東北の春は雨になりがちで、雷も鳴りがちだった。深夜、遙華は布団にくるまって、手足が氷のように冷たかった。遠い昔にもそういう雷の日があったが、遙華は奈々子に廃棄の体育倉庫に閉じ込められ、一夜も恐怖の中で過ごしていた。だから、雷が遙華にとってトラウマになった。しかしそういう日に、いつも景市がそばにいて、自分を抱きしめて、優しい声で「大丈夫、怖くない。俺がいるから」と慰めていた。だが今、自分のそばに誰もいなかった。何度も自分の冷たい体を温めてきたあの人は、今、自分をいじめてきたあの女のものになった。あの女を慰めるかもしれない。抱きしめるかもしれない。昔自分をキスしたように、あの女をキスするかもしれない。遙華はこれ以上考えるのをやめて、そのまま目を閉じた。この夜、遙華はちゃんと寝れなかった。そのせいで、朝ネックレスの専門店からの電話に出た時、ずっとぼーっとしていた。「すみません。今なんて?」向こうの人は少し困惑したが、優しくもう一度述べた。「若奥様、広瀬会長が3ヶ月前にお子様のために特別発注した挨拶ギフトはもうご用意できたのですが、いつ取りにいらっしゃるのですか?」遙華はそれを聞いて、呆然としていた。そして、心臓がまたチクチクと痛みだした。昔、景市はあんなにこの子を迎えるのを楽しみにしていた。遙華が妊娠したことを知って、すぐに全市で3日間も花火を上げ続けてもらった。妊娠してから3ヶ月の時は、更に全市の遊園地も借り切った。9ヶ月経った時もそれ以上に、子どもへの挨拶ギフトをセットで発注した。今、挨拶ギフトはもうできたのに、彼はすでにすべてを忘れてしまった。遙華は深呼吸して、落ち着いたら、ようやく口を開いた。「後で行きます」娘を抱き上げて、ネックレスの専門店に来た時、売り場でイチャイチャしてる二人が目に入った。奈々子の隣で、ギフトが大量に並んでいた。頬を赤くしながら、奈々子は力を抜いて景市の胸に寄りかかって、照れているような口調で、「まだ子どももできてないのに、もうこんなにたくさんの挨拶ギフトを用意するの?」と言った。景市は可愛がっているように軽く奈々子の鼻先を擦った。「先に買っておいて、いつか使えるから」奈々子の顔は更に赤くなった。そして、何か見かけたように、ショーウィンドーに指を指した。
遙華は何も言わずに、娘を抱き上げながら、外へ歩いて行った。交差点で、彼女は娘を宥めていて、執事が車で迎えに来るのを待っていた。待っている間、横からいきなり騒音が耳に入ってきて、顔を上げたら、獣のような勢いで走ってきた車に気づいて、遙華は目を丸くした。まだ体が追いついていない時、「パーン!」とぶつかった音で、娘を抱えている遙華は10メートルも飛ばされて、血の中で倒れていた。遙華の視界がぼやけてきた。ただ路上に倒れたまま、血だらけになった娘が「おぎゃーおぎゃー」と泣いているのを見ていた。運転席にいる奈々子は怖がっている顔で景市に抱きついて、泣きながら「アクセルをブレーキだって思っちゃった」と言ったの。景市が全然気にしていないような顔で「大丈夫。あいつの夫だから、俺が代わりに承諾書にサインしてあげるよ」と言った。その瞬間、遙華は何も聞こえなくなった。ただ血が出ている感覚を味わっていた。景市、私はあんたの妻で、あんたの大好きだった人よ。腕に抱えているのは、あんたがずっと楽しみにしてた私たちの愛の結晶なのよ。もしいつか真実を知ったら、あんたは切腹したいくらい後悔するのかな?もう一度目が覚めた時、遙華は自分と娘はもう病院に搬送されてきたと気づいた。自分も血まみれで、肋骨が2本折れているのに、医者に処置してもらってすぐ、手に入っている注射針を抜いて、無理をしてまでベッドから起きて外に走っていった。「子ども、私の子どもが……!」まだあんなに、あんなに幼いのに。隣の医者がそれを見て、心を痛めてすぐに遙華を止めた。「患者さん、どうか落ち着いてください。全力でお子様を助けますので、まずはベッドに横になって、大人しく傷口を対処させてください。」遙華は涙で顔がビショビショで、ただ頭を横に振り続けていた。「私は大丈夫だわ。どうかあの子を助けてください!」すぐに、その子は救急室に搬送された。救急医師は会計伝票を出してあげたが、ただ生後1ヶ月の赤ちゃんなので、輸入薬でしか治せなかった。合計で2千万円も必要。遙華は考えもせずにカードを出したが、カードを差しても支払うことができなかった。看護師の困惑の目で、遙華はハッと思い出した。景市が記憶を失った後、このブラックカードを利用停止にしたことを!この中のお金は、全く使えなかった!遙華は動揺していた。仕方がな
オークション会社に売り出した金額を振り込んでもらったら、遙華はすぐに病院に駆けつけて、手術の費用を全額支払った。やることを全部済んだ後、遙華はようやく安心して自分の傷口を対処してもらった。ベッドの横で、娘の小さいほっぺたについている傷跡を優しく触っているうちに、遙華の心が痛くなってきた。「いい子、もう少し我慢して。すぐに連れて帰るから」深夜、看護師の説得で、何日もちゃんと寝れなかった遙華はようやく眠気で眠りに落ちた。しかしその手はずっと娘の手を放さなかった。何時間寝ていたか、遙華がもう一度目が覚めた時に、病室の電気はすでに消された。遙華は電気をつけて、娘の様子を確認しようとしたら、視界が明るくなった瞬間、息が止まった。いつの間にか、ベッドの上に誰もいなかった。娘が……!遙華はパッと椅子から立ち上がって、急いで病室から出て行った。病院から出たばかりで、こそこそしている奈々子が自分の娘を抱えて、バイクに乗っている見知らぬ男に渡そうとしているところを目撃した!「この子こんなに可愛いし、美人になるに違いない。山奥に売れば、自分の息子の未来の妻にしたい人も絶対いるはず。きっと儲かるって」遙華の頭が真っ白になった。「何してるの?娘を返して!」取り引きがバレた瞬間、男はすぐに慌てながら子どもを抱えて、バイクのハンドルを握り、アクセルを踏んで前へ走って行った。「止まれ!」遙華は考える余裕もなく、ただ狂ったように追いかけて、バイクのタンデムシートを掴んだ。顔色が暗くなった男は、力強く遙華を蹴った。「このクソ女が、放せ!」蹴られた胸元から痛みが伝わったが、遙華の両手はただギュッと掴んでいるままだった。子どもも二人の激しい喧嘩で泣き出した。その泣き声を聞いて、遙華の心はチクチクと痛みだした。そして歯を食いしばって、男の腕を噛み締めた。「この野郎、よくも噛んだな!」男は暴言を吐きながら、更にアクセルを踏んだ。遙華はこのまま勢いのついたバイクにずっと引っ張られ続けてきた。足も地面に擦られて、傷だらけになった。土の匂いと血の匂いが混ざって、遙華の鼻を刺激していた。しかし、遙華はまるで何も感じていないようで、ただただ放さずに子どもを掴んで、より力強く歯で噛み締めていた。「クソがっ、頭おかし
その瞬間、景市は躊躇った。後ろに振り向いて、疑いの満ちためで目で奈々子を見ていた。奈々子もその目で見られて、全身が震えてきた。すぐに焦りながら否定して、涙までその目からこぼれ落ちた。「違うの、景市。濡れ衣を着せられてるの」それを聞いて、遙華の怒りがまた胸元から湧いてきた。一歩前へ出て、ビンタしようとしたら、「もういい!」と言っている景市に突き飛ばされた。景市は自分の身で後ろにいる奈々子を守っていた。その目つきはいきなり冷たくなって、まるで冬の風のように、震えさせるような怖い目つきだった。「遙華、お前いい加減にしろ。奈々子は見舞いに来たんだぞ。濡れ衣を着せるなんて」その目で睨まれた遙華は、一瞬体を震えて、自分の手を握りしめた。それから、じっくりと言葉を発した。「濡れ衣?体に付いてる傷、見えてないの?」その血だらけの姿を見た時、何故か、景市の心がまたチクッと痛みだした。その痛みをなんとか抑えて、景市は遙華に怒鳴った。「お前そんなに腹黒いし、作った傷だとしてもおかしくないだろ!?奈々子は優しいから絶対にそんなことをしないが、たとえ本当に子どもが攫われても、お前の自業自得だ」たとえ本当に子どもが攫われても、お前の自業自得だ。その言葉を聞いて、遙華はまるで体の温度が全部失ったような感じだった。そして狂ったように景市に突っかけて、拳で殴りながら叫んだ。「景市、あんたはあの子の父親なのよ。よくもそんなことを言えるね!」景市は眉を顰めて、遙華を強く押した。「暴れるなら家でしろ。ここで恥をかかせるな!」遙華は「トン!」膝から崩れ落ちた。ただ涙を流して、その人が奈々子をしっかりと守りながら去っていくのを見ていた。最後に見たのは、奈々子のその煽っているような目だった。どれくらい経ったか、突然、雨が一雫遙華の顔に落ちてきた。降り出した雨はどんどん激しくなり、コンクリートの道が濡れて、浅い色が深く染められた。同時に、顔からこぼれ落ちた涙と混ざりあった。これからの数日間、遙華は一歩も離れずに娘のベッドの横で、娘を守っていた。別荘の召使いから何回も電話が来て、どれも奈々子が別荘でパーティーを開いて、家をめちゃくちゃにしたという苦情だった。それ以外に、ここ数日、景市から「奈々子に謝れ」というメッセージも何件
その言葉を聞いて、3人の視線も遙華の体に集まった。景市の父と母は心配しているような顔で遙華を見ていた。母は彼女の前まで来て、慰めているように手を握った。「遙華、怒っているのは分かるけど、変なこと言わないで。景市を他の女と結婚させてどうするの?一番愛してるのは遙華なのに」そうね。景市が遙華のことを死ぬほど愛しているのを誰もが知っていた。しかし、あれは記憶を失う前のことだった。目の前で正座して、傷だらけの男を見て、遙華は泣きそうなのに、口角をキュッと上げた。「お義母さん、今の景市の頭には奈々子しかいないよ。それなら、叶えてあげてもいいんじゃない?」何故か、遙華は自分の味方でいてくれているのに、景市はどんどん不安になってきて、激しくドキドキしてきた。出て行きそうな遙華を見て、景市はすぐによろよろと立ち上がって、遙華のほうに突っかけて、腕を掴んだ。「遙華、お前どういう意味だ?これで奈々子にビンタしたことを許されると思うのか?馬鹿馬鹿しい。奈々子に関わることは絶対に譲れないからな。一生許さなからな」遙華はそれを聞いて、少しニヤけた。奈々子に関わることは絶対に譲れない?昔遙華が奈々子にいじめられている時に、景市は殺したいくらい奈々子が大嫌いだった。今は自分の大嫌いだった人にそこまで弄ばされているとは。景市が思い出して死ぬほど後悔する姿は少し楽しみになってきた。見れないのは残念だが。遙華は構ってあげなかった。ただ景市の手を振り払って、後ろを向いて外へ歩き出した。後ろから景市にどのように呼ばれても、足を止めることもなかった。景市と奈々子の伝説の結婚式の当日、この都市半分の人も来た。しかし「新郎新婦」を祝うために来たのではなく、笑いに来たのだ。それでも、景市と奈々子は全く気にしていなかった。奈々子は更に、自分の結婚指輪についている大きなダイヤモンドを自慢するために、ずっとカメラマンにドアップにしてもらった。それは景市が奈々子のためにオークション落札相場で、2億円も入札して落札した結婚プレゼントだった。しかし景市は知らなかった。この結婚指輪はあの時、自分の手で遙華につけた結婚指輪だということを。遙華はあの二人が舞台で抱き合って、熱い口づけを交わしている姿を眺めて、何も言わずに、グラスに残っている最後
遙華は一生懸命もがいて、なんとかここから脱出しようとしたが、自分は釘で固定された椅子に縛られて、微動もしなかった。だから、この目で自分のことを一生愛してると言ったあの人が、自分の目の前で、自分の大嫌いな女を抱くのを見ているしかなかった。微かな光の下で、体格が立派な男が片手で、小さな女の顔を触りながら、荒い息で、力加減を調整しつつ何回もキスをした。もう1つの手は女の腰に回して、まるで逃げさせないようにギュッと自分の体に引き寄せていた。景市の体の下で、奈々子は少し顔を上げて、魅惑的に景市の肩に両腕を置いて、求めているような目をした。景市が奈々子に優しくキスして、唇に、首に、目にキスしている姿は遙華の目に入った。景市がずっと奈々子に甘い言葉をかけて、愛してると、心が奈々子でいっぱいと、幸せにしてあげるとか言っている声は遙華の耳に入った。最後に、奈々子が景市のものになった瞬間も見届けた。何度もその動きを繰り返して、何度も声を上げて、何度も何度も、切りがなかった。縛られた遙華は目を丸くしてそのすべてを見ていた。びしょ濡れの顔に隠されたのは、虚無で感覚が麻痺しているような目だった。あの二人は一夜も布団の中から出てこなかった。夜が明けたら、景市はようやく腰を折って、お姫様抱っこで奈々子を浴室に連れて行った。腕の中の奈々子の額にキスをした景市は、椅子に縛られた遙華のほうには見向きもしなかった。ドアを閉める時だけ足を止めて、命令しているように遙華に言いつけた。「奈々子と俺にスープを作ってくれ。この後飲むから」浴室のドアは「バタン」と閉められた。遙華も現れた警備員に縄を解けられた。その瞬間、力が入らなかった遙華は椅子から滑って床に崩れ落ちた。腰を折って、吐きそうで何も吐けなかった。数十分後、遙華はようやく落ち着いて、麻痺したような顔でドアの外へ行って。スープができたら、2階からまた二人の喘ぎ声が聞こえた。しかし遙華は動揺もしなかった。できたスープをテーブルに置いたところで、かかりつけ医は自分の娘を抱き上げながら入ってきた。自分の娘を見て、遙華のとっくに死んだはずの心はまるで生き返ったようだった。娘を抱き上げた瞬間、医者は瓶に入っている薬を遙華に渡した。「若奥様、記憶が取り戻せる薬が市場に出ました。広瀬会
風呂場で、景市は長らく奈々子と「二次会」で盛り上がっていて、ようやく寂しそうな顔で奈々子をお姫様抱っこして、外へ連れ出した。手慣れたように隣に置いてあるバスタオルを取って、適当に自分と奈々子の体を巻いて、そのまま階段を下りた。テーブルの上のまだほかほかのスープを見た時に、景市は足が止まった。遙華は作らないと思っていた。この前自分と奈々子のために何かしろと言った時に、遙華はいつも死ぬほど嫌がっていたから。なのに今は、大人しくスープを作ってくれた。なぜか、景市の心から強い不安を感じた。いつも以上に強い不安だった。しかし隣の奈々子は疑いもしなかった。ただ椅子に座りながら、景市にスープを盛ってあげた。棒立ちして全然動いていない景市を見て、文句を言っているような感じで、「景市、早く来て一緒に飲もうよ。もうお腹がペコペコだよ」と言った。それを聞いて、景市はすぐに心の中の不安を置いておいて、椅子に座りながら、テーブルに置いてあるスープボウルを手に取った。「ほら、あーんしてあげる」こうして、二人はお互いにあーんしながら、スープボウルの中のスープを飲み干した。最後の一口を飲み干した瞬間、景市はいきなり頭から激痛が走った。埋もれた無数の記憶が一気に海の底から頭に流れてきた!「パーン!」手に持っていたスープボウルは一瞬で地に落ちて、バラバラに割れた!「景市、どうしたの?」奈々子はその真っ青な顔色にびっくりして、焦って支えようとしたが、次の瞬間、男は急に顔を上げて、鋭い目つきで奈々子を睨んでいた。「近づくな。触るな!」その憎悪に満ちた目を見て、奈々子はゾッとした。その目は何万回も見てきた。昔遙華をいじめている時に、景市はいつもそのような鋭い目つきで自分を睨んでいた。そして、信じられないほど強い力で奈々子の首を締めていた!この瞬間、ひどく嫌な予感が奈々子に襲ってきた。逃げたいのに、怖さのあまりどうしても動けなかった。目の前の景市が自分に近づいてくるのを見ていることしかできなかった。そして、景市は奈々子の首を絞めて、冷たい声で、「真白、このクソ女が……!」と怒鳴った。奈々子の頭が一瞬で真っ白になった!その瞳には恐怖しかなかった。それって、思い出したの!?たった一夜、広瀬家は何もかも変わっ
別荘にあるものが全部燃え尽きるまで、景市がずっと別荘で立っていた。奈々子を思い出させるものが1つから1つ、火に投げ荒れるのを見て、景市は全くスッキリしていなかった。逆に苦しみと辛さで心がいっぱいだった。燃やされるものを見て、この1ヶ月間の記憶が頭の中から消えなかった。記憶の中、遙華が自分を見ている時その絶望な顔と娘の絶えない号泣ばかりだった。急に襲ってきた痛みで、景市は自分の胸元を押さえた。顔色もますます真っ青になっていた。少年時代から結婚すると約束してあげた遙華なのに。昔から楽しみにしていた娘なのに。そんなに遙華のことが、遙華との娘のことが大好きなのに。昔なら、少しでも傷つかせなかったのに、この1ヶ月間で、記憶を失った自分にあんなに傷つけられたなんて!景市は苦しそうに目を瞑った。その時に執事が駆けつけて、困った顔で彼を見ていた。「若旦那様、すべての空港、列車、電車の情報を調べてみたが、若奥様の搭乗記録や乗車記録は全く見つかりませんでした。それに若奥様の身分証明書やSNSのアカウントもすべて消されました」そう言って、執事は少し怯えながら景市の反応を待っていた。景市が記憶を取り戻してから、した2つ目のことは遙華と娘の行方を調べてもらうことだった。記憶を取り戻した途端、景市はすでにあっちこっちで遙華たちを探していた。最初は何回も何回も遙華に電話をかけてみたのだが、届いてきたのは「電源が入っていないか、電波の届かない所にいます」と知らせる冷たいアナウンスだった。なぜか焦りだした景市は、すぐに車で探しに行った。最初、景市は二人がまだ病院にいると思っていたから、何人か連れて病院に行ったが、病院に着いたら、看護師から遙華と娘はすでに退院したと聞いた。その後、景市は遙華が散々傷つけられたから、ただ怒って娘を連れて家出をしたかもしれないと思っていた。子どもはまだ幼いから、きっとそんなに遠く行っていないと思っていて、景市はまた車で遙華たちの行けそうなところを全部探し回っていた。なのに、全然人影が見えなかった。最終的に、景市は広瀬家のもとで働いている人全員に東北で探し回ってもらったが、今から見れば、それでも手がかりはないようだ。それを聞いて、景市は呆然としていた。しばらくしたら、やっと我に返って
景市が亡くなったあの瞬間、遙華はいきなり心が何か刺されたかのようにチクッと痛みだした。そして不安が全身に襲ってきた。遙華はどうして自分はこうなるのか分からなかった。看護師がその手紙を冬夢に渡して、冬夢がまた遙華に渡したら、ようやく答えが見つかった。「何、これ?」冬夢は躊躇しているような目で遙華を見ていた。そしてようやく困った口調で、「広瀬が遙華に書いたお別れの手紙だ」と答えた。遙華は呆然としていた。しばらく迷っていたら、やっと冬夢からその手紙を受け取った。この手紙はあまりに短く、遙華は一瞥しただけで全てを飲み込んだ。だが、この手紙はあまりに長く、彼女は長い時間をかけてようやく現実に戻ってこられた。。「ごめん」から始まって、「さようなら」に終わる手紙だった。最後の1行に、景市は「遙華が来世、もう俺なんかに会わないように」と伝えた。涙が遙華の目を濡らした。10歳の景市が遙華の目に浮かんだ。景市は影みたいにずっと自分についてきて、「好きだ」と言った。17歳の景市も目に浮かんだ。景市は自分に告白した男性を全員倒して追い出して、「付き合おう」と言った。22歳の景市も目に浮かんだ。景市は大金を使って島を丸ごと買ってくれた。「結婚しよう」と言った。最後、23歳の景市も目に浮かんだ。景市は夜中に車で病院に向かって走ってきて、「俺たちの愛の結晶の爆誕を見届けたい」と言った。最後の最後、スーツを着ていて、自分の大好きなバラを持っている景市も目に浮かんだ。景市は微笑んで、「さようなら」と言った。遙華は深く息を吸った。気づいたら、冬夢がもう指で自分の涙を拭いていた。冬夢に向かって、遙華は笑顔で答えた。「大丈夫よ。ただ急すぎただけ。あいつの死に対して、何を言えばいいか分からないけど、昔のすべてもそれと同時に消えるべきなんじゃないかなって思って。私も自分の人生を歩み続けないと。これから、あいつが私にとって、ただの無関係の人よ」言い終わったら、遙華は迷いもせずにこの手紙を暖炉の火の中に捨てた。その手紙はすぐに炎に燃やされた。灰も残されずに。ショックを受けていないか心配だからか、遙華に何かに遭わないように、ここ数日、冬夢はずっと遙華から離れずに守っていた。そのような冬夢を見て、遙華はずっと自分は大丈夫だから
景市は顔を上げて、横の窓のほうを向いた。自分の痩せっている姿がガラスに映っていた。自分の身体を長らくじっと見つめていて、ようやく悔しそうな口調で、「俺のミッションは完全に失敗した、な?」と聞いた。システムがそれに対する返事は沈黙だった。本当は最初から景市はこのミッションを達成できる気がしなかった。むしろ、このシステムも、このミッションも、ここ数日であったことも全部走馬灯だと思っていた。自分はとっくに死ぬべきだった。今日じゃなくて、事故に遭って記憶を失ったあの日に死ぬべきだった。まだそのように執着していたのは、ただ奇跡を期待していただけだった。奇跡的に遙華と仲直りができることを期待していた。昔遙華が自分のプロポーズを受け入れてくれるように、プロポーズ前日にわざわざ額ずきながら999段の階段を上って、その上の寺で願いをかけたように。額ずきながら階段を上ってきた翌日、遙華は本当に涙で顔を洗いながら受け入れてくれた。あの時、景市は本当にこの世に奇跡が存在していると信じていた。しかし今はどれだけ願っても、奇跡は訪れなかった。景市は無気力にベッドで長らく座っていた。最後はようやくあの灰になっても覚えている電話番号を押した。戻る前に、遙華とちゃんと別れを告げたかった。しかし1回目、2回目、3回目……電話がずっと繋がらなかった。景市の目にあったハイライトもどんどん消えていった。安ちゃんが危篤状態の時に、遙華が自分にかけた電話が繋がらないその絶望感がようやく分かった。第99回目の電話も繋がらなかった。ここで景市はようやく諦めた。それから何も言わずに紙とペンを取り出して、長いお別れの手紙を書いた。そしてちゃんと遙華に届くように、看護師に遙華に渡すよう何度もお願いした。最後、景市はシステムを呼び出した。「システム、攻略ミッションは諦めた。今元の世界に連れ戻して」白い光が差した。その後、病室のベッドに誰もいなかった。同時に、あっちの世界で、1ヶ月以上も眠った景市はようやく目が覚めた。その瞬間、無数の医者がその部屋に入ってきた。景市が目覚めたのは医学的な奇跡だと称賛しようと思ったら、その体に様々な不治の病が診断され、歓喜な目が悲しみに満ちた目になった。最後、主治医は暗い顔をして
「俺は……」景市は何か言いたそうなところで、いきなり目を丸くした。「危ない!」次の瞬間、遙華は景市にしっかりと身で守られた。「パーン!」クリスタルのようなペンダントライトが景市の頭上の天井から勢いよく落ちて、景市の頭にぶつかった瞬間、爆散した。ガラスの破片は景市の血と混ざって粉々に飛び散った。手術室の外で、遙華は椅子に座ってぼうっとしていた。景市が自分を守った時のことが頭から離れなかった。隣に座っている冬夢は遙華の手を握りしめて、手に伝わる温度で慰めていた。ついに、手術室のドアが開けられた。二人はすぐに立ち上がったら、医者に厚く重なった診断書を渡された。「患者さんの状況は少々複雑ですね」遙華はぼんやりしていた。そして診断書を受け取って、冬夢と一緒に捲りながら医者の説明を聞いていた。聞けば聞くほど、二人の気持ちが重くなっていた。遙華は景市がひどい怪我をしたとは思っていたが、まさかそこまでとは思っていなかった。医者の話によると、景市は記憶障害を負ったので、記憶を取り戻したものの、すでに頭に取り返しのつかない損傷を残してしまったそうだ。それから、景市は重ね重ね事故に遭ってしまい、身体能力はもう限界だそうだ。いくら良い治療や薬を使っても、もう長く生きられないのだと。遙華は手を握りしめて、結局それを聞けなかった。だが景市が病室に搬送されてから、遙華はようやく口を開いた。「入って見てもいいですか?」医者に許可されたら、遙華は冬夢に頷いて、景市のいる病室に踏み入れた。窓の外から温かい日差しが入って、景市の顔を照らした。しかしそれでも、景市の顔は血の気のないままだった。ぐっすり眠っているその顔を見て、色々な感情が遙華の胸に渦巻いた。前回二人きりになったのはいつだったか、もう思い出せなかった。ぼんやりした記憶の中で、毎回景市に会っただけで、喧嘩して、不愉快な空気で別れた。遙華は深くため息をついた。もう一度目を開いたら、景市のその淀んだ目と合った。「遙華……」遙華は落ち着いた顔で景市を見ていた。「景市、どうせ同じことを言うんでしょ?でも私の性格、あんたも分かってるはずだよ。私、何かを嫌いになったら、もう好きになることはないよ。小さい頃、1回魚の骨が喉に刺さったことがあって
遙華はじっと冬夢を見つめていた。その目には自分のことしかなかった。手をギュッと握りしめながら、遙華は心の底の複雑な気持ちを抑えた。冬夢が自分のことも、自分の娘のことも大切にしているのは知っている。しかしそこまで大切にしているとは思わなかった。自分の娘を実の娘のように可愛がってきただけでなく、娘の1歳の誕生日のためにそんなに手間のかかる準備をしているとは。もし娘と自分に出会わなかったら、冬夢のような男はきっとモテるだろう。それなのに自分を選んでくれたなんて。言葉ではまとまらないくらい色々な感情が混ざっていた。しばらくしたら、遙華は一言しか発さなかった。「なんでそこまで……?」「遙華、僕のしているすべてがちゃんと考えてから決めたんだ。遙華とこの子に出会ったことに後悔したことは一度もない。もうこの子の産まれた日と生後1ヶ月の記念日を見逃したから、今回の1歳の誕生日は絶対に見逃したくないんだ」遙華は涙を堪えて、冬夢を抱きついた。時間が流れていき、遙華はようやく細い声で、「ありがとう……」と言った。遙華の娘の1歳の誕生日パーティーに、たくさんの人がお祝いに来た。みんな素直に祝福して、くれたプレゼントもどれも素敵だった。冬夢は片手で娘を抱き上げながら、片手で遙華と手を繋いで、来てくれたゲストに1人ずつ挨拶をした。1歳の誕生日に、娘のあだ名も決められた。「安ちゃん」という名前だった。遙華は娘に多くは求めていなかった。ただ安泰な人生を歩んでほしいだけだった。パーティーの途中で、会場の前からいきなり騒ぎが起こっているような物音がした。すぐに、パーティーの担当者がやってきて、ひそひそと冬夢に耳打ちをした。冬夢の顔色は微妙に変わった。そして担当者に「先に警備員にそのままあいつを止めてもらって。すぐに行くから」隣りにいる遙華は一瞬で誰が起こした騒ぎか分かった。遙華は冬夢の手を引っ張って、「やっぱり私が行こう。私の原因もあるし」と言った。冬夢は反対しているような顔をしたが、遙華は自分の手をポンポンと叩いた。「大丈夫。ちゃんと自分の身を守るから」会場の外の隅っこで、景市は何人かの警備員に椅子に固定された。やってきた遙華を見て、景市は冷静を失い、椅子から立ち上がろうとした。「遙華!」しかし遙華の次
言い終わった瞬間、景市の濡れた瞼が遙華の目に入った。遙華の記憶で、景市の涙は稀なものだった。数回だけ涙を流したのは、全部自分のためだった。景市の涙を見たら、遙華はどれほど冷たい態度を取ったとしても、すぐに慰めたから。自分の涙は遙華の弱みだと知って、景市は毎回遙華に傷つけられた時、瞼を濡らした。しかし今、景市がどれくらい泣いても、遙華は何もしてあげなかった。興味も持たずに、後ろを向いて外に出ようとした。次の瞬間、遙華はその人に後ろから抱きつかれた。そのドキドキする心臓の鼓動と、震えている声が遙華の耳に入った。「遙華、君と娘が離れてから、俺は死ぬほど苦しんでた。どんな説明でも通じないのは分かってる。でもやっぱり『もしかしたら』って思って、もしかしたら、遙華は情けをかけて許してくれるかもしれないって」遙華は微動もしなかった。言葉も発さなかった。ただ静かに立っているだけだった。その姿を見て、景市はますます辛くなってきた。ここ数日、遙華は自分に手を出したり、怒ったり、無視したりしてきた。情けだけどうしてもかけてくれなかった。景市は震えながらポケットから数珠つなぎになっているお守りを取り出して、遙華に見せた。「遙華が言ったんだ。俺が一回遙華を傷つけてしまたら、お守り1本を取ってあげるって。ほら、こんなにもお守りを取ってあげたぞ。どうか許してくれないか?」自分でも無理やりすぎると思っていたか、景市はまた譲歩して、「少なくとも、償うチャンスがほしいんだ。本当に悪かったんだ。俺たちにはまだ娘もいるし、そういうチャンスをくれないか?」といった。遙華はただ黙り続けて、自分を抱きついている腕から抜け出した。そして、振り返って景市を見ていた。「景市、あんたはいつもそう。毎回私を傷つけた後、いつも自分が謝れば償えば済むって思ってる。しかしあんたがいくら謝っても、償っても、娘と私が負った傷は変わらないよ」遙華は深く息を吸って、言い続けていた。「それに、それはもう傷つけるレベルじゃないわ。娘と私は命を落としそうなところだったよ」景市が何か言いたそうなところで、焦っている声が後ろから届いてきた。「遙華!」次の瞬間、遙華は急いで帰ってきた冬夢に腕に抱きしめた。「何かされてないよな?」帰ってきた冬夢を見て、遙華は
でかい衝撃の音が前から耳に入った。エアバッグがすぐに出てきて、勢いで前にぶつかる遙華をしっかりと受け止めた。その一瞬、遙華は心臓が止まると思っていた。まだ息も整えていないうちに、そのラングラーが自分たちの車を越して、そのままその白い車にぶつかった光景が目に映った。「パーン!!」一瞬で、事故現場は大騒動になった。パトカーと救急車のサイレン音と周りの人の泣き声が混ざりあって、そのすべてが顔色が真っ青になった遙華の目に入った。隣の冬夢にギュッと肩を掴まれえ、焦っている声で自分の名前を呼ばれて、遙華はようやく我に返った。不意に後ろのジュニアシートのほうを見て、娘は無事だと確認したら、遙華はやっと娘を冬夢に渡した。そして片手で髪を揉みながら、ドアを開けて車から降りた。道中は惨状だった。景市の車は前の白い車に入り込んで、フロントバンパーは丸ごと凹んでいた。運転席で、景市の頭はすでに血だらけなのに、両手はハンドルを握りしめたままだった。遙華は深呼吸して、広い歩幅でその車の前まで行って、ドアを開けて、その中から死にかけた人を引っ張り出した。「遙華……」目の前の遙華を見て、景市は目を輝かそうとするところで、遙華からビンタを食らった。「景市、あんたはあと何回娘と私を殺そうとするの!?娘と私が追い詰められて死んじゃわないと、許してくれないの?」景市は傷ついたような目をした。そして慌てながら口を開いた。「ち、違うんだ、遙華……俺はただ遙華を止めて、そして遙華と……」「もういい、景市!」遙華は怒りのあまり全身が震えていた。絶望に満ちた口調で、「あんたの言い訳なんか聞きたくない。今すぐ消えてください。もう娘と私を邪魔しないで」と言った。そして、遙華はもう二度と振り返らずに、後ろを向いて戻ろうとした。それを聞いた景市は一瞬で焦りだした。本能で追いかけようとしたが、次の瞬間、視界が暗くなって、完全に意識を失ってしまった。それからの数日間、娘にまた何かあるのが怖くて、遙華は一歩も離れずにずっと娘のそばで守っていた。冬夢も子どものことが心配で、毎日早めに病院から帰ってきた。しかし今日だけ、冬夢がずっと家に帰ってこなかった。遙華はどんどん不安になってきて、すぐに冬夢に電話をした。だが、向こうから届いたのか助教の声
それにびっくりした遙華はよろよろと後ろに下がって、「高すぎでしょ!?」と言った。その瞬間、色々な感情が遙華の心に渦巻いた。冬夢がそこまで自分の子を大切にしてくれているとは思わなかった。まだ結婚しないのに、自分の娘と血も繋がっていないのに、そんなに自分たちのことを大切にしている。そう思うと、遙華の瞼は一瞬で濡れた。自分はまだこれ以上の愛で答えられない時、まだ未来のことで躊躇っている時、冬夢は何も求めずに、先に自分の愛を全部遙華とその娘に捧げた。その涙目を見て、冬夢の心がギュッとなった。慌てて涙を拭いてあげて慰めていた。最後、遙華は冬夢のダジャレに笑わされた。「冬夢からのプレゼントを全部持って行っちゃったらどうするの?」冬夢は「ふふ」と笑って、遙華の額にキスした。「遙華はしないよ……」「何してんだ!?」怒鳴り声が遠くから届いて、二人の甘い雰囲気を完全に壊した。遙華は少し眉を顰めてドアのほうを向いた。険しい表情で自分たちを見ている景市がすぐに目に入った。黙っている二人を見て、景市は急にイライラしてきた。早足で歩いてきて、遙華の手を掴もうとした。しかし冬夢に即座に振り払われた。「広瀬、何をするんだ?遙華と僕が何をしてもお前とは関係ないだろ?」遙華も景市のせいで気分がドン底に沈んだ、そのまま冬夢の手を掴んで外へ連れ出した。沈黙だけの車内で、雨が窓に落ちる音以外、遙華と冬夢の心臓の鼓動しか聞こえなかった。遙華が黙りながらただ窓の外を眺めている姿を見て、冬夢は複雑な気持ちが一瞬目から溢れ出した。何も言わずに、ただ遙華の手の上にそっと手を置いて、ギュッと握りしめた。長い沈黙を経て、遙華はようやく冬夢のほうを向いて、申し訳無さそうに「ごめんね。せっかくの休みなのに」と言った。本当は家に帰りたくなかった。でも景市はずっと自分と話がしたいと後ろから追いかけてきていた。それがどうしても嫌だった。景市を見るだけで、遙華は彼が記憶を失った時に自分にしたことを思い出してしまう。景市と二人きりなんてできないのだ。冬夢がそれを聞いて、呆然とした。本能で遙華を慰めようとした時に、車の後ろから繰り返し鳴らされたクラクションが聞こえた。振り返ったら、冬夢は後ろから自分たちを追い詰めようとするあのラングラーを
景市は冬夢の腕の中の娘を見て、少し目が濡れた。色々傷つけられすぎたからか、娘は景市を見てものすごく怯えていた。ずっと冬夢の腕に入り込もうとした。そのような娘を見て、景市の心が急にチクッとして、体の両側に垂れている手も震えが止まらなかった。あれは自分の実の娘で、自分の一番可愛がりたかったお姫様なのに、今はこんなに自分のことを拒んでいる。景市は悔しそうな顔で、手を伸ばして娘を抱っこしようとしたら、隣の遙華に力強く振り払われた。「この子に触らないでよ!」その手に気づいて不安になってきたか、冬夢の腕の中の子どもはいきなりギャーギャー泣き出した。それにびっくりした冬夢はすぐに子どもを慰めながら部屋のほうに戻ろうとした。「いやだ!」中に飛び込もうとしている景市を見て、遙華はすぐ景市の前で塞いでいた。「景市、あんたは入っちゃだめ!」娘の泣き声を聞いて、景市の心は激しく動揺していた。それで焦っているような顔で、「一回入らせてその顔を見させてくれ。俺の娘でもあるんだぞ!」といった。遙華は「ふふ」と皮肉な笑い声を上げて、「あんたの娘?自分の娘の命に関わることでもどうでもよくて、何度も何度も娘のことを呪ってきた父親なんかいる?」と答えた。景市は顔色が真っ青になった。何度も何か言いたそうで、何も言えなかった。しかし遙華はそれで逃すこともなく、逆に一歩ずつ距離を縮んで景市を詰めていた。「景市、あんたはあんだけあの子を傷つけることをしてきて、あの子にとって、最初から父なんかじゃないわ」ずっと黙っている景市を見て、遙華はようやく元の位置へ戻ってきた。そして振り返ってドアを閉じた。景市はそのままぼんやりして何分間もそのドアを見つめていた。大丈夫だ。自分にはまだ時間がある。必ず遙華を振り返らせるから。そう思って、景市は早足でエレベーターのほうへ行った。その時、横の家のドアに貼ってある「ショートセール」という広告ポスターが突然景市の目に入った。景市は足を止めてじっとポスターを見ていた後、さっとそれを剥がした。翌日の朝、遙華はドアを叩いている「コンコン」の音に起こされて、まだ完全に夢から覚めていない時に、そばにいる冬夢はそっとそのほっぺたにキスをした。「そのまま寝てていいよ。僕が見てくる」遙華は「うん」と答え
「いや、遙華、汚れてなんかない!」景市は無理してベッドから降りて、遙華の手を掴もうとした。「会いに来る前からもうきちんと体を洗ったから!」遙華はすうっとその手を振り払って、冷たい声で怒鳴った。「触らないでよ!あんたを見るだけで、奈々子と二人でやった光景が頭から離れないの!景市、あんたには本当に反吐が出るわ!」それを聞いて、景市は心が壊れそうなくらい苦しかった。「遙華、そんなこと言わないで。本当に全然汚れてないから」そう言いながら、慌てている景市はまた遙華の手を掴もうとした。「確認してもいいよ。本当にきれいなんだ」次の瞬間、強い風がいきなり横から襲ってきて、「パーン」と景市に当たった。「遙華に触るな!」ドアの前で待っている冬夢はずっと外から病室の状況を覗いていた。景市が止められたにもかかわらず、遙華の手を掴もうとしている姿を見て、冬夢はすぐに駆けつけて、景市を押し倒した。「広瀬、もう一度言うよ。また遙華に触ろうとしたら、絶対に許さないから」そう言って、冬夢は遙華の手を引いて外へ歩き出した。「遙華!」景市に後ろからどれだけ呼ばれようとも、遙華は全然振り返らなかった。それから、遙華は毎日家のドアの前で色々な花束とプレゼントを見かけていた。全部自分があっちの世界で好きだった花束とプレゼントだったから、すぐに誰からの贈り物か分かった。最初、遙華は気にしていなかった。ただ清掃員に清掃している時についでに捨ててもらった。しかし捨ててもらったたびに、翌日に景市からより多くのプレゼントを持った。耐えられなくなった遙華は、次に景市からプレゼントをもらった時に、地に置かれているプレゼントをそのまま景市に投げつけた。「景市、あんた一体何がしたいのよ!?あんたのこと好きじゃないし、あんたなんかのために振り返ったりしないって言ったでしょ?何をしても無駄だよ」景市は投げられたプレゼントをギュッと抱えて、悔しそうな口調で言葉を発した。「遙華を振り返らせる以外、俺には何ができるんだ?遙華は俺の妻なのに、まだ離婚もしてないのに、なんで他の男と一緒にいるんだよ!」そう言いながら、嫌そうな顔をして遙華の後ろの部屋に目を向けた。遙華が今住んでいる家も一応立派で広い家だが、景市と結婚した後一緒に