佐藤恒夫の巧妙な言い回しは見事なもので、ネット上の暴露記事はこう書かれていた。【佐藤教授は文化財保護のため結婚記念日に出張。疑り深い妻が不倫を疑って離婚を迫り、謙虚な佐藤教授は急いで帰宅する途中で事故に遭った】佐藤の妻は怪我した夫を見捨てて海外旅行を楽しみ、一方で佐藤教授に長年想いを寄せていた白石先生が献身的に看病。佐藤教授と白石先生こそが一緒にいるべきだ。この記事は本当によく書けている。当事者でなければ、私も信じてしまいそうだ。病院には記者や見舞客が溢れ、佐藤恒夫の同僚の白石綾子が彼の世話を焼いていた。「白石先生、佐藤教授の看病、お疲れではありませんか?」記者の質問に、彼女は乱れた髪を整えながら、疲れた表情で愛情を込めて答えた。「長年憧れ続けた方のお世話ができるなんて、私にとって最高の幸せです」息子が横から口を出した。「白石さん、そんな風に言わないで。母よりもずっと父のことを考えてくれてますよ」佐藤恒夫は感動と驚きの表情を浮かべ、「綾子さん、君の気持ちに気付かなくて......これまで辛かったね」たちまちネット上では、この「老いらくの恋」を応援する声が溢れ、佐藤夫人の座に居座って何もしない私より、二人の幸せを祝福すべきだという意見まで出た。佐藤恒夫は口下手で、あの日も上手く引き留める言葉を見つけられなかった。若い頃から彼はそうだった。周りからは「おとなしくて損をする人」と言われていた。当時の私は商店街で個人店を営む小さな店主で、話上手を活かして人脈を広げ、常連客も多かった。どんな不便な場所の店でも、私なら繁盛させられた。近所では「デキる女」として知られ、一方で男性たちからは近寄りがたい存在として見られていた。その頃の佐藤恒夫は貧しい学生で、学費を稼ぐためアルバイトをしていた。私の店で働き始めた彼を見た瞬間、私は心を奪われた。私は田舎育ちで、男尊女卑の家庭に育ち、学校にも行けなかった。家を出て自力で生きていく道を選び、実家との縁も切れた。まだ二十代前半なのに、心だけは年寄りのようだった。佐藤恒夫は私に大学での出来事や、古文書の話を聞かせてくれた。私が理解できずに眠くなっても、優しく微笑んで前髪を整えてくれた。後に、彼は半年かけて貯めた給料で、当時流行の化粧品を買ってくれた。「大学
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