2011年8月13日午前9時、私は警視庁の重犯罪捜査班から指令を受けて、たった一人で長平市へ向かい、森田つばさ殺害事件の捜査にあたることになった。列車を降りると、田村刑事が車で迎えに来てくれていた。警察署へ向かう途中、名門ホテルの前で道路が高級車で完全に塞がれていた。「何があったんだ?」と私は田村に尋ねた。田村が顔を上げて見ると、「森田建設グループの社長の息子の追悼式みたい」と言った。私はうなずいた。一般的に追悼式が行われるのは高齢で社会に多大な貢献をした人に限られるものだが、25歳のつばさが盛大な追悼式を開いてもらえるとは、父親である義雄が長平市においてどれだけの影響力を持っているかが伺える。私が入手した資料によると、義雄は1962年に長平市の普通の家庭に生まれている。一家の長男で、父親は早くに他界したため学校を中退して十代で社会に出た。彼は24歳まで下積みを続け、25歳の時に輸送業で共同事業を始め、それを機に次第に頭角を現したのだ。20年も経たないうちに、彼の事業は輸送業から土木建材へと拡大し、最終的には長平市のほとんどの都市開発事業を一手に引き受ける森田建設グループを設立するに至った。「せっかくだから少し様子を見てみるか。どうせこのままじゃ通れないし」と私は田村に言った。私たちは車を降り、ホテルの入り口前に集まる人々を見渡した。彼らは皆、追悼式に参列するために集まった人々のようだった。1〜2分が過ぎた頃、突然人々は静まり返り自然とホテルの入り口へ続く道を作り出した。私と田村もそれに倣って少し横に避けた。すると、ベンツが路肩に停まり、運転手が降りて後部座席のドアを開け、そこから堂々とした体格の中年男性が現れた。彼は何も言わず、そのままホテルの入り口へと向かって歩き始めた。顔には疲れが見えたものの、威厳を感じさせる堂々たる雰囲気があった。「彼が森田義雄だ」と田村が私の耳元でささやいた。私は黙ったまま、その場の人々とは異なる雰囲気を漂わせる水色のシャツを着た痩身の若者に視線を向けていた。その間に義雄はホテルの中へ入り、他の人々も次々に続いてホテルに入っていったため、最後に残ったのは私と田村だけになった。「戻ろう、警察署へ」と私は田村に言った。警察署に着くと、田村は私を仮設のオフィスに案内し、そこには事件
続きを読む