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第七話

Author: おまゆた
last update Last Updated: 2025-01-31 21:00:42

「……ふわぁ……あ?」

「あ、ジセル。おはよう!」

「んあぁ? あぁ……おはよう、レア」

 昨日は流石に疲れたのか、帰宅直後に爆速で眠ってしまったジセル。

「随分とぐっすり寝てたね。もうお昼だよ〜!」

(それはヤバいな。俺が寝たのは昨日の夕方とかだったから……)

「……マジか。う~わ──口がベトベトじゃん……相当爆睡しちまったなぁ」

 口から流れ出た涎は枕に大きなシミを作っている。夕飯も食べずに寝た為、昼に起きた彼はもう既に夕食に加えて朝食も抜いてしまっている。現在進行形で非常にお腹が空いていて、なかなか体を動かす事ができない。

「お昼はどうする?」

 ──ちょっと夫婦みたいな雰囲気を出して言うな。

 と、ジセルは内心でツッコんだ。

「あぁ……食べる」

「分かった! ちょうどランチの時間だから厨房の人に伝えて来るね!」

「あ、うん。ありがとうレア」

(物凄く助かるし、有難いという気持ちでいっぱいではあるが──何故当たり前のようにレアが俺の部屋にいるのか)

 そう困惑した様子でレアの方へと視線を向けるジセル。レアが担当している仕事のメインは一応『ジセル専属の付き添い人』である。ではあるのだが、別に同じ部屋で一緒に寝ている訳ではない。

 幾ら専属と言えど、通常は──主人の部屋に入る際にノックをして『返答がない場合は勝手に入室せず、後ほどまた伺う』というようにしなければならないはずだ。しかし、彼にそのような事をされた記憶などジセルには微塵も無い。

(──一体、俺の世話をどこまで担当しているのだろうか。そう言えば以前も……目が覚めたら既にこの部屋に居た。あの時は初めまして且つ、自己紹介やら……あと他にも色々あったせいで気にする暇が無かったな)

 |昨日《さくじつ》にて──帰宅後、ジセルの眠気が流石に限界だったため直ぐに自室へと向かったが、彼と別れたレアがエリナス夫妻の部屋へと向っていった様子を確認した……というのは鮮明に覚えている。

(……そういやそういう約束でレアをつけて貰ったんだっけ。嘘をつけとまでは言わないが……全てを話すのはやめて欲しいという俺の気持ちをレアは汲んでくれているだろうか)

 ──昼食を食べる時にでも軽く探ってみるかぁ。

 と、自室の扉へと手をかけるジセルであった。

 食卓に着いた彼は長いテーブルにある7つの椅子の内、普段座っている──端から3番目の椅子に座る。

「あら、おはよ〜ジセルちゃん!」

「母上、おはよう」

 彼の父──リオネルはまだここに来てはいない。普段なら既にここに居るのだが、今日は自室に篭って書類整理をしている。

 ──忙しくて来れないのだろう。と、考えたジセルとソフィアは先に昼食をとることにした。

「そう言えばジセルちゃん。今日はルーナちゃんと『べろちゅー』しに行くの?」

「……ブフゥッッ!!」

「あら汚い」

 口に食べ物を入れた瞬間、急にそんな事を宣い始めるソフィア。まるで狙い澄ましたかのようなタイミングではあるが──彼女にはわりと天然な部分がある為、真相は闇の中だ。

「ゴホッゴホッ……あぁ、もうレアから聞いてるんだ」

「そうね、レアちゃんから|も《・》聞いてるわね〜! レアちゃんとお友達になった所からぜ〜んぶ!」

 咄嗟に横を向いたジセルの口から噴き出た食べ物達を素早く片付けるメイド達。彼はその後ろ姿に申し訳ないとは思いつつも、理解したくはないがしなければならない情報を脳内で巡らせる。

(──そっかぁ、そこからかぁ〜! それに『べろちゅー』の事まで話して……あ"ぁ"〜話しちゃうのかぁ〜……仕事だし仕方ないとは思うけども)

 ──まぁ、バレるのも時間の問題だっただろうし……それが早いか遅いかの違いか。

 溜め息を吐きながら、そう結論を出したジセル。

「で、どうなの~? ルーナちゃんと『べろちゅー』しに行くの~?」

「え、えっとー! 別に今日『べろちゅー』をしに行くなんて予定は無いけど……」

(……てかあんま息子に『べろちゅーしに行くの?』とか言うなよ)

 平静を装いながら食べ進めるジセルを見て、その綺麗な顔をみるみるうちにニマニマとしたキモめの笑みへ変えるソフィア。

「あら〜! いいのよ〜? 隠さなくても〜! ジセルちゃんが『べろちゅー』大好きの変態さんでも……ママの大事な息子だって事は変わらないわ〜!」

(『べろちゅー』大好きの変態さんなのは否定しようがないが……それを親に知られるというのは息子の精神衛生上宜しくないんですよねぇ)

 そんな話をしていると──部屋の入口から、仕事を終えた父リオネルが歩いてきた。

「そうだぞ、ジセル。私達の息子である限り……いずれはそういう事も覚えなくてはならない。まぁ、この歳で既に……というのは些か早すぎる気がしないでもないが」

 普段はイケおじフェイスなリオネルが、何故か少々やつれ気味の表情を浮かべている。その銀髪も相まって、ぱっと見たところ老人と認識しても何ら不思議ではない。

「息子の手が早くて──というか相手にお○ん○んがついてるって聞いて、ママちょっとビックリしちゃった!」

(うん、そうだねッ! それには俺もちょっとビックリしちゃったッ!!)

 これには流石のジセルも内心で全肯定せざるを得なかった。

「本当はね〜? 学園に通い始めた後、そこで好きな子とか恋人を作って欲しかったんだけど……」

「え? ……あ、学園」

 ”学園に通い始めた後”の辺りから、瞳孔をガン開きにして嬉しさを隠せなくなったジセルは──

「……えっ俺、学生になるの!?」

「ええ、そうよ?」

(──俺の失われた青春時代を取り戻せるのッ!?)

 と、ここが恋愛ゲーム『プリンセス・ジ・グランドハーツ』に酷似している世界だという事を完全に忘れていた人間の反応を見せるのであった。

「しかしまぁ、そうなると……ジセルとルーナ君はかなりの間、離れ離れになってしまうな」

(どういうことだ? 俺が通うはずの学園は平民でも通えるはず……何せ──ヒロインの一人が平民出身のハイパー天才キャラだからな)

 『プリンセス・ジ・グランドハーツ』のメインとも言える”学園編”──物語の主人公が都市中央部に存在する『セントラム学園』に入学し、伯爵、公爵、領国主の息女達や個性的なヒロイン達との様々な恋愛模様を見れるという部分。ここでは平民出身のヒロインまでもが存在しているのだ。

「私達が都市内で暮らしていたのなら、そこに関しては問題なかったのだが……このエリナス領は中央都市から少し離れた位置にある。同じ様に都市外に住んでいる人間が通う場合、大体の生徒はセントラム学園の寮で暮らす筈だ。当然、お前も卒業までの間……ずっとその学生寮で生活する事になる」

(ほぇ〜! ……なるほどぉ)

「学歴上……そこに通っていたという事実が将来就職する上で有利になるような学校は、エリナス領内にもかなりの数がある。平民であるルーナ君は貴族家の人間であるジセルと違って、わざわざ領外の教育機関……それもセントラム学園に通わなくとも、十分に学ぶことが出来るだろう。相当な理由がない限りは、ルーナ君の両親も領内の学校に入学させようとするのではないだろうか」

(ふむ、離れ離れになるっていうのはそういうことだったのか)

「仲の良い友人と離れるというのは……ジセル、お前も辛いだろうがな」

 ルーナは|狂乱の権化《あんなん》でも、この世界に来た|ジセル《眞》にとって初めての友達だ。このままでは楽しく過ごせるはずの青春時代に会えなくなってしまう。そこに対して、少々思うところがあったジセルは食事の手を止めて思考する。

「そうねぇ」

 その姿を視界の端で捉えたソフィア。ジセルが寂しさを覚えているのだと思ったのか、溢れんばかりの母性と優しさを感じさせるその垂れ目を瞑り、解決策を考え始めた。

「う〜ん……あっ! ジセルちゃんがルーナちゃんの事を誘ってみたら良いんじゃないかしら?」

 するとソフィアは──閃いた! とばかりにパッと顔を輝かせた直後、人差し指を立てながらそんなことを言い始める。

(──さ、誘うって……ナニにッ!?)

「あぁ、確かにそれは良い考えだ! 平民だとかなりの学力がないと難しいが、幸いルーナ君は頭が物凄く良いらしい。普段からジセルが使用している教材と同じ物を提供すれば入学試験に関しての問題はなくなるだろう」

「後はルーナちゃんがヤる気を出して……ご両親を説得してくれれば解決ね~!」

「そうだな。ジセル、上手くやるんだぞ!」

 ──まるで最初からそう考えていたのかと思うほどの棒読みで肯定するリオネル。

(あぁ、一緒に受験させようって事ね。……夫婦の会話の練度が高いからなのか、俺の頭がエロい事しか考えてないからなのか、全く……理由の検討も付かないが、理解するまでに少し時間が掛かってしまった)

 中央都市にはセントラム学園以外にも数多の学校がある。貴族の大体はセントラム学園に入学する事が出来る十五歳までに、専属の家庭教師を雇うか、教材、学習材を収集して自力で学力や作法を身に付ける等という──金で能力を買う手法を良く使っていた。

 対して平民は少ない金額で購入できる教材を厳選し、子供の学力や金銭事情次第で教育機関に受験させるという形だ。『プリンセス・ジ・グランドハーツ』は、このように時代背景がごちゃ混ぜなのにも関わらず──何故か大ヒットしたというのが数ある謎の内の一つとされている。

「私達のような──伯爵家以上の者達は入学が決まってるとはいえ、ジセルの学力が低かった場合はかなり立場が悪くなってしまう。これは、この家の立場もそうだが……ジセル本人の立場としてもだ」

(ふむ、確かに……上級貴族の中でも、エリナス家はポンコツ! とか言われたくないしなぁ)

「たま〜に凄く嫌な子とかいるわよね〜。ま、そういう子を黙らせる為にも……ジセルちゃんには頑張って貰わなきゃね!」

「……う、うん」

(イジメとかされたらと思うとマジ怖い。絶対嫌だ。ボクハゼッタイニツヨクナル)

「最低でも平民の入学者よりは成績を上げて欲しいが……ルーナ君を基準にした場合、一体どうなるのかだな」

 (平民ね……相手はハイパー天才ヒロインだけだと思ってたけど、ルーナもやばいんだった。一日で別人格が生まれたと錯覚する程の知識量を頭に入れられる天才だからなぁ。アレを超え……え、アレを超えるのが最低限なのッ!?)

 普通に考えれば鳴海のような凡人には無理だろう。しかし、前世の記憶を思い出す前の──本来の彼なら余裕だったはずだ。それは、ジセルが現在扱える様々な技術や知識によって証明されている。つまり、やる気を出せばイけるという可能性は十分にある。

 ──やる気を出せるかは怪しいが。

「まぁ、それは追々にしましょ~! ……じゃあ、ジセルちゃん。ルーナちゃんをお願いね?」

 ”ルーナを誘うのやめようかなぁ”などと考えていたジセルだが、母ソフィアから滲み出る圧によって──赤べこの如き首振りを見せるのであった。

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     彼と初めて出会ったのは七年前──私が六歳の頃だった。この日は、父の旧友であるリオネル様と久しぶりの再会を果たせると、嬉しそうな父に連れられてエリナス領まで足を運んでいた。 父が旧友との談笑を楽しんでいる間、私は屋敷の中を探検することにした。広々とした廊下には、格式高い絵画や美しい花瓶が並び、絨毯を踏むたびに柔らかく沈む感触が心地よい。背伸びをしながら額縁に触れてみたり、飾られた騎士の甲冑にそっと手を伸ばしてみたりと、興味の赴くままに歩き回る。 気がつけば、ひんやりとした空気が頬を撫でた。知らぬ間に、裏庭へと続く扉を抜けていたのだ。 庭には鮮やかな草花が咲き誇り、風にそよぐ木々が心地よい木陰を作っている。優雅に噴水が流れる音が響くなか、私はふと、芝生の上にぽつんと座る少年の姿を見つけた。 銀色の髪が陽光を受けて輝き、澄んだ青玉の瞳が手元のカードをじっと見つめている。風に吹かれた髪がさらりと揺れたが、彼はそれを気にする様子もなく、静かにゲームへ没頭していた。その姿に、私は思わず足を止める。「ねぇ、何をしてるの?」 唐突に話しかけると、少年は少し顔を上げた。陽の光を受けて透き通る瞳が、ちらりとこちらを見やる。「カードゲームさ。何やら、父様の友人が家に来ているらしいからね。僕は自ら気を使って遊びに勤しんでるってワケ」 淡々とした口調に、小さなため息まで添えられる。話しぶりからして、彼がリオネル様の息子──ジセル・エリナスなのだろう。「へぇ。剣術より楽しいの?」 彼の隣にちょこんと腰を下ろし、興味深げにカードを覗き込む。 ジセルは肩をすくめると、カードを手の中で切り直した。「それは分からないな。剣術は習ったことがないから」「私もない!!」 勢いよく答えると、ジセルが訝しげにこちらを見た。「……なんでさ、まるでやったことがある人の質問だったのに」 ジセルが呆れたようにこちらを見上げる。私はむっとして腕を組んだ。「パパが私にはまだ危ないからって教えてくれないの。いつもあんなに楽しそうに門下生とかいうのと戦ってるのに……ねぇ、アンタ! 私と勝負しなさい!」 そう言いながら、腰に差していた細剣を引き抜く。 鋼が陽光を受け、きらりと光を反射した。「……いや、何で? そもそもナニで?」「剣術で!」 私は剣の切っ先をぴんと向け、気合十分に構え

  • 〜恋愛ゲームのラスボス転生〜   第十六話

    (図書館で剣を抜くなよ……クソ!) 必死に逃げるジセル。普段の鍛錬のおかげで逃げ足の速さには自信がある彼は、彼女の追跡を振り切り大図書館の外に出ると、そのまま茂みに飛び込んだ。バラの棘が袖を引き裂き、蜘蛛の巣が頬に張り付くのも構わず隠れる。「……どこに行った?」 同じく図書館から出てきた”アデライトの姉”が辺りを見回しているのを、ジセルはじっと隠れながら観察する。彼女の革靴が石畳を叩くリズムが、狩人の足音のように不規則に変化している。 夕焼けが石畳を琥珀色に染め、彼女の腰にある鞘が鈍く光る。やがて諦めたのか、彼女は周囲に咲いている『シビゲル』という花へと注意を向ける。ジセルは蔦の絡まる柱陰へと移動し、彼女の指先がシビゲルの花弁を撫でる様を覗き見ていた。花びらに付いた朝露が、彼女の指に砕けるのが見える。 ──その瞬間、ジセルの脳裏にゲームの記憶がよみがえった。(この花……ヒロイン限定任務に出てきたイベント特効薬の材料じゃないか? たしか主要キャラの名前は──シルヴィア) シルヴィア──『プリンセス・ジ・グランドハーツ』のヒロインの一人。未来の勇者の仲間にして、凛々しき女騎士。(……彼女の母親は病気を患っていて、それを治すには特定の薬草が必要だった。シビゲルという青い花はその主要な材料の一つであり、正しい調合法を知っていれば、効果的な治療薬を作れる) ジセルはそっと茂みから抜け出し、慎重に彼女へと近づいた。「なぁ……君、名前は?」 不意に声をかけると、彼女が驚いて振り向く。すぐに剣を抜かれそうになったが、ジセルは手を上げて制した。「待て待て、敵意はない。ただ、君の役に立てるかもしれないと思って」「何故貴様のような変態如きに私の名前を教える必要がある」「……いいから」 ジセルの真剣な眼差しに、ため息を吐きながら鞘から手を離すシルヴィア。「……シルヴィア・ランスロッドだ」(やっぱり……ヒロインか) シビゲルの花を手に持つ彼女を見ながら、ジセルは内心でそう結論付ける。「──なぁ……その花、大切なものなんだろ?」「……何の話だ?」 警戒する彼女に、ジセルは微笑みながら告げた。「君の母親の病気……それを治す方法を知ってる」 その言葉に、彼女の表情が一瞬揺らぐ。 ジセルは続けた。「この青い花は、治療薬の材料の一つだ。でも、ただ煎じる

  • 〜恋愛ゲームのラスボス転生〜   第十五話

     鋭い金色の瞳がジセルをじっと見据えている。その表情には確固たる意志が宿り、場違いなほどの気迫を感じさせた。眉間の皺が、尋問官のような厳しさを醸し出している。右手の人差し指が剣の鍔を撫でる動作に、長年の剣術修行で培われた無意識の癖が見える。「……俺に何か用?」 とぼけた口調で返すジセル。しかし、声の奥に潜む微かな震えが、本心の動揺を露わにしていた。左手の小指が痙攣するのを、右手で隠すようにポケットに突っ込む。 少女は一歩踏み出し、革靴の踵が石床を叩く音が館内に反響した。書架の影から小動物が逃げ出す音がして、緊迫した空気が更に濃密になる。「妹が『変な銀髪の男を見かけた』と言っていた。何やら領民の小さな女の子へと変態行為を働いていたらしいが……おそらくそれは貴様だろう?」 声の端に刃のような響きを含ませながら、少女は懐から皺になった紙片を取り出す。羊皮紙の端が擦り切れたその資料を広げると、そこには銀髪の人物を描いた似顔絵が──明らかにジセルをモデルにしたと思われる絵が、稚拙な筆致で描かれていた。右目の位置に鼻が描かれたデフォルメが、作者の不器用さを痛烈に物語っている。(身分はバレてないが、身分がバレるより見られてはいけないところを見られてたんだが……!) ──領民の小さな女の子へと変態行為を働いていた……というのは恐らく、ジセルがルーナと『べろちゅー』をしていた時のことだろう。その光景を彼女の”妹”とやらに見られていたのかもしれない。(──いや、ルーナの見た目はほぼ女の子だとしても、肉体の性別的には男の子……きっと別人のことだ、そうであってくれ!) 剣の鍔に触れる指先が微妙に震える。心当たりがあり過ぎるジセルだが、喉仏を上下させて唾液を飲み込み、何とか無反応を保つ。瞼を一度ぱちりと閉じ、過去の失敗を脳裏に再生する。「その絵……誰が書いたの? めちゃめちゃヘタくそだし、俺だって判別できる要素はないと思うんだけど&hell

  • 〜恋愛ゲームのラスボス転生〜   第十四話

    ──『レア夜這い事件』から一週間が経った。 ジセルは異世界の風に身を任せ、かつての記憶を仄めかすように静かに歩を進めていた。靴底が砂利道を軋ませる音が、領主邸を離れた解放感を強調するかのように響く。「勉強漬けなのも疲れるし……たまには気分転換でもしないとな」 セントラム学園に入学すると決めてからというもの、彼の生活は勉学と鍛錬の繰り返しだった。 ──記憶を思い出す前のジセルは更に多くの勉強と鍛錬を求められていたというのは、しっかりと脳内に刻まれているため、今のジセルが無責任に放り出すのは憚られる。領主の息子であるという重い秘密を胸に秘めながら、自らの過去を隠し、広大な領地の片隅を彷徨うように歩く。左手で懐中時計を開け確認する仕草に、元の世界の名残が滲んでいた。 銀色に輝く髪が陽光を浴びてきらめきながらも、その哀愁を帯びた色彩は、彼の内面に渦巻く葛藤を映し出すようだった。ふと指先で髪の毛を撚る癖が、無意識の焦燥を物語っている。「クソ、失敗だった…………あれからほぼ毎日、寝る前のハグをする羽目になったから無駄な精神疲労の原因が増えたわ」 ふと顔をしかめ、ジセルは先日の一件を思い出す。額に浮かんだ皺が少年の年齢を不自然に老けさせた。 ──あの"レア夜這い事件"の結果、彼の平穏な夜は消し飛んだ。あれ以来、妙に距離感の近い夜が日常化し、精神的な疲労は増すばかりだった。夜毎に押し寄せる甘い香りと体温の記憶が、今も後頭部を鈍く疼かせる。 彼はため息混じりに視線を上げる。首筋に絡みつく初夏の湿気が、領主邸を離れた実感を曖昧にしていた。 薄曇りの空の下、木々のざわめきが風に乗って響く。その音に導かれるように、ジセルは街道の脇に広がる茂みを抜け、やがて見慣れた建物へと足を踏み入れた。石畳に刻まれた深い轍が、この図書館が多くの知識を求める者たちに利用されている証左だった。 ──大図書館。領地の外からも多くの者が訪れる、知識の宝庫である。尖塔を思わせるゴシック様式の建築物が、知識の重みを無言で表現していた。外壁を覆う蔦が年月を刻み、ステンドグラスに描かれた賢者の図像が薄日を受けて幽かに輝いている。「魔法関連の書物は見飽きたし……剣術系統のモノを読んでみるか」 館内は静寂に包まれていた。分厚い書物をめくる音、遠くで囁き交わされる低い会話の声が、静謐な空間に溶け込ん

  • 〜恋愛ゲームのラスボス転生〜   第十三話

    「……実は僕の家族、もう皆死んじゃってるんだ」(アァ、まっずい! 数ある可能性の中で一番重いヤツ来た!)「文字通り天涯孤独になっちゃった僕は、両親が残してくれた貯金を切り崩しながら生活してたんだけど……その貯金も底をついちゃって、住んでた家まで売って無理矢理お金を作ったんだ」 レアの頬がジセルの肩口で微かに動く。涙の痕ではなく、かすかな笑みの形を作っているのが痛々しい。(……なるほどな。暫くはそれを使って仕事を探しながら生活してた訳か) 当時は今よりももっと幼かっただろう……仕事の探し方すら分からなかったから、とりあえず食べる為に家を売ってしまった……という可能性もある事に気付いたジセルは、無意識にレアを抱く力を少しだけ強める。「そのお金も無くなりそうになっていた時、僕は運良くソフィア様に拾って頂いたんだ。どうやら僕が一人で家を売る所を見てくれていたみたいで」(ほぇ~、そうだったのか~……ん? それって、雇い主は母上になる訳だから……俺がレアをクビにするなんて事は出来なくね? 俺の我儘でレアを見殺しにするような選択を母上が取る筈ないし)「ここは住み込みで働ける上に、ご飯も食べれる。もしも出て行くことになってしまったら、何処にも行く所がなくなって……また前の生活に戻る事になる。でも、そうなったら多分……僕はもう生きる為に頑張れない」 そう断言するレアの言葉を聞いて……ジセルは無言のまま思考する。「……」 幼い身でありながら……突然、天国から地獄へと堕とされ、そしてその地獄から奇跡的に這い上がって来る事が出来たのにも関わらず、また落とされるなどという事になってしまったら……レアの身に襲い掛かる絶望は計り知れないものになるだろう。「だから、何としてもクビになる訳にはいかなかったんだけど……うぅ」 想像した最悪の事態への不安から、身体が震えてしまうレア。(初めて経験する事への我慢は難しいからな。この様な状況になった今、これからはその辺の自制はちゃんと出来るようになるだろう)「なるほど……それならまぁ、これからはそんな悩みを抱く必要はなくなるな」「……え?」 そんなジセルの言葉を聞いて、驚きからか身体をビクッとさせる。「まず……雇い主が母上である以上、俺が直接お前をクビにする事は出来ない。そもそも俺がお前をクビにしたいと思う事自体……今まで

  • 〜恋愛ゲームのラスボス転生〜   第十二話

     薄明かりが差し込む静かな部屋。窓の外では夜風が微かに木々を揺らし、その音が遠くから届く。ジセルの低く鋭い、そして少し照れを含んだ声が、夜の静寂を切り裂くように響く。「俺が寝ている間にするんじゃなくて、起きてる間だったら……ハグまではさせてやってもいいぞ」 その言葉には、不意に混じった照れ隠しのような気持ちが滲んでいる。ジセルは少し顔をそらし、耳がほんのり赤くなっているのがわかる。それでも、口元にはどこか余裕を感じさせる微笑みを浮かべていた。(日頃のストレスは、ハグだけでもかなり解消されると実証されているらしいし……別にソレ自体は良い。『べろちゅー』で口の周りどころか枕までベトベトにされるよりはマシだ。問題は、加減をしてくれないせいで朝起きた時に俺の身体がバキバキになる可能性がある事。それも、力加減をレアに任せるんじゃなくて俺側が調整すれば解決できる)「ほ、ほんとにッ!?」 その返事にレアの顔が一瞬で輝き、驚いたような声をあげながら無防備にジセルの目の前に顔をズイっと寄せる。満面の笑顔でジセルを見つめる彼の目はキラキラと輝き、無邪気な期待と興奮が溢れていた。「あ、あぁ」 ジセルは何とか冷静を保とうとしたが、思わず声が少し震える。レアのあまりにも近い距離に、心の中で少し焦りが広がる。レアが急に大きな声を上げたことで、ジセルはつい表情を崩しそうになりながらも、彼の突き出された顔に目をそらすことなく──ほ、本当だ……と、言葉を続けた。(うむ、この食い付き方は前に一度見たから今度は驚かなかった。おれえらい。まぁ、正直こんなに可愛い子と『ハグ』するなんて事は……本物の変態であるこの俺ならば、例え相手にお〇ん〇んが|ついていた《・・・・・》としてもッ! 余裕でこちらからお願いするレベルではあるッ! その上……レアがして欲しいって言うのなら仕方がないよなぁ?)「じゃ、じゃあ、さささ早速っ──」 ──と元気いっぱいに宣言するレアの目はキラキラと輝き、ハグを待ちわびるその顔に、今までの迷いや戸惑いは影を潜めていた。ジセルは一瞬、目を閉じ、しばらく静かにレアの様子を見つめた後、勢いよく彼を抱き締める。 抱擁が落ち着いた瞬間、ジセルは温かさを含んだ声で呟く。「…………お前は見習いなのに、いつも頑張っているな」 その言葉に、レアは急に困惑の表情を浮かべ、震える声で

  • 〜恋愛ゲームのラスボス転生〜   第十一話

    「──さて、レア君。何をしているのカナ?」「はぁ……え?」 目の前に現れたジセルの顔に、レアはふと戸惑いの色を浮かべる。ジセルはどこか冷徹でありながらも、どこかいたずら心を滲ませる口調で返す。「こんばんは♪」 その声に、レアは一瞬にして体が硬直する。慌てた様子で、レアは口ごもりながらも問い返す。「こ、こんばんは……って! え、お、起きてる?」「ウン、そりゃ起きてるヨ。寝言でこんな事言わないヨ」「……ご、ごめッ! これは、違くてッ!」 ジセルはゆっくりと掌を動かし、ベッドシーツの乱れた皺を丁寧になぞるように伸ばしながら、レアの動揺する表情をまるで解剖するかのような冷静な眼差しで観察していた。壁際に映る影が、レアの背中に罪人の烙印のように濃く刻まれているかのようだ。(ふむ……何かを誤魔化す時に大体『違くてッ!』ってセリフを言うのは、フィクションの世界だけじゃなかったんだな) ジセルは無言のままじっとレアを見据える。その眼差しに、レアは次第に言い訳の言葉を飲み込み、肩を落として項垂れるようになった。「うっ……い、いつから起きてたの?」 レアの震える声にジセルは一瞬の間を置くと、冷静な口調で答える。「『ジセルばっかべろちゅーできてズルい……僕だってしたいのに』とかいうセリフのちょっと前からだな」 それを聞いたレアの顔は一気に赤く染まり、恥じらいと苛立ちが交錯する表情を浮かべた。「え、それって……最初からじゃないかぁ〜ッ! 起きてたなら言ってよ!」 ジセルは軽くため息をつくような口調で問い返す。「……言ったとして、今お前がここにいる事をどう誤魔化すつもりだ?」 レアは言葉を失い、口ごもるばかり。ようやく、震える声で呟く。「ぐっ」「どっちにしろ『べろちゅー』も出来なくて、苦しいままお前は自室に戻る事になるなぁ〜?」 ジセルの言葉は冷徹ながらもどこか茶目っ気を帯び、レアの内面に潜む欲望と葛藤を容赦なく突きつける。レアの体は次第に抵抗できぬ衝動に震え始め、心の奥底で押し込めた感情が噴出しようとしているかのようだ。「うぅ」「で、次の日とかに……完全に俺が眠った後で発散しに来るつもりだったんだろうが。そうなったとしても……夜、俺に対してレアが何かしてるっていうのは、ちゃんと分かるぞ?」 ジセルの一言一言が部屋に響くたびに、レアの顔は次第に

  • 〜恋愛ゲームのラスボス転生〜   第十話

    「ごちそうさま」「あら〜? 今日はジセルの大好きな、えーっと……『チキン南蛮?』なのに、もう食べないのぉ〜?」 父リオネルは今、書斎で仕事に没頭している。その為ジセルが食卓のある部屋に戻ると、母ソフィアはひとり静かに夕食を済ませなければならない。そんな状況を憂うように、ソフィアはどこか寂しげな表情でジセルに声をかける。(確かに俺はチキン南蛮が大好きだ。前世の世界で、赤坂の〇ん〇んでんというお店のチキン南蛮を初めて食べた時の事は……今でも忘れられない。あれはまるで、心の奥底から『食ってみな、飛ぶぞ!!』という熱い衝動が溢れ出すほどだった)「ごめん、ちょっと今日は疲れてて……できれば早めに横になりたいんだ」(だが今日は何故か全然食欲が湧かない。母が食べ終わるまでここで座って待っていてもいいが……起きていると脳内に近頃の様子がおかしいレアの映像が浮かび続けるため、早めに寝たい) ジセルは寂しげな表情を浮かべる母と、皿に残されたチキン南蛮に一度だけ視線を向けると──心の中で小さな葛藤を抱えながらも、後ろ髪を引かれる思いで部屋の入口へと向かう。「そうなの〜? ならしっかり休んで、ルーナちゃんが来る時に備えないとねぇ〜」 ソフィアの温かい声がやや物憂げな夕暮れの空気に溶け込む。そしてジセルは──その言葉だけは聞き流すように、静かに足早に歩き始めた。****** 廊下に出ると、ジセルの足音が硬い床材に響く。夕陽が窓から差し込み、長い影を廊下の壁に映し出している。かすかな風が通り抜け、時計の針の音とともに、彼の心のざわめきを映し出すかのようだった。    心の中では昼間の出来事の記憶が静かに渦巻き、未来への不安とともにじわじわと広がっていた。彼の肩は重くどこか疲れた表情を浮かべながらも、先へ進む決意を秘めているのが感じられる。 ジセルは部屋と部屋の間にある広い廊下を通り抜けた。廊下の先には幼い頃から見慣れた自室のドアが控えており、そのドア越しに静かな光と、どこか安心感を呼び覚ます温もりが漏れている。 ドアの前に立つと、ジセルは一度深く息を吸い込んだ。心の中で今日の出来事を整理しようとするかのように、彼は手でドアノブに触れ、そっと開ける。中に入ると、薄暗い照明が部屋全体に柔らかな影を落とし、机の上には散乱した受験参考書やノートが、今にも彼の思考を吸い込

  • 〜恋愛ゲームのラスボス転生〜   第九話

     ジセルの部屋は、柔らかな午後の日差しが窓から斜めに差し込み、埃がキラキラと舞う中、どこか懐かしく温もりを感じさせる空間になっている。壁には今より幼い頃の写真や思い出の品々が飾られ、木の温もりを感じる床には、日常の静けさと共に、どこかしら不穏な期待が漂っている。  そんなことはさておき──先程からレアの様子がおかしい。「ふんふふーん♪」 ルーナが来るまでの間、ジセルはこの部屋で静かに待機していた。いつも通りの自室、見慣れた風景──だが、今日の空気は普段とは違っている。何故かレアが、部屋の隅々まで目を輝かせながら鼻歌を奏でつつ掃除を始めたのだ。その姿は、部屋に降り注ぐ柔らかな光と相まって、まるで春風に誘われた花びらのように軽やかだった。「お〜お〜随分とルンルンしてるなぁ、レア。めちゃめちゃ上機嫌じゃないか?」「え〜? そうかな? ふふっ」 ──やべぇ……やべぇよぉ! ジセルの胸の中で、どうしてこんなにも異様な空気が漂うのか理解し難く、不安と苛立ちが渦巻いている。 相手の心の奥に何が潜んでいるのか、全く読めない。こんなにも機嫌が良いレアは、決して慣れ親しんだ姿ではない。(一体何がそんなに楽しいんだよ、こいつは! レアがこんなんになっちまう事なんて、今までに無かっただろうがッ!) ジセルの心臓は不規則なリズムを刻みながら、警戒と戸惑いで大きく膨れ上がっていた。「ル、ルーナが家に来る事がそんなに嬉しいのか?」「へ? ふふっ、なんでルーナが来ることで僕が嬉しくなると思うの? あははっ! ジセルったら、面白いこと言うね! あ〜おかし!」(……おかしいのはお前だよバカっ!!) レアの言葉に、ジセルの心の中では怒りと不安が交錯する。(どう考えても、レアは普段この程度事で笑い転げるような奴じゃない。どこも面白くない事で腹抱えてるお前の方がオモ……いや、もはや冗談でもオモロいなんて言えないわ。正直怖い、非常に怖い!) 部屋の窓からは、木々のざわめきと遠くで聞こえる鳥のさえずりが、平穏な午後のひとときを彩っている。しかしその平穏さとは裏腹に、ジセルは今──自分の内側で荒れ狂う感情を抑えきれずにいた。「そ、それにしてもルーナ遅いなぁ? 別れてからもう数時間は経ってるし。あまりにも時間がかかりすぎだと思わないか?」「う〜ん、確かにそうだね。もしかしたら今日

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