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第9話

Author: 小林ララ子
長年連れ添い、愛し合ってきた明と私は、口喧嘩すら滅多にしなかった。ましてや暴力なんて、考えたことすらなかった。

それなのに......明が浮気しているなんて信じられなかったけど、彼が私に手を上げたなんて、もっと信じられなかった。到底、受け入れられるはずがない。

呆然と彼を見つめたまま、私は唇を震わせながら言った。「......私を殴った?よくも、こんなひどいことを......!どこでそんなの覚えたのよ!」

けれど明は、冷たい表情を崩さない。謝るどころか、まるで当然のように言い放った。「彼女は俺の母さんだぞ、目上の人に手を上げるなんて、どうかしてる。自分に非がないとでも思ってるのか?」

義母は床に座り込んだまま、大喜びで手を叩いた。

「よくやったわ、明!母さん、今まであんたを大事に育ててきた甲斐があったわ!さあ、この小汚い女をもっと痛い目に遭わせてやりなさい!どうせこいつ、外で男漁りして、病気をもらってきたに違いないわ!そうでもなきゃ、あんな汚いガキを産むわけがないでしょう!」

その言葉に、怒りが一気に燃え上がった。自分の子を――愛しい我が子を、そんなふうに言われるなんて許せない。

気づけば私は義母に飛びかかり、手を振り上げていた。

「......私の子は、汚いガキなんかじゃない!!でたらめ言うな、この......!!」

だが、義母の髪を掴んだ瞬間、明が私の腕を強く掴み、そのまま引き離した。

次の瞬間、「ドンッ!」という音とともに、私は明に突き飛ばされ、後ろのチェストの角に激しくぶつかった。

ゴンッ!!

鋭い衝撃が頭に走り、視界が一瞬、真っ暗になった。床に崩れ落ちると、額から何か温かいものが頬を伝って流れていくのを感じた。手で触れると、べったりと血がついていた。

明は険しい顔で私を見下ろし、まるで警告するように言い放った。「真帆、いい加減にしろよ」

「いい加減にしろ、だって?」

胸が締め付けられるような思いの中、私はゆっくりと立ち上がり、明の肩を掴んで叫んだ。

「ふざけないで!あの子は私たちの赤ちゃんよ!!汚いガキなんかじゃない!!ねえ、明......なんで子供があんなふうに生まれたのか、知りたくもないの!?」

明は横目で私を冷たく見やり、皮肉な笑みを浮かべた。

その目は、まるで別人みたいだった。

得体の知れない寒気が背筋を駆け上がる。何か言おうとした瞬間、明は嘲笑するように口を開いた。

「母さんの言うこと、あながち間違いじゃないんじゃないのか?」

「え?」

「俺は健康体だ。それなのに、なんで子供があんなふうに生まれた?その理由、お前が一番よくわかってるんじゃないのか?」

目に涙が溢れた。

「......どういう意味?」

明は薄く笑いながら言った。「真帆、自分の汚い仕業を、俺に暴かせるつもりか?」

「汚い仕業......?」涙を拭い、自嘲気味に鼻をすすりながら問い詰めた。「いつ?どこで?私がそんなことをしたって言うの?」

明の目が鋭くなり、唇に冷笑が浮かんだ。「母さんが言ったよな?うちは清廉潔白な家風だって。それなのに、なんであんな子供が生まれる?それってつまり、お前が外で男を作った証拠なんじゃないのか?」

信じられなかった。明の口から、そんな言葉が出てくるなんて夢にも思わなかった。彼の軽蔑するような表情を見た瞬間、全身が震えた。

この男......私の貞操を疑ってる?義母の無責任な発言を、まるごと鵜呑みにしてるの!?

浮気していたのは明のほうなのに、その濡れ衣を、私に着せようとしてる!?

私は、明と初夜を過ごした直後に子供を授かった。それでも、私が浮気したって言うの?

ふざけないでよ!!

怒りで震える体を押さえつけながら、両手を床に突き、何とか立ち上がった。そして明の目の前まで歩み寄り、勢いよく、その頬を叩いた。

「ねえ、明」静かに問いかける。「自分の悪事を棚に上げて、私に責任をなすりつけるなんて......こっちが聞きたいわ。ねえ、私が子供を産む前夜、お前はどこの女のベッドにいたのかしら?」

ビクリ、と。

彼は一瞬、驚いたように目を見開き、私を睨んだ。

「......どうして、それを?」

「認めるってことね?」

私の声は、冷たかった。

「お前、俺を調べたのか?」

明の瞳孔がかすかに縮まり、険しい眼差しが向けられた。まるで刃物のように鋭く、恐ろしいほど冷たい――今まで見たことのない、彼の顔。

「私が聞いてるのは、それじゃない。認めるのかどうか、って話でしょう?」

冷笑しながら問い詰めると、涙が次々と頬を濡らしていった。

なんて、馬鹿なんだろう私は。

離婚を突きつけたくせに、どこかで期待していた。明が、改心することを。

「他の女に誘惑されて、ほんの出来心だった」とか、「男なら一度は過ちを犯すものだ」とか、「妊娠中で君に構ってやれなかった俺の生理的衝動だ」とか、たとえ嘘でもいい。何かしら言い訳してくれたら、それでよかったのに。

だって長年愛し合ってきたんだもの。何の未練もないままに、こんな風に冷たく突き放されるなんて思わなかった。

けれどそれも私の思い違いだった。明は無表情で私をじっと見つめるだけで、何の説明もしない。

込み上げる怒りに、涙をこぼしながら彼のシャツを掴み、声が嗄れるほど叫んだ。

「なんでこんなことするのよ!!」

明はじっと私を見つめたままピクリとも動かなかったが、ついに堪えきれずに私を地面に突き飛ばした。

明の笑顔はとても不気味で、あの太陽のように爽やかなイメージとはまるで別人だった。

その瞬間、長い間抑えていた悪魔が突然明の体から飛び出してきたように感じた。私に向かって牙をむき、醜くて残忍な一面をさらけ出し、まるで「こんなものも見抜けないとは、なんて愚かなんだ」と嘲笑うかのようだった。

ふと、明と一緒に実家を訪ねたあの夜のことを思い出した。父が書斎で私にこう問いかけた。「真帆、本当に明のことをわかっているのか?」

結局、私は彼のことを全然わかっていなかった。

明は深いため息をつきながら、冷たく言った。「お前、結構隠すのうまいんだな。俺、お前を舐めてたよ。ずっと抑えて何か大きな計画でも練ってたのか?そうなのか?」

「隠す?」私は呆然としながらも、涙が止まらずに流れ落ちた。

今の自分が本当に嫌で、涙しか流せない自分の弱さが恥ずかしくてたまらない。

明は軽蔑したように口角を歪めて言った。「お前だってそんな純粋で善良な奴じゃないだろ?」

その時、義母が突然押しかけてきて、私の髪を掴みながら暴力を振るい始めた。ビンタを何度も食らいながら、「この尻軽女!」と罵倒してきた。

「外で男をたぶらかしてるような女が、うちの明を責める資格なんてあるかよ!明が他の女と遊んで何が悪いって言うんだ?うちの明は若くて有能でハンサムなんだから、浮気もするさ!浮気もできない男なんて甲斐性がないだろうが!お前みたいな安い女が何を偉そうに言うんだよ!明はちゃんと家に帰ってくるんだから、ありがたく思え!」

私は男友達なんて一人もいないし、会社の同僚とは普通にやり取りしているだけなのに、どうしてこんな訳のわからない罪を着せられなきゃいけないの?

「文句があるなら家から出てって、勝手に死んじまえ!」

頭に来た私は反撃し、義母と取っ組み合いになった。でも義母は図太くて力が強い。結局、私は歯が立たず、すぐに押し負けて顔を腫らされ、髪を引きちぎられた。

その間、明は何も言わず、冷めた目で私が義母に蹴り出されるのを見ていた。そして、冷たく言い捨てた。「出てけ、お前なんか外で死ねばいい」

ドアが閉まる瞬間、冷徹な彼の眼差しが最後に私の目に焼き付いた。

ドアがバタンと激しく閉まる音が、廊下の感応ライトを揺らし、薄暗い光が冷たく私を包み込んだ。

私はその場に膝をつき、動けなくなった。ただ、この瞬間が悪夢のようで、現実感がどんどん薄れていった。

今までだったら、喧嘩するたびに明が折れて、私に謝って、許しを請うてきた。「次真帆ちゃんを怒らせたら俺は豚だ!」なんてふざけて言いながら。

でも今、そういう思いが一瞬頭をよぎった。

明が追いかけてきて、「ごめん、俺が悪かった。許してくれ、赤ちゃんがいなくなったのは俺も辛いんだ」って、私を抱きしめて家に連れて帰ってくれるんじゃないかって。

自分がこんなことを期待していたことに気づいた瞬間、私は自分の頬をひどく平手打ちした。

真帆、こんな冷酷で偽善的な男にお前はまだ期待してるのか?

バカじゃないのか?

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    私は決意して口を開いた。「柊さん、後で連絡します」「ええ」柊は事務的に答え、「他に聞きたいことがありますか?」率直に聞いてくれるから、私も遠回しなことはやめて、素直に聞くことにした。「柊さん、手数料はいくらですか?どうやってお支払いすればいいですか?契約は必要ですよね?」「手数料はお好きに」柊は淡々と答え、さらに「契約の件は私の助手から連絡させます」と続けた。「手数料はお好きにって......!?」「実は、私は頼まれて宝井さんの案件を引き受けたんです。だから、手数料は相場で問題ありませんよ」そう言うと、柊は電話を切った。私は少し呆然としながらスマホを握りしめた。別にひねくれてるわけじゃないけど、柊がこの案件をあまりやりたくないんじゃないかって漠然と感じた。だって、あんな少ない手数料なんて、全然気にしてないように見えたし、むしろ友人から頼まれて仕方なく引き受けたって感じだ。理奈に頼まれたのかな?私は理奈にメッセージを送った。「牧野先生、こんな友人がいるなら、もうこれ以上何も求めることはありません!柊さんみたいなトップクラスの弁護士、少なくとも200万くらいかかると思ったけど、まさか相場でいいって言われたなんて。本当に牧野先生のおかげですね!」しばらくして、家に着いた後に理奈から返事が来た。「浮気男と女狐に天罰を下すのは当然でしょ!」私は笑いながら、関連のチャット履歴を削除して、ペットの話なんかの日常会話だけを残した。理奈の猫はペットショップでマグロ缶を一日三缶も食べるし、発情期が終わったのに、まだしつこく隣のラグドール猫に絡んでいく。その後、明は書斎から私の寝室に移ろうとしてきた。私は、これを避けられないことだと分かっていた。毒蛇みたいな夫と同じベッドで寝るなんて、考えただけで吐き気がした。明の偽善と狡猾さに耐えきれず、夜中に彼を締め殺してしまいそうで怖かった。夜にシャワーを浴びた後、明がベッドに潜り込んできて、私に触れようとしてきた。浮気相手とキスしたその口が私の首に近づき、その熱気を感じた瞬間、鳥肌が立ち、私は反射的に彼を蹴り飛ばした。あまりにも勢いよく動いたので、ナイトランプが倒れた。明は呆然と私を見つめていた。ちょっと反応が強すぎたことに気づき、嫌な気分を抑えながら「ごめん」と言っ

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    柊の声は、まさにドラマに出てくるあの敏腕弁護士そのものだった。発音は明瞭で力強く、それでいてどこか人間味に欠ける、圧倒的な威厳がある。きっと理奈が事前に話を通してくれたんだろう。弁護士はみんな時間が貴重だから、最初から本題に入るのが普通だ。エリートは時間の無駄を嫌うし、それに大物弁護士ともなれば、相談料は分単位で計算される。私はすぐに答えた。「今すぐでも大丈夫です」ほぼ瞬時に、柊から通話リクエストが届いた。私はそれに応じ、礼儀正しく自己紹介をした。「初めまして、柊さん。宝井真帆です。牧野先生の方から......」「宝井さん、あなたの資料はすでに把握しています」柊は私の言葉を最後まで聞かずに遮ると、単刀直入に尋ねた。「あなたの離婚の要求は?」私は迷うことなく言った。「夫を無一文にして、家から追い出すことです」柊は即座に言い切った。「それはさすがに無理です」私は少し言い方を変えた。「じゃあせめて、私の両親が残してくれた遺産だけは、彼に一銭も渡したくありません」「夫は何か過失を犯しましたか?」「はい」「不倫ですか?」「そうです」「ご両親の遺産以外に、夫婦の共有財産はありますか?」「夫名義の建築資材会社があります。彼が法人代表で社長ですが、会社の設立資金は私が出しました。それと、今住んでいる家は結婚後に購入したもので、総額1億6千万です。それ以外の共有財産はありません」柊は少し間を置き、次の質問を投げかけた。「結婚前に契約は交わしていましたか?」「いいえ」柊は軽く相槌を打ってから、さらに尋ねた。「なぜ協議離婚ではなく、訴訟に持ち込むんですか?」私は率直に答えた。「夫が拒否したからです。それに......夫が私の財産を自分のものにしようとしているんじゃないかと疑っています。いや、もうすでにいくつかの手を使って、私の財産を持ち出しているんです。彼は、名門出身の愛人にふさわしい男に見せるために、私の両親の遺産を横取りしようとしているんです」「不倫の証拠は?」「探偵に頼んで、夫と愛人が不倫している証拠をいくつか手に入れました」柊は少し呆れたようだったが、それでも冷静に言った。「探偵に撮らせた不倫の写真や動画は、実はほとんど役に立ちません。下手をすると、逆にプライバシー侵害で訴えられる可能性す

  • バツイチだけど、嫁ぎ先が超名門だった件   第27話

    悪いことをするなら、証拠がまったく残らないなんてこと、ありえない。「こちらでも引き続き頑張ります。人は金のために、鳥は食べ物のために死ぬ、って言葉がありますよね。どんなに親しい関係でも、疎遠になることはあります。だって、人の心なんてもともと汚くて、自己中心的なものですから」そう言って、成田はふと失言に気づいたのか、淡々と「すみません」と言った。私は苦笑しながら答えた。「大丈夫。成田さんの言ってること、別に間違ってないですよ。私だって、夫との関係はこの世で一番深くて、絶対に壊れないものだと思ってました。でも、結局こうなったんですよね......まさか、一番親しい人に裏切られたなんて。もし今でもそれに気づけてないんだとしたら、それこそ私の自業自得ですよ」「宝井さん、次は専門の弁護士を見つけて、離婚訴訟の準備を始めるべきです」その時、私のスマホが鳴った。理奈からのメッセージだった。それをちらっと見てから、私は成田ににっこり笑いかけた。「牧野先生が手配してくれましたわ」理奈が紹介してくれた弁護士は、最初に言っていた高橋という弁護士ではなかった。理奈が送ってきた名刺に書かれていたニックネームは「HIIRAGI」。その直後、理奈から音声メッセージが届いた。成田は空気を読んだのか、「じゃあ、僕はこれで」と言って先に席を立った。私は電話を取ると、理奈の特徴的な声が耳に飛び込んできた。「真帆ちゃん、聞いて!私が紹介した弁護士、めちゃくちゃすごいから!早く追加して!」「追加したよ」私はスピーカーをオンにして、チャット画面を開き、その名刺を登録した。「柊英士(ひいらぎ ひでし)!分かる?あの柊英士だよ!」理奈は興奮した様子で説明し始めた。「柊英士って、ほんとにすごいんだから!あの人、超有名なトップ法律事務所のエースだよ!まだ30にもなってないのに、もう大手事務所のシニアパートナーになってるんだから!しかも刑事事件専門でね、担当した案件で負けたことないんだよ!そんな柊が弁護士になってくれたら、明のやつなんてもう終わりよ!」ちょうどその時、柊から友達リクエストが届いた。承認すると、すぐに電子名刺が送られてきた。ついでにネットで「柊英士」と検索してみると、関連情報がずらっと出てきた。「牧野先生、この柊さん、確かにすごい人みたい

  • バツイチだけど、嫁ぎ先が超名門だった件   第26話

    橘涼介の名前がふっと頭に浮かんだ。胸の奥から、じんわりと感謝の気持ちが込み上げた。明は特に疑う様子もなく、私の父の教え子の誰かが来たのだと思ったのだろう。父は生前、多くの生徒に慕われていたから、誰かがお墓参りに来ること自体、珍しいことではなかった。両親の墓の前で、明はひざまずき、涙ながらに自分の過ちを認め、私を裏切ったことを悔いて謝罪した。そのまま私の方を向き、膝をついたまま懺悔した。「真帆ちゃん、愛してる。今日はご両親の前でお願いする。許してほしい......もう二度と裏切らないと誓うから!」私は涙がこぼれるのを抑えきれず、むせび泣きながら「本当?」と聞いた。明は切実な表情で、「本当だよ、愛してる。もしまた裏切るようなことがあったら、雷に打たれて死んでもかまわない!」思わず笑いそうになった。ほんと、どうしようもない男だ。よくもまあ、そんな台詞がすらすら出てくるものだ。天国の両親が見ているなら、どうか雷でも落としてこのクソ野郎を打ちのめしてほしい。でも私は演技を続けた。涙を流しながら、悲しげに言った。「明、もうお父さんもお母さんもいないのよ。この世でたった一人の家族はあなただけなの。もう私を悲しませないで......」明の眉間にしわが寄り、真剣な表情になった。「誓うよ、もう二度とあんなことはしない」そう言うと、明は立ち上がり、私の手を握って懇願するように言った。「ねぇ、真帆ちゃん、離婚なんてやめよう?」私は唇をかみしめ、必死に涙を堪えながら、彼の期待に満ちた目を見つめ、ゆっくりと頷いた。「......わかった」明は嬉しそうに私を抱きしめた。彼にとって、私の両親こそが、私を思い通りにするための鍵だった。私は、そんな彼に「成功した」と思わせる機会を与えただけ。きっと明の心の中では、今、得意げな顔をしているんじゃない?真帆なんて、考えなしのお馬鹿さんだな。見てごらん、ちょっと言葉を尽くせば、こんなにも簡単に許してくれるんだから!ちょうどそのとき、ふと視線を感じた。遠くから、私たちをじっと見つめる人がいた。その人の口元が、わずかに引きつっている。涼介だった。無意識に何か説明しようとしたが、涼介は嘲笑うように口の端を歪めると、くるりと背を向け、そのまますぐに視界から消えてしまった。彼は

  • バツイチだけど、嫁ぎ先が超名門だった件   第25話

    これは、あの日、明が女子寮の前で私にプロポーズしたときと同じやり口だった。その瞬間、思わずキッチンに駆け込んで包丁を掴み、この男の頭を一刀両断してやりたい衝動に駆られた。よくもまあ、私の知能をバカにしてくれたわね。こんな使い古された安っぽい芝居に、かつて本気で胸を焦がしていた自分を思い出すと、吐き気がしてたまらなかった。内心では怒りと嫌悪感でいっぱいだった。でも、それを明に悟られるわけにはいかない。今の私は、未練と葛藤に苦しむ女を演じなくてはならない。結婚と愛に揺れる哀れな女を――無表情のまま、明が演奏を終えるのをじっと見つめると、大きなバラの花束を抱えた彼が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。私は自分の太ももを思い切りつねった。痛みで涙が滲む。そのまま涙越しに明を見つめ、唇を軽く噛みしめながら、そっと視線を落とした。涙を必死にこらえながら。そんな私を、明は深い想いを込めた瞳で見つめて言った。「真帆ちゃん、この曲、覚えてるよね?」正直、吐き気がした。でも、悲しそうに首を振り、「覚えてない」と答えた。そう言って顔を背けると、ちょうどそのタイミングで涙が静かにこぼれ落ちた。明はバラの花束をそっと置き、次の瞬間、勢いよく私を抱きしめ、かすれた声で言った。「真帆ちゃん、お願いだ......俺を置いていかないで」私は無言のまま、泣いているふりをした。「俺が間違ってた。君を傷つけたのも分かってる。でも、信じてくれ......俺だって君と同じくらい苦しいんだ......」そう言いながら、明の目から涙がこぼれた。私の肩を抱いたまま、涙に滲んだ瞳でじっと見つめてきた。「真帆ちゃん......君なしで、これからの人生をどうやって生きていけばいい?七年間も一緒にいたのに、こんなふうに俺を見捨てるのか?」正直、これほど紋切り型な懺悔のセリフも珍しい。それとも、私がクズ男の甘言に免疫をつけすぎたせいで、どんな言葉を聞いても心に響かなくなってしまったのか?私は悲痛な表情を装いながら、明を押しのけた。そしてそのまま部屋へ戻り、鍵をかけた。だが、ここで気を抜くわけにはいかない。明が仕掛けた小型カメラが寝室にはあるのだから。だから私は、部屋に入ってからも、苦悩する姿を演じ続けた。ベッドにうつ伏せになり、声を殺して泣いて

  • バツイチだけど、嫁ぎ先が超名門だった件   第24話

    明の言い訳に対して、明らかに信じていない志穂は笑いながら言った。「明、私をバカにしてるの?」「本当だよ、志穂ちゃん。あの夜は......」明が必死に説明しようとするけど、志穂は彼の話を遮って、冷たく言い放った。「1ヶ月の時間をあげるわ。この1ヶ月で宝井真帆とのことをちゃんと解決できなければ、私たちはおしまい」「志穂ちゃん、もう俺のこと愛してないの?」明は低い声で尋ねた。その言葉を聞いて、あの夜のことがよみがえった。明が同じように「もう俺のこと愛してないの?」って床にひざまずいていた、あの時のことが。本当に吐き気がする。「明を責めるつもりはないわ。でも、本当は私たち、もう会わないと思ってた。けど、再会した時、あなたはもう他の女の夫になってた。明、私たち、縁がなかったのかもしれない」と志穂は言って、電話を切った。明は何度も「もしもし」と言ったけど、すぐに「あぁぁ!」と怒りをぶちまけた。確かに、こんな裕福な家庭での地位が手に入るかもしれなかったのに、今や全てがぶち壊しだ。明、この破廉恥な田舎者が怒らないわけがない。でも、明は諦めず、志穂に微信で音声メッセージを送った。「志穂ちゃん、愛してる、本当に愛してるよ!約束したことは必ずやり遂げるから!1ヶ月、1ヶ月だけ待ってくれ。必ず満足のいく結果を見せるから!」私は冷ややかに笑った。満足のいく結果って?さて、一体どうやってその結果を見せるつもりか、楽しみだわ。夜の9時過ぎ、家に帰った時、リビングに入ると驚かされた。全ての灯りが消されて、リビングにキャンドルが心形に並べられていた。真ん中には、赤いバラが大きな束で置かれている。その数は多分999本くらい、少なくとも40万円はするだろう。その時の気持ち、正直言うと「怒りを通り越して、逆に笑えてくる」感じだった。この卑劣野郎、今回は本気でお金を使ってきたんだな。付き合い始めた頃、明は必ず祝日の度に一輪のバラをくれた。そう、たった一輪だけ。初めてバラをもらったとき、明は「この一輪のバラは『一生、君だけに』を意味している」って愛情を込めた目で私をじっと見つめてた。その頃の自分は本当にバカだったな。お金を惜しんでた明に、私は幸せで満たされてる気がして、一輪のバラで十分だと思ってた。明は毎学期、一生懸命働いて学費と

  • バツイチだけど、嫁ぎ先が超名門だった件   第23話

    「はぁ?」「だから、俺は真帆の持ってる財産を手に入れなきゃいけないんだ。それさえあれば、もっと自信を持って滝沢家に行って、志穂の両親にも堂々と挨拶できる」はっ......私の両親が遺してくれた財産を、あんたの保身や見栄のために使って、愛人の家に押しかけるための切り札にするつもりかよ?よくもまあ、こんなに計算高く動けるもんだな、明。ほんと、厚顔無恥にも程がある!ふざけんなよ、クソ野郎!その後、二人は特に意味のある話をすることなく、会話を終えた。しばらくして、成田からメッセージが届いた。送られてきたのは位置情報だった。メビウスハイツという名前のマンション。浜川市の高級住宅地で、坪単価が200万円を超える。しかも、ここを購入するにはかなり厳しい審査と複雑な手続きが必要だ。さらに、成田からもう一枚写真が送られてきた。明が地下駐車場から荷物を持ってエレベーターに乗っているところだった。成田:【進藤は16階に行きました。このマンションはワンフロア一世帯です】私:【了解】成田:【監視はここに配置しておきます。ただ、進藤はあんたに不倫がバレたばかりだから、しばらくは大人しくしてると思います。軽率な行動がないように】私:【大丈夫です。あいつとやり合う時間なんていくらでもありますから】成田:【それじゃ、引き続き連絡します】その後、しばらくの間、明は志穂と直接会うことはなかった。ただ、電話でのやり取りは続いていた。明は車載Bluetoothを使って通話していたので、二人の会話はすべて盗聴器を通じて聞こえてきた。最初のうちは、明は数言で志穂を宥めて、「もう少し待っていれば離婚するから」と約束していた。でも、この日、志穂が「会いたい」と言い出した。明は「最近忙しい」と断ったが、本当は、不倫がまだ続いていることがバレたら、離婚を拒む理由が弱くなるのが怖かったからだ。志穂は苛立ちを隠せずに言った。「明、もしかして私のこと騙してるんじゃない?こんなにダラダラと離婚を引き延ばしてるのって、まだ奥さんのことが好きだから?私は別に物分かりの悪い女じゃないよ。もし奥さんに未練があるなら、私たちなんて所詮遊びで終わりでしょ?だったら今のうちに距離を置こうよ。私だって男に困ってるわけじゃないし、奥さんと争うつもりもない。それに、私があ

  • バツイチだけど、嫁ぎ先が超名門だった件   第22話

    母親に邪魔されるのが嫌だったのか、明はさっさと翌日にチケットを買って、郁子をバス停まで送った。あのダメ男が家にいないだけで、なんだか空気が随分と澄んだ感じがする。牛乳を温めて、イヤホンを装着すると、理奈がダウンロードさせてきたソフトを起動した。明の車に仕掛けた秘密のレコーダーに接続し、郁子と明の車内での会話を興味津々で聞いている。郁子は心配そうに明に尋ねた。「明、お母さんがいなくなったら、あの女を誰が見張るの?仕事で家を空けてる間に何かされたらどうするの?」「お母さん、大丈夫、すべて手配済みだよ。家にはカメラを設置してあって、あの女の一挙一動は僕の目の届く範囲だよ」明は多分監視カメラのスマホ画面を見せたのだろう。「ほら、今リビングで牛乳を飲んで音楽を聴いてるよ」残念ながら、それは成田がすでに見破っていて、どこに隠しカメラがあるかも教えてくれていたので、カメラを避けるのも可能。だからこそ、あのダメ男に監視されていても、カメラの前で彼が見たいものを演じるだけでいい。知恵を絞った者より、賢い者が勝つのだ。「それで、本当にお母さんを送り出すの?」郁子は少し寂しそうに続けました。「今この家に住んでいてとても気に入ってるのに、広くて快適だし、生活費もあの女が出してくれるし」「あの女に許してもらうためには、それなりの誠意を見せなきゃいけないんだよ。お母さんがいると、うまくいかないだろう。真帆はああ見えても、根っこの部分は父親譲りの傲慢さがあって、そう簡単にはいかないタイプさ。俺が本当に謝りたいと思ってると思う?」明は苛立った様子で言った。「くそっ、2億円のためでなければ、誰がこんなことを......!マンションを買いたいでしょう、母さん。だからお金のために我慢しなきゃ」「でも、田舎の家はもうないし、お母さん、どこに住めばいいの?」郁子はすがるように懇願した。「ねぇ、明、母さんは田舎に戻りたくないよ」明が答えない様子を見て、郁子はさらに続けた。「お母さんは苦労してお前を育て、大学院まで進学させて、出世させたのよ。老後に楽をするためにね。この街でやっと夢見たいい暮らしができるようになったのに。お前が外で大金を稼いだおかげで、お母さんは都会に引っ越しできたって田舎のみんなにも知らせたのよ。今戻ったら、あのおばさんたちが裏でお母さんの悪口を言いふら

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