しかし、彼女のドレッサーの上にはあの紙はなかったはずだ。彼女は確か、あの紙の裏にスケッチを……あ!内海唯花は爆睡している結城理仁を見つめた。彼は別に悪気はなかったが、彼女のスケッチをだめにしてしまっただけでなく、彼らの間に交わした契約書、いや、彼女の手元にある契約書を消し去ってしまった。彼の分は絶対に大事に大事にどこかに保管してあるだろう。指で結城理仁の顔を突っついたが、彼は反応がなかった。内海唯花はまた突っつき、言った。「私の分はあなたに消されてしまったじゃない。あなたの分はまだあなたの手元にあるんでしょ、不公平だわ。私には何も保証がなくなっちゃったじゃないの」彼の分を盗んできて、それも消し去ってしまおうか?そうすれば平等になる。どちらの手元にも契約書がなければ、お互いに何かに縛られることはなくなり、彼女も安心できるのだ。彼女には彼の部屋に入るチャンスがないのを思い、内海唯花は頭が痛くなった。どうやれば、彼から契約書を盗んでこの世から消してしまうことができるだろうか?飲ませて酔わせる?奇襲して気絶させる?それとも彼を誘惑してみようか?内海唯花はいろいろな手段を考えたが、結局自分自身でそれを却下してしまった。やはり、ゆっくりとチャンスをうかがおう。内海唯花は結城理仁の部屋に入れるチャンスが来るのは時間がかかると思っていたのだが、まさか夜にその絶好のチャンスが訪れるとは全く思ってもいなかった。おばあさんが突然やって来て、結城辰巳とホテルで食事をした後、内海唯花の店にはすぐには行かず、ホテルで少し休んでいた。それから夜の九時過ぎになって、ようやく辰巳を呼び、トキワ・フラワーガーデンに送ってもらった。夜十時頃、おばあさんはスーツケースを持って結城理仁の家の前まで来て、インターフォンを鳴らした。「どちら様ですか?」清水は来客に返事をしながらやって来てドアを開けた。ドアを開けた瞬間おばあさんがいるのを見て、清水はとても驚いていた。「おばあ様、どうしていらっしゃったんですか?」「あの二人は在宅してる?」「今お戻りの途中のようです。まだ家には帰られていません。私のほうが先に帰ってきたのです」毎日の夕方、唯月は仕事を終えると息子の陽を迎えに来ていた。清水はそれ以上は店にいる必要はない。清水はおばあさんの
結城理仁の下にはあと八人の弟や従弟たちがいるのだが、彼だけがおばあさんの悩みの種だった。おじいさんは亡くなる前に彼女と一緒に九人の孫を分析していた。結城理仁はおばあさんに対して最も孝行者だが、一番彼女を悩ます存在でもあった。さらに理仁の性格からいって、彼女が理仁の結婚を助けない限り、一生独身だろうと言っていた。今考えてみると、おじいさんの分析は正確だったといえる。「おばあ様、お二人のお気持ちはそんなに焦らなくてよいと思います。一生を共に生きていくのは、これは人生においてとても重要なことですから。もし唯月さんのように人を見る目が足りなかったら、離婚をするのはいいですが、何年もの彼女の青春を無駄にしたわけですから、その代価はとても高いです」外からドアを開ける音が聞こえてきた。「若旦那様と若奥様がお戻りになられたようです」おばあさんは彼女にまた注意した。「私の呼び方には気をつけてね」清水は何度もうなずいた。結城理仁夫婦がドアを開けて入ってきた時、清水はおばあさんと一緒にテレビを見ていた。「結城さん、内海さん、お二人ともおかえりなさい」清水は立ち上がり、笑って言った。「結城さん、おばあさんがいらっしゃっていますよ」「ばあちゃん」内海唯花はやって来て「おばあちゃん、先に来ていたのね。結城さんにどうしておばあちゃんが店に来ないんだろうって言っていたのよ」「お店に行って邪魔になるんじゃないかなと思ったの。それで辰巳に直接ここまで送ってもらったのよ」結城家の中で、おばあさんは内海唯花が一番親しい存在だ。二人はまるで祖母と孫の関係のようだった。この二人の中を結城理仁は嫉妬してしまうくらいだった。内海唯花と彼が一緒にいる時、そんなに深く仲の良い話などできない。おばあさんがここに住むのは、彼から内海唯花を奪う目的なのか?「あ、しまった!」内海唯花はあることを思い出し、結城理仁の太ももをパシンと叩いて言った。「結城さん、うちにある三部屋にはベッドがあるけど、他にはないわよ。おばあちゃんは今夜どこで寝てもらうの?」清水にベッド用品を買った時、客間にもベッドを買っておくべきだった。おばあさんが来たのに、何も準備できていないじゃないか。結城理仁は彼女が自分の太ももを叩いた手を見て、そして自分の祖母のほうに目を
十月の東京は残暑でまだ汗ばむほど暑く、朝夕だけ秋の気配があり涼しさを感じられた。 内海唯花は朝早く起きると姉家族三人に朝食を作り、戸籍謄本を持ってこっそりと家を出た。 「今日から俺たちは生活費にしろ、家や車のローンにしろ、全部半々で負担することにしよう。出費の全部だからな!お前の妹は俺たちの家に住んでるんだから、彼女にも半分出させろよ。一ヵ月四万なんて雀の涙程度の金じゃ、タダで住んで飲み食いしてるのと同じじゃないか」 これは昨夜姉と義兄が喧嘩している時に、内海唯花が聞こえた義兄の放った言葉だった。 彼女は、姉の家から出ていかなければならなかった。 しかし、姉を安心させるためには結婚するのがただ一つの方法だった。 短期間で結婚しようとしても、男友達すらいない彼女は結城おばあさんの申し出に応えることにした。彼女がなんとなく助けたおばあさんが、なかなか結婚できない自分の孫の結城理仁と結婚してほしいと言ってきたのだった。 二十分後、内海唯花は役所の前で車を降りた。 「内海唯花さん」 車から降りるとすぐ、内海唯花は聞きなれた声が自分を呼ぶのが聞こえた。結城おばあさんだ。 「結城おばあさん」 内海唯花は速足で近づいていき、結城おばあさんのすぐ横に立っている背の高い冷たい雰囲気の男の姿が目に入った。おそらく彼が結婚相手である結城理仁なのだろう。 もっと近づき、内海唯花が結城理仁をよく見てみると、思わず驚いてしまった。 結城おばあさんが言うには孫の結城理仁は、もう三十歳なのに、彼女すら作らないから心配しているらしかった。 だから内海唯花は彼がとても不細工な人なのだと勝手に思い込んでいたのだ。 しかも、聞いたところによると、彼はある大企業の幹部役員で、高給取りらしいのだ。 この時初めて彼に会って、自分が誤解していたことに気づいた。 結城理仁は少し冷たい印象を人に与えたが、とてもハンサムだった。結城おばあさんのそばに立ち、浮かない顔をしていたが、それがかえってクールに見えて、人を近づけない雰囲気を醸し出していた。 目線を少しずらしてみると、近くに駐車してある黒い車はホンダの車で、決して何百万もするような高級車ではなかった。それが内海唯花に結城理仁との距離を近づけされてくれた。 彼女は同級生の友人と一緒に公立星城
「もう決めたことですから、後悔なんてしませんよ」 内海唯花も何日も悩んだうえで決断した。一度決めたからには決して後悔などしないのだ。 結城理仁は彼女のその言葉を聞くと、もう何も言わずに自分が用意してきた書類を出して役所の職員の前に置いた。 内海唯花も同じようにした。 こうして二人は迅速に結婚の手続きを終えた。それは十分にも満たない短い時間だった。 内海唯花が結婚の証明書類を受け取った後、結城理仁はズボンのポケットから準備していた鍵を取り出し唯花に手渡して言った。「俺の家はトキワ・フラワーガーデンにある。祖母から君は星城高校の前に書店を開いていると聞いた。俺の家は君の店からそんなに遠くない。バスで十分ほどで着くだろう」 「車の免許を持っているか?持っているなら車を買おう。頭金は俺が出すから、君は毎月ローンを返せばいい。車があれば通勤に便利だろうからな」 「俺は仕事が忙しい。毎日朝早く夜は遅い。出張に行くこともある。君は自分の事は自分でやってくれ、俺のことは気にしなくていい。必要な金は毎月十日の給料日に君に送金するよ」 「それから、面倒事を避けるために、今は結婚したことは誰にも言わないでくれ」 結城理仁は会社で下に命令するのが習慣になっているのだろう。内海唯花の返事を待たず一連の言葉を吐き捨てていった。 内海唯花は姉が自分のために義兄と喧嘩するのをこれ以上見たくないため喜んでスピード結婚を受け入れた。姉を安心させるために彼女は結婚して姉の家から引っ越す必要があったのだ。これからはルームメイトのような関係でこの男と一緒に過ごすだけでいいのだ。 結城理仁が自分から家の鍵を差し出したので、彼女も遠慮なくそれを受け取った。 「車の免許は持ってますけど、今は車を買う必要はないです。毎日電動バイクで通勤していますし、最近新しいバッテリーに交換したばかりです。乗らないともったいないでしょう」 「あの、結城さん、私たち出費の半分を私も負担する必要がありますか?」 姉夫婦とは情がある関係といえども、義兄は出費の半分を出すように要求してきた。いつも姉のほうが苦労していないのに得をしていると思っているのだろう。 子供の世話をし、買い物に行ってご飯を作り、掃除をするのにどれほど時間がかかるか知りもしないだろう。自分でやったことのない男
「おばあちゃん、頼りにしてるよ」 内海唯花は適当に答えた。 結城理仁は血の繋がった孫で、彼女はただの義理の孫娘だ。結城おばあさんがいくら良い人だといっても、夫婦間で喧嘩した時に結城家が彼女の味方になるだろうか。 内海唯花は絶対に信じなかった。 例えば彼女の姉の義父母を例に挙げればわかりやすい。 結婚前、姉の義父母は姉にとても親切で、彼らの娘も嫉妬してしまうほどだった。 しかし、結婚したとたん豹変したのだ。毎回姉夫婦間でいざこざがあった時、姉の義母は決まって姉を妻としての役目を果たしていないと責めていた。 つまり、自分の息子は永遠に内の者で、嫁は永遠に外の者なのだ。 「仕事に行くのでしょうから、おばあちゃんは邪魔しないことにするわね。今夜理仁くんにあなたを迎えに行かせるわ。一緒に晩ご飯を食べましょう」 「おばあちゃん、うちの店は夜遅くに閉店するの。たぶん夜ご飯を食べに行くのはちょっと都合が悪いわ。週末はどうかな?」 週末は学校が休みだ。本屋というのは学校があるからこそやっていけるもので、休みになると全く商売にならなくなる。店を開ける必要がなくなって彼女はようやく時間がとれるのだ。 「それもいいわね」 結城おばあさんは優しく言った。「じゃあ、週末にまたね。いってらっしゃい」 おばあさんは自分から電話を終わらせた。 内海唯花は今すぐ店に行くのではなく、先に親友の牧野明凛にメッセージを送った。彼女は高校生たちが下校する前に店に戻るつもりだった。 人生の一大イベントを終え、彼女は姉に一言伝えてから引越しなければならなかった。 十数分が経った。 内海唯花は姉の家に戻ってきた。 義兄はすでに仕事に行って家にはおらず、姉がベランダで服を干していた。妹が帰ってきたのを見て、心配して尋ねた。「唯花ちゃん、なんでもう帰ってきたの?今日お店開けないの?」 「ちょっと用事があるから後で行くの、陽ちゃんは起きてないの?」 佐々木陽は内海唯花の二歳になったばかりの甥っ子で、まさにやんちゃな年頃だった。 「まだよ、陽が起きてたらこんなに静かなわけないでしょう」 内海唯花は姉が洗濯物を干すのを一緒に手伝い、昨晩の話になった。 「唯花ちゃん、あの人はあなたを追い出したいわけじゃないのよ。彼ストレスが大きいみたい
「お姉ちゃんもさっき言ったでしょ、あれは彼の結婚前の財産であって、私は一円も出していないのよ。不動産権利書に私の名前を加えるなんて無理な話よ。もう言わないでね」 手続きをして、結城理仁が家の鍵を渡してくれたおかげで、彼女はすぐにでも引越しできるのだ。住む場所の問題が解決しただけでも有難い話だ。 彼女は絶対に結城理仁に自分の名前を権利書に加えてほしいなんて言うつもりはなかった。彼がもし自分からそうすると言ってきたら、彼女はそれを断るつもりもなかった。夫婦である以上、一生覚悟を決めて過ごすのだから。 佐々木唯月もああ言ったものの、妹が自分で努力するタイプでお金に貪欲な人ではないことをわかっていた。それでこの問題に関してはもう悩まなかった。一通り姉の尋問が終わった後、内海唯花はやっと姉の家から引っ越すことに成功した。 姉は彼女をトキワ・ガーデンまで送ろうとしたが、ちょうど甥っ子の佐々木陽が目を覚まし泣いて母親を探した。 「お姉ちゃん、早く陽ちゃんの面倒を見てやって。私の荷物はそんなに多くないから、一人でも大丈夫よ」 佐々木唯月は子供にご飯を食べさせたら、昼ご飯の用意もしなくてはいけなかった。夫が昼休みに帰ってきて食事の用意ができていなかったら、彼女に家で何もしていない、食事の用意すらまともにできないと怒るのだ。 だからこう言うしかなかった。「じゃあ、気をつけて行ってね。昼ご飯あなたの旦那さんも一緒に食べに来る?」 「お姉ちゃん、昼は店に戻らなくちゃいけないから遠慮しとくね。夫は仕事が忙しいの、午後は出張に行くって言ってたし、もうちょっと経ってからまたお姉ちゃんに紹介するわね」 内海唯花はそう嘘をついた。 彼女は結城理仁のことを全く知らなかったが、結城おばあさんは彼が忙しいと言っていた。毎日朝早く出て夜遅くに帰ってくる。時には出張に行かなければならず、半月近く帰ってこないそうだ。彼女は彼がいつ時間があるかわからなかった。だから姉に約束したくてもできないのだ。適当に言って信用を裏切るようなことはしたくなかった。 「今日結婚手続きをしたばかりなのに、出張に行くの?」 佐々木唯月は妹の旦那が妹に優しくないのではと思った。 「ただ手続きしただけ、結婚式もあげてないのよ。彼が出張に行くのは仕方ないことよ。なるだけお金を稼いだほうがい
結城理仁は何事もなかったかのように言った。「会議を続けよう」 彼に一番近いところに座っているのは従弟で、結城家の二番目の坊ちゃんである結城辰巳だった。 結城辰巳は近寄ってきて小声で尋ねた。「兄さん、ばあちゃんが話してる内容が聞こえちゃったんだけどさ、兄さん本当に唯花とかいう人と結婚したのか?」 結城理仁は鋭い視線を彼に向けた。 結城辰巳は鼻をこすり、姿勢を正して座り直した。これ以上は聞けないと判断したようだった。 しかし、兄に対してこの上なく同情した。 彼ら結城家は政略結婚で地位を固める必要は全くないのだが、それにしても兄とその嫁は身分が違いすぎるのだ。ただおばあさんが気に入っているので、内海唯花という女性と結婚させられたのだから、兄が甚だ可哀想だ。 結城辰巳は再び強い同情心を兄に送ってやった。 彼自身は長男でなくてよかった。もし長男に生まれていたらそのおばあさんの命の恩人と結婚させられていただろう。 内海唯花はこの事について何も知らなかった。彼女は新居がどこにあるのかはっきりした後、荷物を持って家に到着した。 玄関のドアを開けて家に入ると、部屋が非常に広いことに気づいた。彼女の姉の家よりも大きく、内装もとても豪華なものだった。 荷物を下ろして内海唯花は家の中を見て回った。これはこれからは彼女のものでもあるのだ。 リビングが二つに部屋が四つ、キッチンと浴室トイレが二つ、ベランダも二箇所あった。そのどれもがとても広々とした空間で、内海唯花はこの家は少なくとも200平方メートル以上あるだろうと見積もった。 ただ家具は少なかった。リビングに大きなソファとテーブル、それからワインセラー。四つある部屋のうち二つだけにベッドとクローゼットが置いてあり、残り二つの部屋には何もなかった。 マスタールームはベッドルームとウォーキングクローゼットルーム、書斎、ユニットバスがそれぞれあるのだが、非常に広かった。リビングと張るくらいの広さだ。 この部屋は結城理仁の部屋だろう。 内海唯花はもう一つのベッドが置いてある部屋を選んだ。ベランダがあり、日当たり良好でマスタールームのすぐ隣にある。部屋が別々であれば、お互いにプライベートな空間を保つことができるだろう。 結婚したとはいえ、内海唯花は結城理仁に対して本物の夫婦関係を求め
内海唯花は笑って言った。「あなたの従兄は彼女がいるじゃない。彼を紹介してどうするのよ?結婚手続きはもう終わったんだから、後悔しても遅いでしょ。ただこのことは秘密にしてちょうだい、お姉ちゃんが本当のことを知ったら悲しむから」 牧野明凛「......」 彼女の親友は、とても勇ましい人だ。 「小説の中の女主人公はいつも大金持ちとスピード婚するけど、唯花、あなたの結婚相手もそうなの?」 そう言い終わると、内海唯花は親友をつつき、笑って言った。「うちの店にある小説、あなた何回読んだのよ?夢なんか見ないでよね。そんな簡単に玉の輿に乗れるわけないでしょ。お金持ちがそこらへんに転がってると思ってる?」 牧野明凛は親友につつかれた場所をさすり、彼女が言っていることはその通りだと思った。彼女はかすかにため息をついた後、また尋ねた。「あなたの旦那さんが買った家はどこにあるの?」 「トキワ・フラワーガーデンよ」 「あら、良い場所じゃないの。あそこの環境は良いし、交通も便利だしさ。この店からもそんなに遠くないし。旦那さんはどの会社で働いてるの?東京で家を買えるくらいだし、トキワ・フラワーガーデンはお金持ちが買えるのよ、旦那さんの収入はきっと高いに決まってるわ。毎月のローンはいくら?あなたもローンのお金を出す必要があるの?」 「唯花、もしあなたもローンを払う必要があるなら、不動産権利書にあなたの名前も付け加えなきゃ。じゃないと損しちゃうでしょ。こう言うのはあまり聞こえがよくないけど、もしあなたたちが喧嘩でもして離婚することになったら、その家は彼のものだし、あなたには家の権利がなくなるのよ」 内海唯花は親友の瞳を見つめ言った。「あなたの考えって私の姉とほぼ一緒よね。家は彼が一括で購入したから、ローンを返済する必要ないのよ。私は一円も出してないわ、不動産権利書に私の名前を加えるなんてできないわよ」 牧野明凛は「夫婦間の仲が良いなら、まあ問題はないんだけど」と言った。 内海唯花はふと思い出した。彼女の姉が住んでいる家は義兄が結婚する前に購入したもので、今も毎月ローンの返済をしていた。内装の費用は姉がお金を出したのだが、不動産権利書には姉の名前は書いていなかった。唯花は義兄がいつも姉に金を使うだけで、能力がないと責めていることを思い、心配になった。 日を
結城理仁の下にはあと八人の弟や従弟たちがいるのだが、彼だけがおばあさんの悩みの種だった。おじいさんは亡くなる前に彼女と一緒に九人の孫を分析していた。結城理仁はおばあさんに対して最も孝行者だが、一番彼女を悩ます存在でもあった。さらに理仁の性格からいって、彼女が理仁の結婚を助けない限り、一生独身だろうと言っていた。今考えてみると、おじいさんの分析は正確だったといえる。「おばあ様、お二人のお気持ちはそんなに焦らなくてよいと思います。一生を共に生きていくのは、これは人生においてとても重要なことですから。もし唯月さんのように人を見る目が足りなかったら、離婚をするのはいいですが、何年もの彼女の青春を無駄にしたわけですから、その代価はとても高いです」外からドアを開ける音が聞こえてきた。「若旦那様と若奥様がお戻りになられたようです」おばあさんは彼女にまた注意した。「私の呼び方には気をつけてね」清水は何度もうなずいた。結城理仁夫婦がドアを開けて入ってきた時、清水はおばあさんと一緒にテレビを見ていた。「結城さん、内海さん、お二人ともおかえりなさい」清水は立ち上がり、笑って言った。「結城さん、おばあさんがいらっしゃっていますよ」「ばあちゃん」内海唯花はやって来て「おばあちゃん、先に来ていたのね。結城さんにどうしておばあちゃんが店に来ないんだろうって言っていたのよ」「お店に行って邪魔になるんじゃないかなと思ったの。それで辰巳に直接ここまで送ってもらったのよ」結城家の中で、おばあさんは内海唯花が一番親しい存在だ。二人はまるで祖母と孫の関係のようだった。この二人の中を結城理仁は嫉妬してしまうくらいだった。内海唯花と彼が一緒にいる時、そんなに深く仲の良い話などできない。おばあさんがここに住むのは、彼から内海唯花を奪う目的なのか?「あ、しまった!」内海唯花はあることを思い出し、結城理仁の太ももをパシンと叩いて言った。「結城さん、うちにある三部屋にはベッドがあるけど、他にはないわよ。おばあちゃんは今夜どこで寝てもらうの?」清水にベッド用品を買った時、客間にもベッドを買っておくべきだった。おばあさんが来たのに、何も準備できていないじゃないか。結城理仁は彼女が自分の太ももを叩いた手を見て、そして自分の祖母のほうに目を
しかし、彼女のドレッサーの上にはあの紙はなかったはずだ。彼女は確か、あの紙の裏にスケッチを……あ!内海唯花は爆睡している結城理仁を見つめた。彼は別に悪気はなかったが、彼女のスケッチをだめにしてしまっただけでなく、彼らの間に交わした契約書、いや、彼女の手元にある契約書を消し去ってしまった。彼の分は絶対に大事に大事にどこかに保管してあるだろう。指で結城理仁の顔を突っついたが、彼は反応がなかった。内海唯花はまた突っつき、言った。「私の分はあなたに消されてしまったじゃない。あなたの分はまだあなたの手元にあるんでしょ、不公平だわ。私には何も保証がなくなっちゃったじゃないの」彼の分を盗んできて、それも消し去ってしまおうか?そうすれば平等になる。どちらの手元にも契約書がなければ、お互いに何かに縛られることはなくなり、彼女も安心できるのだ。彼女には彼の部屋に入るチャンスがないのを思い、内海唯花は頭が痛くなった。どうやれば、彼から契約書を盗んでこの世から消してしまうことができるだろうか?飲ませて酔わせる?奇襲して気絶させる?それとも彼を誘惑してみようか?内海唯花はいろいろな手段を考えたが、結局自分自身でそれを却下してしまった。やはり、ゆっくりとチャンスをうかがおう。内海唯花は結城理仁の部屋に入れるチャンスが来るのは時間がかかると思っていたのだが、まさか夜にその絶好のチャンスが訪れるとは全く思ってもいなかった。おばあさんが突然やって来て、結城辰巳とホテルで食事をした後、内海唯花の店にはすぐには行かず、ホテルで少し休んでいた。それから夜の九時過ぎになって、ようやく辰巳を呼び、トキワ・フラワーガーデンに送ってもらった。夜十時頃、おばあさんはスーツケースを持って結城理仁の家の前まで来て、インターフォンを鳴らした。「どちら様ですか?」清水は来客に返事をしながらやって来てドアを開けた。ドアを開けた瞬間おばあさんがいるのを見て、清水はとても驚いていた。「おばあ様、どうしていらっしゃったんですか?」「あの二人は在宅してる?」「今お戻りの途中のようです。まだ家には帰られていません。私のほうが先に帰ってきたのです」毎日の夕方、唯月は仕事を終えると息子の陽を迎えに来ていた。清水はそれ以上は店にいる必要はない。清水はおばあさんの
「俺がばあちゃんに付き合ったら、もっと不機嫌にさせるだけだよ。ばあちゃんは俺がおしゃべり上手じゃなくて無口なのが嫌いだから。だから君のほうがもっと好きなんだ」内海唯花は特に多くは考えずに言った。「だったら私たち一緒におばあちゃんを気晴らしに連れて行ってあげましょうよ」結城理仁はかなり計算高い男だ。彼女に「いいよ」と答えた。「西の郊外にゆっくり過ごせる山荘があるんだ。明日君とばあちゃんをそこに気晴らしに連れて行くよ」明後日は義姉とその夫である佐々木俊介の離婚協議が行われる。彼らは唯月側の親族として、もちろんその助太刀に行く予定だ。それ故、彼はたった一日しか妻とデートする時間がないのだ。彼がさっき言った山荘とは、彼ら結城家の事業の一つだ。そこは営業の形をとっていて、誰でも利用できる。毎年そこで休暇を過ごす人はたくさんいるのだ。「そこってとても綺麗で、楽しいって聞いたことがあるわ」「俺も行ったことがないから、どんな感じなのかわからないんだ」内海唯花は携帯を取り出し、その山荘の写真を検索した。それを見た後、明日が来るのが待ち遠しくなった。一人で食べると味気ないと言っていた結城家の坊ちゃんは、たった数分で内海唯花が持ってきてくれた弁当をきれいに平らげてしまった。彼がその空になった弁当箱を洗いに行こうとした時、内海唯花が急いでそれを止めた。「私がやるわ。あなた午前中は忙しかったんでしょ、しっかり休んでちょうだい。あなたの上司のオフィスはとても居心地が良いから、そこのソファに横にならせてもらったらいいわ。あなたのデスクの上にうつ伏せになって寝るよりも気持ち良いでしょ」彼女のその優しさが結城理仁の心に甘い蜜のように広がった。結城理仁も本当に眠かった。内海唯花が弁当箱を洗っている時、彼はソファに横たわりそのまま寝入ってしまった。内海唯花が出て来た時、彼がすでに寝てしまったのを見た。それで、そうっと歩いて彼の近くまで行き、静かに彼の寝顔を見つめていた。容姿の良い人って、寝ている時もやっぱりイケメンなんだな。内海唯花は弁当箱を置き、彼の傍に腰かけて、引き続き彼の寝顔を堪能した。この男、プライドが高く、冷たくて、結婚手続きをしに行ったあの日は、彼女に必要最低限の会話しかしたくない様子だった。それがいつからか、彼は彼女に優し
結城理仁は弁当箱の蓋を開けながら言った。「もし君がうちの会社に入って働いたら、会社にはたくさん役職があるってわかるよ。例えば部長だっていろんな部署に応じているんだしね。俺はまあ、会社の中でも上の立場でも下の立場でもないかな」内海唯花は舌をべえと出して言った。「私にあなたの会社に入って働けるような能力がなくてよかったわ。じゃなきゃ、そんなにたくさん役職があっちゃ覚えられないよ」結城理仁はじいっと彼女の瞳を見つめた。「今君の仕事もとても良いじゃないか。自由だし収入だって悪くないんだ。一体どれだけの人が君のような自由業に憧れているか知っているか?」「私はただ誰かの下について働くのが苦手なだけなの。だから卒業してから、明凛をパートナーにお店を開いたのよ。それでも明凛の家族が手助けしてくれたんだ。そうじゃなかったら、私たちはあの店を経営するのは難しかったよ」高校の前は多くの生徒が行き来するから、客の数も多くその前で店を開こうと思ったら、そんなに簡単じゃないのだ。「あの招き猫ってうちのネットショップで売ってるやつだよね?」内海唯花は結城辰巳のオフィスにあるデスクの上の招き猫を見て言った。結城理仁は「うん」と一言答えた。彼は辰巳のあの招き猫を見たくなかった。それは弟が一円も払わずに手に入れたものだからだ。「さっき仕切られてるほうのオフィスを通る時、気づかなかった?みんなのデスクの上には招き猫や花のハンドメイドが置かれているよ。あとは、あの鶴とかいろいろ、何にせよ全部君のネットショップで購入したものなんだ」内海唯花はその瞬間、達成感が湧いてきて笑って言った。「あなたと辰巳君がおすすめしてくれたおかげだね。あと姫華のおかげも大きいわ。彼女はSNSにアップしておすすめしてくれただけじゃなく、お兄さんも買ってくれたらしくて、オフィスに飾ってあるんですって。私の商売を後押ししてくれるとか。今はね、ネットショップの売り上げが、本屋の収入を上回っているのよ」友達が多ければ、物事はうまく進んでいく。友達がもし神崎姫華のように実力のある者であれば、その物事はもっと急速に進んでいくであろう。結城理仁「……」彼の妻の手作りがライバル社のオフィスにまであるというのか。彼はまだ神崎グループを攻略できていないのに、理仁の妻は彼よりも能力があるらしい。彼より
「私はもう食べたから」内海唯花は何気なく答えて。また少し考えてから口を開いた。「なら、私もあなたと一緒にいて、あなたが食べ終わってから、帰ろうか」結城理仁の黒い瞳がキラキラと輝いた。「俺のオフィスに行こうよ」内海唯花はまたそこにいる多くの人たちを見て、探るように尋ねた。「私はここの会社の人じゃないけど、勝手に入って大丈夫かな?」「俺が連れて行けば、問題ないよ」彼は内海唯花に手を差し伸べた。唯花は少しためらった後、自分の手も彼もほうへ差し出した。彼女の手を握り、結城理仁は口角を少し上にあげて笑ったが、内海唯花はそれには気づかなかった。彼は片手で彼女が持ってきてくれたお弁当箱を持ち、もう片方の手は内海唯花の手を繋いでいた。内海唯花を連れているので周りの社員たちみんな驚愕し、どういうことなのか推測をしている目で見つめられながら二人は会社に入っていった。「結城さん、こんにちは」「こんにちは」みんな結城理仁に会うと、恭しく挨拶をした。彼らは内海唯花にも微笑み軽く会釈をした。唯花に挨拶をしているが、その人は彼女を見て唯花が一体自分たちの社長とどのような関係なのか憶測していたのだ。彼らの結城社長に手を引かれて会社に入って来るということは、絶対に社長の好きな人であるに違いない。そういえば、社長は一体いつ彼女を作ったんだ?秘密主義を本当に貫くお方だ。もし今日運良くこの光景を見られなければ。彼らは結城社長にも彼女ができるなんて信じられないだろう。なるほど神崎お嬢様が最近会社の前で社長を待ち続けていないわけだ。きっと結城社長に彼女ができたことを知ったからなのだろう。神崎お嬢様はわがままではあるが、名家の出身で、プライドが高い人だから他人と一人の男を争わないのは当然のことだ。ある人は結城理仁が内海唯花の手を繋いで歩いているその光景を携帯で撮影したいと思ったが、そばにいる人に制止されてしまった。「お前、死にたいのかよ。結城社長を盗撮しようだなんて、よく思いつくな」その人は少し納得いかない様子で言った。「正面からはっきり撮ろうとしてないよ。後ろ姿だけ撮ろうと思ってさ。うちの社長にもようやく春が来たんだって、こんなの世間を釘付けにするビッグニュースだぞ。SNSにアップしたくてたまらないよ」「後ろからだったとしても撮っちゃ
結城辰巳はおばあさんを連れて下におりていった。祖母と孫の二人はホテルに食事に行くつもりだ。オフィスビルを出たところで、辰巳は視界の隅に内海唯花の姿を見た。「おばあちゃん、兄さんが俺におばあちゃんを連れて出ていけって言った理由がわかったよ」彼は会社の入り口を指さしておばあさんに言った。「兄さんの奥さんが来たよ。お弁当箱を持ってるから、お昼ご飯を届けに来たんだ」なるほど、それで彼の兄が急いでおばあさんを連れて出ていけと言ったわけだ。おばあさんに邪魔されたくなかったから。おばあさんはその瞬間足を止め、目を細めて暫く見つめて言った。「本当に唯花さんだわ。あなた、早くお兄さんに電話して知らせなさい。他のオフィスに移るように、あなたのオフィスがいいわ。唯花さんに社長だって知られるわけにはいかないもの」結城辰巳は「うん」と一言返事し、兄に電話をかけた。別に連絡する必要はなかった。結城理仁はそもそも内海唯花が来ることを知っていたからだ。結城理仁のデスクの引き出しには望遠鏡があって、おばあさんが出て行った後、それを取り出して窓の前に立ち下を見ていた。内海唯花の車が現れると、望遠鏡をまたもとの場所に戻し、急い地下に下りて行った。結城辰巳は車でおばあさんを連れて出かけて行った。会社の入り口に停止し、車の窓を開けて内海唯花に挨拶をした。「おばあちゃん、辰巳君、こんにちは」内海唯花は笑って向かって行き尋ねた。「おばあちゃん、どうしてここにいるの?」おばあさんはわざと不機嫌な顔をした。「一言じゃ語り尽くせないわ。唯花ちゃん、先にご飯を食べてくるわね。私お腹すいちゃった。夜あなたに話すわ」「どうしたの?わかったわ、おばあちゃん、ご飯行ってらっしゃい」「義姉さん、俺おばあちゃんを連れて食事に行って来ます。兄さんはオフィスにいるから、先に兄さんに電話して、そうしたら、義姉さんを迎えに来るはずですよ」結城辰巳はそう言い終わると、また車を出しおばあさんを連れて去っていった。暫く車を進めてから彼は笑って言った。「幸い毎日この車で出勤していてよかったよ。いつか義姉さんが会社まで来ることもあるんじゃないかと思ってさ。俺が高級車を運転してたら、そこから義姉さんに疑われ始めちゃうかもしれないじゃん。そしたら、兄さんに殺されちまう」「たぶんその
「確か私、以前誰かさんが『俺はヤキモチなんか焼かない、ネチネチしてうっとおしい!俺から妻を追いかけるなんてことはせん!』とかなんとか言ってなかったかしら。理仁、これって誰が言った言葉が知ってる?」結城理仁は顔をこわばらせ、怒りに燃え、唇をかたく閉じたままで何も言わなかった。おばあさんは笑うのに満足したようで、話題を変えた。「神崎のお嬢ちゃんはもうあそこで待っていないの?」「あの女は二度と俺に付き纏ってくることはないさ」神崎姫華はここ二日間、彼に会いに来ていなかった。彼女は内海唯花にも言っていた。結城理仁に彼女がいる、もしくは結婚している場合は、絶対に二度と彼に付き纏ったりしないと。この点に関しては、結城理仁は神崎姫華を高く評価していた。彼に対しては真の愛だからとか何とか言って、彼を追いかけ他人の結婚生活を壊したりしないのだ。あのわがままなお嬢様はこの考え方に関しては他の人間よりもしっかりとしている。「彼女はあなたと唯花さんの関係を知っているの?」「いいや、彼女に俺の左手を見せつけてやったら、これはやばいと思ってさっさと懲りたようだ」おばあさんは、ははと軽く笑い尋ねた。「あんたの左手がなんだって?左手を見ただけで危険を察知して去って行ったの、一体何をしたってのよ?」結城理仁は黙っていつでも持ち歩いているあのゴールドの指輪を取り出した。そして、左手の薬指にはめておばあさんの方に見せつけた。おばあさん「……」「ばあちゃん、辰巳に言って食事に連れて行かせるよ。スーツケースは持って行って、食べ終わったら、あいつに内海さんの店まで送ってもらってくれ」おばあさんが何か言いたげにしているところに結城理仁が付け加えて言った。「ばあちゃん、辰巳もいい歳だ。いつも俺ばかり見張ってないでさ、俺はどうせもう結婚して妻がいる人間なんだ。辰巳の奴はまだ独身だろ、他の孫にも目を向けてみなよ、じゃないと辰巳が俺だけ贔屓してずるいとか言い出すかもしれないぞ」おばあさんは口を尖らせた。「だってまだ誰も気に入った子がいないんだもの。誰か気に入る子が見つかったら、あなたの弟たちも誰一人としてあなたのように逃げられないわよ。辰巳に来てもらわなくていいわ、私が自分で彼のとこに行くから」おばあさんはそう言いながら、立ち上がりスーツケースを引いて出
おばあさんはスーツケースを持って、一直線にソファの前まで来ると、そこに腰を下ろして言った。「理仁、私、あなた達の家に引っ越してきて一緒に住むわ」結城理仁は顔をこわばらせた。「ばあちゃん、約束したじゃないか……」「別に悪いことをしようってわけじゃないのに、なんでそんなに緊張してるのよ。何を心配しているの?」おばあさんは彼に言い返して、すぐに強気な態度で言った。「私はあなたの父親とおじさんたちから家を追い出されたの。それでどこにも行く当てがないから、孫に頼るしかないじゃないの、だめ?あなたも父親やおじさんたちと同じように、おばあちゃんを家から追い出す気?ああ、年取ってからこんな目に遭うなんて、どこに行っても邪魔者扱いされちゃって、息子や男の孫を精一杯育てて何になるっていうのかしら?やっぱり孫娘を育てたほうが私に優しくしてくれたのに」結城理仁は顔を曇らせた。「ばあちゃん、父さんやおじさんたちがばあちゃんを追い出すわけないだろ」彼のところに引っ越してきて一緒に住もうとしているからといって、それを彼の父親やおじさんたちのせいにする必要はないだろう。おばあさんはニコニコ笑った。「うちのお嫁さんが私を追い出したなんて言えないでしょ?息子たちは私が産んだんだから、彼らのせいにしたって、この私と言い争うようなことはしないでしょうよ。お嫁さんは私の実の子じゃないんだから責任を押し付けるわけにはいかないわ」結城理仁「……」「私聞いたのよ」結城理仁は少し嫌な予感がして尋ねた。「ばあちゃん、何を聞いたんだよ」「唯花さんのお姉さんが離婚するらしいわね。彼女が困っているなら、ちょうどあなたが活躍できる良い機会じゃないの。あなたが彼女の困難を解決してあげれば、唯花さんのあなたに対する好感度は急上昇よ。そうしたら、私はやっと孫娘を拝むことができるってわけ。こんなに良いチャンスはまたとないわ。おばあちゃんはそれを見逃さないわよ。今度ばかりは何を言ったって、絶対に逃しちゃだめ、だめ。私が引っ越して来るのをあなたに邪魔されるっていうなら、唯花さんにあなたが私をいじめるって言いつけてやるんだから。私の行く当てがないのに、家に置いてくれないひどい人なんだってね」結城理仁の顔色がまたさらに暗くなっていった。「ばあちゃん、これは理不尽すぎるだろ?」「だっ
結城理仁はすぐ電話に出た。「結城さん、午前の仕事大丈夫だった?もし眠かったら、午後会社を休んで帰ったらどう?」結城理仁は彼女の気遣いにご機嫌になり、黒い社長椅子にもたれかかり、ぐるぐると椅子を回しながら、わざと落ち着いた声で答えた。「会社に着いた時またコーヒーを一杯飲んだから、ここまでもったよ。大丈夫、もうすぐ昼休みの時間だ、もうすぐ休めるから」「昼ご飯は?」「眠いから、食欲がないし、食べたくないんだ」「それはいけないよ。午前中ずっと仕事でしょ。昼ご飯食べないと胃によくないよ。もし病気になったらなかなか治らないわ」結城理仁の返事は甘えたようだった。「だって、食べたくないんだ」「じゃ、昼休みの時、先に少し寝てて。私が後で昼ご飯を持って行くから。会社の前に着いたらまた電話する」彼は姉のために動き回り、昨日全然寝ていなかったから、どうあっても、内海唯花は昼ご飯を食べないと言った彼を放っておけないのだ。「わかった。じゃあ会社で少し寝るよ。着いたら電話してくれ。車で来るなら気をつけて」「私は店で半日も寝たの、今めっちゃ元気だよ。大丈夫だから。じゃ先に仕事をして、終わったらすぐ休むんだよ」言い終わると、内海唯花は電話を切った。そして、立ち上がりキッチンに入り、弁当箱を取り出し、洗いながら清水に言った。「清水さん、結城さんは昼ご飯を食べに来ないから、私が持って行ってきます。清水さんたちは先に食べてて、私の分を残しておいてくれればいいですから。帰ってから食べますね」清水は返事した。「ご飯は全部できましたよ。お姉さんが帰って来たら、すぐ食べられます。内海さん、先に食べたらどうですか?帰ってから食べると午後一時を過ぎるでしょう。体に良くありませんよ」内海唯花は少し考えて、一理あると思い、頷いた。彼女は弁当箱を清水に渡し、それにご飯とおかず、スープまでも入れてもらい、弁当箱をいっぱいにさせた。彼女自身は素早くスープを飲み、おかずはあまり食べずに、ご飯を一椀食べただけだった。さっさと食事を済ませ、弁当箱を持ち清水に挨拶した。「それじゃ、行ってきます。清水さん、後で忙しくなるかもしれませんから、陽ちゃんはよろしくお願いします」店に来るお客は皆いい客だから、何かを取られる心配もないし、牧野明凛はレジに立つだけでいいのだ。「