須藤のご両親も、俺の強い意志を見て、ついに俺たちの離婚に口を挟むことはなかった。離婚の手続きは驚くほどスムーズに進んだ。絵美の不貞行為は紛れもない事実であり、俺の手元には証拠も揃っていたからだ。お嬢様気質の彼女は妙なプライドから、俺から一銭も受け取らずに身一つで出て行った。彼女が須藤に付き添われて荷物を取りに来た日、俺はちょうど家にいた。彼女の荷物は山ほどあった。自分で買ったものも、俺が贈ったものも。彼女はその中の一部だけを持ち出し、残りを指差して言った。「松原直哉、服は捨てていいわ。それとバッグやアクセサリーはほとんど使ってないから、あなたの次の彼女にでもあげたら?」「いらない。持って行くか、俺が捨てるかだ。知ってるだろう?俺は好きな人にしか、最高のものを与えない」彼女の表情は一瞬固まったが、すぐに何事もなかったかのように自然に戻り、相変わらず傲慢な目で俺を見つめた。「ごめんなさい。あなたが私を愛してくれているのは分かってる。でも、気持ちは無理にどうこうできるものじゃないの。両親も、私と兄さんのことを認めてくれたわ。私たちはきっと幸せになる。あなたも早くこの気持ちを整理して、あなたを愛してくれる彼女を見つけて」「急がないさ。まずは目を治すのが先だ」「目がどう……」そう言いかけて、彼女ははっと気づき、顔を一気に曇らせた。ずっと黙っていた須藤がついに口を開いた。「直哉くん、気分が悪いのは分かる。でも絵美だって君のことを考えてるんだ」「ああ」「そうそう、もうすぐ僕が須藤家を継ぐことになる。ビジネスの場で会った時は、よろしく頼むよ。いい案件があれば、君にも回してやらなくはない」「ああ」傲然とした彼の顔を見て、笑いが込み上げた。俺が知る限り、須藤グループの決定権は須藤の両親と重要幹部に握られている。須藤拓弥の『継ぐ』という話も、ただの肩書きに過ぎないのだ。「松原直哉、あなたその態度は何だ!須藤家の後ろ盾がなくなっても、今まで通りにやっていけると思ってるのか?」俺はついに声を出して笑った。「その通りだよ。だから、さっさと出て行ってくれないか?」これから先、俺はもっと良くなる。彼らがどうなるか、楽しみにしているよ。二人が出て行った後、すぐに仲介に連絡してこの家を売りに出した。元々、絵美のために買った結婚用の家だ
俺の生活は少しずつ穏やかさを取り戻していた。これまでの数年間の積み重ねで会社の顧客は安定し、ようやく俺も自分の好きなことに時間を使える余裕ができた。新たに民宿を一軒開業し、管理は専門のスタッフに任せた。暇な時には友人たちを誘って、ここでのんびりと過ごすこともある。だが、まさかこんなに早く絵美と再会することになるとは思いもしなかった。温泉から上がったばかりで、外を少し散歩しようと思っていたところだった。そんな時、目の前から絵美と彼女の友人がやってくるのが見えた。「ねえ、有希ちゃん、ここってかなり高級そうじゃない?一週間も泊まったら結構お金かかるんじゃない?」「心配しなくていいわ、絵美。私はお金持ちだからね。家に閉じこもってないで、せっかく連れ出したんだから楽しみなさいよ。何より大事なのは気分転換することよ」その会話が妙に引っかかったが、俺は余計なことに首を突っ込むつもりもなく、小道を通ってその場を離れた。散策を終えて戻る途中、庭で数人の若者が線香花火で遊んでいるのを見かけた。火の光に照らされたあどけない顔が、幼い頃の自分を思い起こさせた。ぼんやりと立ち尽くしていると、突然誰かに呼ばれた。顔を上げると、そこには絵美が立っていた。「松原直哉、本当にあなた?久しぶりね!」俺も淡々と答えた。「久しぶりだな」確かに、気づけばもう二年が経とうとしている。「最近、元気にしてる?」「ああ、元気だよ。お前は?」元々気まずい会話だったが、相手が突然黙り込んだことでさらに居心地が悪くなった。俺は適当な理由を見つけてこの場を離れようと考えていた。話すことなんて何もなかったからだ。すると彼女がふっとため息をつき、突然話題を変えた。「覚えてる?一昨年、私たちが一緒に花火を見に行った時のこと。その時の花火も、今夜の線香花火みたいに輝いてたわよね」「ああ?」「直哉……私は後悔してるの。あの頃は本当に愚かだった。誰が本気で、誰が嘘なのか、何も分かってなかった。でも今、本気で謝りたいと思ってる。許してくれる?」「もう過去のことだ」そうだ、すべては終わったことだ。あの時の傷もすでに癒えた。今の俺は十分幸せだ。許すかどうかなんて、今さら何の意味がある?夜の闇がぼんやりと彼女の顔を隠していたが、その震える声だけははっきりと
その後、絵美が須藤拓弥と離婚したと聞いた。当時、彼女が妊娠していた子供は結局生まれなかった。6ヶ月も経たずに胎児が成長を止めたらしい。笑えるのは、絵美がすべてを捨ててまで須藤と結婚したのに、須藤にはすでに外に愛人がいたことだ。須藤母の言葉通り、須藤拓弥が絵美と結婚した理由は、ただ須藤グループを手に入れるためだった。彼は望み通りグループの役員に就任したものの、それはただの名ばかり。実権は握れず、もともと能力もなかった彼はあっという間に追い落とされた。そして、須藤の両親は迅速かつ果断な決断を下し、グループの次期経営者には須藤拓弥や須藤絵美ではなく、彼らとは血縁関係のない会社の幹部が抜擢された。須藤拓弥は結局、何も手に入れられなかった。金も、権力も、名声も、何一つとして。彼が絵美との結婚を決めた時点で、須藤夫婦は二人を見限っていた。それまで兄妹に譲るつもりだった莫大な財産も、老後のために自分たちで取っておくことにしたらしい。後になって絵美の存在がそれほど重要ではないと悟った須藤は、もはや取り繕うことすらしなくなった。二人の関係は日に日に悪化し、ついには須藤の浮気が発覚。絵美は離婚を切り出した。だが、それだけでは終わらなかった。結婚生活の間、須藤は外で多額の借金をしていた。離婚時、彼は「補償」と称して絵美に数十万円を振り込み、その結果、絵美は須藤の借金の半分――四千万円以上の負債を背負うことになった。その後、須藤拓弥は詐欺事件に関わり逮捕されたが、須藤夫婦が絵美の借金を肩代わりしてくれた。それでも、愛する人に裏切られる痛みは、きっと俺がかつて経験したものよりも遥かに深いだろう。その話を耳にした時、俺は少し複雑な気持ちになったが、もう俺には関係のないことだ。ただの他人事として、遠くから眺めるだけで十分だった。須藤夫婦とは今でも連絡を取り合っている。絵美のことはさておき、彼らは本当に俺に良くしてくれた。絵美と離婚後、彼らは須藤グループの株の三分の一を俺に譲ると申し出てくれたが、俺はその申し出を丁重に断った。彼らの好意はありがたく受け取るが、普通の親戚のように付き合うだけでいい。絵美との関わりは、もう二度と持ちたくなかった。俺の結婚式の日、須藤夫婦にも招待状を送った。出席するかしないかは、彼らに任せた。だが、まさか絵美まで一緒に
結婚記念日の日、妻へのサプライズのため、俺は残業だと嘘をついた。なのに、妻は怒って俺をブロックし、義兄と一緒に映画を見に行った。だが彼女は知らない。俺も同じ回のチケットをこっそり買い、彼女のすぐ後ろに座っていることを。映画が終わりかけた頃、俺はサプライズを渡す準備をしていたが、ふと顔を上げると、二人が映画の主人公なんかよりずっと激しくキスしていた。彼女は言った「私もあなたのために勇気を出した。でも、あなたはどう?」「あなたが一歩踏み出してくれたら、残りの九十九歩は私が進むから」心は灰のように冷え切り、俺は彼らの勇気を成就させることに決めた……映画が終わりに差しかかり、男女主人公は指を絡め、一生涯のロマンチックな誓いを交わしていた。スクリーンの照明は暗くなり、周りでは勇気あるカップルたちが静かにキスを始めていた。俺の前の席の二人も同じだった。お互いを抱きしめ、激しく舌を絡め、その喘ぎ声が何度も俺の鼓膜を打った。まるで真冬に氷水をぶっかけられたみたいで、髪の毛の先まで冷たい空気が立ち上っているようだった。なぜなら、その二人は妻の松原絵美と義兄の須藤拓弥だったからだ!今日は妻との一周年の結婚記念日であり、ちょうどバレンタインデーとも重なった。俺は先月から妻に一生忘れられないサプライズを計画していた。俺は今月の仕事のスケジュールをわざわざ調整し、妻がずっと欲しがっていたダイヤモンドのネックレスを手に入れ、彼女の大好きなジュリエットローズとトルコキキョウを注文し、市内中心部にある一番豪華なレストランでキャンドルライトディナーを予約した。この映画もまた、俺の綿密な計画の一部だった。俺は事前に映画のチケットを2枚予約し、前日に「会社の急な用事が入った」と嘘をついて、彼女に友達と一緒に行くよう仕向けた。その時、妻の機嫌があまり良くなかったのを覚えている。電話を一方的に切られ、ついにはブロックされた。妻は幼い頃から家族に甘やかされて育った。結婚してからも、俺は変わらず彼女をプリンセスのように甘やかし続けてきたから、自然と少しわがままにもなった。でも、俺はそんな彼女を愛している。その小さな欠点すら、俺たちのささやかな楽しみだと思っている。てっきり彼女は友達と行くものだと思っていたし、友達にも連絡を入れておいた。だが、映
俺の手は止められないほど震え始めた。絵美……どうしてだ?どうして俺の妻という肩書を掲げて、堂々と別の男に愛を告白するんだ?俺を何だと思っている?それに、彼らは兄妹じゃなかったのか?そして、須藤の低い声が耳に届いた。「絵美……僕はずっと君を妹だと思ってたんだ……」「兄妹だなんて言わないでよ。私たちは血の繋がりなんかないのに。あなたも私に気があるんでしょ?それとも私が結婚してることが気になる?でも分かってるはずよ。私が愛してるのはずっとあなたで、結婚なんてあなたに意地を張った、ただの勢いだったんだから」絵美の声は鋭く、周囲の人々が面白がっているのか、無意識に視線が彼女の方に向けられていた。俺はふと安堵した。今日はいつもと違う格好をしていたおかげだ。サプライズを台無しにしないようにと、帽子にマスクまで用意していた。だからこそ、たとえ後方から視線がこちらを横切ったとしても、俺の姿は簡単には気づかれない。俺の惨めさが少しは隠れているように思えた。誰にも気づかれないよう、俺は静かに映画館を出た。外の冷たい風が吹きつける中、俺の思考も遠くへと散らされていく。絵美とは大学の同級生だった。彼女は学内でも有名な高嶺の花。華やかな容姿と完璧な家柄で、多くの人を魅了する一方、簡単に近づけない存在でもあった。俺もその一人だった。大学一年の時から彼女を好きだったが、身分の差を自覚していた俺は、その気持ちを深く胸に押し込めたままだった。卒業後、俺は恩人と出会い、彼の助言のおかげで起業の方向性を見つけた。2年余りで会社は軌道に乗り、なんとか上流の社交界に足を踏み入れることができた。あるパーティーで再び絵美と出会い、抑えていたはずの感情が一気に溢れ出した。俺は勇気を振り絞って、彼女と連絡先を交換した。最初、絵美はどこか素っ気なく、返信も一日二日と間が空くことが多かった。そんな状態が1ヶ月ほど続き、諦めかけた時に、彼女は突然、態度を変え始めた。夜には「おやすみ」と言ってくれるようになり、自分から会おうと誘ってくれるようにもなった。それを機に、俺は彼女に積極的にアプローチを始めた。何度か会ううちに自然と付き合うことになり、一年後、俺は彼女にプロポーズした。そして彼女は俺の妻になった。絵美と須藤の関係については、今日まで疑ったことなど一度
二人が映画館から出てきたのは、かなり遅い時間だった。指を絡ませ、まるで熱々の恋人同士のように寄り添っていた。隣にいた女の子が興奮気味に友達の手を掴みながら言った。「見て!あのカップル、めっちゃ美男美女じゃない?映画館の中でキスしてたっぽいし。いいなあ、私もあんな甘い恋愛がしたい!」胸が締め付けられるような、苦い気持ちが込み上げた。二人の目には互いしか映っておらず、俺の存在にすら気づかないまま、すれ違おうとしたその瞬間、とうとう我慢できずに声をかけてしまった。俺を見た途端、二人の顔から笑みが一瞬で消えた。絵美の口元は一気にへの字に歪み、頬に浮かんでいた赤みも一瞬で引いていった。そして俺を一瞥すると、すぐにそっぽを向いた。俺は何事もないかのように一歩前に出て言った。「絵美、結婚記念日おめでとう!それとお義兄さん、今日は義弟の俺に代わって妻を楽しませてくれて、ありがとうございます」横目でさっきの「カップル推し」女子を見ると、彼女の顔色は一気に青ざめていた。妙におかしく感じた。「残業じゃなかったの?なんで来たのよ?ほんと、興ざめ!ねえ、兄さん、放っておいて、行こう!」「もういいだろ、絵美、わがまま言うな」須藤は彼女の手を引き、俺に向き直って言った。「元々、絵美と花火を見に行く約束だったんだが、君が来たなら君が一緒に行けばいい」「やだ!兄さん、約束したじゃない。嘘つくの?あなたが行かないなら、私も行かない!」絵美は須藤の手を揺すりながら甘え、須藤は困った顔をしていた。俺は屈辱に耐えながら言った。「じゃあ、お義兄さんも一緒に行きましょう」「どうせ兄妹なんだし、家族みたいなもんでしょう。気にすることないよね」花火を見る場所は映画館からそれほど遠くなく、歩いて行ける距離だった。絵美は須藤の腕にしっかりと手を絡ませ、二人は並んで前を歩いていた。正真正銘の夫であるはずの俺は、なぜか遠く後ろに置き去りにされていた。彼女は一度も振り向くことはなかった。まるで俺が黙ってついてくるのを知っているかのように。
目的地に着くと、俺は飲み物を買いに行った。絵美がトイレから出てきた時、ちょうど俺は須藤に頼まれていたマンゴージュースを手渡そうとしていた。しかし絵美が俺の手から冷たい飲み物を素早く奪い取り、不機嫌そうに言った。「こんな寒い日に、兄さんは風邪気味だっていうのに、こんな冷たいものを渡してどうするの?殺す気?」俺が弁解する間もなく、彼女は俺の手に残った他の二杯を見て、俺のココナッツラテを須藤に渡した。「兄さん、どうせタピオカは嫌いでしょ。これなら飲めるでしょ!」手に残った冷たいマンゴージュースも、今の俺の心には敵わないほど冷たかった。彼女は須藤がタピオカが苦手なことも、体調を気遣うことも覚えているのに、俺がマンゴーアレルギーだということも、薄着の俺が寒がっていることも、気にかけようとしない。愛されているか、そうでないかって、こんなにもはっきりと分かるものなのか。花火が夜空に咲き誇り、広場全体が明るく照らされる中、俺は絵美の後ろで立ち尽くしていた。須藤の腕にしっかりと手を絡ませ、花火よりも眩しい笑顔を浮かべる彼女の姿が、はっきりと目に焼きついた。その時、スマホが鳴り、予約していたレストランからのリマインダー通知が届いた。俺はその内容をそのまま親友たちのグループチャットに貼り付けた。「十数万円のキャンドルディナー、花、音楽、ワイン付き。もう支払い済みだ。行きたい奴は行け。無駄にするなよ」メッセージを送って数分もしないうちに、チャットには友人たちの返信が次々と届き始めた。「おい、どうした?これ、お前がずっと楽しみにしてたやつだろ?」「奥さんはどうした?何かあったのか?喧嘩でもしたのか?」「何でもない。ただ高級なディナーも、無料の花火には勝てないってことに気づいただけだ」その一言を返すと、俺はスマホをマナーモードにした。この瞬間、何も聞きたくなかったし、何も言いたくなかった。帰ろうとした時、須藤と別れた後になって、ようやく絵美は俺の異変に気づいた。「その飲み物、どうして飲まないの?年越しまで取っておくつもり?」「ちょっと寒いだけだよ」俺は無理に笑顔を作った。絵美は一瞬きょとんとしてから、ようやく俺の服装に目をやった。「なんでそんな薄着なの?風邪引いたら、私に移さないでよね。薬なんて飲みたくないんだから」
絵美は今夜、とても機嫌が良かった。彼女はパソコンを開き、「人生の美しい瞬間」という名前のフォルダを新しく作って、今夜撮った写真をすべてそこに保存した。写真は百枚以上あった。須藤と絵美のツーショット、夜空の花火、飲み物、道端の花、そして通りすがりの犬。だが、俺の姿が写った一枚はどこにもなかった。隣でずっとその写真を見つめていた俺は、目がだんだんと痛み始め、スマホを手に取ってグループチャットを開いた。あのキャンドルディナーは、友人の一人が急遽妻を連れて行ったおかげで、無駄にはならずに済んだようだ。彼が投稿した写真を見て、少しだけ安堵した。俺は幸せではないが、俺を気にかけてくれる人たちには幸せでいてほしいと思った。画面をスクロールして、最新のメッセージを開くと、そこには一枚のスクリーンショットがあった。それは絵美が十数分前に投稿したSNSのストーリーだった。添えられていたのは夜空いっぱいに広がる花火の写真。「花火に願いを込めた。ずっと、あなたがそばにいてくれますように」友人たちはそれを俺への愛の告白だと思い込み、グループチャットで茶化してきた。「なんだよ、お前ら。夫婦仲がこじれたのかと思って心配してたのに、結局二人で花火デートしてたのか」何か返事をしようとしたが、入力しては消し、結局何も送らずにやめた。皮肉なものだ。絵美と一緒にいる間、俺がいつも一方的に与える側だった。彼女を甘やかし、金を使い、ロマンチックな時間を作り、彼女の好みに合わせて自分を変えた。それでも、彼女から愛情を示されたことは一度もない。いつも彼女は受け取るだけで、唯一、彼女が俺に対して積極的だったのは、最初にLINEをしていたあの頃だけだ。でも、今になって思う。あの時、俺に連絡をくれたのも、会おうと誘ってくれたのも、須藤がいたからじゃないのか?結局、友人たちへの返信はせず、音楽アプリを開いて「花火は儚く冷たい」をシェアし、ベッドに入った。冷たいのは、花火だけじゃない。
その後、絵美が須藤拓弥と離婚したと聞いた。当時、彼女が妊娠していた子供は結局生まれなかった。6ヶ月も経たずに胎児が成長を止めたらしい。笑えるのは、絵美がすべてを捨ててまで須藤と結婚したのに、須藤にはすでに外に愛人がいたことだ。須藤母の言葉通り、須藤拓弥が絵美と結婚した理由は、ただ須藤グループを手に入れるためだった。彼は望み通りグループの役員に就任したものの、それはただの名ばかり。実権は握れず、もともと能力もなかった彼はあっという間に追い落とされた。そして、須藤の両親は迅速かつ果断な決断を下し、グループの次期経営者には須藤拓弥や須藤絵美ではなく、彼らとは血縁関係のない会社の幹部が抜擢された。須藤拓弥は結局、何も手に入れられなかった。金も、権力も、名声も、何一つとして。彼が絵美との結婚を決めた時点で、須藤夫婦は二人を見限っていた。それまで兄妹に譲るつもりだった莫大な財産も、老後のために自分たちで取っておくことにしたらしい。後になって絵美の存在がそれほど重要ではないと悟った須藤は、もはや取り繕うことすらしなくなった。二人の関係は日に日に悪化し、ついには須藤の浮気が発覚。絵美は離婚を切り出した。だが、それだけでは終わらなかった。結婚生活の間、須藤は外で多額の借金をしていた。離婚時、彼は「補償」と称して絵美に数十万円を振り込み、その結果、絵美は須藤の借金の半分――四千万円以上の負債を背負うことになった。その後、須藤拓弥は詐欺事件に関わり逮捕されたが、須藤夫婦が絵美の借金を肩代わりしてくれた。それでも、愛する人に裏切られる痛みは、きっと俺がかつて経験したものよりも遥かに深いだろう。その話を耳にした時、俺は少し複雑な気持ちになったが、もう俺には関係のないことだ。ただの他人事として、遠くから眺めるだけで十分だった。須藤夫婦とは今でも連絡を取り合っている。絵美のことはさておき、彼らは本当に俺に良くしてくれた。絵美と離婚後、彼らは須藤グループの株の三分の一を俺に譲ると申し出てくれたが、俺はその申し出を丁重に断った。彼らの好意はありがたく受け取るが、普通の親戚のように付き合うだけでいい。絵美との関わりは、もう二度と持ちたくなかった。俺の結婚式の日、須藤夫婦にも招待状を送った。出席するかしないかは、彼らに任せた。だが、まさか絵美まで一緒に
俺の生活は少しずつ穏やかさを取り戻していた。これまでの数年間の積み重ねで会社の顧客は安定し、ようやく俺も自分の好きなことに時間を使える余裕ができた。新たに民宿を一軒開業し、管理は専門のスタッフに任せた。暇な時には友人たちを誘って、ここでのんびりと過ごすこともある。だが、まさかこんなに早く絵美と再会することになるとは思いもしなかった。温泉から上がったばかりで、外を少し散歩しようと思っていたところだった。そんな時、目の前から絵美と彼女の友人がやってくるのが見えた。「ねえ、有希ちゃん、ここってかなり高級そうじゃない?一週間も泊まったら結構お金かかるんじゃない?」「心配しなくていいわ、絵美。私はお金持ちだからね。家に閉じこもってないで、せっかく連れ出したんだから楽しみなさいよ。何より大事なのは気分転換することよ」その会話が妙に引っかかったが、俺は余計なことに首を突っ込むつもりもなく、小道を通ってその場を離れた。散策を終えて戻る途中、庭で数人の若者が線香花火で遊んでいるのを見かけた。火の光に照らされたあどけない顔が、幼い頃の自分を思い起こさせた。ぼんやりと立ち尽くしていると、突然誰かに呼ばれた。顔を上げると、そこには絵美が立っていた。「松原直哉、本当にあなた?久しぶりね!」俺も淡々と答えた。「久しぶりだな」確かに、気づけばもう二年が経とうとしている。「最近、元気にしてる?」「ああ、元気だよ。お前は?」元々気まずい会話だったが、相手が突然黙り込んだことでさらに居心地が悪くなった。俺は適当な理由を見つけてこの場を離れようと考えていた。話すことなんて何もなかったからだ。すると彼女がふっとため息をつき、突然話題を変えた。「覚えてる?一昨年、私たちが一緒に花火を見に行った時のこと。その時の花火も、今夜の線香花火みたいに輝いてたわよね」「ああ?」「直哉……私は後悔してるの。あの頃は本当に愚かだった。誰が本気で、誰が嘘なのか、何も分かってなかった。でも今、本気で謝りたいと思ってる。許してくれる?」「もう過去のことだ」そうだ、すべては終わったことだ。あの時の傷もすでに癒えた。今の俺は十分幸せだ。許すかどうかなんて、今さら何の意味がある?夜の闇がぼんやりと彼女の顔を隠していたが、その震える声だけははっきりと
須藤のご両親も、俺の強い意志を見て、ついに俺たちの離婚に口を挟むことはなかった。離婚の手続きは驚くほどスムーズに進んだ。絵美の不貞行為は紛れもない事実であり、俺の手元には証拠も揃っていたからだ。お嬢様気質の彼女は妙なプライドから、俺から一銭も受け取らずに身一つで出て行った。彼女が須藤に付き添われて荷物を取りに来た日、俺はちょうど家にいた。彼女の荷物は山ほどあった。自分で買ったものも、俺が贈ったものも。彼女はその中の一部だけを持ち出し、残りを指差して言った。「松原直哉、服は捨てていいわ。それとバッグやアクセサリーはほとんど使ってないから、あなたの次の彼女にでもあげたら?」「いらない。持って行くか、俺が捨てるかだ。知ってるだろう?俺は好きな人にしか、最高のものを与えない」彼女の表情は一瞬固まったが、すぐに何事もなかったかのように自然に戻り、相変わらず傲慢な目で俺を見つめた。「ごめんなさい。あなたが私を愛してくれているのは分かってる。でも、気持ちは無理にどうこうできるものじゃないの。両親も、私と兄さんのことを認めてくれたわ。私たちはきっと幸せになる。あなたも早くこの気持ちを整理して、あなたを愛してくれる彼女を見つけて」「急がないさ。まずは目を治すのが先だ」「目がどう……」そう言いかけて、彼女ははっと気づき、顔を一気に曇らせた。ずっと黙っていた須藤がついに口を開いた。「直哉くん、気分が悪いのは分かる。でも絵美だって君のことを考えてるんだ」「ああ」「そうそう、もうすぐ僕が須藤家を継ぐことになる。ビジネスの場で会った時は、よろしく頼むよ。いい案件があれば、君にも回してやらなくはない」「ああ」傲然とした彼の顔を見て、笑いが込み上げた。俺が知る限り、須藤グループの決定権は須藤の両親と重要幹部に握られている。須藤拓弥の『継ぐ』という話も、ただの肩書きに過ぎないのだ。「松原直哉、あなたその態度は何だ!須藤家の後ろ盾がなくなっても、今まで通りにやっていけると思ってるのか?」俺はついに声を出して笑った。「その通りだよ。だから、さっさと出て行ってくれないか?」これから先、俺はもっと良くなる。彼らがどうなるか、楽しみにしているよ。二人が出て行った後、すぐに仲介に連絡してこの家を売りに出した。元々、絵美のために買った結婚用の家だ
この日、離婚届にサインはできなかった。義父が心臓発作で倒れ、病院に運ばれたからだ。絵美は母親からまたも平手打ちを受け、顔には涙の痕が残っていた。一方の須藤は、事が発覚して以来、まるで死んだように一切姿を見せず、電話さえ出ようとしなかった。義父の容態がひとまず安定したのを確認し、俺は帰ろうとしたが、義母に呼び止められた。この出来事は義母にとって大きな打撃だったのだろう。以前は気品に満ちた貴婦人だった彼女の姿は一気にやつれ、その目は羞恥と悲哀に染まっていた。義父母は結婚後、長い間子供に恵まれなかったため、孤児院から須藤拓弥を引き取った。すると不思議なことに、その翌年には絵美を身ごもったという。須藤が幸運を運んできたと信じた二人は、彼を実の息子のように大切に育てた。当初は本気で後継者にするつもりだったが、須藤拓弥にはその器量がなかった。須藤グループは二人が人生をかけて築き上げたものだ。それを彼に任せて好き勝手にされるわけにはいかなかった。しかし、絵美にもその器量はなく、あの頃、二人は会社を売却し現金化する覚悟すらしていたという。そんな中で俺が現れたことで、二人は希望を見出し、将来は絵美の代わりに俺に会社を任せようと考えるようになった。須藤と絵美の関係について触れるとき、義母の声は涙で震えていた。「拓弥に会社を継がせたくなかったのは、実子ではないからではなく、ただ彼にはその力がなかったから。でも、あの子は誤解してしまったんだ、絵美がまだ高校生の頃、いつの間にか二人の間に許されない感情が芽生えてしまっていた」「もし彼が本当に真心から絵美を愛していたなら、私たちは古い考えに縛られるつもりはなかった。でも、彼の目当ては絵美じゃくて会社だと分かってしまったんだ」「あのことが発覚した時、私たちは二人にきちんと話をしたの。拓弥も、絵美とは距離を置くって約束してくれた。だから絵美があなたを連れてきた時、私たちはようやく安心できたのよ。二人とも、過去の気持ちを忘れたんだって。でも、まさか隠し方が上手くなっただけだなんて」「直哉くん、この件は私たちが本当に悪かったわ。でもね、絵美にもう一度チャンスをあげてくれないかしら?彼女はただ惑わされているだけで、本当に大切にしてくれる人が誰なのか、まだ分かっていないのよ。きっといつか彼女も気づくはず。
義父はその場で絵美に平手打ちを食らわせた。「お前……お前というやつは、なんて恥知らずなんだ!直哉くんにこんな仕打ちをして、それでいいのか?子供の父親は誰だ?あのクズはどこの誰だ!」絵美は顔を覆い、涙を流しながらも、悔しさを滲ませていた。「一日中、直哉くん、直哉くんって!あなたたちは本当に私の親なの?それとも彼の親なの?あなたたちにとっては、松原直哉は何もかも完璧で、私と兄さんは何一つ敵わないっていうの?」「そうよ、この子は彼の子供じゃない。でもだから何?私は彼を愛してなんかないし、彼のために子供を産む理由なんてない!彼なんかにふさわしいわけないでしょ?」義父は怒りで顔を真っ青にし、震える声で言った。「お前は……本当に救いようがない」「そうよ、私はもう救いようがない。どうせあなたたちは私なんか眼中にないんだから!もういい、これからは私のことなんて娘じゃないと思えばいい!あんたたちは大好きな松原直哉と一緒に過ごせばいい!」義母は義父の背中をさすりながら、涙目で絵美に諭した。「絵美、私たちはあなたのためを思って言ってるのよ。どうしてそんな風に思うの?ねえ、お母さんに言って。この子供は……拓弥の子なの?」絵美の目はどこか虚ろで、その場にいる全員が答えを察した。「拓弥は?あいつはどこだ?なぜこんな時に姿を隠している!」義父は怒りで声を張り上げ、震える手で携帯を掴もうとした。「もういい!なんで兄さんのせいにするの?これは私が自分で選んだことなの!私と兄さんは元々お互いに愛し合っていたのに、あなたたちのエゴのせいで一緒になれなかったのよ。今さら何をするつもりなの?」「松原直哉なんてただの他人でしょ?それなのに、あんなに尽くすなんて。じゃあ兄さんはどうなの?実の子じゃないかもしれないけど、二十年以上も息子として育ててきたんでしょ?兄さんの気持ちを考えたことあるの?」俺は終始、ただの傍観者のようにこの茶番劇を見つめていた。心の中にはもう、何も感じるものは残っていなかった。数歩前に出た俺は、離婚届を取り出して絵美に差し出した。「離婚しよう。今回は俺が手を引いて、お前の勇気を叶えてやるよ」
俺が帰ったのは、それから半月以上経ってからだった。ひとつの感情を手放すのは容易なことではない。ましてや、俺はこの関係にあまりにも多くを捧げすぎた。切り離そうとすれば、血を流し涙をこぼすのは避けられない。それでも、俺はなんとか乗り越えることができた。この世界には、愛だけではなく追い求める価値のあるものがたくさんある――仕事だったり、友情だったり。皮肉なことに、絵美の浮気に気づいてからわずか半年も経たないうちに、会社の利益は年間目標に達してしまった。天は俺にまだ優しかった。愛を失った代わりに、仕事で倍の報いを与えてくれたのだから。だが、それだけでは終わらなかった。1ヶ月後、天はさらに大きな驚きを俺に与えた。絵美が妊娠したのだ!その日、彼女はちょうど実家に帰っていて、この話を俺に伝えたのは彼女の両親だった。俺が実家に着くと、二人の顔は喜びに満ちていた。しかし、絵美は顔を伏せ、俺の方を一切見ようとしなかった。そういえば、前回の実家訪問以来、俺たちはほとんど別々に過ごしていた。俺は仕事に全力を注いでいたし、彼女も須藤との関係に夢中だったのだろう。「直哉くん、さっき家族の医者に診てもらったんだが、絵美はすでに1ヶ月以上妊娠しているんだよ。絵美はあなたの仕事に影響が出るのを心配して、私たちに連絡するなと言ったが。私は言ったよ。仕事より子供の方が大事だし、こんな喜ばしい知らせを父親に隠す理由なんてないだろうって!」義母の顔は満面の笑みで、抑えきれないほどの喜びが全身からあふれ出ていた。俺は心の中でため息をついた。彼らの喜びは、あまりにも早すぎる。彼女の両親は結婚当初から何度も孫をせがんでいた。俺も子供が好きだったし、早く絵美との愛の証を手に入れたいと思っていたが、絵美は違った。まだ母親になる覚悟がない、二人きりの時間をもっと楽しみたいと。俺は彼女の言葉を信じ、その決断を尊重した。だから俺はいつも避妊具を使っていたし、絵美はさらに慎重で、事後にはこっそり避妊薬を飲んでいた。それに、彼女の浮気が発覚してからというもの、俺たちは一度も関係を持っていない。だから、この子供が俺の子供であるはずがない。俺が黙ったままで、少しも喜ぶ素振りを見せないものだから、義両親も次第に異変に気付いた。俺と絵美を交互に見て、二人の顔色はみるみる青ざめ
今回の冷戦は、これまでで一番長く続いている。須藤のお見合いはうまくいかなかったらしい。何人かと会ったものの、すべて相手から断られたそうだ。だが俺は、須藤が絵美にこう言うのを聞いてしまった。「わざと印象を悪くしたんだよ。そうすれば相手を傷つけずに、きっぱり断れるからな」絵美はそれを信じたようで、むしろ感動していた。その日、俺が別アカウントで見た彼女の投稿にはこう書かれていた。「あなたの心に私がいれば、それでいい。世界中があなたを否定しても、私はすべてを捧げて信じて、支える」彼らが愛に溺れている間、俺は仕事に全ての時間とエネルギーを注ぎ込んだ。気を紛らわせるためでもあり、彼女への依存を断つためでもあった。16日、俺は義父に連れられてビジネスパーティーに出席した。そこでは多くの大先輩たちと知り合い、いくつかのビジネスチャンスも得た。その中のひとつのプロジェクトは、外国企業との契約が必要だった。そのため絵美の誕生日前日に俺はヨーロッパへと飛んだ。これまで絵美の誕生日には必ずサプライズを用意してきたが、今回は何も準備しなかった。まるでその日を完全に忘れてしまったかのように。絵美の性格からして、こんな冷たい態度には耐えられないだろう。孤独と寂しさ、そして不満が募れば、人は簡単に感情に流されるものだ。俺には分かっていた。彼女はきっと須藤のもとへ行く。その日、遠く離れたヨーロッパで、俺は次々と私立探偵から送られてくる写真を受け取った。最初はエレベーターの前で抱き合い、キスをする姿。そして最後には二人で部屋に入り、その夜一度も出てこなかった。俺は自虐的にその写真を何度も見返し、細部まで目を凝らした。今まで、彼女が本気で情熱的になる姿を見たことはなかった。付き合い始めた頃のキスは、まるで蜻蛉が水面に触れるかのように浅かった。新婚初夜、俺は彼女を傷つけまいと細心の注意を払ったが、それでも彼女は涙を流した。俺はずっと、彼女はこういうことに控えめなだけだと思っていたし、彼女の前で強引になることは決してなかった。だが今、初めて知った。須藤の前では、彼女はこんなにも大胆で積極的になれるのだ。彼にキスをし、彼の服を脱がせる。俺の知らないところでは、もっと積極的だったのかもしれない。大学一年生の頃から絵美を愛し続けてきた。長い間秘めた片想い、卒業後二年
その日、俺は義実家に遅くまで残っていた。義父母との会話はいつも楽しい。二人は富の第一世代だ。若い頃は何も持たず、ゼロから自分たちの手で須藤グループを築き上げ、A市屈指の実業家になった。今では年齢のせいもあり、グループの経営に少し手が回らなくなってきたが、それでも彼らの見識や経験は、俺にとって学ぶことばかりだ。義父の書斎から出ると、絵美の姿はリビングにも部屋にもなく、須藤の姿も見当たらなかった。胸がざわつくのを感じ、足は自然と庭へ向かっていた。あそこなら、誰にも怪しまれず、監視カメラもないだろう。「絵美、僕だって仕方がないんだよ。親の決定に逆らえるわけがないだろ」「君は両親の実の娘だ。松原直哉が結婚したことで、彼には資源も人脈も惜しみなく与えられている。でも僕は違う。僕は外の人間で、会社を任せる気もないし、縁談ですら、僕の役に立たないような相手ばかりだ」「僕に何ができる?君を幸せにすることも、自分の人生を決めることすらできないんだ……」薄暗い灯りの下、二人の表情までは見えなかったが、それでも耳に届いた言葉だけで、義父母が不憫でならなかった。映画館での一件がなければ、須藤が実の息子ではないことに気づくことはなかっただろう。だが、義父母は彼を実の子同然に扱ってきた。会社の件も、俺は少しは知っている。彼に経営を任せないのは血の繋がりがないからじゃない。単に、彼にはその能力がないからだ。義父はこれまで何度か彼に小さなプロジェクトを任せたが、彼はその度に失敗し、不正に利益を掠め取り、会社に大きな損失を与えた。そのうちの一つの案件は、最後に俺が尻拭いをしたほどだ。こんな能力でよく人のせいにできるものだ。会社なんか任せたら、あっという間に潰れるだろうよ。「兄さん、ごめんね。私が責めるべきじゃなかった。大丈夫、私がパパとママを説得するから。兄さんだって誰にも負けてないよ。松原直哉はパパの力があったから結果を出せたんだもん。兄さんだってきっとできる」絵美はやはり世間知らずで、ビジネスのことなんて何一つ分かっていない。義父の助けがあったのは事実だが、それは「お膳立て」であって「救いの手」ではない。俺に助ける価値があるから手を貸してくれただけだ。須藤だって義父に助けてもらったはずだ。結果はどうだった?金を溝に捨てただけだろう。俺はそれ
翌朝、俺はいつもより早く目を覚ました。階下に降りると、家政婦が今週のメニューについてどうするか尋ねてきた。一瞬、俺は固まったが、すぐに答えた。「適当にしてくれ。もう俺に聞かなくていいから」絵美は胃が弱く、さらに好き嫌いが激しかった。結婚当初は食事が口に合わなかったのか、ほとんど食べなかった。そんな姿を見るのが辛くて、俺は栄養バランスを考えながらも、彼女の好みに合わせてメニューを毎週調整した。その甲斐あってか、彼女の胃の調子は随分と良くなり、病気も長い間再発していない。でも、そんなことに何の意味がある?誰も気にかけてはくれないのに。簡単に身支度を済ませ、俺は会社へと向かった。俺は思った。愛を守れないなら、せめて仕事だけは確実に掴み取らなければならない。午前中、俺は仕事に没頭し、飲み水を取る暇さえなかった。大事なクライアントを見送った後で、ようやく気づいた。絵美から着信が二度あったようだ。どうやら俺をブロックから解除したらしい。無視しようかと思ったが、彼女からメッセージが届いていた。「パパとママが会いたがってるから、仕事が終わったら直接来て」義父母は昔から俺によくしてくれているし、今は両家の会社が共同で進めているプロジェクトもある。顔を立てないわけにはいかない。昼飯を済ませ、仕事の指示を簡単に済ませると、俺は車を出して義実家へ向かった。玄関に入ると、真っ白なサモエドが俺に飛びついてきた。尻尾を振りながら、やけに嬉しそうだ。今の時代、犬の方が人間よりよほど心が通じる気がする。義父母と須藤は何かを楽しそうに話していたが、絵美はその隣でぼんやりとしていて、どうも機嫌が悪そうだった。近づくとすぐに理由が分かった。義父が須藤にお見合いをさせようとしていたのだ。義母から果物の盛り合わせを受け取った俺は、隣に座り、駄菓子をつまみながらその話を聞くことにした。義父母は数枚の写真を手にし、一枚一枚丁寧に紹介していた。写真には裕福な家の令嬢や女性実業家、そして普通の家庭出身ながらも才覚のある女性たちが写っていた。どの女性も、義父母が心を砕いて選んだことが一目で分かった。「この子たちは皆、信頼できる人を通して調べてもらった。容姿も人柄も申し分ない。どれが気に入ったか?まずは会う相手を選んでみなさい」須藤は渋々ながらも、最