隼人は、私に婚約者がいるという事実を、どうしても受け入れられないらしい。 慎也が、静かにその言葉を遮った。 「もういいだろ。別れた相手をいつまで縛ると思う?」 「はっ、8年だぞ、8年。8ヶ月じゃない。お前にわかるはずがない。そもそもお前ら、知り合ってどれだけだ?結局、俺の代わりでしかないんだよ」 隼人は鼻で笑いながら皮肉を飛ばす。それに対して慎也も、ピシャリと言い返した。 「で?8年付き合って、尻尾振ってすがるだけの男よりマシだな。悪いけど、彼女と結婚するのは俺だ」 言い負かされた隼人は、私に向き直った。 「結月、お前、そいつのことどこまで知ってるんだ?こんなすぐに結婚決めるなんて、どうかしてる。そいつの立場で、たった数回しか会ってない女と結婚なんてするか?俺は聞いたんだよ。そいつ、今まで誰とも付き合ったことないって。それって、どこかおかしいからじゃないのか?あんなの、お前に結婚という名の仮面をかぶせてるだけだ!」 私はひとつ、ため息をついた。 「あんた、間違ってる」 高校に入ったばかりの頃、「藤沢慎也」って名前は何度も耳にした。けど、当時の私は、ただの噂程度にしか思ってなかった。 実際に彼を見て、初めて気づいた。あのときの評判じゃ全然足りない。そんな男だった。 私は遥との関係で、彼と何度か顔を合わせた。その後、生徒会でも少しの間、一緒に活動した。 人を好きになるのって、本当に一瞬だったりする。ひとつのしぐさ、ひとつのまなざし。 それだけで、心に深く刻まれてしまうこともある。 私にとっての慎也は、まさにそうだった。 彼と関わるあいだ、私はずっとその想いを胸の奥に隠していた。 遥にさえ、一度も話したことはなかった。 やがて彼は卒業し、最難関の大学に進学した。 私はただ静かに応援することしかできず、 たまに遥の話の中から、断片的に彼の近況を拾い集めていた。 高校から大学にかけて、私に好意を寄せてくれた人は少なくなかった。 でも―― 最初に好きになった人が完璧すぎた。 そのせいで、その後に出会った誰にも、心が動かなかった。 そして、大学二年のある日。 彼が海外に行くという話を聞いて、私はようやく気づいた。 ……私たちは、もう交わることのない道を歩いているのだと。
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