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第10話

Author: 名無千夜
「うあっ!」奈緒の手のひらが真っ赤になった。

抗議の言葉を口にしようとしたその瞬間、顔を上げた彼女の目に映ったのは、千夏の頬を隠す巻き髪をそっとかき分ける隼人の姿だった。

「アルコールアレルギーか……」

その声は、かすかに震えているようだった。。

もはや紳士的な節度など消え失せ、千夏を横抱きにすると、そのまま踵を返して立ち去ろうとした。

「篠原様!」

和真が慌てて前に出て、行く手を遮った。

「千夏をどこへ連れて行くつもりですか?」

隼人は冷ややかな目で和真を見つめ、まるで死人を見ているかのように言った。

「彼女はアレルギーでショックを起こしている。見てもわからないのか?」

和真は彼の腕の中にいる千夏をちらっと見て、鼻で笑った。

「篠原様、ご存知ないかもしれませんが、この女は芝居が得意なんです。さっき飲んだのはただの水で、アルコールなんて入ってるわけがない」

隼人の胸が上下に波打ち、必死に何かを堪えているようだった。

和真は動かない千夏にじっと目を向けたまま、容赦なく言葉を投げつけた。

「とぼけるな。踊りたくないならそう言えばいい。誰も無理やりやらせてない。被害者ヅラなんかするな。篠原社長にまで誤解させて……とっとと立て」

和真がしつこく言っている間、隼人のそばにいた者が耳打ちで何かを話した。

隼人から冷徹な気配が漂い始めた。

「彼女が飲んだのは水だと?」

和真は自信満々に言った。「はい、奈緒ちゃんがはっきり見てきました」

隼人は目だけで合図を送ると、最も近くにいた黒服の大男がすばやく動き、先程千夏に酒を注いだ御曹司の元へと向かった。

「さっきの酒はどれだ?」

御曹司は恐怖におののきながら答えた。「その、あのボトル……」

千夏に注いだ一杯以外、そのボトルには手がついていなかった。

隼人は奈緒を横目で見ながら言った。「もしこれが水だというなら、成瀬さん、残りの分をどうぞお飲みください」

奈緒は視線を逸らしながら言った。「私もよく見ていなくて……」

隼人は彼女に言い訳をする余地を与えなかった。「成瀬さん、どうぞお水をお飲みください」

黒服の大男は片手で奈緒を押さえつけ、もう片方の手で無理やり酒瓶を彼女の口に押し込んだ。

「や、やめて……助けて……!」

奈緒は和真に助けを求めるような目を向けた。

和真が半歩動こうとし
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    隼人が柱の陰から姿を現した。結局、彼は心配で帰らずに、ずっと近くにいてくれたのだ。私と一緒に和真の車が遠ざかるのを見送り、二人同時に深いため息をついた。私は冗談めかして言った。「隼人お兄ちゃん、なんだか楽しそうに見えますけど?」隼人はそっと私の腰に手を回し、微笑んだ。「もちろん。やっと咲良ちゃんの隣が空いたんだから」「身分証と戸籍、持ってきてるけど……今ここでプロポーズしてもいい?」あっけにとられて、口を開いたまま固まる私。「はぁ?」隼人の手がぎゅっと私の腰を掴んだ。そのシャープな顎のラインが一層冷たく見えたけど、私にはわかっていた。彼がただ、緊張してるだけだって。「咲良ちゃん、僕と結婚してくれる?」そう言って、ポケットから手品みたいにダイヤの指輪を取り出した。真剣な眼差しの中に、ちょっとだけ照れたような表情。「アクセサリーには詳しくないけど、もし気に入らなかったら、一緒に選びに行こう」見慣れたブランドとデザインに目を落とすと、心の奥がじんわりと温かくなる。数日前、突然宝石雑誌を持ってきて「どれがいいと思う?」なんて何気なく話しかけてきたっけ。あの時はただの雑談かと思ってた。でも、あの頃からもう、準備してくれてたんだ。「咲良ちゃん?」隼人が少し不安そうに私の顔を覗き込んだ。「準備がちゃんとできてなくてごめん。やっぱり、いきなりすぎたよね……」「隼人お兄ちゃん」私は彼の言葉を遮り、自分からそっと彼の手を握った。「……一緒に、婚姻届、出しに行こう」役所で、職員が私たちの写真を撮るとき、なんとも言えない表情を浮かべていた。こんな短期間で離婚して再婚するなんて、新人職員ならなおさら見たことないだろう。何度か話しかけようとしては戸惑って、結局黙っていた。そして結婚証明書を受け取ったその瞬間、隼人がいきなりいくつものご祝儀袋を取り出し、職員たちに配り始めた。その途端、周囲の空気がガラッと変わった。「お似合いですね!きっと幸せになりますよ!」「本当に理想の夫婦って感じ。末永くお幸せに!」祝福と賞賛の声が飛び交う中で、隼人の固かった表情も少しずつ緩んでいく。私を見る目が何度もやさしく細められ、あふれる愛情がそこにあった。半山の別荘へ戻る途中、もう一度結婚証明書を手

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    和真の笑顔が一瞬で固まった。「千夏、心から祝ってるのに、そんな刺々しい言い方しなくてもいいだろ」「結構よ。あなたの祝福なんて、受け取る気ないから」「……」和真は珍しく怒鳴り返してこなかった。ただ静かに言った。「これは空輸してもらった『ルイ14世』のバラだよ。前に欲しいって言ってたろ?」思わず息をのんだ。たしかに昔、和真にそんな話をしたことがあった。あのとき私は奈緒と同じステージで主役を務めていたのに、終演後、誰かが豪華な『ルイ14世』を奈緒に贈って、注目は全部あの子に集まった。あの頃は、まだ奈緒が和真の愛人だなんて知らなかった。悔しくて家で愚痴った私に、和真は「嫉妬深い女だな」って不機嫌になったっけ。後になって、その『ルイ14世』が和真の仕込みだったと知ったときの、あの衝撃――「そうね」私は苦笑いを浮かべた。「あなたの愛をずっと信じて待ってたあのバカ女、本当におめでたいわ」周囲の視線を気にしながら、和真は困ったような表情を浮かべた。「千夏、もう謝っただろ?まだ何が不満なんだ?素直になれないのか?」そう言いながら、無理やりバラを押し付けてくる。「持ってろよ。メディアが来たら、笑って立ってるだけでいいんだから」「私が、あんたの言いなりになってインタビュー受けるとでも思ってるの?」私は和真を真っ直ぐに見据え、挑むような視線を向けた。和真はわざとらしく寛大な態度を見せた。「千夏、くだらないマネはやめろ。お前が自分で痛い目見なきゃ気が済まない性格なの、わかってるよ。だから今まで見て見ぬふりしてたんだ。でも見てみろ。篠原なんて、お前をただの遊び相手としか思ってない。あいつが本当にお前のこと大事にしてたら、今回の騒動で黙ってるわけないだろ?俺、前から言ってただろ?男はみんな浮気するもんだって。それが現実なんだよ。慣れるしかないさ。それに、お前の過去を全部受け入れてやれるのなんて、この世で俺だけだぞ?」「ふうん」私は眉を上げ、和真の背後を見た。「ねえ、隼人お兄ちゃん。今日のダンス、どうだった?」「この世のものとは思えなかったよ。腐った人間には理解できないだろうけどね」隼人は、超高価な『ジュリエットローズ』の花束を抱えて、注目を集めながら近づいてきた。よく見ると、花束の中心には大きなダイ

  • 夜の踊り子   第24話

    華やかな舞台の上で、何も知らない奈緒は白いドレスに身を包み、自信満々に踊り続けていた。その裏で、舞台裏の監視室では和真が別のライブ配信をじっと見つめていた。モニターに映る真紅のシルエットは、ライトも豪華な舞台装置も必要とせず、彼女自身の存在だけで舞踊の美しさを体現していた。番組の公式ライブ配信の視聴者数は、みるみるうちに減っていく。和真だけでなく、観客の視線もすべて、あの個人配信のほうに吸い寄せられていた。コメント欄は、真っ赤なシルエットへの熱狂で埋め尽くされていた。【言葉が出ない。ただただ「すごい」としか言えない】【圧巻!柊木さんのダンス見た後だと、成瀬さんのはただのコピーにしか見えない】【成瀬さんが突然「盗作認めろ」とか言ってた理由、あれもう犯人の自白だよね】【気づいた人いる?柊木さん、ずっと片足に力を集中させてる。まるで本当に怪我してるみたい】【もし怪我が嘘なら、あのリアルな動きからして彼女の実力は本物だし、本当に怪我してるなら、片足であれだけの難易度の動きなんて信じられない】【本当でも嘘でも、柊木さんがずっと過小評価されてたのは間違いない】やがて番組の審査員が不安そうに和真を見ながら、そっと尋ねた。「北条さん……この状況で、点数はどうすれば……?」和真はモニターから視線を外しながら短く答えた。「予定通りにやれ」「でも……観客の反応が――」「君たちは専門家だろ?」和真は苛立ちを隠さず言い捨てた。「どう評価するかなんて、君たち自身で決めればいいだろ」……一曲を踊り終えた私は、胸に溜まっていた息を深く吐き出し、更衣室に向かって服を着替えた。着替えを終えてから番組のライブ配信を確認すると、ちょうどあの買収された審査員たちが奈緒をべた褒めし、私を酷評している場面だった。「成瀬さんの舞踊こそが本物のダンスです。その技術力と感情表現の豊かさに比べて……柊木さんのは、ただの古臭い見せかけでしかありません」私は口元を少し引きつらせた。でも、そんな言葉に胸が痛むことはなかった。こういう高慢な「芸術家」たちは、いつも自分だけが正しいと信じて、大衆を見下し、騙せると思い込んでいる。でも私が言ったように、たとえ舞踊に詳しくなくても、美しさを感じ取る力は誰にでもある。私と奈緒、ど

  • 夜の踊り子   第23話

    番組の生放送当日、私は隼人にテレビ局まで送ってもらうのを断った。タクシーから降りたところで、和真が露骨に嘲ってきた。「千夏、隼人は落とせなかったの?それともただの遊び相手だった?」無視して通り過ぎようとすると、和真が腕を広げて前に立ちはだかった。「足の怪我、まだ治ってないだろ?今日のダンス、勝てるわけない」私は冷たく睨み返して言った。「彼女に勝つくらい、片足でも十分よ」和真は鼻で笑った。「ここ数年、俺が甘やかしすぎたんだな。調子に乗りやがって。昔のことを思い出させてやろうか?誰もがお前を避けてた時期、お前は俺の足元に跪いて『行かないで』って泣いて、水を買うのにすら俺の許可を求めてた……全部忘れたのか?」私は感情を抑えて静かに答えた。「和真、私がどれだけ真剣に、全身全霊であなたを愛してたか、あなたには見えなかったし、もう覚えてもいないのね。覚えてるのは、私の惨めさと……あなたが私を『救ってやった』ってことだけ」和真は一瞬、眉をひそめて言い返そうとしたが、私は言葉を続けた。「借りは全部返した。少しでも良心が残ってるなら、私と成瀬さんのことに口を出さないで」「奈緒は俺の女だぞ」和真はだらしない声で言った。「自分の女を守るのがそんなに悪いか?」私は静かに頷いた。「ええ、正論ね」和真の目に、ふっと光が差した。「わかってるだろ?俺は昔から身内には甘い。お前が今でも『俺の女』だったら、助けてやれたのにな」「どうやって?成瀬さんが盗人だって世間に言うの?」和真は唇を噛みしめ、少し沈黙したあとで言った。「今すぐ自主的に番組を降りれば、あとでちゃんと仕事のチャンスを回してやる。ネットの評判だって、俺がなんとかしてやる」私は彼の手を振り払った。「……最低ね」「千夏!これが最後のチャンスだぞ!」振り返らずにエレベーターに乗り、扉が閉まると同時に、和真の声も遮断された。和真が本気で、今度こそ私を潰そうとしているのは分かっていた。ステージ美術、音響、バックダンサー――すべて国際的に有名なチームを揃え、さらに『ダンサーショー』のディレクターや審査員まで金で動かしていた。「柊木さん、こちらがあなたのステージになります」馴染みのある中村プロデューサーが、長年使われていなかった旧スタジオに案内してきた。「舞

  • 夜の踊り子   第22話

    奈緒は、完全にわざとやっている。私の足の怪我がまだ治りきっていないのを知ったうえで、あえてその場での対決を提案してきた。先に手を打って、優位に立とうというつもりなのだろう。今の私がどれだけ事実を語ったとしても、ネットの人たちは信じてくれない。その状況で、彼女が少しでも話を誘導すれば、私は「仕返し目的で動いた」と簡単に解釈されてしまう。奈緒はすべて計算済みだった。でも、私が自分を証明できる映像を持っているなんて、思いもしなかったようだ。文案の編集を終え、指を送信ボタンの上に置く。軽く押すだけで、真実が世に出る。……けれど、ふと気が変わった。こんなに簡単に彼女を暴くのは、なんだか物足りない。成瀬奈緒という名前も、彼女自身も、きっちりと恥辱の柱に縛りつけてやりたい。秋のバッタのように、目の前でピョンピョンと跳ね回る姿は、見ていて苛立つ。送信をキャンセルし、三文字だけ打ち込んだ。【ステージで会いましょう】『ダンサーショー』は、今や私と奈緒の対決が注目の的となり、最も話題を集めているバラエティ番組になっていた。番組ディレクターが私に連絡してきて、契約の細かい内容やステージ演出について丁寧に話してくれた。ディレクターの態度は誠実そのもので、舞台演出の要求も非常に的確だった。何度か会ううちに、会話もスムーズに弾むようになっていった。ディレクターは「ステージの手配は僕に任せてください」と自ら名乗りを上げ、私は自分のステージデザインの構想をすべて彼に伝えた。ディレクターは自信満々にこう言った。「全部任せてください。絶対にご満足いただけます!」ところが、生放送の前日。奈緒のSNSに、完成したステージ装飾の写真がアップされた。そこに写っていたのは、紛れもなく、私が考えたあの舞台だった。厚かましくも彼女は、その写真にこんなコメントを添えていた。【これは私の戦いの舞台です】コメント欄は賞賛の声で溢れていた。【うわー、すごい!国内ステージ演出の新境地じゃない?】【要素盛りだくさん!細部のこだわりが半端ない。特に中央の白いバラ、最高!】【奈緒ちゃん、恋愛では不運でも、仕事はトップクラス。文句のつけようがないね】『ダンサーショー』のルールでは、ステージのアイデアは出演者自身が考えるこ

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