All Chapters of ジンクス・不運な私を拾ってくれたのは・: Chapter 1 - Chapter 10

21 Chapters

第一話

 最寄り駅前の銀行ATMで、泉川咲月は通帳を片手に茫然と立ち尽くしていた。今まさに記帳したばかりの自分名義の銀行口座。その残高の数字が、予定していたよりも全然少ないのだ。 ――え、え、えっ?! なんで、なんでぇ……?! 後ろに並ぶ老婦人から急かすように咳き込まれて、慌ててATMの機械前から離れる。人の列の邪魔にならないよう壁際に移動して、もう一度通帳をこっそり開いて確認する。 ――バイト代が、振り込まれてないっ?! え、今日って26日だよね……?! 毎月25日に支払われるはずのアルバイト料。今月は日曜だったから、前倒しで23日の金曜には振り込まれているはずだった。確認する為にスマホのホーム画面を覗いてみるが、間違いなく今日の日付は26日の月曜日と表示されている。 週末は手持ちがまだあったからと、余裕を見たつもりで銀行を訪れてきた。なのにまだ、バイト代が入っていないのは何故だ? 入っていると思っていたはずのものは無いけれど、光熱費もスマホ料金もちゃっかりと引き落としは済んでいる。出る一方で入金はゼロだ。おかげで口座内に残されている預金残高は完全にスズメの涙。これから飲みに行くなんて調子に乗ったことをしたら、来月には消費者金融のお世話になってもおかしくはない。 大学生活4年目。去年まではそれなりにバイトを頑張って貯金していたつもりだった。別にブランド物には興味は無いし、旅行も海外よりも国内のパワースポット巡りの方が性に合う。 自他共に認める安上がりな女。なのに、どうしてここまでギリギリでやっているのかは、いつまで経っても終わらなかった就職活動のせい。おかげでシフトに入れる日数が極端に減ってしまっていた。この一年は少ない稼ぎと貯金を切り崩して頑張ってきたつもりだった。  勿論、実家からの仕送りはあるにはあるけれど、それは家賃と光熱費できれいさっぱり消えてしまう。それ以外の生活費くらい自分で何とかするよと啖呵切ってしまった過去の自分が恨めしい。 半ば諦めモードになりつつも、銀行の建物の外に出てから、咲月はスマホに登録しているバイト先の電話番号を呼び出す。「お電話ありがとうございます、パテル東町店です」 咲月も聞き慣れている、おっとりとした中年女性の声。古参のパート勤務の中谷で、小学生の男の子二人のママだ。平日のバイトリーダー的存在でもあり、入ったば
last updateLast Updated : 2025-01-30
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第二話

 1月末。早くも3月にある卒業式に向けて、周囲の同級生達は当日はスーツにするか袴を着るか、どこの美容室を予約したかと浮かれていた。中には卒論の提出が間に合いそうもないと、図書館やコンピュータルームにまだ通い詰めている人もいたが、それはそれで平和な光景とも言える。  少なくとも周りの皆の行動は、大学を出た後の進路がちゃんと決まっている前提なのだ。卒業旅行だって、就職や進学先が確定しているからこそ行ける。 就職課の専用ボードを見上げながら、咲月は長く深い溜め息を吐く。学生向けの求人情報は、既に半数以上が来年度の卒業生向けの物に張り替えられて、この4月入社の案件は数えるほどしかない。まだ新卒なはずが、ここではすでに第二新卒扱いだ。就職課の窓口で相談したら、思い切り同情の目を向けられてしまった。 ――職安とかに行った方が良さそうかな……。 通学用トートバッグの中には本屋で買い込んで来たばかりの求人情報誌が三冊入っている。就職課の窓口で渡された紙の束と合わせて、その重みがずっしりと肩へと食い込んでくる。 規定の給料日は守られなかったが、一週間遅れでもちゃんと支払われたバイト代に一抹の望みをかけていた。中谷の言っていた「大丈夫」の言葉を素直に信じて、一昨日の夕方には久しぶりに入っていたシフトに合わせてバイトへ行く準備していた。 と、アドレス登録はしていなかったが、見たことあるような無いような固定電話の番号がスマホの液晶に表示された。不審な表情を浮かべながらも、咲月は通話ボタンに触れる。「……もしもし?」 「あ、泉川さん? お疲れ様、大槻です」 「ああ、店長。お疲れ様です」 バイト先であるパテル東町店の店長からだ。どうりで見たことあると思ったら、本社からの直通番号だった。「確か、今日ってシフト入ってたよね……?」 「はい」と短く返事する咲月に、電話の向こうの大槻が言いにくそうに言葉を選んで話し始める。店長から電話が掛かって来たこの時点で、嫌な予感しかなかった。「実はさ、火野川の店で食中毒が出ちゃってね、保健所の指示でしばらくは全店休業しなきゃならなくてさ。工場内の検査とかいろいろあって、製造も完全ストップすることになって」 「えっ、じゃあ、しばらくバイト無しですか? それって、いつまで……?」 「うん、そうだな……いつまでになるんだろうねぇ」 大
last updateLast Updated : 2025-01-30
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第三話

 前日に叔母から念を押すように送られてきた、店と時間の連絡メッセージ。事務所設立15年を祝うパーティーは、石畳が敷き詰められた歩道に面した小さなレストランで開催される。結婚式の二次会でも重宝されそうな雰囲気の良い店。それを当日は夕方から貸し切りにするらしい。 よく手入れされた鉢植えが店の前に並び、レンガ造り風の壁面にブラウンの屋根。遠目からはその一角だけがまるで童話の世界から抜け出してきたような、メルヘンチックな外観。控えめなベルの音を鳴らすドアを押し開けてみると、入口のすぐ前に控えていた男性がニコリと微笑みながら声を掛けてくる。「咲月ちゃん、いらっしゃい」 「あ、立石さん。お久しぶりです」 「本当だ、久しぶり。今年に入ってからは初めてか、今年もよろしく。敦子さん、今は外にお客様の出迎えに行ってるんだけど、すぐ戻ってくると思うよ。あ、コートはこっちで預かるね」 事務所の事務スタッフでもあり、叔母の事実婚の相手でもある立石は、流れるように咲月のことをエスコートしてくれる。物腰も柔らかで落ち着いてみえるが、敦子よりも一回り年下の30歳。叔母とは25歳の頃から一緒にいるのだから、元々から年上の女性が好きなのだろう。年下の咲月のことなんて眼中に無いという感じだ。「敦子さんが戻ってきたら始まると思うから、それまではドリンクでも飲んでて。あ、もうお酒は飲める歳だったっけ?」 立石の言葉に咲月が小さく頷き返したのを確かめると、ドリンクコーナーに並んだ飲み物から綺麗なピンク色の液体の入ったカクテルグラスを差し出してくる。「ストロベリーフィズでいいかな? ご飯食べる前だから、一気に飲んじゃダメだよ」 年下だからと完全に子ども扱い。きっとこういうところが、敦子が年齢を気にせずに彼と一緒に居られるんだといつも思う。立石にとって若い女の子というのは、全く恋愛対象にはならず、いつまで経っても子供にしか見えないのだ。 以前に食事に来た時は等間隔で並んでいたテーブルと椅子は、今日の為に大きく配置を変えている。壁際にはビュッフェ形式で料理が並べられ、大きなフラワーアレンジメントで飾られたフロア中央のテーブルにはドリンクとデザートが乗っている。ゆっくり食事を楽しみたい人の為に椅子席もいくつか用意はされているが、基本的には立食スタイルみたいだ。  立石がスタンバイしていた入口ド
last updateLast Updated : 2025-02-05
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第四話

 卵料理と肉類ばかりを乗せた皿を抱えて、咲月は空いていた椅子に腰を下ろす。壁に沿って10脚並べられている椅子には、地元の名士といった風情の白髪のお爺さんとその昔からの知り合いという感じの老人の二人が座っているだけ。料理もあんなに沢山用意されているのに、手を付ける人がほとんどいないのが信じられない。デザートをリクエストしたという女性スタッフ達ですら、来賓客との会話で忙しく、手に持つグラスに軽く口を付けるのが精一杯という感じだ。 ――社会人って、大変だ……。 パーティーですら仕事になってしまうのだ、ちっとも楽しそうじゃない。あとでスタッフだけで打ち上げがあるとは聞いているけれど、きっとその頃には料理は冷めてしまって美味しさは半減しているだろう。 ローストビーフをフォークで折り畳んでから突き刺すと、それを一口で頬張ってみる。何だか味に物足りなさを感じるのは、別に用意されていたソースを付け忘れたからだ。今更取りにいくのも面倒だし、代わりにサラダに掛けたドレッシングを付けた。まあ、何も付けないよりはマシだ。 咲月が一人で黙々と食事を続けている時、隣の椅子に誰かが座った気配がした。周りが皆、新しい繋がりを求めて必死で営業に回っている中、学生と一緒に壁の華で収まるなんて、やる気の無い大人もいるんだと、興味本位でちらりと隣へ視線を動かしてみる。 露骨に顔を覗き込む訳にはいかないが、咲月の目には隣の席からはみ出して来ている長い脚が確認できた。男物の黒色の革靴に、黒のスラックス――否、よく見てみると黒色の生地には光沢のある濃いグレーのストライプが入っている。一言で黒いスーツと言っても、就活中に同級生が着ていたのとは全く違う、大人の黒スーツだ。「君の悪いジンクスは、正規入社でも発動するのかな?」 たまたま隣に座って来ただけと思っていた男から、急に声を掛けられる。驚いて顔を見上げた咲月の目に、さっきの黒のスリーピース男が足と腕を組みながら何やら考えている姿が飛び込んでくる。「いや、試してみるのも悪くないなと思ってね。泉川先生にはこの先もお世話になるつもりだし」 「……学生なので、まだバイトでしか働いたことないから、その辺りは分からないです。でも、や
last updateLast Updated : 2025-02-08
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第五話

「ちょっと座って待ってくれる?」 咲月に向かって、羽柴は顎をくいと動かして応接用ソファーを指し示す。言いながらも指先はキーボードから離れず、カタカタというキーの打音だけが室内に響き続ける。咲月の位置からは大きなモニターの陰になって羽柴の顔だけしか見えなかったが、そのとても厳しい目がこちらを向いたのは一瞬だけ。 言われるまま二人掛けソファーの隅っこに背筋を伸ばして浅く座ると、咲月は足下に立て掛けていたトートバッグから履歴書を取り出して待った。面接というのは何回経験しても全く慣れない。しかも惨敗続きなのだから、苦手意識は高まるばかりだ。 昨夜に慌ててプリントアウトし直した履歴書。この一年間、いろんな企業へ何枚も提出してきたが、ほぼ全て送り返されてきた――不採用通知書と共に。 タンというエンターキーを叩く音。それを皮切りにデスクチェアをくるりと回転させてから、ようやくこのオフィスの代表である羽柴智樹が腰を上げる。黒のストレートパンツにライトグレーのVネックニット、かなり緩められているネクタイは深みのある橙色。こないだの隙の無いスーツ姿とはかなり雰囲気が違う。というか、就活の面接でこんなラフな面接官は初めてだ。調子が狂う。 モニターに向かっていたのとは別人のような、余裕のある笑顔で羽柴が咲月の前に手を差し出してくる。「お待たせしちゃったね。じゃあ、履歴書を見せてくれる?」 「は……はいっ」 咲月の目前の席にゆったりと座りつつ、履歴書を入れた封筒を受け取る。そして、緊張で顔を強張らせている咲月のことをちらりと見てから、紙面へ軽く目を通していく。やや俯き加減になると、長い睫毛の動きで彼が今どの辺りを見ているのかがよく分かった。「うん、この住所なら特に引っ越して貰う必要はないね。本採用は4月に入ってからになるけど、それまでもアルバイトとして来る気ある? 今は短期バイトしてるんだっけ?」 「え……?」 酔っ払った敦子が会話の流れでさらっと話していたことまでを、羽柴が覚えていることに驚く。というか、今「本採用」という言葉が聞こえたような気がして、自分の耳を疑う。  いくら叔母のコネがあるとは言え、そんな即断
last updateLast Updated : 2025-02-10
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第六話

 4年生になってからは就活を理由にする欠席の多かったゼミで、こうやって全ゼミ生が顔を合わせるのは本当に久しぶりだ。就活のピーク時期なんて、酷い時には出席者が15人中数人ということもあった。「我が森本ゼミは今年もゼミ生全員の進路が確定したということで、ホッとしているよ。提出して貰った卒業論文は来週には返せると思うので、各自が私の部屋へ引き取りに来るように」 これが実質最後のゼミの講義となるから、教授はニコニコと教壇からご機嫌の笑みを振り撒いていた。担当した生徒の進路は気が気じゃなかったことだろう。最後まで心配をかけてしまったはずの咲月は反省の意味も込めてすっと視線を逸らした。  今日は講義もなく、思い思いに雑談する感じで、席の近い生徒同士で近況を報告し合う。 大学へ来ること自体が久しぶりという生徒も何人かいて、中には内定を貰ったと同時にバックパッカーとして海外を旅していたという強者も。真っ黒に日焼けして見た目の印象も随分と変わってしまっている。そこまででなくても、皆が卒業後の為に何らかの試練を乗り越えて今日この場にいる。もうあと2か月もすれば、それぞれが新しい道を歩んでいくのだ。学生という気楽な身分も残り僅か。「内定取り消しされたって聞いたけど、泉川さんもすぐに次が決まったんだね」 「うん、一応。叔母が紹介してくれた会社だけどね」 この時期にまだリクルートスーツで学内をウロウロしていたから、咲月が就活をやり直していることは一部で噂になっていたらしい。パステルの倒産は新聞にも掲載されていたし、系列店が一斉に閉店してしまったからバレても当然だ。 黒板に対してコの字に並んだ机の角と角の席で、斜め隣から片桐聡太が「何の会社?」と聞いてくる。彼は確か、大手通信会社への内定をいち早く決めていたが、卒業に必要な単位がまだ残っているからと4年になっても週4で登校していた。だから、就職課を頻繁に覗きに来ていた咲月とは今年に入ってからも何度か顔を合わせることがあった。「H.D.Oっていう、デザイン会社なんだけど……」 何の会社と聞かれたところで、自分でも上手く説明できない。片桐の就職先のように誰でも知っている大手という訳じゃないし、咲月
last updateLast Updated : 2025-02-12
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第七話

 前回は面接で緊張していたのもあって、オフィスの中をキョロキョロ見回す余裕はこれっぽちも無かった。でも、さすがに二度目の今日は、デスクの一角でアルバイトの就業規定へ目を通しながらも、室内の様子を気にすることはできる。  こないだ居た丸眼鏡の原田というデザイナーの姿はない。普段は在宅勤務だと言っていたので今日はオンラインでの出勤なんだろうか。出社の手間が無いのは羨ましい。 パッと見でもこのフロア内にデスクは6人分もあるのに、案内してくれた女性以外は誰もいない。オフィスに出社してくるデザイナー達も、フレックス制で午後からの人が多いらしい。新人の初出社日だけれど、羽柴も打ち合わせで外へ出ていてまだ来ていない。しんとしたオフィスの中を、事務や人事を担当しているという笠井野乃花のヒールの音だけがカツカツと響いている。「もう、原田君この書類も忘れてるじゃないっ。まとめて置いてたのに、何で全部渡しといてくれないのかしら……」 咲月が提出したばかりの入社書類を確認しながら、向かいの席で笠井が忌々しげに呟いている。独り言にしてはかなり大きいから、わざと咲月へ聞かせるように言っているのかもしれない。まるで、自分のミスじゃないと言い訳しているようにも聞こえる。 時折、笠井が気だるげに髪を掻き上げる仕草をする度、向かいからふんわりと甘い香りが漂ってくる。ヘアコロンだろうか。その大人っぽい匂いは咲月はちょっと苦手かもしれないと思った。スメハラというほどじゃないが、押しつけがましい強い香りにウッとする。 外から中の様子が見えないと思っていた窓ガラスにはミラーフィルムが貼られているらしく、こちらからは前の通りのことがよく見通せる。駅から近い大通りを一本入っただけだから、意外と人通りは多い。開閉可能な天窓も今はぴっちりと閉ざされている状態だ。「アルバイトの内は私の補助をしてもらうように聞いてるんだけど……泉川さんは、事務の経験は全然なのよね?」 「……はい」 「えー、困ったわぁ。それだと雑用くらいしか思い付かないんだけどぉ」 頬に手を当てて、わざとらしく眉を寄せて困り顔を作ってみせてくる。多分、否、きっと彼女は咲月の入社をあまり歓迎していない。鈍い咲月
last updateLast Updated : 2025-02-14
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第八話

 結構な量を外へと運び出した後に、不要品の山の中から掘り出すことができた台車。その後の持ち運びは天と地かというくらい楽になり、急にペースの上がった片付けに、笠井が自分のデスクから小さく舌打ちしたことは誰も気付いていない。 男性ばかりのこのオフィスでずっと紅一点を貫いてきた笠井野乃花。優秀なデザイナー達に囲まれて、クリエイティブな仕事に携わっているという自負がある。デザイン事務所で働いていると言えば、誰もがお洒落な仕事だと憧れの眼差しを向けてくれる。エントランスに並ぶ胡蝶蘭の鉢植えに、ライトグレーを基調としたスタイリッシュなオフィス家具。すっきりと整理されたオフィスの中を颯爽と歩く資格があるのは、自分のように大人な香りを放つ女だけのはず。 ――いくら顧問弁護士の姪だからって、何であんな子供っぽい子をっ?! ……そりゃ、泉川先生のバックアップは今後も必要よ。それでも、あれは無いんじゃないの?! 商談から戻って来たばかりの羽柴が、オフィスへ来て真っ先に口にしたのは「咲月ちゃんは?」だった。彼を追いかけて以前のオフィスを出てから4年は経つが、羽柴が異性を下の名前で呼ぶのを初めて聞いた。たまに二人きりで食事するくらいには親密になったと思っていた自分でさえ、今だに「笠井さん」なのに……。 ガラガラと車輪の音を立てながら移動していく台車に目を背ける。手伝う気なんて毛頭ない。社会経験もなく若さだけが取り柄のような学生なんて、汚れ仕事でもしていればいい。根を上げて自分から辞めたいと言い出してくれれば、こっちのものだ。 デザイナー達から回収した領収書の束へ目を通しながら、ギリリと奥歯を噛みしめる。資料室の窓が開いているらしく、咲月が台車を押して外へと出入りする度に強い風がオフィス内を吹き抜けていく。突風に煽られて髪の毛が乱されることにすら苛立ちを覚える。 50リットルの大きさのゴミ袋を台車に積み上げて、落ちないようにと咲月は片手で押さえながら慎重に運んでいく。これを3往復ほど繰り返し、駐車場の隅にゴミの山を作っていると、すぐ真横に一台のロードバイクが停まった。黒色に青ラインの入った自転車に跨っていた男性は、怪訝な表情をしつつ自転車と同色のヘルメットを脱いでいる。見慣れない女の子が、勤務
last updateLast Updated : 2025-02-16
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第九話

 デスクチェアに座って、咲月は駅前のコンビニで買って来たサンドウィッチを大きな口を開けて頬張る。オフィスの周囲にはランチに最適なちょっとお洒落な飲食店も多いけれど、卒業旅行を控えた金欠女子大生には手が出ない。ペットボトルの無糖紅茶ですら贅沢に感じ、お徳用ティーパックを買って来てお湯を沸かして自分で淹れた方が良いのではと思っていたくらいだ。 ――笠井さんみたいな大人の女の人って、いつも外で何食べてるんだろ? 休憩に行くと言いに来た時、笠井の髪が朝よりも強めに巻き直されていたような気がする。友達とのランチにそこまで気合いを入れるなんてよっぽどだ。もしかすると、噂に聞くランチデートというやつだろうか? 仕事の合間に待ち合わせ。想像するだけでドキドキする。  最後の一口を口の中へ放り込んでから、紅茶でゴクゴクと流し込む。「ハァ、大人だなぁ……」 「え、卵サンドが?」 「へ?」 急に背後から声がして、驚いて振り返る。思わず変な声を出してしまった。ぼーっとしていたせいで羽柴がフロアへ出て来たのに全く気付いていなかった。資料室のドアを開けっ放しにしたままだから、平沼が動かしているシュレッダーの音で足音がかき消されていたというのもあるだろう。  咲月は慌てて首を横に振って誤魔化した。「いえ、何でもないです」 「ふーん……?」 デスクの上に置いたコンビニ袋の中を覗き込んできて、羽柴が笑いを堪えた顔をする。今日買って来たのは、さっき食べ切った卵サンドと、500mlの紅茶に明太子オニギリ1個だ。これで大体500円くらいだろうか。まさか初日から身体を動かす仕事になるとは思ってみなかったから、正直言って夕方までお腹がもつかが心配ではある。  同じようなことを思ったらしく、羽柴が不審そうに聞いてくる。「肉好きのキミには、それだけじゃ足りなくない?」 「なっ……!」 以前のパーティーで咲月が肉料理ばかりを皿に盛っていたのを、羽柴はしっかりと覚えているらしい。あの時は叔母とご飯を食べに行く時と同じノリだったし、自分のことなんて見てる人はいないと思ってたから……。急に恥ずかしくなってきて、咲月の顔が
last updateLast Updated : 2025-02-18
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第十話

 斜め前のデスクで伝票の束を捲りながら、プリプリと分かり易く頬を膨らませる笠井。三上は目を合わせないようモニターの陰に顔を潜め続ける。 ここ最近よく目撃するようになった、事務スタッフの突発的なヒステリー。触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものだ。「何があったんですか?」なんて聞こうものなら、その後の仕事の進捗に大幅な遅れが出るのは間違いなし。怒涛の勢いで愚痴を聞かされ、相槌に手を抜こうとしてバレれば「そんなだからモテないんですよ」と思い切り飛び火を食らってしまう。 台車を押して外へゴミ出しに行ってしまった平沼のことを、上手く逃げやがってと心の中で毒づく。普段は人懐っこく誰にでも話し掛けていくくせに、こういう時だけはしっかりと距離を置いてくるのが解せない。その要領の良さがいつも気に食わない。  かと言って、今、フロアには三上と笠井しかいない。どう考えても、女王様のご機嫌取りの役は自分だ。ハァと諦めの溜め息が漏れ出てしまう。面倒なことには極力関わり合いたくない。 電卓を壊れそうな強さで叩く音に、三上は身体をビクつかせる。今日のご機嫌斜め度はかなりキツイ。放っておくとさらに悪化する可能性もありそうだ。恐る恐る、モニターの隅から目だけを覗かせて笠井の様子を伺う。どう話を切り出していけばいいのやら。  と、ちょうど顔を上げた笠井と思い切り目が合ってしまった。その結果、「どうしました?」と聞く前に笠井の方から口撃を受けてしまう。「ちょっと三上さん、さっきから何なんですか? チラチラとこちらを――」 「す、すみません……えっと、きょ、今日の笠井さんも、お、お洒落だなぁと、思いまして……」 しどろもどろに思ってもみない世辞を投げる。正直、笠井が今どんな服装をしているかなんて知ったこっちゃない。表情と空気で苛立っているのは分かっているが、デスクの下で今は隠れて見えていないボトムがスカートだったかパンツだったかすら記憶にない。  そんな三上の適当な言葉にも、笠井は満足そうに照れ笑いを浮かべ始める。色恋とは無縁な三上でも、一応は異性として認識はしてくれているようだ。笠井の電卓を叩く音が静かになったことに、ホッと胸を撫で下ろす。 ――どうせまた、マッチ
last updateLast Updated : 2025-02-20
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