夫は息子を殺した犯人を許した件 のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 9

「ママ……痛い……」耳元で4歳の息子、奏汰の声が聞こえ、私ははっと目を覚ました。ほんの少し前、私は奏汰と一緒に横断歩道を渡っていた。その時、眩しいヘッドライトが私たちの方へ真っ直ぐ迫ってきた。ほぼ同時に、強烈な衝撃が私と奏汰を宙へと投げ飛ばした。その瞬間、世界が静まり返った気がした。そして次に耳にしたのは、奏汰のか細い声。「ママ……ママ……痛い……」私は必死に目を開けようとしたが、視界はぼやけ、頭は真っ白だった。目の前には煙を上げるバイクと、横断歩道に広がる鮮血の赤しか見えなかった。それは血だった。息子の顔に血が溢れ、手足は不自然に曲がっている。その姿を見た途端、私は絶望の淵に崩れ落ちた。「奏汰、奏汰！大丈夫よ、痛くないからね！」「ママがここにいるよ！ママが一緒にいるから！」震える手を彼の鼻に当てると、呼吸はかすかで、もうないに等しかった。「奏汰、奏汰、大丈夫よ、ママがついてるから……」私は訳も分からず叫び続け、涙が止まらず息子の顔の血と混じり合った。夫の浩はすぐ近くの病院で働いている。私は急いで電話を取り出して彼にかけたが、一度、二度、三度と、つながらなかった。奏汰は震えながらつぶやいた。「パパ……奏汰の血、止めてくれる……？」私は彼を抱きしめて力強くうなずいた。「止めてくれるよ！奏汰、少しだけ我慢してね！今すぐパパのところに連れて行くから！」私はもう一度電話をかけようとスマホを手に取ったが、充電が切れて電源が落ちてしまった！顔を上げて助けを求めようとすると、一人の女の子が震えながら近づいてきた。彼女は声を震わせ、「千晴……あの子、死んでないよね？」とつぶやいた。彼女の友人の千晴が、白いレースの靴を履いてそばにやってきた。彼女はどこか呆れた様子で言った。「まったく…！せっかく合格通知をもらって羽を伸ばそうと思ったのに…なんでこんなことに巻き込まれるのよ……」「横断歩道を渡るときに前をちゃんと見てないから、縁起が悪いわよね…」友人は震えながら言った。「千晴…信号が青だったよ……」私はそれどころではなく、白いレースの靴をつかんで必死に叫んだ。「早く！救急車を呼んで！お願い、助けて！」しかし千晴は不機嫌そうに足を引っ込め、「何してるのよ！靴を汚れたじゃない！白

どれくらい経ったのだろうか、一人の白衣をまとった医師が手術室から出てきて、マスクを外し、重々しい口調で言った。「あなたは患者さんのご家族ですね？」「私たちは全力を尽くしましたが、子どもの怪我はあまりにも重くて、頭蓋内出血がひどく、助けられませんでした……」「そんな……」私は力なくその場に崩れ落ち、目の前が真っ暗になり、耳には耳鳴りが響き、医師の声が遠くから聞こえてくるように思えた。……まるで現実ではないように感じた。私は手術室に飛び込み、奏汰が静かに横たわっているのを見た。小さな体にはもはや呼吸がなく、そっと彼の顔に触れると、その冷たさに完全に崩れ落ちた。私は奏汰の冷たい体を強く抱きしめ、胸が張り裂けるように泣き叫んだ。その瞬間、千晴のことを思い出した。怒りが胸の奥から火山のように湧き上がり、私は狂ったように1階の救急室へと駆け出した。「先生！看護師さん！数時間前に事故で運ばれた女の子たちはどこですか？！うちの子と一緒に運ばれたあの二人！」通りかかった看護師の腕を掴み、声を張り上げて叫んだ。私は一部屋一部屋探し、ようやく、最後の部屋のドアの前で、あの眩しい白いレースの靴を見つけた。靴にはまだ血の痕が残っている。私はドアを勢いよく開け、そこで浩が千晴の傷を手当てしているのを見た。私の姿に気づいた瞬間、彼らは驚いて固まった。「千晴だな！」私は彼女の髪を掴み、ベッドから引きずり下ろした。「この人殺し！私と警察署に行くんだ！」「きゃっ！何するの！」千晴は驚いて必死に抵抗し、「何なの、あんた！？放してよ！」「うちの子を殺しておいて放せだと？！」私は叫び、さらに力を込めた。「酒井さん！酒井さん！少し落ち着いてください！」久美子が駆け寄り、私を引き離そうとした。すぐに周囲には見物人が集まり始めた。怒りに我を忘れ、周りの視線など気にせず、この人殺しを必ず法の裁きにかけようとするだけだった。「里桜！自分が何をしているのかわかっているのか！」浩が突然立ち上がり、私を押し倒した。その衝撃で腹部に鋭い痛みが走り、見ると、そこには赤い血が滲んでいた。浩に引っ張られた場所も熱を帯びるように痛んでいる。浩は私を千晴から引き離し、冷たい目で見下ろしながら言った。「何を言っているんだ！」

葬式が終わるとすぐに、浩は急いで出て行こうとした。私はその後を追い、警察署へと辿り着いた。彼が警察署に来たのは何のためだろう？まさか……胸がざわつき、私は勢いよく警察署の扉を開けた。すると、浩が警官に書類を手渡しているところだった。一目でそれが「嘆願書」だとわかった。「浩！何してるの？！」私は怒鳴り声を上げ、彼に駆け寄って嘆願書を取り上げた。浩は驚いて私を見つめ、不信の色を浮かべた。「里桜？！どうしてここに？」彼のことなど構わず、私は警官に向かって言った。「警察の方、この嘆願書は認めません！私は荒田千晴と奥田由香を交通事故の罪で告訴します！」警官は驚いて私と浩を交互に見つめ、少し困惑したように言った。「ええと…確かにご家族の同意が必要なんですが……」私は浩の目の前で嘆願書を引き裂き、「立件してください！千晴と由香は8月15日の夜、バイクを速度超過で運転して、私の息子を轢き殺しました！しかも、私は彼女が飲酒運転していたと強く疑っています！」浩の顔が青ざめ、激しく言い返した。「里桜！正気なのか？！若い二人の人生を台無しにするつもりか！」「彼女たちはまだ18歳なんだ！人生はこれからなんだぞ！」「人生を台無しにする？」私はまるでとんでもない冗談を聞いたかのように笑い、「浩、よく考えてみてよ。人生を台無しにされたのはこっちでしょ！息子の命と、私の人生を奪ったのは彼女たちなんだよ！」「私の代わりに彼女達を許す資格なんてない！私が生きている限り、絶対に許さない！」浩は怒りで顔を引きつらせ、拳を握りしめながら言った。「ハルが言っていたよ。お前が信号を無視して横断したせいで、ブレーキが間に合わなかったって！」私は声を張り上げた。「そんなはずがない！」私は息を深く吸い、怒りを必死に抑えながら警官に言った。「警察の方、私は千晴のバイクの損傷報告を要求します。それで彼女の当時の速度がわかるはずです！」警官は頷き、法に則って対応すると答えた。浩は事態が自分の手に負えなくなったことを察し、私を睨みつけて「後悔するぞ！」と言い放って、ドアを強く閉めて出て行った。私はその場に立ち尽くし、彼の背中を見つめながら、堪えきれない涙がこぼれ落ちた。後悔？するものか。浩が去った後、警察

警察は冷たい視線で千晴をじっと見据え、一言一句を噛みしめるように言った。「荒田千晴さんがその夜の証言に嘘をついた証拠を見つけた。君には警察署に同行してもらい、捜査に協力してもらう！」千晴の顔は一瞬で真っ青になり、彼女は後ずさりして父親の後ろに隠れ、甲高い声で叫んだ。「私は嘘なんかついてない！あいつの息子が勝手にぶつかってきたんだ！」「私には関係ない！みんなで私をはめようとしてるの？」久美子は後ろ手に隠して浩にこっそり電話をかけ、続けて警察に向かって言った。「うちの娘は好意であの子を病院に連れて行ってあげたのに……逆に彼女から逆恨みされて、今は家にまで押しかけてきてるんです……」「何ですって！？」私は不条理な言い分に腹が立ち、手を振り上げて一発お見舞いしてやろうとしたが、久美子の夫、拓海にその腕を遮られた。「何する気だ！」拓海は私の腕を掴み、力任せに振り払って私を脇へ突き飛ばした。「勝手な真似はするな！ハルは私のたった一人の娘だ、無理に自白させようなんてさせんぞ！」「ふん……」私は冷笑し、拓海をじっと見据え、一言一句を噛みしめて言った。「うちの夫の実の娘が、実の息子を轢き殺したんだ話……面白いでしょう？」彼は一瞬目を見開き、私の言葉の意味を理解するまで少し間があった。「何を馬鹿なことを言ってる！」久美子が突然叫び声を上げ、飛びかかってきて私の口を塞ごうとした。「黙って！勝手なことを言わないで！」私はスマートフォンを取り出し、駐車場で撮影した動画を再生した。久美子が言い訳しようと叫んだが、拓海は彼女に平手打ちを食らわせ、彼女を床に叩きつけた。「私が十八年も苦労して育ててきた娘が、他人の子供だと？！」久美子はまだ弁解しようとし、「あなた、違うのよ！話を聞いて、あなたが思っていることとは違うの……」「もういい！」男は怒鳴り声を上げ、彼女の髪を乱暴に掴んで引きずり上げた。「この、尻軽女が！」警察官は急いで二人の間に入り、「落ち着いてください！言いたいことがあれば、冷静に話しましょう！」拓海は警察官を押しのけ、千晴と久美子を指さし、歯を食いしばりながら言った。「分かっている。人を殺したら償わなければならないだろう？奴らには償わせろ！」そう言うと、まるでゴミでも

警察は冷淡に机を軽く叩いて「何を騒いでるんだ！」と一喝した。「千晴のバイクの損害鑑定報告が出た。あの時の車速は少なくとも50km/h以上だったことが判明した」「さらに、周辺のすべての監視カメラ映像を確認したところ、ちょうど事故の瞬間にその道を車が曲がってきた。そして先ほど、その車のドライブレコーダー映像を手に入れたんだ」「これで証拠は十分揃った。もう言い逃れはできないぞ」浩はその場で声を失い、椅子に崩れ落ちるように座り込み、顔から血の気が失せていった。警察は彼を見下ろして首を振り、「医者だと聞いたが、最近の医者はこんな程度なのか？」と言い放った。「それに…その奏汰君、お前の息子でもあるだろう？なんで最初から妻を信じてやれなかったんだ？」その言葉は、浩に冷水を浴びせるかのように、彼を正気に戻した。彼は呆然とし、「そんな……そんなはずは……」と呟きながらも、その目は次第に生気を失い、最後の希望が潰えたかのように見えた。そうだ、それでいい。私はこうなるのを待っていたのだ。自らの手で息子を救えなかったという現実を思い知らせてやることこそ、あいつに対する最大の報いだ！警察署を出た私は、まずスマートフォンを取り出し、あの駐車場での監視カメラ映像をネット上に投稿した。タイトルはこうだ：【夫の隠し子が息子を轢き殺したのに、夫は罪を免れさせるために嘆願書を書いた！】予想通り、この動画は瞬く間にネット上で拡散され、再生回数やコメント数は瞬く間に跳ね上がっていった。ネットユーザーたちは憤慨し、次々と公式アカウントにタグ付けして犯人を厳罰に処すよう求める声が相次いだ。多くの人が浩や千晴のSNSにも乗り込んで、罵声を浴びせた。「クズ！隠し子のために実の息子を捨てるなんて！」「この親も親で最悪だな、まさに一つ穴の狢だな！」「医学部にこんな学生がいるなんて信じられない！即刻退学させるべきだ！」……やがて、ネット民の手により、久美子が浩と同じ病院の看護師であることが暴かれた。このことでさらに騒ぎは広がり、彼らがグルになっているのではないか、片方が事件を起こし、もう片方がそれを隠そうとしているのではないかという憶測が飛び交った。「やっぱりか、あの男は一目でろくでなしだと分かった。きっとずっと前から不倫してたんだ！」