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第6話

作者: 鯉樹鳴
「何してる?」

背後から突然声がして、思わず飛び上がった。

男がいつの間にか現れ、陰鬱な目で私を見下ろしていた。

ちっ、逃げたわけでもないのに、そんなに怒る必要ある?

そう思いながら、少し意地悪な気持ちで尋ねた。

「これ、川瀬を描いたんでしょ?私が壊すのが怖いの?」

「出て行け!」

案の定の反応だった。

翌朝目が覚めると、いつの間にか足首に鉄鎖がかけられていた。

まあ、少なくともテレビで見るような手足も縛られるではなかった。

ただし、やたら短いせいでトイレに行くのが大変だった。

そこで、「もう少し長いのに替えて」と申し出たところ、次に目が覚めた時には本当に長い鎖に替わっていた。

その時ようやく気づいた。

自分がこの屋敷から出て行こうとせず、川瀬の悪口を言わなければ、この男も手を出してこない。

しかも一定の範囲内なら、こちらの要求を聞いてくれる。

この微妙なバランスに気づいてから、私は外に出る気をなくした。

どうせ逃げられるわけでもないし、両親もいない今、外の世界に未練なんてもう何もない。

男が帰ってくる時間はいつも不規則だったが、帰ると大抵部屋で絵を描いていた。

鉄鎖をつけられてからは、彼はもう部屋の鍵をかけなくなった。

読書に疲れると、本を持って部屋のドアにもたれながら、彼が絵を描く様子を眺めた。

花鳥風月、海や草原――彼の筆は一振りでそれらを紙の上に鮮やかに描き出した。

しかし、人を描く時はいつも同じ人物――川瀬。

けれど、不思議なことに、彼女の顔はなぜか描かれていないことが多かった。

私はつい口を開いた。

「名前、なんていうの?」

彼は聞こえないふりをしていたが、しばらくしてようやく答えた。

「森本順平」

「なんだそれ、ダサすぎる」

そう言った後の私は、毎日のように屋敷で彼を呼びつけるようになった。

「森本、料理がしょっぱい!次から塩を控えてよ」

「森本、毛布が厚すぎる!薄いのに替えて」

「森本、西町の限定ケーキが食べたい!早く買ってきて」

「森本……」

川瀬に関係ない話になると、この男、案外何も怒らないらしい。

いつの間にか森本は、一日の大半を屋敷で過ごすようになった。

一緒に碁を打ったり、穏やかに食事をしたり、映画を見ながらいつの間にか寝てしまったり……

気がつけば、穏やかな時間が流れ
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    「7号のベッドの患者さん、本当に運が良かったわね。ただ、これからはもう子どもを産むことができないなんて、かわいそうに」窓の外から車のクラクションが鳴り響き、私はその音で目を覚ました。隣の布団が動き、その中から小さくて可愛らしい頭がひょっこり顔を出した。「外、うるさい。ママ、抱っこして一緒に寝て」子どもの柔らかい声が愛らしい。私は彼女を抱きしめ、そのままベッドに寝続けた。どうして突然三年前の出来事を夢に見たんだろう。川辺で倒れた私が見つかったのは、それから間もなくのことだった。警察が信号が消えた場所から川沿いを捜索し、ついに私を発見したのだ。その川は下流で他の川と交わり、いくつもの方向へ分岐しながら勢いよく流れていた。警察は森本の遺体を探して半月以上も捜索を続けたが、結局発見されなかった。私は病院に運ばれたものの、古傷が癒えぬうちに新しい傷が重なり、さらには流産も重なった。救急室で5、6時間の処置を受け、一命は取り留めたものの、子宮が深刻に損傷し、二度と子どもを産むことはできなくなった。警察の捜査で、川瀬が森本を教唆し私を誘拐させたことが判明し、彼女は逮捕された。それだけでなく、彼女が高校時代に同級生をいじめ、さらに誤ってその生徒を階段から突き落とし死亡させた事件も明るみに出た。その生徒は隣のクラスの目立たない存在だった。当時、彼女の突然の転落死は学校中を震撼させた。まさかあれが事故ではなく、彼女の手によるものだったとは。病院のベッド脇にやってきた西村と息子の悠真は、私に謝罪し、許しを請うた。だが、世の中には許そうと思っても許せないことがある。警察が川瀬の家のパソコンから数々の動画を発見した。彼女は森本の部屋に隠しカメラを設置しており、私が拷問される映像をこっそり何度も楽しんでいたらしい。西村父子もその映像を見た。そこでようやく、川瀬がどんな人間かを知り、私がどれだけ非道な仕打ちを受けていたかを理解したのだった。ただ、それでも私は思う。西村はそれでも彼女を愛しているのだろうと。彼がどんな人を愛しても、私を愛することはない。だが、今となってはそれもどうでもいい。退院後、私は西村家に戻り、自分の荷物をすべて持ち帰った。離婚の手続きは不要だった。当時、西村の母は私の身寄りのない境遇や出自の低さを嫌が

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    電話が突然繋がり、耳に届いたのは西村の馴染み深い声だった。「もしもし」私は彼を呼んだ。「西村」六年の夫婦生活を経て、彼はすぐに私の声を認識した。「鳴海、お前なのか、鳴海?」その声の後に、慌てて走る足音が聞こえた。「ママ、僕は悠真だよ、どこにいるの?悠真、ずっと待ってたんだ」赤ちゃんの頃から言葉を覚え、今まで、何度も「ママ」と呼ばれるたびに、生きる力を感じてきた。けれど今、それを聞くのがもう嫌になった。西村はすぐに怒りを露わにした。「お前、子供か?行方不明なんて、息子がどれだけ心配してるか分かってるのか?早く帰ってこい、そんな駄々はもう通らな……」その言葉が終わる前に、私は彼を遮った。「西村、息子が一番好きなあの女をママにすればいい。私はもうなりたくないし、ならないんだ」今度は、私があなたたち父子を捨てる番だ。電話の向こうで、私の決意を感じ取った彼は焦った様子だったが、それでも強がった。「そんなことを言うな、戻ってこい。俺と川瀬には何もないんだ、もう騒ぐな!」見てよ、彼はなぜ私がこんなにも怒り、失望しているのか理解しているはずなのに、それでもまだ無理に弁解しようとしている。「さよなら」私は電話を切った。その直前、電話の向こうで、西村が慌てて私の名前を呼び、悠真が泣きながら息を切らす声が聞こえた。私は立ち上がり、川のほとりに向かった。夏の時期は土砂降りが多く、川の水は流れが速かった。私が何をしようとしているのかを察した森本は、飛び込んできて私を引き止めようとした。しかし、私が地面を離れるその瞬間、森本の手を掴んで、彼も一緒に水に引きずり込んだ。溺れて以来、森本は川に対して本能的な恐怖を抱いていた。一方で、私が囚われ傷つけられたときに味わった苦痛と恐怖を、この方法で彼にそっくりそのまま返してやった。あの日、彼を水の中から救った。その因果が今日、私の手で断ち切られることになった。水の中に落ちて、私は彼の手を振りほどき、すぐに私たちは流れに流され、もうお互いを見ることはできなかった。水流が速くて、私は泳ぎ上がることができなかった。結末は予測していた。でも諦める前に、神様が私に一縷の希望を与えてくれた。流れに任せているうちに、大きな岩にぶつかり、私は必死でそれにしがみつき、どうにか這

  • 水底の夢   第10話

    吐き気が胸から込み上げてきて、急いでトイレに駆け込んで吐いた。その瞬間、体全体に冷たい震えが走った。同じ症状、五年前にも経験したことがある。その時はちょうど卒業を控え、西村との関係が確認されたばかりだった。その後、森本も気づいたようだ。計算してみると、その夜から今まででおおよそ二ヶ月が経過している。彼は非常に喜び、病院には行けないからと妊娠検査薬を買ってきた。結果は何度も繰り返し、八本か九本の検査薬の全てで二本線が浮かんだ。私はなかなか外に出ることができなかった。森本は以前よりもさらに気を使って私の世話をしてくれた。様々な食材を買い込み、スープを煮たり、毎日の料理を変化させたりしてくれた。赤ちゃん用品もたくさん選び、洋服やおもちゃも準備してくれた。毎晩寝る前にはお腹に耳を当てて、赤ちゃんの動きを感じようとした。私は思わず言った。「こんなに小さいのに、何も動かないね」彼は目を輝かせて言った。「時間が経てば必ず聞こえるようになるよ」私は唇の端を引き結んで、「そうだね」と答えた。しかし、彼はもう動きを感じることはできなかった。私はこの子を待ち望んでいるかのように振る舞い、彼と甘い育児の日々を夢見て計画していた。最初からずっと彼の警戒心を解かせ、チャンスを見つけて逃げるつもりだった。だが、あの夜の出来事が私の計画を狂わせた。それは災いでもあり、幸運でもあった。この子ができたことで、彼は私が何かしらの繋がりを持っていると思い込み、警戒心が少し和らいだようだった。ついにチャンスが訪れた。その日、彼がシャワーを浴びている間、私は彼のスマホで警察に通報し、位置情報を開いて、隠していた扉の鍵も見つけた。扉を開けると、光が一気に差し込んできて、自由の匂いがした。道が分からず、ただ闇雲に走るしかなかった。どれくらい走ったのか分からないが、ある川のそばで立ち止まり、休むことにした。お腹が目立ち始め、赤ちゃんができているとすぐに疲れてしまう。ふとスマホを思い出し、急いで開いた。警察には連絡できたが、それ以外に誰に連絡すればよいのか分からなかった。突然、遠くから足音が聞こえた。男性の大きな影がゆっくりと近づいてきている。彼はもう追いかけてきた。私はもう逃げられないと知

  • 水底の夢   第9話

    「後悔するな、後悔するな!」心の中で何かが崩れ落ちるような音がした。彼は必死に首を振った。しかし、突然何かを思い出したように言った。「あの男を忘れられないんだろ?必死になって、彼に会いに戻ろうとしてるんだろう?あのガキも、お前の愛は全部あいつらに注いだ。何でだ?あいつらはお前を大切にすることもないのに!」彼がだんだんと奇妙なことを言い出すのを見て、私は少し冷静になろうと思い、立ち上がってその場を離れようとした。だが、体を起こした瞬間、突然押し倒された。恐怖が波のように押し寄せてきた。酔った男は力が強く、私の抵抗はまるで蚊の羽音のようだった。窓の外では雷が鳴り、激しい雨が窓を叩いていた。その夜は、混乱と苦痛の中で過ぎていった。朝が来ても、私はそれを忘れようとしたが、無駄だった。その後、森本は数日間姿を見せなかった。しかし、再び現れたとき、彼は花束を持ち、指輪を差し出して結婚を申し込んできた。私はただただ気持ち悪く感じた。彼の愛はこんなに安っぽいのか。誰かに助けられると、その相手を愛するのか。それからの日々、私は死んだように生き、彼は食事も風呂も何もかも細かく世話してくれた。彼を叩いたり怒ったりしても、彼は一切怒ることなく、ただ優しく、そして気を使いながら接してきた。あの時、私を引きずり込んだ時の彼とは別人のようだった。私は一言も発さず、時には壁の隅で夜を明かすこともあった。彼も毎晩一緒に私のそばで過ごしてくれた。短期間で、私は目に見えて急速に痩せていった。ある日、私が茶碗のかけらで手首を切ろうとしたのを見た彼は、狂ったようにその手を奪った。何かが私の手の甲に滴り落ち、私は無表情で彼を見上げた。彼の暗い瞳の中には涙が溜まり、必死にそれをこらえているのがわかった。森本が泣いている?彼にも心の痛みを感じることがあるのか?明らかに彼は誘拐犯だった、数ヶ月前、この場所で泣いていたのは私だったのに。彼は頭を垂れて、低い声で言った。「こんなに君を傷つけてごめん。でも、君を待ち続けたんだ。君が離れるのを受け入れられない」彼は左手を上げ、茶碗のかけらで自分の腕を切り裂いた。傷は深く、骨まで見えた。「これで少しは楽になるか?」赤い血が鮮やかに広がった。私は深く息を吸い、「やめて!」と叫んだ

  • 水底の夢   第8話

    部屋に一週間閉じこもった。欲深い叔父の一家は祖父の財産を奪い取ると、私を学校へ追い返した。席が隣のクラスメートは私の家の事情を知っており、元気づけようと色んな面白い話をしてくれた。「うちのクラスの川瀬が、中学2年生の男の子を溺れそうなところから助けたんだってさ!学校と市から表彰されて、今大注目の人だよ」彼女の勇敢な行動はたちまち広まり、一躍ヒーローになった。聞けば、その少年の父親はもう子ども増えたくないと言っていて、後妻が地位を固めるために子どもを連れて遊びに行くふりをし、川に突き落として事故死を装ったらしい。ルームメイトは「世も末だ」とため息をつく中、私は関連する報道記事を開いた。現場写真に映っていたのは、同じ場所、そして同じ少年だった。川瀬は、私が助けた功績を横取りしたのだ。祖父の最期に間に合わなかったのは彼のせいではない。でも、私はどうしても彼を嫌わずにはいられなかった。だから、何事もなかったかのように無視することにした。その後、彼が川瀬をつけ回しているのを知り、私はますます真相を彼に知らせるべきではないと確信した。誘拐された後、彼は自分が助けた少年だとわかったとき、私の心はもう氷のように冷たくなっていた。ましてや、この人の愛は、憎しみよりも恐ろしかった。だから、私は何も言うつもりはなかった。あの絵を見ても、私の考えは変わらなかった。ところが、思いがけず、彼は私のスマホからあの写真を見つけてしまった。彼は私を睨みつけた。「まだ俺を騙すつもりか!当時、かすかに見えた椿と辮髪を覚えている。でも、俺は彼女じゃないと言ったのに、周りのみんなが彼女だと言うから、自分の記憶を疑って、無理やり納得しようとした。けど、夢に出てくる顔は一度もはっきりしていなかった」彼がこんなに傷ついた表情をするのを見たのは初めてだった。「この写真を見て、確認するのが怖くなった。本当に俺を助けてくれたのが君だったとしたら、俺が傷つけたのが君だったとしたら……」彼は出所して一人暮らしをしている後妻のもとへ行き、ガソリンをかけ、ライターで脅して真実を吐かせたらしい。彼は私を抱きしめ、その顔を私の首筋に埋めた。「鳴海、俺はずっと君を待っていた。でも、君はこんな状態になるまで何も言わなかった。俺がそんなに

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