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過去を越えて――南城の記憶 のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 7

7 チャプター

第1話

数日前、友人から彼女がイギリスから戻ったことを知らされたばかりだった。 扉越しに想像してしまう。二人が寄り添い、交わる視線や呼吸。 なのに私はその場で立ち尽くしていた。 つい最近、彼は私を家に連れて帰り、「盛大な結婚式を改めてしよう」と約束してくれたばかりだった。彼は「これからは君を大事にする」と言ってくれたのに。 月島麗華(つきしま れいか)が去ったこの6年間、私は彼と彼の娘を支え、影のように寄り添ってきた。 6年かけて、やっと私に約束をくれたのだ。 でも――今、その6年間はただの冗談に思える。 私は結局、代わりでしかなかったのだ。 代わりに過ぎない私。本物が帰ってきたなら、きっと身を引くべきなんだろう。 そんなことを考えながら、真白(ましろ)の小さな手を握りしめていた。 彼女はまだ小さく、こんな光景を見せるわけにはいかない。 私は真白を連れてここを離れ、家に帰りたかった。 だけど、彼女は私の手をぎゅっと握り、柔らかい声で尋ねた。 「ママ、なんでずっとドアの前に立ってるの?入らないの?」 その声はオフィスの中にも届いたようだった。 中から慌てた様子がわずかに伝わってくる。 私は小さな声で答えた。 「ママ、今日はちょっと用事があるから、先に帰ろうか?」 「でも、パパに挨拶しなくていいの?私、パパに会いたい!」 仕方なくため息をつき、明るく見えるよう努めながら言った。 「じゃあ、真白だけ先にパパに挨拶してきなさい」 ドアを押し開けると、彼らは既に何事もなかったかのように装っていた。 麗華はソファに座り、ちらりと私を見ただけで微動だにしない。まるで羞恥心などないかのようだった。 赤い口紅が際立つその顔立ちは攻撃的で、全身から放たれる魅惑のオーラ。 彼女を何度か見たことがあるけれど、やっぱり思った。 ――これなら誠一郎が惹かれるのも無理はない。こんな女性に平常心でいられる人なんているのだろうか。 「真白、幼稚園はどうだった?」 御影誠一郎(みかげ せいいちろう)は手にしていた書類を下ろし、冷たい口調で真白に声をかけた。 まるで先ほどの出来事が存在しなかったかのように。 彼は本当に私が何も知らないと思っているのだろうか? 私は心の中で皮肉めいた笑みを浮かべ
last update最終更新日 : 2024-12-02
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第2話

「お礼なんていりません。真白も私の娘です。一緒に過ごしてきた時間で、もう家族同然ですから。欲しいものなんてありません」 私は冷たい口調で答えた。 麗華は予想外の返答だったのか、顔色を一瞬で蒼白にした。 「ごめんなさい、ちょっと用事があるので失礼します」 そう言い残して、振り返ることなく息の詰まるようなその場所を立ち去った。 この6年間、誠一郎は必死に働き、ゼロから始めた事業をいくつも成功させ、今では複数の会社を経営している。 その間、私は彼を支えるために真白を育ててきた。 私の彼への想いは、彼にとって一体どんな意味があったのだろう? 初めての育児に戸惑い、ネットで子どものあやし方を調べた。 真白が数か月の頃、栄養失調になりかけた時には、栄養レシピを学んで一生懸命作った。 1歳の頃、真夜中に高熱を出した時――誠一郎は出張中で連絡がつかず、私が夜中の病院へ彼女を連れて行った。 誠一郎が私にしたのは「結婚しよう」というプロポーズではなく、ただの「一緒にいよう」という一言だけだった。それだけで私は彼の傍にいることを決めたのだ。 それなのに、後になって私はある写真を目にした。 写真の中の女の子は、無邪気に笑っていた――その瞬間、気づいてしまった。 なぜ彼が私を選んだのか。 それは、私が麗華に少しだけ似ているからだ。 私たちの結婚式は小さなもので、親しい親戚だけを招いて行われた。 両親はこの結婚に反対だった。 母は、私をじっと見つめながらこう言った。 「この人と結婚しても幸せにはなれないわよ」 それでも私は、どうしても彼と結婚したかった。 「私は彼と結婚したい。だって、私が愛しているのは彼だけだから」 その言葉を聞いた家族は、もう何も言わずに私を諦めた。 父は激怒し、その夜に心臓発作を起こして緊急搬送された。母は父の介護で体を壊し、後遺症が残った。 その時、私は家に帰らなかった。 真白が私を必要としていたから。 私がそばにいないと真白はご飯を食べようとしなかった。 冷たい風が頬に痛い。気がつけば涙が止めどなく溢れていた。 私は遊園地へ向かい、真白が楽しそうに遊ぶ姿を見つけた。 急いで涙を拭い、笑顔を作る。 「ママだ!」真白が私に気づき、嬉しそうに駆け寄ってくる
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第3話

ずっと昔、私は誠一郎に恋をしていた。 あの頃の私はただの平凡な高校生。 対する彼は「完璧な子」そのものだった。成績優秀で、顔立ちも整っていて、どこか遠い存在。 ほんの一瞬、遠くから彼を見ただけで――心が震えた。 若さゆえの淡い恋心は、音もなく芽生え、ただひたすらに膨らんでいった。 噂で聞いた、彼には幼馴染がいると。名前は月島麗華。 彼がその幼馴染をどれほど大切にしているかも聞いていた。 私は心底、麗華が羨ましかった。 何もしなくても、彼は自然と彼女の方へ歩み寄るのだから。 私は――誠一郎の体調を気遣うためだけに、甘やかされて育った自分を捨て、家事を一から学んだ。 彼のために、彼の好物を作れるようになりたくて。 初めて彼の好きな料理を作った時、フライパンに残っていた水が原因で油が跳ね、大きな火傷を負った。 腕にできた傷を見て、激痛に涙したあの日を今でも覚えている。 その傷を見るたび、今の私は皮肉に笑いたくなる。 この6年間、私は何を得たというのだろう? 唇をきつく結び、溢れそうになる涙を堪えながら、スマホで打ち込んだ。 「特に何も。ただ、明日は真白の幼稚園の保護者会があります」 私は本当に、この場所を去るべきなのだと思う。 麗華が帰ってきたのだから。 誠一郎はもう私を必要としないだろう。 真白の部屋に入ると、そっと窓を閉め、毛布を掛け直してその額に軽くキスをした。 「真白、これからもいい子で育ってね。 たとえ、ママがそばにいられなくても」 部屋の薄暗い灯りに照らされながら、できる限り静かに動く。彼女の眠りを邪魔しないように。 私は結婚証明書を取り出した。 丁寧に保管していたそれは、ビニール袋に包まれていて新品同然だった。 そして、その隣に置いた離婚届――麗華が戻ると知った日から準備していたもの。 すべてが終わりを迎えるのだと、改めて実感した。 深夜、玄関の鍵が開く音が聞こえ、誠一郎が帰ってきた。 私はキッチンに立ち、水を一杯用意する。 「真白は寝てるから、静かにしてね」 そう言って、彼に水を渡した。 彼が一口飲んだところで、私は静かに立ち上がり、寝室から離婚届を持ってきた。 「これに目を通して。問題がなければ、サインしてほしい」 彼は
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第4話

久しぶりに自分の家でぐっすり眠った。 これまで、真白を学校に送ったり、家事に追われたりする日々が続いていたけど、今はひとり。自由な時間がたっぷりある。 でも、親友の露花だけはそんな状況を良しとしていなかった。 「男なんて泡沫みたいなもんよ。しっかり働いて、自分の人生を大事にするのが一番!」 そう言って、私は彼女に強引に会社へ引っ張られた。 「人手が足りないから、数合わせでもいいから働いて!」なんて言いながら。 私の上司は若い男性だった。入社して数年で部長に昇進した実力者らしい。 久しぶりの会社勤務で戸惑っていた私に、彼は親切に社内を案内してくれた。 その柔らかな笑顔を見ていると、高校時代に戻ったような気分になった。 かつての誠一郎もこんなふうに笑っていた。春風のような笑顔――ただし、その笑顔はいつも麗華にだけ向けられるものだった。 他の誰かがそれを享受することなんてなかった。 結婚してからは、私に対して笑顔を向けることはほとんどなくなった。 そんなある日、私はついに誠一郎から離婚届を受け取った。 彼がそれを手渡す時、何か言いたげだったけれど、言葉にはならなかった。 「何か?」と私が直接聞くと、彼は少し口を開いた。 「いや……その……」 彼の言葉を遮るように、私はその場を離れた。 麗華が戻ってきたあの日から、どれだけ努力しても誠一郎の心を動かせないことは分かっていた。 だから、これ以上時間を無駄にする意味なんてない。 歩いていると、背後から私を呼ぶ声がした。振り返ると、そこには彼の妹――凛花(りか)の姿があった。 凛花は昔から私と仲が良かった。高校時代も同じ部活に所属していた仲だ。 「お姉さん、私ついさっき海外から戻ったばかりなの!お祝いにご飯奢ってよ!」 そんな風に冗談めかしながら、近くのレストランへ私を連れて行った。 席につくと、凛花は真剣な表情で問いかけてきた。 「ねえ、お姉さん。本当に兄さんと離婚しちゃうの?」 その口調は疑問文だったけど、信じられないというニュアンスが含まれていた。 私は静かにうなずくだけだった。 すると、彼女は悔しそうに顔をしかめた。 「なんでよ!月島みたいな小賢しい女のせいで?彼女が戻ってきたら絶対何か問題が起きると思った!」
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第5話

凛花からのメッセージで、私はようやく我に返った。 「お姉さん、今どこにいるの?」 「大したことないわ。ちょっと旅行に出てるだけ」そう返事を送った。 しかし、次に送られてきたメッセージは私の心を揺さぶった。 「早く帰ってきて、真白がご飯を食べないのよ。ずっとあなたを探してる」 そして、一緒に添えられた音声メッセージ――真白の声だった。 「ママ、帰ってきてくれる?本当に会いたいの……おばさん、全然優しくないの。ママと一緒にいたい……」 その声を聞いた瞬間、涙が止めどなく溢れてきた。 「真白……ママも会いたいわ……」 私は慌ててタクシーを拾って、駅へと向かった。 最も早い便を予約して、彼女たちが待つ街へ飛んだ。 そして、あの家の前に立った時――ドアが開いた。 「お姉さん、やっと帰ってきてくれた!」 凛花が勢いよく私を中に引き入れる。 真白も駆け寄り、私の腰にしがみついた。 「ママ!ママが来た!」 驚いたのは、誠一郎までそこにいたことだった。 彼は私を見つめていて、その表情にはどこか疲れた様子が漂っていた。 以前より痩せた気がする。 彼は静かに言った。 「おかえり」 何と答えればいいのか分からず、私は短く返事をした。 「ありがとう」 家の中は綺麗に飾り付けられていた。 カラフルな風船が吊るされ、床にはキャンドルが並び、テーブルには花が飾られている。 ソファに腰を下ろすと、凛花が水を持ってきてくれた。 「お姉さん、こんなに長い間帰ってこなかったけど、みんなお姉さんに会いたかったのよ」 そして、誠一郎が私に向かって跪いた。 ここで6年間共に暮らしてきたこの家で――彼は私にプロポーズをした。 夜風が窓から入り込み、カーテンを揺らしている。 目の前にはかつて私が全てを捧げた誠一郎がいて、この家には私が夢見ていた全てが詰まっている。 彼は片膝をつき、ダイヤの指輪を掲げて言った。 「もう一度チャンスをください。俺と結婚してほしい」 だというのに、私の頭に浮かんだのは――月島麗華の名前だった。 誠一郎の目には深い想いが宿っている。そして真白が声を上げた。 「パパとママがずっと一緒にいてほしい!」 凛花も言葉を続ける。 「お姉さん、この家にはあ
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第6話

「もう必要ないの、誠一郎」 「この家には君が必要だ。俺も、真白も、もう君なしではいられない……」 「じゃあ、あの日のオフィスでのことは何だったの?」 私は冷たく言い放った。 「……あの日は、麗華が真白に会いたいと言ってきたんだ。彼女は真白の実の母親だし、会わせない理由もなかった」 その言葉に、私の中の怒りが抑えられなくなる。 「それで、君たちはオフィスで何もしていなかったとでも?」 そう問い詰めると、彼は一瞬、動きを止めた。 まさかそんな質問をされるとは思っていなかったようだった。 長い沈黙の後、彼は小さな声で言った。 「ごめん……俺は……」 次の瞬間、彼は膝をつき、頭を下げた。 「雪乃、お願いだ。一度だけでいい、俺に会う機会をくれないか?明日、時間をくれれば、それでいい」 私はため息をつき、疲れた声で答えた。 「いいわ。でも、それを最後に、私に近づかないで」 翌日、彼は私を車で遊園地に連れて行った。 遊園地では、風船や綿菓子、りんご飴――私がかつて好きだったものをたくさん買い与えられた。 だけど、心は何も動かなかった。 「女の子扱い」は誰だって嬉しいものかもしれない。 でも今の私は、ただ家に帰りたかった。 外の風は冷たく、私の心をさらに沈ませる。 その日、私は彼の計画通りに一日を過ごし、まるで操り人形のように従った。 驚いたことに、それから彼は毎日のように私を探しに来た。 会社の下で、真白を連れて私が帰るのを待っている。 昼には、助手を使って手作り弁当を届けてきた。 夜遅くなっても車で送り迎えをし、会社であった出来事を話してくる。 けれど、私はすべて断った。 さらに、毎日薔薇の花束がオフィスに届けられるようになった。 きっとこんなことは、若い女の子なら喜ぶだろう。 でも、私にはもう響かない。 むしろ、それが負担に感じられるようになっていた。 寒い冬のある日、私は彼を呼び出した。 彼は喜び、ようやく私が受け入れる気になったと思ったようだった。 酒場で向かい合った彼を見つめる。 そして気づく。彼は昔と何も変わっていない。 アルコールの力を借りて、私は溜め込んでいた言葉を吐き出すことにした。 「誠一郎、ねえ、知ってる?私は本当に
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第7話

私は病院に急いだ。そして、そこで同じく誠一郎を見舞いに来た麗華と鉢合わせした。 「あなたさえいなければ、誠一郎はこんなことにならなかった!」 麗華は私を睨みつけ、怒りをぶつけてくる。 「全部あんたのせいよ!災いの元め!」 そう言いながら、手を振り上げて叩こうとした瞬間―― 「やめなさい!」 凛花が素早く間に入って止めてくれた。 「お姉さん、少しだけ二人で話がしたい」 凛花の言葉に頷き、私は彼女と一緒に待合室の椅子に腰掛けた。 凛花は静かに語り始めた。 「本当なら、兄さんの今回の出張はすごく重要だったの。でも、どうしても行きたくないって言い出して……会社の人が無理やり押し切って、やっと出発したの。 兄さん、お姉さんを見ていたいからって、離れたくなかったんだって。 それでも、短期間で仕事を片付けるために必死で働いて、数日間徹夜したの。 それでお姉さんに会いたくて、車を一人で運転して帰ってきた……でも、どこからか車が飛び出してきて……二台が衝突して……」 彼女の声が詰まる。 「今、兄さんは生死の境をさまよってる」 凛花は涙を堪えるように息をついた。 「確かにあなたは麗華が嫌いだと思う。でも、今の兄さんは本当にお姉さんを愛してる。離婚してからの彼は、ずっと精神的に参っていて、夜もろくに眠れなかったみたい。 お姉さんの写真を見るたびに泣いてたの。私が知る限り、兄さんがこんなに誰かに心を乱されるなんて、今までなかった」 「分かった」 私はそれだけを答え、話を遮った。 やがて手術が終わり、誠一郎は命を取り留めた。 私は病室の外から、彼の姿を遠くに眺めた。 そして凛花に言った。 「彼に私が来たことは言わないで。私はただ、過去のよしみでここに来ただけ。 彼にはもう一度立ち直ってほしい。もっと彼にふさわしい人を見つけて、二度と彼を好きになった人を傷つけないでほしいの」 そう言い残し、私は彼女に別れを告げて病院を後にした。 それからしばらくして、凛花から連絡があった。 「お姉さん、兄さんはもう過去のことを乗り越えて、仕事に打ち込むようになったわ」 真白の世話は凛花が引き受けることになり、麗華は誠一郎の心が戻らないと悟ると、再びイギリスへ帰ったという。 全てが静けさを取り
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