「由美、健二はもう歩けなくなってしまったのよ。このまま若い人生を棒に振るのはもったいないわ。離婚を考えてみたら?」目を開けた時、義母は台所で料理を作り終えたところだった。鏡に映る若かりし日の自分の姿、お気に入りの花柄のワンピース姿を見て、私は確かに過去に戻ってきたのだと実感した。前世では、母のために高価な漢方薬を買い、急な出張で健二に届けてもらった。その帰り道で事故に遭い、下半身が動かなくなったと聞かされた。診断書を見た時は、この先どうなるのかと途方に暮れた。義父は涙を流し、夫の佐藤健二は暗い表情を浮かべていた。ただ義母だけは私との離婚を勧めてきた。まだ若いのだから、寝たきりの夫の介護に人生を費やすべきではないと。義母も波乱の人生を送ってきた。義父は健二が二歳の時に聴覚を失い、それ以来働けなくなった。義母は一人で家計を支えてきたのだ。前世では、義母のその言葉に胸を打たれ、涙ながらに決して離婚しないと誓った。そして私たちの生活は一変した。義父が家で健二の世話をして毎日リハビリに付き添い、私と義母は遠方で働いて生活費を稼ぐ日々が始まった。健二の手術費用と、その後毎月かかる三十万円のリハビリ代を工面するため、私は実家からもらった家と車を売り払い、安定していた会社を辞めた。義母と一緒に、給料は良いものの社会保険のない】工場で働き始めたのだ。私と義母は一日三つの仕事を掛け持ちした。朝は牛乳配達、昼間は工場で十二時間の重労働、夜は宅配便のバイト。古びた六畳一間のアパートで暮らし、肉も果物も贅沢過ぎて手が出せなかった。百円のパンに五十円の素麺、百円の漬物だけが私たちの一ヶ月の食事だった。そんな過酷な生活に耐え切れず、義母は数年後に息を引き取った。私も健二が体が不自由になってから十年後に乳がんが見つかった。幸い初期だったが、もう治療する気力さえ残っていなかった。最期に一度だけ健二の顔を見たくて家に戻った時、目を疑うような光景が広がっていた。健二が若い女と楽しげにダンスを踊り、義父はカラオケマイクを片手に上機嫌で歌っていた。その瞬間、全ての謎が解けた。健二の体の不自由も、義父の聴覚障害も、全てが芝居だったのだ。血の滲むような思いで貯めた金を返すよう懇願したが、健二は逆に離婚を切り出
最終更新日 : 2024-12-18 続きを読む