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第811話

Author: 夜月 アヤメ
心から愛した女。修の言葉に、侑子の心臓が大きく跳ねた。

―愛している?彼は、まだ元妻のことを?

だって、離婚したんじゃなかったの?

戸惑いの色を浮かべる侑子に、修は静かに続ける。

「......俺は、今も彼女を愛してる」

「......じゃあ、なんで離婚したの?」

「俺がクズでバカだったからだ」

修は、まるで自分を嘲笑うように薄く笑う。

「手に入れていたときは、大切にできなかった。失ってから、どれだけ大事だったのか気づいた」

彼の表情には、深い後悔と痛みが滲んでいた。

―この人、本当にその人のことを愛してるんだ。

侑子にも、それが痛いほど伝わってくる。

「......じゃあ、取り戻そうとした?」

「何度も試した」

修は淡々と答える。

「何度も、何度もな」

「......それで?」

「それで......」

修はふっと短く笑う。

「彼女は、もう別の男と結婚した」

―その瞬間。

侑子の心に、密かに小さな安堵が生まれた。

元妻は、もう他の人と一緒にいる。

つまり、もう彼のもとには戻らない。

「じゃあ、今は......」

「今も、俺は彼女を愛してる」

修は静かに夜空を見上げる。

「もし、彼女が戻ってきてくれるなら、俺は何だってする。どんなことだって......でも、もう無理なんだ。彼女は、俺を愛していない」

―ズキン。

安堵したはずなのに、侑子の心はなぜか痛んだ。

―彼は、今でも彼女だけを想っている。

「......時間が経てば、少しずつ忘れられるよ」

彼を慰めようと、そう言葉をかけた。

しかし、修は微かにかぶりを振る。

「それはない」

その声は、乾いていて、どこかかすれていた。

「お前には、わからない」

―その言葉に、侑子の胸が締めつけられる。

「......わからない、か」

そりゃそうだ。

彼の想いの深さなんて、自分に理解できるはずがない。

でも、それをこんなに冷たく突き放さなくてもいいじゃない。

「......俺は、彼女以外の女を愛することはない」

修はポケットに手を突っ込んだまま、冷たい風に目を閉じる。

「一生、若子だけを愛する」

侑子は、わずかに眉をひそめた。

―どうして、こんな話をす
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シマエナガlove
そのうちちゃんと侑子を見れるようになる 若子は修の命を差し出した 忘れたらダメ いらないから捨てた命だってこと
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    「......まあな」 修は淡々と返した。 彼はもうとっくに慣れていた。 こんな大きな会社を管理していて、プレッシャーがないわけがない。 人間である以上、ミスをすることもあるし、疲れることもある。 けれど― 昔はこんな疲労を感じたことはなかった。 若子がそばにいた頃は、どれだけ忙しくても、どれだけ疲れていても、家に帰れば彼女がいた。 その存在だけで、すべてが癒された。 でも今は違う。 家に帰っても、そこには誰もいない。 どれだけ働いても、何も変わらない。 ......もう、心の疲れのほうが、体の疲れよりも重くなってしまった。 「藤沢さんは責任感が強い人なんだろうけど、無理しすぎるのも良くないよ」 侑子が静かに言う。 「ちゃんと休まないと、身体を壊しちゃう」 「わかってる」 修は短く答えた。 ベッドの上で、侑子が少し体を動かし、僅かに顔をしかめる。 「......どうした?」 「ずっと寝てたから、体がちょっと固まってるんだよね。外に出て歩けたら、少しは楽になるのにな」 修は軽く頷いた。 「じゃあ、介護の人を呼んで付き添ってもらえ」 「いや、大丈夫」 侑子は手を振った。 「もう帰らせたよ。明日の朝まで来ないし、たまにプライベートの時間も必要でしょ」 「そうか」 修は少し考え、静かに言った。 「なら、俺が付き添う。少し外を歩くか?」 「......本当に?」 侑子の目が、ぱっと輝いた。 「冗談を言うタイプに見えるか?」 「見えない!」 彼女は嬉しそうに笑う。 ―一緒に散歩なんて、願ってもない機会だ。 「ちょっと待ってて、車椅子を取ってくる」 修が病室を出ようとした瞬間、侑子が慌てて言った。 「いや、車椅子は要らないよ。私は足に問題があるわけじゃないし、自分で歩くほうが体にもいいって、医者も言ってた」 修は一瞬迷うような表情を見せる。 「......本当に大丈夫か?」 侑子は布団をめくってベッドから立ち上がると、その場で何歩か歩いて見せた。 「ほら、平気。むしろ少し動いたほうが調子いいくらい」 「わかった」 修は軽く頷くと、ふと病室の温度を確かめるように視線を向けた。 「......上着を持て。外は少

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第809話

    矢野は静かにコップに水を注ぎ、それをデスクの上に置いた。 「藤沢総裁」 修は視線を上げる。 「今日、一日中何も食べていませんし、水分も取っていません。少しでも飲んでください」 矢野はコーヒーではなく、水を差し出した。 もう夜も遅い。カフェインを摂れば、ますます眠れなくなるだろうと考えたのだ。 修は時計をちらりと見やる。 「......おまえ、まだ帰ってなかったのか」 「総裁が帰らないのに、僕だけ帰るわけにはいきません」 「気にしなくていい。もう上がれ」 「はい......そういえば」 矢野はふと思い出し、口を開いた。 「先ほど、総裁のお母様からお電話がありました。最近のご様子について尋ねられました」 修の眉がわずかに寄る。 「......それで、おまえはなんと?」 「『特に問題はない』とだけお伝えしました」 「......そうか。もしまた聞かれたら、同じように答えればいい。余計なことは言うな」 「わかりました」 修は上着を手に取り、オフィスを後にした。 車を走らせながら、彼はふと気づく。 ―どこへ行けばいいんだ? 家に帰ったところで、何の意味がある? 空っぽのベッド。何もない部屋。 ただ広いだけの空間に、自分一人が取り残されるだけだ。 窓の外には、煌びやかな街の景色が流れていく。 こんなにも広い街なのに、自分が落ち着ける場所は、どこにもない。 そんなことを考えているうちに、いつの間にか病院の前に辿り着いていた。 ―ここは、侑子が入院している病院だ。 無意識のうちに、車を走らせてしまったのか。 侑子の仕草、言葉の節々、ふとした表情― 若子に、似ている。 もちろん、彼女は若子ではない。 それは、わかっている。 でも、こうしてここに来てしまったのは― ......きっと、若子を思い出してしまったからだろう。 まあいい。どうせ来たのなら、ついでに様子を見ていくか。 病室に入ると、ちょうど侑子が夕食を終えたところだった。 修の姿を見つけると、侑子の顔がぱっと明るくなる。 「藤沢さん、来てくれたんだね!」 彼女はもう会えないかもしれないと思っていた。 でも、こうして来てくれた。 彼の「時間があれば来る」という言葉は、

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第808話

    侑子はまだ拒否しようとした。 けれど、修の冷たい視線を見た瞬間、なぜか言葉を飲み込んでしまう。 何も言わせないように、修は先に口を開いた。 「決まりだ」 これでも十分譲歩した。 ならば、あとは折衷案で収めるしかない。 侑子も、それ以上は言い返せなかった。 小さく頷き、「......わかった。ありがとう」と静かに答える。 「もし藤沢さんが何か困ったことがあったら、私も......」 そう言いかけたところで、ふっと自嘲気味に笑ってしまう。 「......なんてね。私にできることなんて、何もないのに」 修は淡々とした表情のまま、静かに言う。 「そんなことはない。とにかく、まだ夜が明けてない。もう少し休め」 侑子の胸に、また申し訳なさが込み上げる。 「こんなに長い時間、付き合わせてしまって......本当にごめんね。疲れたでしょう?」 修は気にも留めず、あっさりと答えた。 「別に。そんなに疲れてない」 実際、今夜ここにいなかったとしても、家のベッドで寝付けるわけではなかった。 どうせ眠れずに、結局は睡眠薬を口にするだけだ。 むしろ今は、まったく眠気を感じていない。 「それでも、ちゃんと寝ないと」 侑子は小さく微笑んで言った。 「少しでも寝たほうがいいよ」 「おまえこそ、もっと寝ておけ」 そう言い残し、修は立ち上がった。 「じゃあ、俺はそろそろ行く」 彼は十分やるべきことを果たしたと思っていた。 病院へ連れてきて、目を覚ますまで待った。 それ以上、付き添う義理はない。 そもそも、そんな気もない。 修が背を向けた瞬間、侑子は思わず声をかけてしまう。 「藤沢さん......また会える?」 ―このまま、もう二度と会えなくなるんじゃないか。 そんな不安が、ふと胸をよぎる。 電話番号は知っている。 でも、彼に何か理由もなく連絡を取ることなんてできない。 迷惑に思われるだけだ。 修は足を止める。 数秒の沈黙の後、ゆっくりと振り返った。 「医者が数日間の入院が必要だと言っていた。時間があれば、様子を見に来る」 ―じゃあ、時間がなかったら? そう聞きたかったけれど、侑子は飲み込んだ。 「......うん、わかった」 彼が去

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第807話

    物音を聞きつけ、修はすぐさま振り返った。 そこには、床に倒れ込み、胸を押さえながら苦しそうに息をする侑子の姿があった。 「おい!」 彼は顔色を変え、すぐに駆け寄ると彼女を抱き起こした。 「どうした?」 「......息が......できない......」 侑子の胸は大きく上下し、顔は真っ青だった。 修は迷うことなく、彼女のシャツの胸元のボタンを数個外し、呼吸を楽にさせると、そのまま抱きかかえて部屋を飛び出した― 数時間後。 深夜の静寂の中、侑子はゆっくりと目を覚ました。 目を開けると、すぐそばに修がいることに気づき、ふっと安堵の息を漏らす。 「目が覚めたか」 修はじっと彼女を見つめた。 「気分はどうだ?」 侑子は外の夜空を見上げ、時間の感覚がなくなっていることに気づく。 「藤沢さん......今、何時?」 修は手首の時計を確認した。 「午前四時三十八分」 「そんなに......」 侑子はベッドから身を起こそうとする。 修はすぐに手を伸ばし、彼女の肩を支え、布団を整えて、枕を背中にあてがった。 「こんな時間まで、ずっとここにいたの?」 「お前を病院に運んだ後、目を覚ますまで待ってただけだ」 修の視線が鋭くなる。 「それより、なんで心臓の持病があることを俺に言わなかった?」 その言葉に、侑子は一瞬戸惑い、申し訳なさそうに視線を落とした。 ―謝らなきゃ。 でも、さっき彼が「謝るな」と言っていたことを思い出し、喉元まで出かかった「ごめん」を飲み込む。 「......自分の病気のことを、そんなにあちこち言うものじゃないし......まさか発作が起こるなんて、思ってなかった」 侑子は小さく笑い、静かに言った。 「迷惑かけて、ごめん......じゃなくて、ありがとう。病院まで運んでくれて」 修は短く「気にするな」とだけ答える。 ―通りすがりの人間でも、助けることはある。 そういうことだ。 「お前、一人で大丈夫か?家族は?誰か看病できるやつがいるなら、連絡しておく」 「......家族とは、ずっと連絡を取ってないの」 そう言って、侑子は修をまっすぐ見つめた。 「藤沢さん、こんな時間まで本当にありがとう。でも、もう大丈夫だから、帰って休ん

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