翌朝、紗雪は晴れやかな気分で二川グループのビルに足を踏み入れた。今日はシャープなカットの白いスーツを身にまとい、その凛とした装いが彼女の美しさを一層引き立てている。歩くたびに、堂々とした気迫が漂っていた。クビになったからって何だっていうの?この二川紗雪がそんなことで黙っていると思った?二川グループのエントランスに足を踏み入れると、ヒールが床を打ち鳴らし、鋭い音を響かせた。それはまるで、自分の存在を高らかに告げるかのようだった。彼女は迷うことなく俊介のオフィスへと向かった。途中、誰一人として彼女を止めようとはしなかった。受付の女性ですら、彼女の鋭い眼差しに気圧され、声をかけることすらできなかった。「バンッ!」遠慮のない勢いで扉が押し開かれ、室内に鋭い音が響き渡った。俊介は足を組み、悠々とお茶を楽しんでいた。突然の訪問者に一瞬驚いたものの、すぐに皮肉げな笑みを浮かべる。「これは驚いた。二川グループの元社員さんじゃないか。一体どういう風の吹き回し?」嘲るような口調で言いながら、視線にも侮蔑が滲んでいた。紗雪は彼の挑発に一切取り合わず、真っ直ぐデスクへと向かい、持っていた書類の束と録音ペンを乱暴に机上へと叩きつけた。「前田俊介」冷え冷えとした声が室内に響く。鋭い眼差しが、まるで刃のように相手を貫いた。「これで、十分お楽しみいただけるんでしょうか?」俊介は気軽な態度を装いながら書類を手に取った。しかし、ページをめくるにつれ、その表情が次第に険しくなっていく。そこに記されていたのは、横領の詳細な記録、さらにはセクハラの証拠音声。どれをとっても、彼の立場を完全に崩壊させるものだった。彼はわざと軽く笑い飛ばしたが、その笑いには焦りがにじんでいる。「お前、これは何のつもりだ?何かのドッキリ?」紗雪は冷笑を浮かべた。「ドッキリ?私がそんな暇人に見える?」彼を見据えながら、冷たく言い放つ。「あんたの汚い手口、全部洗いざらい調べさせてもらったわ」俊介の顔が一気に険しくなった。勢いよく立ち上がり、指を突きつけて怒鳴る。「小娘......お前、何を企んでやがる!?これは、火遊びじゃ済まねぇぞ!」「火遊び?」紗雪は臆することなく彼の目を真っ直ぐに見据えた。「どっちが火遊びをしている
この二川紗雪は、彼の想像以上に手強い相手だった。俊介の額にはじんわりと冷や汗が滲み、唇が震えて言葉が出てこない。紗雪はそれ以上無駄口を叩くことなく、くるりと踵を返し、俊介のオフィスを後にした。ヒールが大理石の床を叩くたびに、澄んだ音が響く。その音は俊介の心臓を直接叩くようで、彼の苛立ちはどんどん膨れ上がった。彼は椅子に座ったまま、怒りで全身を震わせる。何様のつもりだ?たかが貧乏くさい大学生が、自分の前でいい気になっているだと?考えれば考えるほど、俊介の胸中は煮えくり返った。彼は勢いよく立ち上がると、そのままオフィスを飛び出した。ちょうどその頃、紗雪は社員フロアに足を踏み入れていた。すると、すぐにひそひそとした囁き声が耳に入ってくる。「二川紗雪?なんでここに?辞めたんじゃなかったの?」「さあな、前田部長に泣きつきにでも来たんじゃない?」何人かの社員が顔を寄せ合い、嘲るように笑う。しかし、紗雪はそんな雑音には一切耳を貸さず、ただ自分のデスクへ向かおうと歩みを進めた。その時突然、肩を強く引かれたかと思うと、次の瞬間、頬に焼けつくような痛みが走った。「パシン!」鋭い音がオフィスに響き渡る。「このクソ女!俺を脅すなんていい度胸じゃねえか!」怒り狂った俊介が、歪んだ顔で吼える。獲物を狙う獣のような形相で、彼の瞳は怒りに燃えていた。紗雪が状況を飲み込む間もなく、二発目の平手打ちが飛んできた。激しい衝撃が頬を襲い、頭の中が一瞬真っ白になる。耳鳴りがして、視界がぐらりと揺れた。オフィス内は騒然となった。社員たちは驚愕し、誰もが息を呑んでいた。まさか、俊介が会社の中で堂々と手を上げるとは。紗雪は深く息を吸い込み、込み上げる怒りを必死に抑えた。震える指で頬を押さえながら、ゆっくりと顔を上げる。冷たい瞳が俊介を射抜く。「あんた、終わったな」彼女は一言一言を噛み締めるように、低く静かに言い放った。俊介は鼻で笑う。「終わった?誰を脅してんだよ?お前の手元にあるもんで、俺をどうにかできるとでも?」「言っとくがな、俺は二川お嬢様の側近だぞ?俺に手を出すってことは、彼女を敵に回すってことだ!」紗雪は冷ややかに微笑んだ。「緒莉が?あんたがここまで派手に
オフィスは瞬く間に静まり返り、まるで時間が止まったかのように、全員が目を見開いてこの光景を見つめていた。俊介は床に倒れ込み、腰を押さえながら苦しげにうめき声を漏らし、しばらくの間起き上がることすらできなかった。紗雪は手を軽く払うと、冷ややかな笑みを浮かべながら彼を見下ろした。「この前と同じ私を好きにできると思ってるの?思い知りなさい、私はそんな甘い相手じゃないわ」俊介は歯を食いしばり、痛みに顔を歪めながらも、その目には恐怖と憎悪が混ざり合っていた。まさか、あのか弱そうに見える紗雪が、こんな腕っぷしの強い女だったとは......なんとか起き上がろうとしたが、体はまったく言うことを聞かない。もがき苦しむ彼の姿は、まるで尻尾を踏まれたネズミのようだった。「二川紗雪!貴様正気か!?よくもこんなことを!絶対に訴えてやる!」俊介はヒステリックに叫んだ。紗雪は冷笑を浮かべ、つま先で彼の手の甲を軽く踏みつけた。「訴える?いいわよ、やってみなさいよ。どっちが先に終わるか、試してみよう」その眼差しには冷酷な光が宿り、まるで毒蛇が獲物を睨みつけるようだった。ちょうどその時、騒ぎを聞きつけたプロジェクトマネージャーが駆けつけ、乱れた光景を目の当たりにした。彼は顔色を変え、鋭い声で問い詰めた。「何をやってるんだ!これは一体!」紗雪は足を引き、優雅に手を払った。まるで何事もなかったかのように、落ち着き払った態度で言った。「柴田さん、ご報告です。前田が長年、私を含む女性社員に対して職場でのセクハラ行為を繰り返していました」彼女は周囲を見渡し、驚きや気まずさの表情を浮かべる同僚たちをひとりひとり見つめながら、はっきりとした声で続けた。「前田は日常的に女性社員に対し、不適切な言動や身体的接触を行い、さらには権力を利用して暗に関係を迫ってきました。ここにいる皆さんなら、心当たりがあるはずですよね?」オフィス内にざわめきが広がった。「え?前田がそんなことを......?」「そういえば、新しく入った女性社員にやたらと絡んでたな......」「前からおかしいとは思ってたけど、やっぱり......」ささやき声が次々と飛び交い、驚愕する者もいれば、納得したように頷く者もいた。俊介の顔は真っ青になり、震える指で
同じ頃、二川家の別荘では。贅を尽くしたリビングで、紗雪の母・美月(みつき)は優雅に朝食を楽しんでいた。顔には穏やかな笑みが浮かび、くつろいだ雰囲気を醸し出している。しかし、その静けさは突然響いた鋭い電話の音によって破られた。「もしもし?」美月が電話を取る。「会長、大変です!会社で事件が起きました!」「紗雪お嬢様が前田を殴りました!今、社内は大混乱です。すぐに来てください!」電話の向こうから、柴田の涙声が聞こえてくる。その焦りが電話越しにも伝わってきた。美月の表情が瞬時に険しくなり、しわ一つないはずの端正な顔に怒りが刻まれる。彼女は受話器を乱暴に置くと、まだ手をつけていない精緻な朝食など気にも留めず、バッグを掴んで別荘を飛び出した。二川家は鳴り城でも屈指の名門。美月は昔から世間体や体面を何よりも重んじていた。その紗雪が人前で社員を殴り、会社に大騒ぎを引き起こしたとなれば、彼女の面子は丸潰れだった。美月が慌ただしく会社に到着すると、オフィスはすでに修羅場と化していた。何人かの女性社員が涙ながらに俊介の悪行を訴え、その周囲には同情と怒りの視線が集まっている。一方、俊介は負傷した手を押さえ、青ざめた顔で椅子に座りながら、まだ何かを喚き散らしていた。美月はまず泣いている女性社員たちを落ち着かせ、誠意をもって対処することを約束した。その後、顔を険しくしながら紗雪を会議室へと呼び出した。「何を考えてるの!?会社で人を殴るなんて、二川家の顔に泥を塗る気なの?!」会議室に入るなり、美月は怒声を上げた。その完璧なメイクすら怒りに染まり、険しさを隠しきれない。だが、紗雪は怯むことなく、冷ややかな視線を返した。「私が?彼が女性社員にセクハラをしていたのよ。これは正当防衛よ」「正当防衛?あんなにボコボコにしておいて、それを正当防衛って言うの?」美月は怒りのあまり乾いた笑いを漏らした。「あんたには法律も母親の言うことも耳に入らないの?」「母さん、私はただ、正しいことをしただけよ」紗雪の声は落ち着いていたが、その奥には微かな皮肉が滲んでいた。「それとも、目の前で女性社員が被害を受けているのに、黙って見過ごせっていうの?」「あんた......」美月は言葉を失った。彼女は深く息を吸い込み、
一方、紗雪はアクセルを思いきり踏み込んだ。黒いスポーツカーは矢のように飛び出し、後方には排気ガスの煙がたなびいた。彼女は片手でハンドルを握り、もう片方の手で乱暴に顔を拭った。美月の怒りに満ちた顔、そして辛辣な言葉が頭から離れない。「二川家の顔に泥を塗る気なの?!」「あんたには法律も母親の言うことも目に入らないの?」その言葉は鋭い棘のように彼女の心を深く刺した。紗雪は唇を噛みしめ、さらにアクセルを踏み込む。今はただ、このすべてから逃げ出したかった。息苦しい家から。緒莉をひいきし、自分には冷淡な母親から。清那の家の前に着いたとき、彼女の手のひらは汗でびっしょりだった。清那の家は市内中心部の高級マンションにあり、紗雪は慣れた様子で車を停め、インターホンを押した。「紗雪?こんな時間にどうしたの?」清那がドアを開けると、紗雪の腫れた頬を見て、思わず息をのんだ。「ちょっと!その顔、どうしたの!?誰にやられた?」「母さんは......骨の髄まで緒莉贔屓してた!」紗雪は憤然と水を一口飲み下した。冷たい液体が喉を通るが、胸の奥の怒りは収まらない。「前田のエロジジイに謝れって言われた」清那は紗雪の話を聞くなり、怒りで飛び跳ねそうになった。「は!?あのエロジジイ、会社の女子社員に手を出したの!?しかも謝れだと!?何様のつもり!?」「紗雪、よくやった!アイツには痛い目を見せないと!ジジイのくせに社内で好き勝手やってさ、とっくに制裁されるべきだったのよ!」清那は憤慨しながらも、紗雪の顔をじっくりと観察した。「うわっ、顔がパンみたいに腫れてるし、青あざまでできてる!痛い?」紗雪は気にする様子もなく手を振った。「大したことないよ、ただのかすり傷」「かすり傷!?これが!?顔に痕が残ったらどうするの!?ダメ、薬を塗らなきゃ!」清那は強引に紗雪の腕を引っ張り、薬箱を探し始めた。「もう......確か家に薬箱があったはずなんだけど......どこだっけ?」紗雪は苦笑した。「そんなに大袈裟にしなくても、数日経てば治るよ」「何言ってんの!このままだと明日、外に出られないよ!」清那は頑として聞かず、必死に薬を探し続けた。すると、彼女は突然何かを思い出したように目を輝かせ、手を
京弥は車を飛ばし、一直線に最寄りの薬局へ向かった。店に入るなり、ありとあらゆる消炎・殺菌薬を買い漁り、トランクいっぱいに詰め込む。清那の家に到着すると、紗雪はソファに座り、冷えた水の入ったコップを抱えながらぼんやりしていた。京弥はすぐに彼女の前へと歩み寄り、赤く腫れ上がった頬を見た瞬間、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。「どうしたんだ?誰にやられた?痛い?」その声音は、普段の冷徹な椎名グループの社長とは思えないほど優しかった。紗雪は彼の突然の気遣いに戸惑い、視線をそらしてしまう。「大丈夫。ただの軽い傷よ」「軽い傷!?これが!?」横で清那が大袈裟に叫ぶ。「見てよ、この顔の腫れ方!リンゴみたいになっちゃってるじゃん!私がすぐに冷やしてなかったら、もっとひどいことになってたかもよ!」京弥の顔色がさらに暗くなり、目には深い痛みが宿る。「どうしてこんなことに?痛くないのか?見せてくれ」彼の熱のこもった視線に耐えきれず、紗雪は少し身を引く。「本当に大丈夫なの。大げさなんだから」「これで大げさ?こんなに腫れてるのに?」京弥は呆れたように言いながらも、責めることなく、ただ彼女を心配するばかりだった。清那が京弥を振り返る。「兄さん、薬は?」「車にある。取ってきてくれ」清那は急いで階下へと向かった。しかし、トランクを開けた瞬間、目を疑った。ぎっしりと詰まった薬、薬、薬!軟膏、スプレー、錠剤、消毒液、包帯まで......「ちょっ、何これ......薬局ごと買い占めてきたの......?」唖然としつつも、清那は常備薬の消炎クリームを数箱取り出し、部屋へ戻る。「俺が塗ってあげる」京弥は紗雪をそっと支え、腫れた頬に優しく薬を塗り始めた。まるで壊れ物を扱うかのような、細やかな手つき。紗雪はその優しさに戸惑い、鼓動が速くなるのを感じた。ちらりと京弥を盗み見ると、彼はひたすら真剣な表情で薬を塗っていた。そこにあるのは、ただの心配ではなく、深い愛おしさのようにも思える。心臓が高鳴る。薬の清涼感がじんわりと痛みを和らげる。彼の指先が頬をなぞるたびに、まるで羽毛が肌を撫でるような、くすぐったい感覚が広がる。紗雪は居心地の悪さに顔を背けようとするが、頬の熱が増していくば
紗雪の鼓動はさらに速くなり、頬が燃えるように熱く感じた。彼女はそっぽを向き、小さな声で言った。「本当に大したことないの。ただのかすり傷よ」「かすり傷?」京弥の声には、わずかな怒気がにじんでいた。「こんなに腫れてるのに、かすり傷?何があったのか、ちゃんと話せ」紗雪は少し躊躇ったが、会社で起きた出来事を一つ残らず話した。話を聞き終えた京弥の表情は、見るからに険しくなっていた。彼は無言でスマートフォンを取り出し、アシスタントへ電話をかける。「前田俊介という男を調べろ」その声は冷たく、いつもの穏やかな雰囲気は一切感じられなかった。まるで別人のような、威圧感のある命令口調だった。紗雪はそんな彼を見つめながら、胸の奥で複雑な感情が渦巻くのを感じた。「京弥さん......」彼の袖をそっと引くと、軽く首を振り、疲れたような声で言う。「大ごとにしなくてもいいの。大した被害を受けたわけじゃないし」彼女は、京弥に余計な心配をかけたくなかった。京弥はしばらく黙っていたが、やがて深く息を吐き、彼女の意見を尊重するように頷いた。手元の薬を整え、薬箱に戻すと、優しい声で尋ねた。「まだ痛むか?」指先でそっと、腫れた頬を撫でる。紗雪は彼の手から逃げるように身を引き、首を横に振った。「もう大丈夫よ。ありがとう」京弥は視線を時計へ向けた。もうすぐ正午だった。「お腹空いてない?食事に行こう」紗雪は断ろうとしたが、タイミング悪く、腹の虫がぐぅっと鳴る。彼女は気まずそうに笑いながら、小さく頷いた。「うん」京弥が連れて行ったのは、落ち着いた雰囲気のレストランだった。彼は慣れた様子で何品かのあっさりした料理を注文し、紗雪の好みも細かく確認した。「ここ、よく来るの?」紗雪が何気なく尋ねると、京弥は軽く笑って頷いた。「ああ。以前は仕事の打ち合わせでよく使ってた」ほどなくして料理が運ばれてきた。紗雪は箸を手に取ったものの、食欲があまり湧かない。それを見た京弥は、さりげなく魚の身を箸で取って、彼女の皿にのせた。「これ、食べてみて。ここの料理は新鮮が売りなんだ」紗雪は断るのも悪くて、ひと口だけ食べた。だが、やはりすぐに箸を置いてしまう。京弥は心配そうに眉をひそめ
レストランの外。加津也は、どこかふざけたような態度で、気だるげに紗雪を見つめた。口元には、軽薄な笑みが浮かんでいる。片腕で初芽の腰を抱き寄せ、もう一方の手で無造作にライターを弄んでいた。まるで、何もかもに興味がないかのように。ただ紗雪の向かいに座る男に目を向けた瞬間、その表情がわずかに変わった。一瞬だけ、探るような色が目に宿る。男の顔までは見えなかったが、広い背中と、そこから醸し出される圧倒的な存在感。それだけで、並の相手ではないことが伝わってきた。初芽もまた、加津也の視線を追うようにして、紗雪の向かいの男に気がついた。背中しか見えないにもかかわらず、彼女は直感的に感じ取る。この男は、加津也とも、これまで自分が関わってきた男たちとも違う、と。その空気には、確固たる地位を持つ者だけが持つものがあった。穏やかでありながらも、鋭利な刃を内に秘めたような、圧倒的な威圧感。「加津也、あれって紗雪じゃない?なんであんなところにいるの?こんな高級レストランに入れるほどの身分だったかしら?」初芽は、嫉妬を滲ませながらレストランの中を覗き込んだ。「どうせ、またあの俺のそっくりさんの男に連れてきてもらったんだろ?紗雪もやるな。行って確かめてみようじゃないか」そう言うと、彼女は自信満々にレストランの入口へと向かった。だが、扉を押し開けようとした瞬間、彼女の前に、一人の大柄なウェイターが立ちはだかった。「申し訳ありません、本日は貸し切りとなっております」加津也は眉をひそめ、バカにしたような笑みを浮かべる。「貸し切り?俺が誰だか分かってんのか?西山加津也様だぞ?」そう言いながら、彼は手に持っていた車の鍵をひらつかせた。そこには、ダイヤが散りばめられた豹のモチーフが光っている。しかし、ウェイターは微動だにせず、冷静な口調で返す。「申し訳ありませんが、どなた様であろうと、本日はご案内できません」「へえ〜、紗雪は随分といいパトロンを見つけたみたいね。こんな高級レストランを貸し切るなんて」初芽は、皮肉っぽく笑いながら言った。その目には、明らかな嫉妬が滲んでいる。加津也の顔色が変わった。自分が他人に劣ると言われるのは、彼にとって何よりも屈辱だった。ましてや、それが紗雪のよ
彼は踵を返し、外へと歩みを進めながら携帯を取り出し、匠に電話をかけた。「二川グループの地下駐車場の監視カメラを調べて、紗雪の居場所を探せ」匠は、社長のただならぬ様子に緊張しながら、すぐに電話を切り、作業に取り掛かった。一方、京弥も手を止めることなく、引き締めた唇と険しい眉のまま、ノートパソコンを開き、紗雪の携帯の位置を特定しようとしていた。しばらくして、匠から電話がかかってきた。「社長、見つかりました。二川さんは誰かに連れ去られたようです。場所は……」「西の倉庫だな」京弥が低く声を落とす。「警察を連れて行け。俺も今から向かう」そう指示を出すと、京弥はすぐに通話を切った。匠は息をのんだ。電話越しでも、京弥の怒りが押し殺されているのがはっきりと伝わる。長年彼に仕えてきた匠は、この男がどれほど冷静で、どれほど容赦がないかを知っている。内心で紗雪を誘拐した者たちに手を合わせた。せめて、少しでも運がいいことを祈る。さもなければ、社長の手によって、地獄を見ることになるだろう。京弥の目元は鋭く、身体全体から冷たい威圧感が放たれていた。彼はすぐに車に乗り込み、西郊の倉庫へと向かった。その道中、車は猛スピードで走り抜け、いくつもの信号を無視していた。片手でハンドルを握りしめながら、京弥の心臓は激しく脈打っていた。下顎を引き締め、焦燥感で息が詰まりそうになる。さっちゃん、無事でいてくれ。西の倉庫。紗雪は必死に抵抗していた。林檎と俊介は、そんな彼女を余裕たっぷりに見下ろしている。俊介は携帯を構え、動画を撮影していた。この映像を、そのまま加津也に送るつもりだ。なるほどな。俊介は思った。あの西山加津也って男は、手に入らないなら壊す、そんな考えを持っているらしい。正真正銘の変態だ。紗雪は手足を縛られ、動きを封じられている。粗い手のひらが、彼女の滑らかな肌を撫でるたび、悪寒が背筋を駆け上がった。「触るな!」紗雪は鋭く叫んだ。その瞬間、不意に脳裏に浮かんだのは京弥の顔だった。彼のような男のそばにいるときだけ、わずかばかりの安心感を覚えていた。今、このときほど、彼が現れてほしいと願ったことはない。「へぇ、小娘のくせに気が強いじゃねえか」「こういう
紗雪は周囲の環境を一通り見渡し、自分が誘拐されたことを理解した。彼女は頭の中で状況を整理した。今まで恨みを買った相手なんて、数えるほどしかいない。そこへ俊介が現れると、紗雪の瞳には「やっぱりね」と言わんばかりの表情が浮かんだ。彼女は依然として冷静に相手を見つめ、まるで跳梁跋扈する小物を見ているような目を向ける。その視線を読んだ俊介は、苛立ちを覚えながら彼女の顎を乱暴につかみ、低い声で言った。「その目はなんだ?俺を脅してるのか?」「おい、何か言えよ?」紗雪は鼻で笑い、喉の奥から低く声を漏らした。わずかに視線を落とし、口を封じられていることを示すように顎を動かす。すると林檎が近づき、意地悪く彼女の口の布を剥がした。勝ち誇ったように言い放つ。「どうしたの?会議室であんなに得意げだったのにね」そう言いながら、彼女の頬を軽く叩き、口角を上げる。紗雪は軽蔑するように吐き捨てた。「何?私を誘拐したら二川グループに戻れるとでも?」「それから、前田」視線を彼の手元に向けながら、静かに言い放つ。「今すぐ解放しなさい。さもないと……私がここから出たとき、覚悟しておきなさいよ」しかし俊介は紗雪の脅しに怯むことはなかった。むしろ、こんな状況でも毅然としている彼女の姿に、邪な視線を向ける。その視線に紗雪は嫌悪感を覚えた。だが俊介は、すぐに表情を引き締め、嘲るように口を開いた。「恨むなら、お前が怒らせた相手が悪かったことに恨めよ」紗雪は眉をひそめる。その言葉の意味を考えようとしたが、俊介は彼女の顎を乱暴に放し、手をパンパンと叩いた。すると、外から三、四人のガラの悪い男たちが入ってきた。紗雪の瞳がかすかに揺れる。足元から冷たい感覚がせり上がってくる。林檎の目には狂気が宿る。「え?怖くなった?」「もう遅いのよ。あんたみたいな女、調子に乗るからこうなるのよ」チンピラたちは椅子に縛りつけられた紗雪を見て、卑しい笑みを浮かべた。「へえ、今日はツイてるな」「こんな美人が俺たちの前に転がり込んでくるなんてな」「安心しろよ、お嬢ちゃん。たっぷり可愛がってやるからさ」その言葉を聞いた瞬間、紗雪の瞳にかすかな動揺が走る。彼女は俊介を睨みつけ、声を張り上げた。「やめな
ちょうどいいことに、加津也の命令で俊介はずっと紗雪をどうにかする機会を探していた。口実がなくて困っていたところだったが、まさにこれは渡りに船というものだ。まだすすり泣いている林檎を宥めた後、俊介は少し離れた場所で加津也に電話をかけた。林檎はその様子を見つめ、目を細める。彼女はずっと知っていた。俊介が会社であれほど横暴に振る舞えたのは、二川お嬢様だけが後ろ盾だったわけではなく、もう一人——西山さんという存在がいたからだ。西山さんに頼めば、紗雪はもう終わりだ!一方、加津也は携帯に表示された俊介の名前を見て、苛立ちを隠せなかった。このところずっと二川家の次女の動向を探っていたものの、何の手がかりもつかめずにいた。前回、受付で一度顔を合わせたきり、その後はまるで霧のように姿を消してしまった。思うようにいかないことで苛立っていたところに、俊介からの電話。ますます気分が悪くなる。通話を繋げるなり、不機嫌そうに吐き捨てた。「役立たずめ、なんの用だ?」「お前に紗雪を見張れと言ったはずだが、どうなってる?あいつは椎名のプロジェクトを進めているらしいな?俺がお前に指示したこと、何一つできてねえじゃねえか!」俊介が口を開くよりも早く、加津也の罵声が飛んでくる。しかし、俊介は逆らうことができず、悔しさを噛み殺しながら言葉を選んだ。「西山さん、今回はその相談に来たんです……」「相談?どうせまたくだらない話だろうが、聞いてやるよ。いい案があるんだろうな?」パーティーで恥をかかされて以来、紗雪への復讐を考え続けていたが、なぜか彼女には手が出せない状況が続いている。どうやら背後に誰か強力な存在がいるらしく、送り込んだ手駒はことごとく無力だった。そして俊介。こいつは無能なうえに、会社から追い出される始末。考えれば考えるほど苛立ちが募る。俊介は林檎の件を簡単に説明し、紗雪への恨みを滲ませた。「西山さん、頼みますよ。あの女のことをそこまで好きってわけじゃないですが、俺の女ですよ?このまま引き下がったら、俺のメンツが立たないじゃないですか!」加津也は考え込み、ふと妙案を思いつく。「まあ、黙ってるわけにはいかないな。ちょうどいい、こうしよう……」加津也が言い終わると、俊介は内心震えた。まさか自
林檎は会社から放り出された。ちょうど会社の入り口前、警備員に突き飛ばされるようにして。フロントの受付たちは首を伸ばして様子をうかがい、何が起こったのかと興味津々だ。こんな光景、初めて見る。次の瞬間、警備員たちは林檎の持ち物まで投げつけるように彼女の体にぶつけた。「さっさと消えろ。二度と会社の周りに顔を出すな」そう言い捨てると、警備員は手を払うようにして、軽やかにその場を去っていった。これはすべて、マネージャーからの指示通り。完璧にやり遂げたと満足げだ。長年この仕事をしてきたが、こんなみっともない形で会社を去る人間は初めて見る。ある意味、珍しいことだ。林檎は目の前に立つフロントの二人を見た。彼女たちの視線には、嘲笑と好奇心が入り混じっている。林檎は唇を強く噛み、拳を握りしめると、心の中で復讐を誓った。今日の屈辱、決して忘れない。受付の一人が彼女の表情に気づき、軽くため息をついた。「こんなザマになっても、まだあんな目をするんだね」もう一人は呆れたように肩をすくめた。「ずっとそういう人だったじゃん。地味な格好してたから目立たなかっただけで」「私もさっき聞いたけど、今回の件、パクリが原因らしいよ。それに、前田なんかと関わってたんだって」「なるほどね」二人はひとしきり感想を述べると、外にいる林檎のことなんてどうでもいい様子だった。どうせ会社を去る人間。何を言われようと気にする必要はない。その分、二人の態度はますます遠慮がなくなった。もし以前なら、林檎は何かしら言い返していたかもしれない。だが今の彼女にそんな気力はない。反論することもできず、地面に散らばった荷物を拾い集めると、足取りも重く去っていった。車の行き交う大通りに立ち尽くす。一瞬、何をすべきかわからなくなる。だが、ダメだ。林檎は奥歯を噛み締めた。「二川紗雪……あんただけは絶対に許さない」タクシーを止めると、彼女は俊介の家へ向かった。俊介は会社をクビになって以来、新しい仕事を探すこともなく、時折加津也と連絡を取りながら、紗雪を潰す機会をうかがっていた。そんな彼のもとへ、突然林檎が飛び込んできた。予想外のことに、彼は少し驚いた。「林檎?どうしたんだ?この時間なら、会社にいるはずだろ?」その
「お願いだから許して、二川さん!本当に反省していますから!次は絶対にしないから!」「次?」紗雪は美しい瞳を細め、林檎の必死な懇願にも微塵の情けを見せなかった。彼女は、聖母のような優しさを持ち合わせているわけではない。もし彼女が事前に準備をしていなかったら、今日のこの場で、自分の潔白を証明できただろうか?さらに言えば、今日この標的になったのが自分ではなく、無力なインターンだったら?その子のキャリアは、人生は、もう終わっていたかもしれない。その考えに至った瞬間、紗雪の目の奥に冷たい光が閃いた。「い、いえ違います!二川さん、今回だけです!本当に、これが最初で最後……!」林檎は首を激しく振り、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら必死に訴える。だが、周囲に同情する者は一人もいなかった。それが、彼女のこれまでの人望の結果だった。一方で、円は心の底から痛快な気分だった。紗雪が「黙って」と言ったときは、悔しくてたまらなかったが……まさか、こんな形で決定的な一撃を準備していたとは!紗雪は林檎が掴んでいた自分の服をそっと引き抜くと、マネージャーに向かって静かに言った。「浅井が心から反省しているのなら、彼女にチャンスを与えましょう」林檎は一瞬、希望の光を見た。だが、次の瞬間――紗雪の冷酷な声が響く。「彼女を解雇してください。それと……業界から締め出しましょう」最後の言葉は、一語一語、はっきりと発せられた。林檎の顔から血の気が引いていく。まるで、雷に打たれたかのように、その場に崩れ落ちた。絶望に染まったその表情は、まさに生きる屍のようだった。もう……終わりだ。全てを失っただけではない。業界全体から締め出されるということは、もう他の企業に移ることすら許されないということ。転職の道も、未来も、完全に閉ざされたのだ。マネージャーの目が輝く。確かにいい考えだ。「わかった。その通りにしよう」紗雪は林檎の横を通り、席へ戻ろうとした。しかし、その瞬間、林檎が突如立ち上がり、狂ったように紗雪に飛びかかった。「二川紗雪……!このクソ女!よくもここまで……!!」「お前なんか、地獄に落ちればいいんだ!!」「道連れにしてやるわ!!」紗雪の目が一瞬鋭く光る。素早く身
そう言いながら、林檎は冷笑を漏らした。「ふん、ハッタリでしょ」「証拠を見せなさいよ」紗雪はその挑発には一切取り合わず、淡々とパワーポイントを開いていく。画面に映し出されたのは、まったく新しい企画案だった。それは林檎のものより遥かに洗練され、細部に至るまで完璧に仕上げられている。さらには、すでに芸能人との契約交渉まで済んでいるという詳細な進捗も記されていた。紗雪の冷静な声が、静まり返った会議室に響く。「浅井さんが持っているもの、それは私が初期に作った案のコピー」「でも、最新版はこれです」「温泉リゾートは、高級路線だけではなく、一般家庭のニーズも考慮すべき。だからこそ、私のこの最終案は、より幅広いターゲットに向けて実現可能なものになっています」「さらに、コラボ企画についても現在進行中で、すでに一部の企業と調整を進めています」彼女の説明が終わると同時に、会場に拍手が鳴り響いた。誰もが席を立ち、心からの敬意を込めて紗雪に拍手を送る。その音は、先ほど林檎がプレゼンをしたときのものとは比べものにならないほど大きい。どちらの企画が優れているか、一目瞭然だった。それだけではない。紗雪の案を見た今、林檎がどこから自分の「企画」を持ってきたのか、誰の目にも明らかだった。「まさか、浅井ってこんな奴だったのか……」「そうだよな、普段は目立たないくせに、裏でこんなことしてたなんて」「こんな人間、関わらないほうがいい。根っからの策略家じゃないか」「アイデアを盗むようなやつを会社に置いといたら、次は機密情報を外部に漏らすかもしれないぞ」この言葉を聞いたプロジェクトマネージャーも、ようやく事態を把握したようだった。彼は紗雪に向き直り、まずは祝福の言葉をかけた。「さすが二川さんだ。君の企画は、まるで違っていた」「ありがとうございます、私はただ、自分の正しさを証明しただけです」紗雪は淡々と答えた。「そもそも、これが本来の新企画案でしたから」「それで、こいつをどうするつもりですか?」紗雪の言葉に、皆の視線が再び林檎へ向けられる。その瞬間、林檎は逃げ出したいほどの羞恥に襲われた。紗雪にバックアップがないと踏んでいたからこそ、あんなにも強気に出られたのに……だが今や、事態は完全に彼
振り払った後、紗雪は優雅な仕草でウェットティッシュを取り出し、一本一本、長い指を拭った。その動作が、林檎の怒りにさらに火をつける。気を取り直した彼女は、紗雪に詰め寄り怒鳴った。「二川紗雪!このクソ女!よくもそんなことを!絶対に許さない!」怒りで頭がいっぱいになり、自分が先に他人のアイデアを盗んだことなど、すっかり忘れていた。しかし、その時だった。プロジェクトマネージャーが林檎の腕を引き、落ち着いた口調で言った。「まあまあ、浅井君。ここは職場だぞ。そんなに騒ぎ立てるな」「二川さんにもそれなりの理由があるのかもしれない」この一言で、場の空気が変わった。紗雪は静かに口を開く。「もちろん、理由はあるわ」「浅井さんのこの企画案、もともと盗作なのよ」「嘘つけ!」林檎はまるで最後の砦を奪われたかのように叫び、声のボリュームも一段と大きくなる。「何を言ってるのよ!あんたとマネージャーこそグルになってるんじゃないの!?どうせ後ろ暗い関係でもあるんでしょ!」「ふん、それはどうかしら」紗雪はゆっくりと言葉を継ぐ。「そう言えば、浅井さんと前田さんの関係って、どういうものだったの?」「……何の話よ?」その瞬間、林檎の足元から冷たい感覚が這い上がってくる。紗雪がどうしてその名前を知っているのか、まったく見当がつかない。彼女の目は泳ぎ、紗雪と目を合わせようとしない。その様子を見て、周囲の人々もすべてを察した。今まで紗雪とマネージャーが怪しいと思っていたが、どうやら立場が逆だったらしい。紗雪は紅い唇をゆるく持ち上げ、にやりと笑う。「浅井さん、人に知られたくないことがあるなら、最初からやらないことね」「それとこの企画案も、わざわざ私に全部暴かれたいの?」その場にいた者たちは全員、察しのいい人間ばかりだ。この一言で、何が起こっているのかすぐに理解した。円が思わず声を上げる。「ってことは……紗雪の言う通り、浅井は盗作したってこと?」「でたらめ言わないで!」林檎は紗雪を睨みつける。「証拠でもあるって言うの?」そう言い切れるのは、紗雪が証拠を持っていないと確信しているからだ。だが、紗雪はそんな林檎の心中を見透かしたように、ふっと笑う。「私がこのまま黙っていると思
「この企画は浅井さんにふさわしくないからだよ」紗雪はゆっくりと立ち上がった。精緻な顔立ちは冷淡に彩られ、表情には微塵の動揺もない。まるでサーカスの道化を眺めるかのように、彼女は林檎が舞台の上で滑稽な振る舞いをする様子を見つめていた。林檎は拳を握り締め、怒りをあらわにした。「どういう意味よ?」次の瞬間、彼女の表情は険しく歪んだ。「まさか、私の企画に嫉妬してるんじゃない?だからそんなこと言うんでしょ?この器の小さい女!」林檎は最初、紗雪が立ち上がったのを見て、一瞬だけ怯んだ。だがすぐに思い出した。紗雪のデータはすでに自分が転送済みで、しかも自分が先に発表してしまったのだ。紗雪がどれだけ怒ろうと、先に出した者勝ち。もはや、彼女にはどうしようもない。プロジェクトマネージャーも紗雪の毅然とした表情を見て、目を細めた。心の中で何かを考え込んでいる様子だった。「二川さん、つまり……?」「マネージャー!」林檎は鋭い声で彼の言葉を遮った。「二川さんは今、同僚を誹謗中傷していますよ?彼女の言い分をまともに聞く必要がある?……まさか、マネージャーと二川さん、何かやましい関係でもあります?」この言葉が放たれた瞬間、会議室はざわめきに包まれた。人々の視線が一斉に紗雪とプロジェクトマネージャーに向けられる。元々保守的な性格のプロジェクトマネージャーは、この発言に顔を真っ赤にして憤った。「でたらめを言うな!」「俺は二川さんとは何の関係もない、ただの仕事仲間だ!」だが、彼の激しい反応は、周囲の人間にかえって「動揺している」と受け取られた。人々の目には、一層含みのある色が浮かび、紗雪とマネージャーの関係に疑問を抱く者も出てくる。円は焦って釈明しようとしたが、それを紗雪が制した。彼女は冷笑を漏らし、悠然と歩みを進める。堂々とした姿勢で林檎の前に立つと、彼女の視線を鋭く捉えた。洗練されたタイトなビジネススーツを纏い、凛とした雰囲気を纏う紗雪。対する林檎は派手な服装をしており、その過剰な華やかさが逆に安っぽさを際立たせていた。単体で見ればそれなりに綺麗かもしれないが、紗雪と並ぶと、その格の違いがはっきりと分かる。比べるまでもなく、そもそも土俵が違うのだ。林檎は威圧され、無意識に後ずさる。
紗雪は何も言わず、右手で顎を支えながら、気だるそうに林檎を眺めていた。時折、気まぐれに視線を上げるその仕草は、まるで気品あふれるペルシャ猫のようだった。林檎は紗雪の表情を観察し、その余裕たっぷりな態度に思わず拳を握りしめる。いいわ。今のうちに勝ち誇っていればいい。でも、もうすぐあんたは何も言えなくなる。この企画がなかったら、マネージャーの前で一体どんな顔をするのか、楽しみだわ。林檎は堂々とステージに上がると、少し顎を上げ、自信満々に胸を張る。まるで戦いに挑む雄鶏のようだった。それを見た紗雪は、ただただおかしくて仕方がなかった。林檎がUSBメモリをパソコンに接続し、企画の内容がスクリーンに映し出される。紗雪の瞳がかすかに光を帯びる。やっぱりね。彼女の企画を盗んだのは、浅井林檎だった。だが、紗雪は特に動揺することもなく、ただ眉をわずかに上げ、口元にうっすらと笑みを浮かべるだけだった。まるで林檎の挑発的な視線など、初めから見えていないかのように。林檎は内心で歯ぎしりする。ふん、そんな余裕ぶっていられるのも今のうちよ。彼女は咳払いをし、堂々と話し始めた。「この企画は、ここ数日間、私が考え抜いて作り上げたものです。椎名の高級温泉リゾートは、某ラグジュアリーブランドとのコラボを検討するべきだと考えました。それに加えて、有名なアンバサダーを起用し、リアリティ番組を制作することで、リゾートの魅力を最大限にアピールできます」そう言って、林檎は次のページへとスライドを進める。プロジェクトの具体的な戦略が詳細に説明されると、会議室全体が静まり返った。全員が息を呑み、画面を食い入るように見つめる。まるで現実感がないほどの内容だった。プロジェクトマネージャーですら、思わず口を開く。「こ、これは……浅井君、本当に君が作った企画なのか?」林檎は不満げに眉をひそめる。「マネージャー、それはどういう意味ですか?」「このプレゼンは私が準備したんです。他に誰がいるって言うんですか?」プロジェクトマネージャーは、林檎の自信満々な表情を見つめながら、どこか違和感を覚えていた。この企画、どこかで見たことがあるような……だが、はっきりと思い出せない。何より、今この場で林檎が企画を発表している以