を利かせた。そして、唯花はこっそりと夫を褒めた。「理仁さん、あなたのあの同僚さん、本当になかなかイイじゃない。彼も会社で管理職をしているの?あなた達がホテルから出て来た時、彼も一緒にいるのを見たのよ」「うん、あいつも管理職の一人だ。その中でも結構高い地位にいるから、みんな会社では恭しく彼に挨拶しているよ」そしてすぐに、彼は唯花の耳元で小声で言った。「悟は誰にも言うなって言ってたけど、俺たちは夫婦だから言っても問題ないだろう。彼は社長の側近なんだ。社長からかなり信頼されていて、会社の中では社長の次に地位の高い男だと言ってもいいぞ」唯花は目をパチパチさせた。「そんなにすごい人だったの?」理仁はいかにもそうだといった様子で頷いた。「彼は本当にすごいんだ。職場で悟の話題になったら、誰もが恐れ敬ってるぞ」唯花は再び悟に目を向けた。しかし、理仁は彼女の顔を自分のほうに向けさせ、素早く彼女の頬にキスをした。そして低い声で言った。「見なくていい、俺の方がカッコイイから」「彼って結城家の御曹司に最も近い人なんでしょ。だからよく見ておかなくちゃ。結城社長の身の回りの人がこんなにすごいんだったら、社長自身もきっとすごい人なんでしょうね。だから姫華も彼に夢中になって諦められなかったんだわ」理仁は姿勢を正して、落ち着いた声で言った。「悟みたいに優秀な男が心から補佐したいと思うような相手なんだから、結城社長はもちろん彼よりもすごいに決まってるさ」「お姉ちゃんのために佐々木俊介の不倫の証拠を集めてくれた人って、彼なんでしょう?」理仁「……」彼は九条悟が情報集めのプロだということを彼女
部屋の中から運び出せるものは全て運び出した後、そこに残っている佐々木俊介が買った物はあまり多くなかった。みんなはまた、せかせかと佐々木俊介が買った家電を部屋の入り口に置いて、それから内装の床や壁を剥がし始めた。電動ドリルの音や、壁を剥がす音、叩き壊す音が混ざりに混ざって大合唱していた。その音は上の階や階下の住人にかなり迷惑をかけるほどだった。唯月姉妹二人は申し訳ないと思って、急いで外に行ってフルーツを買い、上と下のお宅に配りに行き謝罪をし、暗くなる前には工事が終わることを伝えた。礼儀をもって姿勢を低くしてきた相手に対して誰も怒ることはないだろう。内海家の姉妹はそもそも上と下の住人とはよく知った仲で、フルーツを持って断りを入れに来たので、うるさいと思っても住人たちは暫くは我慢してくれた。家に子供がいる家庭はこの音に耐えられず、大人たちが子供を連れて散歩に出かけて行った。姉妹たちはまたたくさん食べ物を買ってきて、家の工事を請け負ってくれている人たちに配った。このような待遇を受けて、作業員たちはきびきびと作業を進めた。夕方になり、外せるものは全て外し、外せないものは全て壊し尽くした。「内海さん、出たごみはきれいに片付けますか?」ある人が唯月に尋ねた。唯月はぐるりと一度部屋を見渡して言った。「必要ありません。当初、内装工事を始めた時、かなりお金を使って綺麗に片付けてもらいましたから。これはあの人たちに自分で片付けてもらいます。私が当初、人にお願いして掃除してもらった時に払ったお金とこれでチャラになりますからね」唯花は部屋の中をしげしげと見て回った。壁の内装もきれいさっぱり剥がして、床もボロボロにした。全て壊し尽くしてしまった。姉が掃除する必要はないと言ったのだから、何もする必要はないだろう。これは佐々木俊介たちが自分で掃除すればいいのだ。「明凛、あなたの話を聞いてよかったわ。あなたの従兄に作業員を手配してもらって正解ね。プロの人たちだから、スピードが速いのはもちろん、仕上がりもとても満足いくものだわ」明凛は笑って言った。「彼らはこの道のプロだから、任せて間違いなかったわね」「彼らのお給料は従兄さんに全部計算してもらって、後から教えてちょうだい。お金をそっちに入金するから」明凛は頷いた。「もう従兄には言ってあ
「あ、あなたは、あの運転代行の方では?」唯花は七瀬に気づいて、とても意外そうな顔をした。七瀬は良い人そうにニカッと笑った。「旦那さんに名刺を渡して何かご用があれば声をおかけくださいと伝えてあったんです。仕事に見合うお給料がいただければ、私は何でもしますので」唯花は彼が運転代行をしていることを考え、代行運転の仕事も毎日あるわけじゃないから、アルバイトで他のことをやっているのだろうと思った。家でも暇を持て余して仕事をしていないのではないかと家族から疑われずに済むだろう。「お手数かけます」「いえいえ、お金をもらってやることですから」七瀬はそう言って、すぐに別の同僚と一緒にソファを持ち上げて運んでいった。明凛は何気なく彼女に尋ねた。「あの人、知り合い?」「うん、近所の人よ。何回か会ったことがあるの。普段は運転代行をしているらしくて、理仁さんが前二回酔って帰って来た時は彼が送ってくれたのよ。彼がアルバイトもしてるなんて知らなかったけどね。後で名刺でももらっておこう。今後何かお願いすることがあったら彼に連絡することにするわ。彼ってとても信頼できると思うから」陽のおもちゃを片付けていたおばあさんは、心の中で呟いていた。七瀬は理仁のボディーガードの一人だもの、もちろん信頼できる人間よ。人が多いと、作業があっという間に進んだ。みんなでせかせかと働いて、すぐに唯月がシールを貼った家電を外へと運び出した。唯月と陽の親子二人の荷物も外へと運び出した。「プルプルプル……」その時、唯花の携帯が鳴った。「理仁さん、今荷物を運び出しているところよ」唯花は夫がこの場に来て手伝えないが、すごく気にかけてくれていることを知っていて、電話に出てすぐ進捗状況を報告したのだった。理仁は落ち着いた声で言った。「何台かの荷台トラックを手配したんだ。きっともうすぐマンションの前に到着するはずだよ。唯花さんの電話番号を運転手に伝えておいたから、後で彼らに会って、引っ越し荷物を義姉さんの新しいマンションまで運んでもらってくれ。もし義姉さんのマンションに置く場所がなければ、とりあえずうちに荷物を置いておいていいから」彼らの家はとても広いし、物もそんなに多くないのだ。「うん、わかったわ。理仁さん、本当にいろいろ気を配ってくれるのね。私たちったら