「うん、旦那って大家族なのよね。姫華、ありがとうね」姫華は唯花の夫が自分の家族を連れて助太刀に行くと聞き、安心して言った。「唯花、あなたと旦那さんってスピード婚なんでしょ?なんだか二人の関係はイイ感じみたいね。あなた達に何かある時には彼が必ず助けてくれるみたいだし」唯月の夫とはまったく違っている。知り合って十二年という長い時間は一体何の役に立つというのだ?そんなに長い付き合いなのに、唯花がスピード結婚した旦那に遠く及ばないではないか。「わかったわ、今回は私は遠慮しておきましょう。だけどね、次もしも何か困ったことがあったら、絶対に私に言ってよね。そうしてくれないなら、私をもう友達だと思わないでちょうだい。そうだ、お姉さんのお家の住所を教えてくれない?私、唯月さんのお家に陽ちゃんの様子を見に行ってくるわ」唯花は彼女のこのお願いは断らなかった。電話を切った後、唯花は姉の住所を姫華に送った。理仁はずっと耳を澄ませて唯花と姫華の通話を聞いていた。姫華が人を連れてやって来ると聞いた時には、彼は車のハンドルをぎゅっときつく握りしめていた。姫華がもし来たら、彼の正体がばれてしまうことになる。彼はこんな突然に真実を明かしたくなかった。それでは唯花に心の準備ができておらず、本当のことを受け入れられないだろう。それに、夫婦二人はまだ相手に対するお互いの気持ちがまだ定まっていない。だからいきなり正体をばらすのは相応しくないのだ。幸いなことに、唯花が姫華の好意をやんわりと断ってくれた。理仁は姫華に対しては好感を持ってはいなかったが、姫華の唯花に対する優しさは認めざるを得なかった。姫華のあの荒い気性とその身分が、彼女を何があっても心の赴くままに行動させていた。じっと我慢している必要はないのだった。理仁は何も気にしていないかのようなふりをして尋ねた。「神崎さん?」「うん、姫華がお母様と叔母様の小さい頃の写真を送ってきたの。あの山荘に行っていた日、ちらっと見ただけで何も気づかなかったんだけど、帰ってからよく見てみたらね、突然なんだか彼女の叔母様が陽ちゃんとすごく似てるなって思ったのよ」理仁は彼女のこの言葉に驚き、危うく前を走行している車に追突してしまうところだった。彼は焦って急ブレーキをかけた。唯花の体はその衝撃で前のめり
それか、姫華は叔母が大人になった後の姿をイメージできなかったのだろう。唯花は柏木家から帰って来た後、神崎家のそのおばさんが大人になった後のイメージを描いてみようと思った。姉に似ているだろうか?「そういうことなら、君のお母様が神崎さんの叔母さんだっていうこと?」理仁は「有り得ない!」と心の中で叫んだ。まったくもって有り得ない!そんなこの世で最も有り得ないようなことが、まさか自分の妻の身に起きるとは!最も助けてくれと叫びたくなることは、神崎姫華が以前、彼に公開告白をして、追いかけ回していたということだ。しかも唯花は姫華に彼を落とすためのアドバイスをしていたのだぞ。もしも彼が指輪をはめて神崎姫華にわざと見せていなければ、彼女は今でも毎日彼に付き纏い、彼を相当イラつかせていたことだろう。本来であれば、神崎姫華にはしっかりと教訓を与えてやるところだったのだが、まさかその彼女と唯花が仲の良い友人になるとは思ってもいなかったのだ。それで彼は何もできなくなってしまった。唯花に対して心から優しくしてくれる人には、彼は特別に好待遇をしてあげるつもりだ。内海家のあのクズどもは最近ピタリと鳴りを潜めていて、唯花に迷惑をかけにくることはなかった。彼が手を出したことだし、姫華も一役買っている。内海家は唯花の後ろ盾となっているのが彼であるということは知らず、姫華のほうだと勘違いしていた。それで姫華を恐れて今は静かになっているのだった。「私もどうなのかはわからないわ。お母さんは十五年前に亡くなっているし、もしも……」唯花は神崎夫人が数十年もの長い間ずっと妹の行方を捜していて、ようやく見つけたと思ったら、その妹はすでにこの世を去っていると知ったら、かなりのショックを受けてしまうだろうと思った。唯花は自分の母親に対しても、とても心が痛んだ。「たぶん、他人の空似だろう」唯花は落ち込んだ様子で言った。「神崎夫人は妹さんをずっと捜し続けて諦めたことがないわ。お母さんが生きていた頃、一度も自分の家族について話してくれたことはなかった。だけど、もし生きていたら、きっと、自分の家族を見つけたいと思ったでしょうね。お母さんは以前、私たちに話してくれたことがあるの。自分は一体実の両親に捨てられてしまったのか、それとも誘拐されて売られて来たのかを知りた
しかしそれよりも、今すべきことは陽のためにあいつらを懲らしめることだ。自分の正体については、まだ暫くの間は隠し続けることができるだろう。彼はもうすぐ桐生蒼真と雨宮遥の結婚式に出席するためA市に赴かなければならないのだから。どのみち、少しでも時間稼ぎができるなら極力そうするまでだ。彼も神崎夫人と会う前に、唯花に正直に話せばいい。その時は……唯花があまりに大袈裟な反応をしないのを祈るだけだ。彼は結婚当初、彼女に対して一切の感情も持っていなかったし、よく相手のことを知らなかったわけで、自分の正体を隠して彼女の人となりを見極めようと考えるのは、いたって普通のことだと思っていた。彼のこの身分なのだから、彼に近づいてくる女が金目当てなのか、それとも彼自身が好きなのか判断のしようがない。今、唯花の人柄や、物事を処理する際の向き合い方、自信を持ち強く自立した女性であることは正に彼の好みだった。そして彼女と共に過ごしていく中で、いつのまにか彼女に惹かれていった。電話をかけてきた姫華のほうは、唯花との電話が終わると、すぐに使用人に指示を出した。「坂下さん、ちょっと栄養の補助ができるような健康食品を用意してくれないかしら。子供が食べるものよ、人に贈るの」坂下は「そのお子様はおいくつでしょうか?」と尋ねた。「2歳ちょっとよ」「2歳過ぎのお子様でございましたら、特になにもなければ、栄養補助食品などは必要ないと思いますが」坂下はこのように自分の家のお嬢様に教えた。お嬢様はまだ結婚していない。子供のことをよく理解していないのは当たり前のことだ。彼女にこのように教えるのも彼女の仕事の一つなのだ。このお嬢様が相手に相応しくない贈り物をして恥をかき、家に帰って彼女に当たり散らすのを避ける必要もある。「まったく口にしちゃだめなものなの?」陽は健康だから、確かに何か栄養補助食品などは必要ないだろう。「鉄分、亜鉛、カルシウムなどの健康食品は問題ございませんが。しかし、こちらには置いていません」神崎玲凰は結婚しているが、自分の妻を溺愛中で、夫婦二人だけの世界にまだ浸っていたいので、子供は作っていなかった。神崎家の次男と長女である姫華は言うまでもなく、まだ独身貴族だ。それ故、家には幼児用の健康食品などは置いていなかったのだ。「だったらい
神崎夫人はそれを聞いて驚いた。「結城さんに彼女ができたの?」「結婚しているの。しかも奥さんにとても優しくて、溺愛してるみたい。お兄ちゃんでもその奥さんが一体誰なのか調べてもわからないんだから、情報が漏れないようにしっかり守っているんでしょうね」神崎夫人「……彼が結婚しているのなら、もう諦めなさいね。彼はそもそもあなたのものではないんだし、ずっとあなたの片思いだったし」神崎夫人は結城理仁のことを高く買っていたが、彼が自分の娘のことをまったく好きではないことがわかっていた。ただ娘自身が彼にアタックしてみたかったのだ。壁にぶち当たったのなら、他の道を探すまで。「お母さん、ちょっと話があるのよ」姫華は母親とこれ以上結城理仁の話をしたくなかった。彼の話題になると、ぎゅっと心が締め付けられる。長年好きだった男性が、ある日突然、結婚していると知ったのだ。彼女は危うく人の恋路の邪魔をする第三者になってしまうところだった。そしてその瞬間から彼のことを諦めなければならず、辛くないと言えば嘘になる。今の彼女は自分の気持ちを保つために、できるだけ結城理仁の話題は避けようとしていた。「なぁに?お母さん、もうすぐ家に着くわよ。それからじゃだめなの?」「あのね、聞いたら喜ぶと思って、叔母さんの新しい手がかりが掴めたのよ」それを聞くと、やはり神崎夫人は真剣な表情になり、驚きと喜びに溢れた。「姫華、手がかりが掴めたって?叔母さんは今どこにいるの?」「あの友達の唯花が、えっと、あの、この間『不孝者の孫娘』って炎上した子がいたじゃない?お母さんと叔母さんが小さい頃の写真を彼女に送って心に留めておいてもらおうと思って見せたんだけど、さっき彼女に電話した時、その写真をよく見たらなんだか彼女の甥っ子の陽ちゃんと叔母さんが似てるような気がするって言っていたの」それを聞いた神崎夫人の顔色は喜びの色から一転し、少し青ざめた。この間の炎上の件では、騒ぎは結構大きくなり、彼女は内海家が削除してしまった写真を見てはいなかったが、娘の口から大体のことを聞いていて知っていた。内海姉妹といえば、二人の両親はすでに他界しているはずだ。もし、唯花の甥が彼女の妹に似ているのであれば、それは唯花の母親が彼女の妹であるということで、その妹はすでに十五年前に亡くなっている
もし、唯花姉妹が神崎夫人の姪なのだとしたら……神崎夫人は二人の姪っ子が今までに味わって来た苦難を思うと、さらに心が締め付けられて苦しかった。「もうすぐ家に着くわ。待っててちょうだい、あなたと一緒に陽君に会いに行くから」これが最も可能性の高い手がかりだ。彼女は絶対に自ら妹に似ているという子供に会いに行くと決めた。……その頃、柏木家では。「お父さん、お母さん、引っ越さないでちょうだい。私、唯花に賠償金は払わせないって約束するから、これでいいでしょ?」英子は両親が家から出て行こうとするのを必死に止めていた。昨日、両親は帰るとすぐに荷物の整理を始めた。しかし、娘から泣きながら二度とあんな真似はしないと訴えられて、二人は一夜はなんとかここに留まっていたのだ。一晩もすれば、両親の怒りは収まると考えていたのだった。それがまさか今、やはり引っ越して出て行くと言われるとは思っていなかった。特に父親のほうの気がどうしても収まらないようだ。英子の夫である柏木輝夫も一緒に二人をなだめた。「義父さん、義母さん、英子の言うとおりです。引っ越してお二人の家に戻ったって、誰も世話をする人がいないのに、僕たちは安心できないですよ。僕たちと一緒に住んでいたほうが、家族一緒にわいわい楽しく過ごせるじゃないですか。義父さん、智哉も間違いを反省していますから。後で英子とあの子を連れて陽君に謝罪してきます。僕も昨日はしっかりと智哉にしつけてやりましたから」佐々木父はソファに腰かけてタバコをふかし、何も言わなかった。彼の横には荷物を整理したスーツケースが置かれていた。佐々木母は夫を見つめながら、何か言いたげだったが、言葉に出せないようだった。佐々木俊介に関しては、一言も発言することができないようだった。彼は昨日姉の家に着いて、甥が姉の旦那にひどくしつけられているのを見て、彼も怒りがほとんど消えてしまった。「お父さん」「黙っとれ」佐々木父は冷ややかに一喝し、顔を上げて娘をぎろりと睨みつけた。そして、彼の息子のほうはというと、一言も発せず隣に黙って立っているのを見て、彼はさらに怒りが込み上げてきた。それから、孫の智哉は娘婿にひどくしつけられたようだった。しかし、智哉の顔は氷で冷やした後、すぐに腫れが引いた。確かにまだ青あざは少し
「あんたら何しに来たんだい?」英子は彼らにきつい口調で尋ねた。彼女は唯花たちを中へ入れる気はなかったが、一人では力不足で彼らを止めることができなかった。彼女の夫はそんな彼女と真逆の態度で、腰を低くし唯花たちを中へと通した。智哉は唯花たちを見ると、怒りで目を大きく見開き睨みつけていた。それを父親に見つかり、捻られてしまった。「後できちんと謝罪しろよ」輝夫は小声で息子に注意した。「この人たちは、手に負えるような相手じゃない」柏木家の中をめちゃくちゃに破壊しても、彼らは何のお咎めなしなのだから。昨日警察は、まったく柏木家のほうに味方しようとはしなかったのだ。輝夫は結城家に何か並々ならぬものを感じ、逆らってはならない一家だと不安になり、自分たちの負けを認め息子には誠心誠意彼らに謝罪するよう注意した。実は輝夫は考えすぎだった。警察は監視カメラを見て、智哉がさすがにやり過ぎだと判断し、家の中が壊されたことには目を伏せることにしただけなのだ。他人の子供を病院送りにまでしておいて、相手に腹を立ててはいけないと言えるか?まだ子供を持っていない人なら、両親のその怒りと心を痛めることを理解することは難しいだろうが、子供がいる人なら、誰でもその映像を見れば怒りを爆発させることだろう。智哉は口を尖らせて、黙っていた。彼は自分が悪いとは全く思っていない。恭弥が陽に殴られたんだと主張していたからだ。智哉は恭弥の兄なのだから、弟が殴られたらもちろん弟の代わりに仕返しをするだろう。陽が先に手を出さなかったら、こんなことにならなかったくせに。それに別に陽が死ぬまで殴ることはしていないというのに、どうして大人たちの世界では、自分が大罪を犯した極悪人のようになっているのだ。智哉の考え方は彼の母親と完全に一致している。「唯花さん」佐々木父は穏やかな声で唯花に尋ねた。「陽君の様子は?」「お父さん、智哉を見てよ、この子はもうすっかり良くなったでしょ。陽ちゃんだって絶対治ってるわよ」英子は唯花が話す前に自分が話し出した。唯花は冷ややかな目で英子を睨みつけた。英子は不機嫌そうに言った。「なによその目は?唯花、昨日よくもうちの中をめちゃくちゃにしてくれたわね。被害額は……」父親に睨みつけられ、また夫から止められて、英子は結
佐々木母は陽が可哀想だと叫び、目をこする仕草を見せて、智哉を怒鳴った。「智哉、陽ちゃんはあんたの従弟なのよ。どうしてこんなひどいことができるのよ。陽ちゃんをこんなになるまで殴るだなんて」「お母さん、智哉だって自分が間違ってたってわかってるわ。この子だってまだ子供なんだから、力加減するなんてわかるわけないでしょ?」英子は息子に代わって弁解し、また唯花に向って言った。「唯花、智哉が陽ちゃんを殴ったことは、確かにこの子の間違いよ。昨日、この子の父親がしっかりしつけておいたわ。そして、自分が間違ってたって認めたの。後でこの子を連れて果物を買って、陽ちゃんのお見舞いに行くわ。しっかり陽ちゃんに謝るからさ。どうせ親戚同士だし、今回の件であんたらがうちの中を壊したことだって、お咎めなしにしてあげるから。だからそっちも、うちの子がやったことはもう言わないでちょうだい。子供同士で殴り合いの喧嘩をするなんてよくあることでしょう。私ら大人が出てきたらいけないんだよ。それに、恭弥が言うには陽ちゃんが先に手を出してきたらしいじゃないの。智哉はお兄ちゃんなんだから、そりゃ弟を守って当然でしょう。今あんたが姉を庇ってるのと同じことだよ」唯花は冷ややかに笑った。「英子、あんたってまったく物事が見えないようね。一体どっちが先に手を出したかって?監視カメラに本当のことがはっきりと映ってますけど」英子は言葉を詰まらせた。彼女はまた心の中で夫は使い物にならないと罵っていた。先に監視カメラの映像を消すのを忘れ、それが警察の手に渡ってしまったのだから。その監視カメラ映像が証拠となり、彼女が口で上手いこと言って、責任の矛先の向きを変えようと思っても、説得力の欠片もなくなってしまう。「今日あんたたちがここに来た目的は?言いな」陽のほうに責任を押し付けることができなくなり、英子は話題を変え、唯花たちにここまでやって来た目的を尋ねた。彼女は結城家側のほうへ目線を向けた。彼らは特別に何かをする必要などなかった。このようにそこに座っているだけで、ものすごい威圧感で、心臓まで震え上がってしまう。彼女の実家側の人間は見るまでもない。みんな肝っ玉が小さく怯えて何も言えない。一家揃って全く役に立たない!英子は心のうちで自分の家族を罵っていた。おばあさんと目が合うと、英子
英子は父親に睨みつけられ、何も言えなくなり、弟のほうに目線を向けて何かを訴えていた。俊介は姉からの救難信号を受け取り、ゴホンと咳をして唯花に言った。「唯花、姉ちゃんに智哉を連れて陽に謝罪させに行くだけで十分だろ。その、俺は陽の父親だ、あの子の保護者であるわけだし、俺に決定権があるはずだろう」唯花は俊介のその口ぶりにカチンと来て、皮肉を返した。「あんた、陽ちゃんの父親だって自覚あったんだ?他所の家庭の父親は自分の息子がいじめられたと知ったら、竹刀でも持って相手の家に殴り込みに行くでしょうけどね。あんたも人の父親だっていうのに、なるべく事を荒立てないようにしたいなんて、甥って自分の息子よりも大事なんだ?」そういい終わると唯花は輝夫に言った。「陽ちゃんは緊急で手術室に運ばれて、全身の検査もしたわ。全部で数万円はかかった。病院から領収書はもらって来てる。あんたたちに私が余分に金をだまし取ろうとしてるなんて言われないようにね。今日私が来たのは、まずはあんた達が子供を連れて姉と陽ちゃんに謝罪に行ってもらうため、そして今後は二度と陽ちゃんに近づかないと約束してもらうためよ。次に、慰謝料についてよ。陽ちゃんは心に大きなダメージを負ってるわ。今後彼の心の傷を癒すためにどれほどお金がかかるかわからないけど。これははっきりといくら賠償してと、今ここで言うことはできないわ。とりあえず先に治療費を払ってちょうだい。今後も治療費が必要になるなら、それは全部あんた達に出してもらうわ。栄養をつけて早く回復させるための栄養補填のための食費や、精神的ダメージを癒すのにかかる費用も、そんなに高い金額を請求したりしないわ。昨日の治療費と合わせて、今はとりあえず、陽ちゃんに対して百万円慰謝料として渡してちょうだい」英子はそれを聞くと飛び上がった。「あんた、いっそのこと銀行強盗でもやってくれば?陽ちゃんは一体いくつよ?栄養をつけるための食費に、精神的なダメージを受けたことへの賠償もだって?だったらうちの智哉も殴られたんだから、それの賠償もしなさいよ」唯花は彼女に聞き返した。「あんたの息子は誰に殴られたんだっけ?」英子「……」「その息子を殴った相手に慰謝料を請求しなさいよ。どのみち私たちは誰一人としてあんたの息子を殴ってないし」英子「……」暫くして、彼女は恨めしそ
「唯花さん、どうしたんだ?」理仁は彼女の異様な様子に気づき、急いで近寄ってベッドの端に腰をおろした。そして手を伸ばして彼女の身体に当て心配そうに尋ねた。「具合が悪いの?」「お腹が痛いの」「お腹が?もしかして夜食を食べた時に、食べ過ぎで痛くなったの?」唯花は彼をうらめしそうに見ていた。「違うの?だったら、どうしてお腹が痛くなった?」唯花は体の向きを変えて彼に背を向けた。「あなたにはわからないわ。ちょっと横になって我慢してたら良くなるわよ」理仁は眉をひそめた。彼は立ち上がって、すぐに腰を曲げ唯花をベッドから抱き上げた。そして整った顔をこわばらせて言った。「俺には医学的なことはわからない。でも医者にならわかるだろう。病院に連れて行くよ。我慢なんかしちゃだめだ。もし何かおおごとにでもなったら、後悔してももう遅いだろ」「病院なんか行かなくていいの。私はその……月のものが来ただけよ。だからお腹が痛くなったの」理仁「……月のもの……あ、あー、わ、わかったよ」彼は急いで唯花をまたベッドに寝かせた。「どうして痛くなるんだ?」彼は女性が生理中にお腹が痛くなるということを知らなかった。彼の家には若い女の子はいないのだ。両親の世代には女性がいるが、若い女性には今まで接したことがない。そう、だから本気でこんなことは知らなかったのだ。唯花が生理になった当日は、彼は彼女にジンジャーティーを入れてあげたが、あれは彼が以前、父親が母親にそのようにしてあげていたのを見たからだった。それで女性は生理中にはジンジャーティーのようなものをよく飲むのだと理解していた。「たぶん昼間たくさん動いたし、寒かったし、それで痛くなったんだわ。またジンジャーティーでも作ってくれない?」「わかった。暫く耐えてくれ。すぐに作ってくるから」理仁はすぐにジンジャーティーを作りに行った。キッチンで彼は母親に電話をかけた。「理仁、お母さんは寝ているぞ。何か用があるなら明日またかけてくれ」電話に出たのは父親のほうだった。「父さん、母さんを起こしてくれないか?ちょっといくつか聞きたいことがあるんだ」「聞きたいことって、今じゃないとダメなのか?言っただろ、母さんはもう寝てるんだって。彼女を起こすな。何だ、どんな問題なんだ?父さんに言ってみろ、解決できるかも
俊介はかなり怒りを溜めていた。一方、唯花のほうは今日、かなりスッキリしているようだ。夫婦二人が姉の賃貸マンションから出て来た後、唯花はずっと笑顔だった。理仁は可笑しくなって彼女に言った。「そんなに豪快に笑ってないでよ。お腹が痛くなるよ」「笑いでお腹が痛くなるっていうなら、ウェルカムよ。今頃、佐々木俊介はあの家に帰ってる頃よ。あいつ家に着いてどんな反応をしたかしらね?絶対入る家を間違えたって思ってるわよ。あはははは、あいつの反応を想像しただけで、思わず笑いが込み上げてくるわ。またちょっと大笑いさせて、あはははははっ……」理仁も彼女につられて笑ってしまった。そして危うく街灯にぶつかってしまうところだった。驚いた彼は急いでハンドルを切り、それをなんとかかわした。唯花もそれに驚いて笑いを止めた。安全運転になってから唯花は言った。「理仁さん、あなたの運転技術は如何ほどなの?下手なら、今後は私が運転するわ。私運転は得意なのよ。カーレースだって問題ないわ」「俺は18歳の時に免許を取ったもう熟練者だぞ。さっきはちょっとした事故だ、笑いすぎて集中力が落ちてたんだよ」唯花「……まあいいわ。もう言わないから、運転に専念してちょうだい」彼女は後ろを向いて後部座席に座っているおばあさんを見た。おばあさんが寝てしまっているようだから、夫に注意した。「おばあちゃん、寝ちゃったみたい。音楽をちょっと小さくして」清水はまだ唯月の家にいて、一緒に帰ってきていないのだった。理仁は彼女の指示に従った。そして唯花はあくびをした。「私も眠くなってきちゃった」「もうすぐ家に着くよ」「ちょっと目を閉じてるから、家に着いたら起こしてね」「君は一度目を閉じたら朝までその目を覚まさないだろうが。寝ないで、あと十分くらいだから。おしゃべりしていよう」唯花は横目で彼を見た。「あなたとおしゃべりしたら、優しい神様ですら飽きて寝ちゃうかもしれないわよ」理仁「……」暫くして、彼は言った。「唯花さん、俺は大人になってから、君を除いて俺にそんなショックを与えられる人間は一人もいなかったよ」「私は事実を述べただけよ」唯花は座席にもたれかけ、携帯を取り出してショート動画を見始めた。ショート動画によってはとても面白いので、眠気も全部消えてしまった。そし
俊介「……こんなにあるゴミも片付けてねぇじゃねえか!」唯月は可笑しくなって笑って言った。「私が当時、内装を始めた時には同じようにゴミが散らかっていたじゃないの。それは私がお金を出してきれいに片付けて掃除してもらったのよ。その時に使ったお金もあんたは私にくれなかったじゃないの。今日、それも返してもらっただけよ」「人を雇って掃除してもらったとしても、いくら程度だ?そんなちっぽけな金額ですらネチネチ俺に言ってくるのかよ」「どうして言っちゃいけないの?あれは私のお金よ。私のお金は空から降ってきたものじゃあないのよ。どうしてあんたにあげないといけないのよ。一円たりともあんたに儲けさせたりするもんか」俊介「……」暫く経ってから、彼は悔しそうに歯ぎしりしながら言った。「てめぇ、そっちのほうが性根が腐ってやがる!」「私はただ私が使ったお金を返してもらっただけよ。そんなにひどいことしてないわ。あんたが当時、自分のお金で買った家と同じものにしてやっただけでしょ」俊介は怒りで力を込めて携帯を切ってしまった。そして、携帯を床に叩きつけようとしたが、莉奈がすぐにその携帯を奪いにいった。「これは私の携帯よ、壊さないでよね」「クッソ、ムカつくぜ!」俊介はひたすらその言葉を繰り返すだけで、成す術はなかった。唯月の言葉を借りて言えば、彼女はただ自分が内装に使ったお金を返してもらっただけだ。彼が買ったばかりの家はまだ内装工事が始まる前のものなのだから、誰を責めることができる?「俊介、これからどうするの?」莉奈も唯月は性根の腐った最低女だと思っていた。なるほど俊介が彼女を捨ててしまうわけだ。あんな毒女、今後一生お嫁には行けないだろう。莉奈は心の中で唯月を何万回も罵っていた。「こんな家、あなたと一緒に住めないわ」彼女は豪華な家に住みたいのだ。「私もマンションは大家さんに返しちゃったし、私たちこれからどこに住むの?」俊介はむしゃくしゃして自分の頭を掻きむしって、莉奈に言った。「ホテルに行こう。明日、部屋を探してとりあえずそこを借りるんだ。この家はまた内装工事をしよう。前は唯月の好みの内装だったことだしな。また内装工事するなら、俺らが好きなようにできるだろ。莉奈、君のところにはあといくらお金がある?」莉奈はすぐに返事をした。「
「ドタンッ」携帯が床に落ちた時、画面がひび割れてしまった。俊介は急いで屈んで携帯を拾い、携帯の画面が割れてしまったことなど気にする余裕もなく、再び部屋の中を照らして見渡してみた。莉奈も携帯を取り出して、フラッシュライトで彼と一緒に部屋の状況を確認するため照らしてみた。豪華な内装がないだけでなく、ただの鉄筋コンクリートの素建ての家屋にも負けている。「俊介、やっぱり私たち入る家を間違えてるんじゃないの?」莉奈はまだここは絶対に自分たちの家ではないと希望を持っていた。俊介は奥へと進みながら口を開いた。「そんなわけない。間違えて入ったんじゃない。それなら、この鍵じゃここは開かないはずだ。ここは俺の家だ。どうしてこんなことになってるんだ?うちの家電は?たったのこれだけしか残ってないのか?」俊介の顔がだんだんと暗い闇に染まっていった。彼は食卓の前に立った。このテーブルは彼がお金を出して買ったものだ。この時、頭の中であることが閃いた。俊介はようやく理解したのだ。唯月の仕業だ。「あのクッソ女ぁ!」彼はどういうことなのか思いつき、そう言葉を吐きだした。「あいつが俺の家をこんなにめちゃくちゃにしやがったんだ!」俊介がこの言葉を吐いた時、怒りが頂点に達していた。莉奈はすぐに口を開いた。「早く警察に通報してあの女を捕まえてもらいましょう。賠償請求するのよ。あなたの家をこんなふうにしてしまったんだから、どうしたって内装費用を要求しなくっちゃ」内装費?俊介は警察に通報しようと思っていたが、莉奈の言った内装費という言葉を聞いて、すぐにその考えを捨ててしまった。そして、警察に通報しようとしていたその手を止めた。「どうして通報しないの?まさかしたくないとでも?まだあの女に情があるから?」莉奈は彼が電話をかけたと思ったらすぐに切ってしまったのを見て、とても腹を立て、言葉も選ばず厳しく責めるような言い方をした。彼女は自分が借りていたあの部屋はもう契約を解消してしまったし、全てを片付けて彼と一緒にこの家に帰ってきたのだ。ここに着くまでは、豪華な部屋に住めると思っていて、家族のグループチャットにキラキラした自分を見せつけようと思っていたというのに。結果、目に入ってきたのは素建ての家屋にも遠く及ばない廃れ果てた家だったのだ
「私たちの家は何階にあるの?」「十六階だよ」俊介は莉奈のスーツケースを車から降ろし、それを引っ張って莉奈と一緒にマンションの中へと入っていった。エレベーターで、ある知り合いのご近所さんに出くわした。彼らはお互いに挨拶を交わし、そのご近所さんが言った。「佐々木さん、あなたの奥さん、午後たくさんの人を連れて来てお引っ越しだったんでしょ?どうしてまたここに戻ってきたんですか?」「彼女は自分の物を引っ越しで運んで行っただけですよ」相手は莉奈をちらりと見やり、どういう事情なのか理解したようだった。そして俊介に笑いかけて、そのまま去っていった。なるほど、この間佐々木さんが奥さんに包丁で街中を追い回されていたのは、つまり不倫していたからだったのか。夫婦二人はきっと離婚したのだろう。唯月が先に引っ越していって、俊介が後から綺麗な女性を連れて戻ってきたのだ。もし離婚していないなら、ここまで露骨なことはしないだろう。「さっきの人、何か知っているんじゃないの?」莉奈は不倫相手だから、なかなか堂々とできないものなのだ。俊介は片手でスーツケースを引き、もう片方の手を彼女の肩に回し彼女を引き寄せてエレベーターに入っていった。そして微笑んで言った。「今日の午後、俺が何しに行ったか忘れたのか?あの女と離婚したんだぞ。今はもう独身なんだ。君は正式な俺の彼女さ、あいつらが知ってもなんだって言うんだ?莉奈、俺たちはこれから正々堂々と一緒にいられる。赤の他人がどう言ったって気にすることはないさ」莉奈「……そうね、あなたは離婚したんだもの」彼女は今後一切、二度とこそこそとする必要はないのだ。エレベーターは彼ら二人を十六階へと運んでいった。「着いたよ」俊介は自分の家の玄関を指した。「あれだよ」莉奈は彼と一緒に歩いていった。俊介は預けてあった鍵をもらって、玄関の鍵を開けた。ドアを開くと部屋の中は真っ暗闇だった。彼は一瞬ポカンとしてしまった。以前なら、彼がいくら遅く帰ってきても、この家は遅く帰ってくる彼のためにポッと明りが灯っていたのだ。今、その明りには二度と火が灯ることはない。「とっても暗いわ、明りをつけて」莉奈は俊介と部屋の中へ入ると、俊介に電気をつけるように言った。俊介はいつものようにドアの後ろにあるスイッチ
賑やかだった午後は、暗くなってからいつもの静けさへと戻った。唯月は結婚当初、この家をとても大切に多くのお金を使って内装を仕上げた。それが今や、彼女が当時買った家電は全て持ち出してきてしまった。そして、新しく借りた部屋には置く場所がなかった。彼女は中からよく使うものだけ残し、他のものは妹の家にではなく、中古として売ることにした。それもまた過去との決別と言えるだろう。唯月が借りた部屋はまだ片付けが終わっていなかったので、料理を作るのはまだ無理で、彼女はみんなを連れてホテルで食事をすることにした。そして、その食事は彼女がまた自由な身に戻ったお祝いでもあった。唯月のほうが嬉しく過去と決別している頃、俊介のほうも忙しそうにしていた。夜九時に成瀬莉奈が借りているマンションへとやって来た。「莉奈、これだけなの?」俊介は莉奈がまとめた荷物はそんなに多くないと思い、彼女のほうへ行ってスーツケースを持ってあげて尋ねた。「もう片付けしたの?」「普段は一人暮らしだから、そんなに物は多くないのよ。全部片づけたわ。要らない物は全部捨てちゃったの」莉奈はお気に入りのかばんを手に持ち、それから寝る時に使うお気に入りの抱き枕を抱えて俊介と一緒に外に出た。「この部屋は契約を解消したわ」「もちろんそれでいいよ。俺の家のほうがここよりもずっと良いだろうし」「あの人はもう引っ越していったの?」莉奈は部屋の鍵をかけて、キーケースの中からその鍵だけ外し、下におりてから鍵をそこにいた人に手渡した。その人は大家の親戚なのだ。「もう大家さんには契約を解消すると伝えてあります。光熱費も支払いは済ませてありますから。おじさん、後は掃除だけです。部屋にまだ使える物がありますけど、それは置いたままにしています」つまり、その人に掃除に行って、彼女が要らなくなったまだ使える物を持っていってくれて構わないということだ。おじさんは鍵を受け取った後、彼の妻に掃除に行くよう言った。俊介はスーツケースを引いて莉奈と一緒に彼の車へと向かい、歩きながら言った。「暗くなる前に、あいつから連絡が来たんだ。もう引っ越したってさ」同時に唯月は彼女の銀行カードの口座番号も送っていた。今後、彼に陽の養育費をここに振り込んでもらうためだ。そして彼女は俊介のLINEと携帯番号を全て削
理仁は悟のことを好条件の揃った男じゃなかったら、彼女の親友に紹介するわけないと言っていた。確かに彼の話は信用できる。一方の悟は、来ても役に立てず、かなり残念だと思っていた。彼が明凛のほうを見た時、彼女はみんなが荷物を運ぶのを指揮していたが、悟が来たのに気づくと彼のもとへとやって来た。そして、とてもおおらかに挨拶をした。「九条さん、こんばんは」「牧野さん、こんばんは」悟は微笑んで、彼女に心配そうに尋ねた。「風邪は良くなりましたか?」「ええ。お気遣いありがとうございます」唯花はそっと理仁を引っ張ってその場を離れ、悟と明凛が二人きりで話せるように気を利かせた。そして、唯花はこっそりと夫を褒めた。「理仁さん、あなたのあの同僚さん、本当になかなかイイじゃない。彼も会社で管理職をしているの?あなた達がホテルから出て来た時、彼も一緒にいるのを見たのよ」「うん、あいつも管理職の一人だ。その中でも結構高い地位にいるから、みんな会社では恭しく彼に挨拶しているよ」そしてすぐに、彼は唯花の耳元で小声で言った。「悟は誰にも言うなって言ってたけど、俺たちは夫婦だから言っても問題ないだろう。彼は社長の側近なんだ。社長からかなり信頼されていて、会社の中では社長の次に地位の高い男だと言ってもいいぞ」唯花は目をパチパチさせた。「そんなにすごい人だったの?」理仁はいかにもそうだといった様子で頷いた。「彼は本当にすごいんだ。職場で悟の話題になったら、誰もが恐れ敬ってるぞ」唯花は再び悟に目を向けた。しかし、理仁は彼女の顔を自分のほうに向けさせ、素早く彼女の頬にキスをした。そして低い声で言った。「見なくていい、俺の方がカッコイイから」「彼って結城家の御曹司に最も近い人なんでしょ。だからよく見ておかなくちゃ。結城社長の身の回りの人がこんなにすごいんだったら、社長自身もきっとすごい人なんでしょうね。だから姫華も彼に夢中になって諦められなかったんだわ」理仁は姿勢を正して、落ち着いた声で言った。「悟みたいに優秀な男が心から補佐したいと思うような相手なんだから、結城社長はもちろん彼よりもすごいに決まってるさ」「お姉ちゃんのために佐々木俊介の不倫の証拠を集めてくれた人って、彼なんでしょう?」理仁「……」彼は九条悟が情報集めのプロだということを彼女
部屋の中から運び出せるものは全て運び出した後、そこに残っている佐々木俊介が買った物はあまり多くなかった。みんなはまた、せかせかと佐々木俊介が買った家電を部屋の入り口に置いて、それから内装の床や壁を剥がし始めた。電動ドリルの音や、壁を剥がす音、叩き壊す音が混ざりに混ざって大合唱していた。その音は上の階や階下の住人にかなり迷惑をかけるほどだった。唯月姉妹二人は申し訳ないと思って、急いで外に行ってフルーツを買い、上と下のお宅に配りに行き謝罪をし、暗くなる前には工事が終わることを伝えた。礼儀をもって姿勢を低くしてきた相手に対して誰も怒ることはないだろう。内海家の姉妹はそもそも上と下の住人とはよく知った仲で、フルーツを持って断りを入れに来たので、うるさいと思っても住人たちは暫くは我慢してくれた。家に子供がいる家庭はこの音に耐えられず、大人たちが子供を連れて散歩に出かけて行った。姉妹たちはまたたくさん食べ物を買ってきて、家の工事を請け負ってくれている人たちに配った。このような待遇を受けて、作業員たちはきびきびと作業を進めた。夕方になり、外せるものは全て外し、外せないものは全て壊し尽くした。「内海さん、出たごみはきれいに片付けますか?」ある人が唯月に尋ねた。唯月はぐるりと一度部屋を見渡して言った。「必要ありません。当初、内装工事を始めた時、かなりお金を使って綺麗に片付けてもらいましたから。これはあの人たちに自分で片付けてもらいます。私が当初、人にお願いして掃除してもらった時に払ったお金とこれでチャラになりますからね」唯花は部屋の中をしげしげと見て回った。壁の内装もきれいさっぱり剥がして、床もボロボロにした。全て壊し尽くしてしまった。姉が掃除する必要はないと言ったのだから、何もする必要はないだろう。これは佐々木俊介たちが自分で掃除すればいいのだ。「明凛、あなたの話を聞いてよかったわ。あなたの従兄に作業員を手配してもらって正解ね。プロの人たちだから、スピードが速いのはもちろん、仕上がりもとても満足いくものだわ」明凛は笑って言った。「彼らはこの道のプロだから、任せて間違いなかったわね」「彼らのお給料は従兄さんに全部計算してもらって、後から教えてちょうだい。お金をそっちに入金するから」明凛は頷いた。「もう従兄には言ってあ
「あ、あなたは、あの運転代行の方では?」唯花は七瀬に気づいて、とても意外そうな顔をした。七瀬は良い人そうにニカッと笑った。「旦那さんに名刺を渡して何かご用があれば声をおかけくださいと伝えてあったんです。仕事に見合うお給料がいただければ、私は何でもしますので」唯花は彼が運転代行をしていることを考え、代行運転の仕事も毎日あるわけじゃないから、アルバイトで他のことをやっているのだろうと思った。家でも暇を持て余して仕事をしていないのではないかと家族から疑われずに済むだろう。「お手数かけます」「いえいえ、お金をもらってやることですから」七瀬はそう言って、すぐに別の同僚と一緒にソファを持ち上げて運んでいった。明凛は何気なく彼女に尋ねた。「あの人、知り合い?」「うん、近所の人よ。何回か会ったことがあるの。普段は運転代行をしているらしくて、理仁さんが前二回酔って帰って来た時は彼が送ってくれたのよ。彼がアルバイトもしてるなんて知らなかったけどね。後で名刺でももらっておこう。今後何かお願いすることがあったら彼に連絡することにするわ。彼ってとても信頼できると思うから」陽のおもちゃを片付けていたおばあさんは、心の中で呟いていた。七瀬は理仁のボディーガードの一人だもの、もちろん信頼できる人間よ。人が多いと、作業があっという間に進んだ。みんなでせかせかと働いて、すぐに唯月がシールを貼った家電を外へと運び出した。唯月と陽の親子二人の荷物も外へと運び出した。「プルプルプル……」その時、唯花の携帯が鳴った。「理仁さん、今荷物を運び出しているところよ」唯花は夫がこの場に来て手伝えないが、すごく気にかけてくれていることを知っていて、電話に出てすぐ進捗状況を報告したのだった。理仁は落ち着いた声で言った。「何台かの荷台トラックを手配したんだ。きっともうすぐマンションの前に到着するはずだよ。唯花さんの電話番号を運転手に伝えておいたから、後で彼らに会って、引っ越し荷物を義姉さんの新しいマンションまで運んでもらってくれ。もし義姉さんのマンションに置く場所がなければ、とりあえずうちに荷物を置いておいていいから」彼らの家はとても広いし、物もそんなに多くないのだ。「うん、わかったわ。理仁さん、本当にいろいろ気を配ってくれるのね。私たちったら