静かなノックの音に驚く。俺は、ノーヴァにつられて扉の方を見た。
「やめておきなさい、ノーヴァ」
いつの間に来たのか、開け放たれた扉へ寄り掛かったヴァニルがノーヴァを制止した。
卒業の機会《チャンス》と覚悟を奪いやがって、と言いたいが、声を荒らげるような雰囲気ではない。ヴァニルの深刻そうな様子に、心臓がドクンと嫌な跳ね方をする。「ヴァニル····どういうつもり? 何邪魔してくれてんの」
ノーヴァが睨みをきかせて言った。けれど、その鋭い視線にも怯む事なく、ヴァニルは意味のわからない事を言い出す。
「今のまま彼と交われば、確実に血の味が変わりますよ」
「······何それ。そんなわけないでしょ」「まったく、貴方は未だ自覚がないんですか?」やれやれと溜め息を吐くヴァニル。ムッと頬を膨らませているノーヴァと交互に見て、俺はイラつきをぶつける。
「お前ら、さっきから何の話してるんだよ。俺にはさっぱりなんだが」
「お前は知らなくていいよ」「え····俺、当事者じゃないの?」「ははっ、しっかり当事者ですよ。それはもうガッツリと」「だよなぁ。そうだよなぁ。で、俺は知らなくていいと?」ノーヴァは苛立ちながら、何故かまたモジモジし始めた。頬を赤らめて、どういう感情なんだよって表情《かお》をしている。
ヴァニルは、ノーヴァを揶揄うように薄ら笑み、呆れた目を俺たちに向ける。「ヌェーヴェル、貴方は我々の事をどう思っていますか?」
「どうって、何だよ唐突に。漠然としてるな····」「ヴァニル、はっきり言いなよ。甘い血は、こ、恋の証なんでしょ」「ふふっ、そうですよ。ノーヴァ、貴方の初恋ですね」「ハツコイ·&mid甘い血を求めるのは吸血鬼の本能。ローズが言う恋の成分を含んだもの、それを探知する為の能力らしい。 けれど、ほんのりと甘く絶品なのは片想いの間だけ。両想いになると、喉が焼けるほど甘く感じるようになる。曰く、恋い慕う人間の愛を手に入れる代償なのだと言う。 それはおそらく、人間と吸血鬼が交わる禁忌への戒めでもあるのだろう。混血は禍いをもたらすという、古代人の意味不明な迷信に過ぎないが。現に、ノウェルは特段禍いの種になどなっていないのだから。 だが、より甘くなるなら代償とは言わないのではないだろうか。吸血鬼の感性はよく分からん。「なぁ、なんでもっと甘くなるのがいけないんだ? 吸血鬼って甘いの苦手なのか?」「いえ、本当に喉が焼けるんですよ」「はぁ!? いや、待て。ローズの喉は焼けてないぞ。そんな話、一度も····」 俺が取り乱すと、ヴァニルは不機嫌そうに顔を歪めた。「チッ··ローズって誰ですか? その方の事は知りませんが、きっと喉は焼け爛れている筈ですよ」「そんな事····」 愕然とした俺を見て、歪めていた表情を戻したヴァニル。今度はとても穏やかな表情で、そして、慈しむような声で囁くように言葉を置く。「それでも飲み続けるという事は、よほど番を愛しているのでしょうね」「番って····。つぅか、喉が爛れて飲めるものなのか?」 半信半疑な俺を見て、ヴァニルはフンッと鼻を鳴らした。「まぁ、吸血鬼ですし回復はお手の物ですから」「なるほどな」 納得している俺に、ヴァニルは注釈を添えるように言う。「····ただ、尋常ではない痛みに耐えている筈ですけどね。何度も自ら焼く覚悟、それはもう至極の愛ですよ」 うっとりとした表情を浮かべ、胸の前で指を絡めて語るヴァニル。
いやまぁ、そうかそうか。ノーヴァにも恋をする心があったんだな。少し安心した。 特殊な生い立ちの所為か、感情が少し欠落していると思っていたのだが、そうか、そうだったのか。良かったじゃないか。 ····いや、何も良くない。ノーヴァに感情が芽生えているのは喜ばしいが、俺の置かれた状況は変わらないのだから。なんなんだ、この無駄なモテ期は。 それにしても、誰より不憫なのはノウェルだ。こいつらの色恋沙汰に巻き込まれた挙句、ヴァニルに嬲られてるんだからな。どうにかしてやらないと。 そんな事を考えていると、ヴァニルがまたとんでもない事を暴露した。 喉を焼くほどの甘さへ到達するには、双方の想いがなければならないらしい。つまりは、両想いということだ。「ちょっと待て。じゃぁなんでヴァニルの喉が焼けるんだ」「おや。やっと気づきましたか」 俺がヴァニルへ想いを寄せていると言うのか。この俺が、こんな変態を? 好きかと問われようものなら、間違ってもイエスとは言わない。なのに、どうして両想いという事になっているのだ。「貴方が阿呆だからですよ、ヌェーヴェル。貴方、とっくに私のこと好きじゃないですか。主に身体が」「なっ!? 心の話じゃないのか」「そうなんですけどね。身体から引っ張られてくる心というものもあるんですよ」 身体を懐柔され、知らぬうちに心までヴァニルの良いようにされていたという事か。言われてみれば、口では拒絶するような事ばかり言っていたが、心から拒絶した事はなかった。 むしろ、コイツらを求めて身体が疼く事もあった。アレはただの性欲だと思っていたが、そこに想いが混じっていたという事だろうか。 いや、そんなはずはない。断じて有り得ない。そんな事があってはならないのだ。それでも、思い当たる節がないわけではないから反論もできない。 コイツの言い分を認めてしまえば、幾らか楽になるのだろう。しかし、俺は難儀な性格をしているらしく、心の整理ができるまでは認められそうにない。 だが──「も
あの夜から暫く、甘ったるい雰囲気が続いている。 ノーヴァは暇さえあればご機嫌で傍らに居るし、ヴァニルは無駄にちょっかいを掛けてくるわ絡んでくるわ。いい加減鬱陶しい。 そんな折、めでたく18歳になり成人した俺の、誕生パーティが開催される季節を迎えた。今年は例年よりも少し派手に、そこそこの規模で行われている。 ヴァールス家が経営する製薬会社の薬学課に、いや、父さんの管轄下に置かれ監視されることとなった。以前から顔を出しては手伝いをしていたが、この度正式に籍を置けと仰せつかったのだ。 その記念パーティも兼ねているときたから、無駄に盛大な催しとなっている。「今宵はお集まりいただき、誠にありがとうございます。ヌェーヴェルも漸く──」 息子自慢から始まった父さんの長ったらしい口上を、皆グラスを片手に飽き飽きと聞いている。大人達の張り付いた笑顔が気持ち悪い。 優秀かつ眉目秀麗な俺を、自慢したくなる気持ちは分かる。だが、グラスを落としてしまいそうなほど退屈な長話は勘弁してほしい。「では、ヌェーヴェルからも一言」 ······なんだと。聞いてないぞ。このクソ親父、また勝手なことを!「えー、皆様。毎年、私の為にお集まりいただき大変恐縮です。節目の歳を迎えまして、父から一層の飛躍を期待され荷が重い··というのが正直なところです。はは····ですが、世の為に成果を残せるよう尽力して参りますので、どうぞお力添えを──」 俺は完璧な挨拶を終え、拍手喝采を浴びながら舞台を降りる。そして、父さんのくどい口上を上手く躱し、恙無く乾杯を済ませた。これで今日から、俺も堂々と酒を仰げるわけだ。 俺に群がる女共も増えるわけだが、これまで通り適当にあしらっておけばいい。父さんが絡まない限りは、それでやり過ごせるだろう。 父さんは毎度毎度、何の相談もなく勝手に事を進める。腹立たしい事この上ない。俺が学院の寮に入る事も、父さんの会社に勤める事も
「ヌェーヴェル····あぁ、僕の愛しいヌェーヴェル。あの2人がいないうちに···さぁ」 俺の頬には手が添えられ、ゆっくりとノウェルの顔が近づいてくる。 「なっ、何だよ!? やめろって····」 俺は必死にノウェルの胸を押し返す。だが、まったく敵わない。 「何って····僕と愛を育むんだよ。照れないでおくれ」「はぁ!? お前っ、狂ってんのか! 照れてないわ!! はーなーれーろっ!」 俺は、全力で押し除けようと試みたが微動だにしない。酔っている所為なのか、血走った眼が恐ろしい。「こんの馬鹿力がっ!」「ヌェーヴェル····僕はね、ずっと我慢してたんだよ? 君が僕に振り向いてくれない事も、あんな吸血鬼共に君が弄ばれている事も、僕にもアイツらと同じ吸血鬼の血が流れている事もっ!!」 ノウェルは歯を食いしばりながら、自らの首を締めて爪を立てる。「お前、知ってたのか。いつから····」「君が10歳になったあの日、君の誕生会で、だ。君が薔薇の棘で指を怪我して、流した血を僕が舐めただろう」 そんな小さな出来事などいちいち覚えていない。そう言ってやりたいのは山々なのだが、切羽詰まったコイツの表情を見ていると言葉が詰まる。「その瞬間だよ、心臓がドクンと跳ね、醜悪な欲求を覚えたのは。君の首筋に喰らいつき、その血を全て啜ってしまいたいような····そんな激しい気持ちが湧き上がったんだ」 俺の所為じゃないか。とんだ失態だ。幼い俺は、それに気づけなかった。 けれど、今なら分かる。こいつの前で、誰よりも俺の血を見せてはいけなかったのだ。「まさか、そんな子供の
──バァァンッ 勢いよく扉が開かれた。「····っ!? ヴァ、ヴァニル! た、助けて──」「ハァ······ノウェル、私達はこうなる事を恐れていたんですよ。だからこの身を呈して、同族である貴方へあんな愚行を働いたというのに····」「ヴァニル······貴様にどれほど嬲《なぶ》られようと、僕がヌェーヴェルへの想いを断つことなどない! 貴様らにわかるか、この積年の想いが!」 昂るノウェルは、激しい身振り手振りで感情を剥き出しにする。けれど、ヴァニルはそれを鼻で笑い、クッと顎を持ち上げ挑発的に返す。「わかりませんよ。だって、まだ出会って何年も経ってないんですから。ハハ····という事はもう、運命とでも呼ぶべきでしょうか」「おいコラ、煽るんじゃないヴァニル!」「貴様····殺してやる······僕のヌェーヴェルを弄ぶ罪深いお前らを、僕のこの手で····」「ダメだ! ノウェル、落ち着け。お前の手が血で塗れるなど、俺は望んでいない!」 やばい、ノウェルの瞳が深紅に変わっている。このままじゃ、吸血鬼として完全に覚醒してしまう。ノウェルが変わってしまう······。 焦るだけで何もできない。そんな自分の無力さに打ちのめされそうになった時、ヒュンと黒い影のようなものが横切った。それと同時に、俺に跨っていたノウェルが消えた。 影の行先を見ると、ノーヴァがノウェルの首を締め上げ、壁に押さえつけていた。
気がつくと、2人と出会った王魔団の廃城に居た。 カビ臭くジメッとしていて、相変わらず嫌な雰囲気だ。なんとなく気分が悪い。そりゃ、この環境じゃ仕方ないか。 ここに来るのはあの肝試し以来だ。あの時は、こんなにゴタゴタするなんて夢にも思わなかった。アイツらと出会わないほうが良かったのだろうか。 などと、不毛な事を考えている場合ではない。 どちらにしても、ノウェルと宜しくなる気は無い。アイツら2人とだって、添い遂げるわけではないのだ。 奴らに応えてしまえば、はたまた欲求に従ってしまえば、家督を継ぐことができなくなってしまうのだから。 なんにせよ、ノウェルとの関係は修復が難しいだろう。そもそもノウェルと俺が宜しくやるのを、あの2人が今更認めるとも思えない。私用で会うことすら難しくなる可能性だってある。 となると、これまでのように馬鹿な事を言い合ったり、つまらない競走で張り合ったりはできないのだろうな。そう思うと、少し寂しい気もする。 全てが上手く進まない。バカ2人に出会わなけりゃ、俺は快楽に堕ちることもなかっただろうし、今頃童貞を卒業できていたかもしれない。 いかん、また不毛な考えが巡っていた。そう言えば、今は何時なのだろう。あれからどのくらい寝たんだ? まだ外は真っ暗だが····。 辺りを見回すと、少し離れた所にノウェルが転がっていた。きっと雑な扱われ方をしたのだろう。 あの2人は何処だ。不安に駆られ、かろうじて部屋と呼べる区画から出てみる。部屋だったと思しき区切りがいくつもあり、その一画にヴァニルが居た。「おや、目が覚めましたか。おはようございます、ヌェーヴェル」「ヴァニル! お前何考えてんだよ。俺をこんな所に連れてきてどうするつもりだ!?」「ええ、実はこのまま此処で暮らそうかと思いまして」「······はぁ!? 何を馬鹿なこと····ハンッ、くだら
「動くな。ようやく見つけた慕人《ボヌルシオン》。その頸《くび》に我らが刻印《しるし》を。沸き立つ紅き血と醜猥な念望《ねんもう》を刻め」 紅黒の瞳に縛りつけられているかの如く、俺の意思では瞬きさえできない。今のは何かの呪文なのだろうか。 “ボヌルシオン”って何だ? 何を刻むって? 強ばったままの身体は、息の仕方さえ忘れようとしている。すると、ぼんやりと輝いていた紅黒の瞳が通常の状態に戻り、俺の拘束はすぅっと解けた。「ヌェーヴェル、貴方に選ばせてあげます。私とノーヴァ、どちらと契約しますか?」「はぁ?」「どちらの血が欲しいですか?」「どういう事だ。お前らの血なんか欲しくないぞ。俺は人間だ。飲むわけないだろ」 ヴァニルの言っている意味が分からない。どちらに飲んでほしいかでははく? 人間である俺が、血なんぞ欲するわけないだろう。「そうではありません。今から吸血鬼になっていただきます。飲んでもらう訳では無いので安心してください。強制的に傷口から流し込みます。言わば感染のようなものだと思っていただければ、幾分か解りやすいかと」「······は?」「貴方が吸血鬼になれば死なないし、今より血も吸い放題です。同族の血はあまり栄養価がありませんが、元人間の貴方の血なら幾分かはマシでしょう。その分、多く吸って犯すことになりますが。何よりも、永遠に一緒に居られますしね。そして、遠慮なく犯せる。簡単な話だったんですよ。初めからこうしていれば良かったんです」 ヴァニルは夕餉の献立を相談するかのように、つらつらと笑顔で並べ立てた。「いや、いやいやいや。俺、吸血鬼にならねぇよ? 何言ってんだよ」 理解が追いつかず、戸惑いと素が出てしまう。「選べ、ヴェル。いつまでもヴァニルと共有はできないんだ」「何のルールだよ。俺は····選べない。お前らと3人で居るのは案外楽しかったから&middo
俺に跨り、首筋へ牙を食い込ませているこの少年の名はノーヴァ。すぐそこで、恍惚な表情を浮かべアソコを滾らせているのが、ノーヴァの養父であるヴァニル。「ちょっとぉ、どこ見てんの? こっちに集中してよ」「ん゙っ、うぁ··」 ノーヴァは俺の血を啜りながら、ケツに凶悪なブツをねじ込んでいる。それを遊び感覚でされているのだから堪らない。 何より、少年の股間に付いているとは思えない、俺のよりもデカい魔羅《マラ》だ。俺のケツの将来が危ぶまれる。 「あぁっ··ノーヴァ、早く私にもくださいよ」「煩いなぁ、ヴァニル。ヌェーヴェルは今、ボクと楽しんでるんだからね。大人しく“待て”しててよ」「はぁ~っ····ノーヴァは意地悪ですねぇ」 俺のことなどお構いなしで、自分たちの世界に引き摺り込んでくる。まぁ、いつもの事だが。 幼顔を快楽に歪める、なんとも背徳感に満ちた情景。オツなものだと思われるのだろうか。否、最悪で最低な気分だ。 この、どうしようもなく欲に忠実なコイツらは、とうの昔に滅びたとされている吸血鬼。俺の血を啜り、快楽の底へと叩き堕とす変質者どもだ。 先の戦争を生き延び、人知れず闇に紛れて生きてきた。我々人間に迫害され、残虐の限りを尽くされてきた種族だ。 100年ほど続いた凄惨な戦いで遺ったのは、ゴミみたいなものだった。人間の醜悪な優越感によって確立された、吸血鬼は悪の暴徒だという印象。それと、人間は崇高だというクソみたいな2種族間の優劣。 だからと言って、憐れだとか庇護すべき対象とは思っていない。生き残りと言えば希少な気はするが、ただ図太くしぶとく人間を貪り喰ってきただけの奴ら。出会った当初は、ただただ忌むべき存在だった。 吸血鬼は特有の能力で若さを保っている。ノーヴァの実年齢は200歳を超えるらしいが、せいぜい12歳程度にしか見えない。 時々大人の姿になるのだが、体力を使うとかで俺の血を大量に吸うから禁止した。超絶美少年で、稀に超絶美男。腹が立つほど見目麗しい。 ヴァニルは20歳そこそこの見た目だが、実際は300歳を超えているらしい。吸血鬼の平均寿命って何歳なんだろう。年齢詐称ジジイのこいつは、銀髪紅眼のくっそイケメン野郎。そして、絶望的な変態だ。絶対に女は喰わないらしい。 俺のような容姿端麗な若い男が好みらしく、選り好みが激しい。俺がノー
「動くな。ようやく見つけた慕人《ボヌルシオン》。その頸《くび》に我らが刻印《しるし》を。沸き立つ紅き血と醜猥な念望《ねんもう》を刻め」 紅黒の瞳に縛りつけられているかの如く、俺の意思では瞬きさえできない。今のは何かの呪文なのだろうか。 “ボヌルシオン”って何だ? 何を刻むって? 強ばったままの身体は、息の仕方さえ忘れようとしている。すると、ぼんやりと輝いていた紅黒の瞳が通常の状態に戻り、俺の拘束はすぅっと解けた。「ヌェーヴェル、貴方に選ばせてあげます。私とノーヴァ、どちらと契約しますか?」「はぁ?」「どちらの血が欲しいですか?」「どういう事だ。お前らの血なんか欲しくないぞ。俺は人間だ。飲むわけないだろ」 ヴァニルの言っている意味が分からない。どちらに飲んでほしいかでははく? 人間である俺が、血なんぞ欲するわけないだろう。「そうではありません。今から吸血鬼になっていただきます。飲んでもらう訳では無いので安心してください。強制的に傷口から流し込みます。言わば感染のようなものだと思っていただければ、幾分か解りやすいかと」「······は?」「貴方が吸血鬼になれば死なないし、今より血も吸い放題です。同族の血はあまり栄養価がありませんが、元人間の貴方の血なら幾分かはマシでしょう。その分、多く吸って犯すことになりますが。何よりも、永遠に一緒に居られますしね。そして、遠慮なく犯せる。簡単な話だったんですよ。初めからこうしていれば良かったんです」 ヴァニルは夕餉の献立を相談するかのように、つらつらと笑顔で並べ立てた。「いや、いやいやいや。俺、吸血鬼にならねぇよ? 何言ってんだよ」 理解が追いつかず、戸惑いと素が出てしまう。「選べ、ヴェル。いつまでもヴァニルと共有はできないんだ」「何のルールだよ。俺は····選べない。お前らと3人で居るのは案外楽しかったから&middo
気がつくと、2人と出会った王魔団の廃城に居た。 カビ臭くジメッとしていて、相変わらず嫌な雰囲気だ。なんとなく気分が悪い。そりゃ、この環境じゃ仕方ないか。 ここに来るのはあの肝試し以来だ。あの時は、こんなにゴタゴタするなんて夢にも思わなかった。アイツらと出会わないほうが良かったのだろうか。 などと、不毛な事を考えている場合ではない。 どちらにしても、ノウェルと宜しくなる気は無い。アイツら2人とだって、添い遂げるわけではないのだ。 奴らに応えてしまえば、はたまた欲求に従ってしまえば、家督を継ぐことができなくなってしまうのだから。 なんにせよ、ノウェルとの関係は修復が難しいだろう。そもそもノウェルと俺が宜しくやるのを、あの2人が今更認めるとも思えない。私用で会うことすら難しくなる可能性だってある。 となると、これまでのように馬鹿な事を言い合ったり、つまらない競走で張り合ったりはできないのだろうな。そう思うと、少し寂しい気もする。 全てが上手く進まない。バカ2人に出会わなけりゃ、俺は快楽に堕ちることもなかっただろうし、今頃童貞を卒業できていたかもしれない。 いかん、また不毛な考えが巡っていた。そう言えば、今は何時なのだろう。あれからどのくらい寝たんだ? まだ外は真っ暗だが····。 辺りを見回すと、少し離れた所にノウェルが転がっていた。きっと雑な扱われ方をしたのだろう。 あの2人は何処だ。不安に駆られ、かろうじて部屋と呼べる区画から出てみる。部屋だったと思しき区切りがいくつもあり、その一画にヴァニルが居た。「おや、目が覚めましたか。おはようございます、ヌェーヴェル」「ヴァニル! お前何考えてんだよ。俺をこんな所に連れてきてどうするつもりだ!?」「ええ、実はこのまま此処で暮らそうかと思いまして」「······はぁ!? 何を馬鹿なこと····ハンッ、くだら
──バァァンッ 勢いよく扉が開かれた。「····っ!? ヴァ、ヴァニル! た、助けて──」「ハァ······ノウェル、私達はこうなる事を恐れていたんですよ。だからこの身を呈して、同族である貴方へあんな愚行を働いたというのに····」「ヴァニル······貴様にどれほど嬲《なぶ》られようと、僕がヌェーヴェルへの想いを断つことなどない! 貴様らにわかるか、この積年の想いが!」 昂るノウェルは、激しい身振り手振りで感情を剥き出しにする。けれど、ヴァニルはそれを鼻で笑い、クッと顎を持ち上げ挑発的に返す。「わかりませんよ。だって、まだ出会って何年も経ってないんですから。ハハ····という事はもう、運命とでも呼ぶべきでしょうか」「おいコラ、煽るんじゃないヴァニル!」「貴様····殺してやる······僕のヌェーヴェルを弄ぶ罪深いお前らを、僕のこの手で····」「ダメだ! ノウェル、落ち着け。お前の手が血で塗れるなど、俺は望んでいない!」 やばい、ノウェルの瞳が深紅に変わっている。このままじゃ、吸血鬼として完全に覚醒してしまう。ノウェルが変わってしまう······。 焦るだけで何もできない。そんな自分の無力さに打ちのめされそうになった時、ヒュンと黒い影のようなものが横切った。それと同時に、俺に跨っていたノウェルが消えた。 影の行先を見ると、ノーヴァがノウェルの首を締め上げ、壁に押さえつけていた。
「ヌェーヴェル····あぁ、僕の愛しいヌェーヴェル。あの2人がいないうちに···さぁ」 俺の頬には手が添えられ、ゆっくりとノウェルの顔が近づいてくる。 「なっ、何だよ!? やめろって····」 俺は必死にノウェルの胸を押し返す。だが、まったく敵わない。 「何って····僕と愛を育むんだよ。照れないでおくれ」「はぁ!? お前っ、狂ってんのか! 照れてないわ!! はーなーれーろっ!」 俺は、全力で押し除けようと試みたが微動だにしない。酔っている所為なのか、血走った眼が恐ろしい。「こんの馬鹿力がっ!」「ヌェーヴェル····僕はね、ずっと我慢してたんだよ? 君が僕に振り向いてくれない事も、あんな吸血鬼共に君が弄ばれている事も、僕にもアイツらと同じ吸血鬼の血が流れている事もっ!!」 ノウェルは歯を食いしばりながら、自らの首を締めて爪を立てる。「お前、知ってたのか。いつから····」「君が10歳になったあの日、君の誕生会で、だ。君が薔薇の棘で指を怪我して、流した血を僕が舐めただろう」 そんな小さな出来事などいちいち覚えていない。そう言ってやりたいのは山々なのだが、切羽詰まったコイツの表情を見ていると言葉が詰まる。「その瞬間だよ、心臓がドクンと跳ね、醜悪な欲求を覚えたのは。君の首筋に喰らいつき、その血を全て啜ってしまいたいような····そんな激しい気持ちが湧き上がったんだ」 俺の所為じゃないか。とんだ失態だ。幼い俺は、それに気づけなかった。 けれど、今なら分かる。こいつの前で、誰よりも俺の血を見せてはいけなかったのだ。「まさか、そんな子供の
あの夜から暫く、甘ったるい雰囲気が続いている。 ノーヴァは暇さえあればご機嫌で傍らに居るし、ヴァニルは無駄にちょっかいを掛けてくるわ絡んでくるわ。いい加減鬱陶しい。 そんな折、めでたく18歳になり成人した俺の、誕生パーティが開催される季節を迎えた。今年は例年よりも少し派手に、そこそこの規模で行われている。 ヴァールス家が経営する製薬会社の薬学課に、いや、父さんの管轄下に置かれ監視されることとなった。以前から顔を出しては手伝いをしていたが、この度正式に籍を置けと仰せつかったのだ。 その記念パーティも兼ねているときたから、無駄に盛大な催しとなっている。「今宵はお集まりいただき、誠にありがとうございます。ヌェーヴェルも漸く──」 息子自慢から始まった父さんの長ったらしい口上を、皆グラスを片手に飽き飽きと聞いている。大人達の張り付いた笑顔が気持ち悪い。 優秀かつ眉目秀麗な俺を、自慢したくなる気持ちは分かる。だが、グラスを落としてしまいそうなほど退屈な長話は勘弁してほしい。「では、ヌェーヴェルからも一言」 ······なんだと。聞いてないぞ。このクソ親父、また勝手なことを!「えー、皆様。毎年、私の為にお集まりいただき大変恐縮です。節目の歳を迎えまして、父から一層の飛躍を期待され荷が重い··というのが正直なところです。はは····ですが、世の為に成果を残せるよう尽力して参りますので、どうぞお力添えを──」 俺は完璧な挨拶を終え、拍手喝采を浴びながら舞台を降りる。そして、父さんのくどい口上を上手く躱し、恙無く乾杯を済ませた。これで今日から、俺も堂々と酒を仰げるわけだ。 俺に群がる女共も増えるわけだが、これまで通り適当にあしらっておけばいい。父さんが絡まない限りは、それでやり過ごせるだろう。 父さんは毎度毎度、何の相談もなく勝手に事を進める。腹立たしい事この上ない。俺が学院の寮に入る事も、父さんの会社に勤める事も
いやまぁ、そうかそうか。ノーヴァにも恋をする心があったんだな。少し安心した。 特殊な生い立ちの所為か、感情が少し欠落していると思っていたのだが、そうか、そうだったのか。良かったじゃないか。 ····いや、何も良くない。ノーヴァに感情が芽生えているのは喜ばしいが、俺の置かれた状況は変わらないのだから。なんなんだ、この無駄なモテ期は。 それにしても、誰より不憫なのはノウェルだ。こいつらの色恋沙汰に巻き込まれた挙句、ヴァニルに嬲られてるんだからな。どうにかしてやらないと。 そんな事を考えていると、ヴァニルがまたとんでもない事を暴露した。 喉を焼くほどの甘さへ到達するには、双方の想いがなければならないらしい。つまりは、両想いということだ。「ちょっと待て。じゃぁなんでヴァニルの喉が焼けるんだ」「おや。やっと気づきましたか」 俺がヴァニルへ想いを寄せていると言うのか。この俺が、こんな変態を? 好きかと問われようものなら、間違ってもイエスとは言わない。なのに、どうして両想いという事になっているのだ。「貴方が阿呆だからですよ、ヌェーヴェル。貴方、とっくに私のこと好きじゃないですか。主に身体が」「なっ!? 心の話じゃないのか」「そうなんですけどね。身体から引っ張られてくる心というものもあるんですよ」 身体を懐柔され、知らぬうちに心までヴァニルの良いようにされていたという事か。言われてみれば、口では拒絶するような事ばかり言っていたが、心から拒絶した事はなかった。 むしろ、コイツらを求めて身体が疼く事もあった。アレはただの性欲だと思っていたが、そこに想いが混じっていたという事だろうか。 いや、そんなはずはない。断じて有り得ない。そんな事があってはならないのだ。それでも、思い当たる節がないわけではないから反論もできない。 コイツの言い分を認めてしまえば、幾らか楽になるのだろう。しかし、俺は難儀な性格をしているらしく、心の整理ができるまでは認められそうにない。 だが──「も
甘い血を求めるのは吸血鬼の本能。ローズが言う恋の成分を含んだもの、それを探知する為の能力らしい。 けれど、ほんのりと甘く絶品なのは片想いの間だけ。両想いになると、喉が焼けるほど甘く感じるようになる。曰く、恋い慕う人間の愛を手に入れる代償なのだと言う。 それはおそらく、人間と吸血鬼が交わる禁忌への戒めでもあるのだろう。混血は禍いをもたらすという、古代人の意味不明な迷信に過ぎないが。現に、ノウェルは特段禍いの種になどなっていないのだから。 だが、より甘くなるなら代償とは言わないのではないだろうか。吸血鬼の感性はよく分からん。「なぁ、なんでもっと甘くなるのがいけないんだ? 吸血鬼って甘いの苦手なのか?」「いえ、本当に喉が焼けるんですよ」「はぁ!? いや、待て。ローズの喉は焼けてないぞ。そんな話、一度も····」 俺が取り乱すと、ヴァニルは不機嫌そうに顔を歪めた。「チッ··ローズって誰ですか? その方の事は知りませんが、きっと喉は焼け爛れている筈ですよ」「そんな事····」 愕然とした俺を見て、歪めていた表情を戻したヴァニル。今度はとても穏やかな表情で、そして、慈しむような声で囁くように言葉を置く。「それでも飲み続けるという事は、よほど番を愛しているのでしょうね」「番って····。つぅか、喉が爛れて飲めるものなのか?」 半信半疑な俺を見て、ヴァニルはフンッと鼻を鳴らした。「まぁ、吸血鬼ですし回復はお手の物ですから」「なるほどな」 納得している俺に、ヴァニルは注釈を添えるように言う。「····ただ、尋常ではない痛みに耐えている筈ですけどね。何度も自ら焼く覚悟、それはもう至極の愛ですよ」 うっとりとした表情を浮かべ、胸の前で指を絡めて語るヴァニル。
──コンコンッ 静かなノックの音に驚く。俺は、ノーヴァにつられて扉の方を見た。「やめておきなさい、ノーヴァ」 いつの間に来たのか、開け放たれた扉へ寄り掛かったヴァニルがノーヴァを制止した。 卒業の機会《チャンス》と覚悟を奪いやがって、と言いたいが、声を荒らげるような雰囲気ではない。ヴァニルの深刻そうな様子に、心臓がドクンと嫌な跳ね方をする。「ヴァニル····どういうつもり? 何邪魔してくれてんの」 ノーヴァが睨みをきかせて言った。けれど、その鋭い視線にも怯む事なく、ヴァニルは意味のわからない事を言い出す。「今のまま彼と交われば、確実に血の味が変わりますよ」「······何それ。そんなわけないでしょ」「まったく、貴方は未だ自覚がないんですか?」 やれやれと溜め息を吐くヴァニル。ムッと頬を膨らませているノーヴァと交互に見て、俺はイラつきをぶつける。「お前ら、さっきから何の話してるんだよ。俺にはさっぱりなんだが」「お前は知らなくていいよ」「え····俺、当事者じゃないの?」「ははっ、しっかり当事者ですよ。それはもうガッツリと」「だよなぁ。そうだよなぁ。で、俺は知らなくていいと?」 ノーヴァは苛立ちながら、何故かまたモジモジし始めた。頬を赤らめて、どういう感情なんだよって表情《かお》をしている。 ヴァニルは、ノーヴァを揶揄うように薄ら笑み、呆れた目を俺たちに向ける。「ヌェーヴェル、貴方は我々の事をどう思っていますか?」「どうって、何だよ唐突に。漠然としてるな····」「ヴァニル、はっきり言いなよ。甘い血は、こ、恋の証なんでしょ」「ふふっ、そうですよ。ノーヴァ、貴方の初恋ですね」「ハツコイ·&mid
ノーヴァは俺に跨り、豊満な躯体をこれでもかと密着させてくる。動揺している俺の顎へ指を掛け、クイッと持ち上げた。「こっちのほうが喜ぶのかなって思ったんだよ。男に興味無いとか言ってたらしいし」「い、言ったけど、そういう事じゃ····」「あ。それとねぇ、昔の約束なんてボク知らなぁい」 普段と変わらない口調なのに、艶やかな微笑を浮かべてねっとりと話すだけで、随分と雰囲気が変わるものだ。 「知ってんじゃねぇか」 呆れて言葉遣いが荒れた。貴族らしい振る舞いを心掛けているのだが、コイツらと関わっていたらつい素が出てしまう。「はぁー··お前さ、何考えてんの? 何がしたいんだ? 俺の尊厳イジめんじゃねぇよ····」「尊厳··か。んー······ヴェルって童貞だよね?」 俺の顔をまじまじと見つめ、溜めに溜めて放った一言がコレ。何なんだコイツは。 何でどいつもこいつも、デリカシーの欠片も無いんだ。そもそも童貞の何が悪いってんだ。くだらない女にくれてやるくらいなら、一生童貞のままでいいじゃないか。「な、なんで知ってるんだよ」「わぁ、本当に童貞だったの? ウケる〜」「····出てけ」「はぁ?」「出てけよっ!! どうせ俺は童貞だよ! 顔が好きだの、中身とのギャップだの、金目当てだのってロクな女がいねーんだからしょうがねぇだろ! 俺だってさっさと卒業してぇよ! でもそんなの好きな女とヤリてぇだろ! 童貞が何だよ、悪いのかよ!?」 あぁ、盛大に心の内をぶち撒けてしまった。終わりだ。絶対に笑われる。もういっそ殺してくれ····「じゃあ、ボクで卒業していいよ」「&mid