「叔父さん、否定しないでよ。今、未来の叔母さんに会ったんだから。僕を叔父さんと間違えて......」「会話の内容を詳しく話せ。今すぐに」大騎は諒の饒舌を遮り、低い声で命じた。「えっと、その......」諒は躊躇わず、先ほどの出来事を説明し始めた。もちろん、前半の自分の軽薄な態度は省略した。叔父の女性に手を出そうとしたなんて知られたら......背筋が凍る思いだった。「これから私の指示通りに動け」受話器越しの冷たい声に、感情は見えなかったが、背筋が凍るような威圧感があった。***空港を後にした芽依はタクシーを拾い、すぐさま病院へと向かった。梅原家は医療業界で財を成した名門。父の他界後は少し勢いを失ったとはいえ、業界の重鎮であることに変わりはなかった。最も信頼できる病院の整形外科の専門医を訪ねる。「足の怪我自体はそれほど深刻ではありません。不適切な投薬で症状が悪化しただけです。正しい薬剤で丁寧にケアすれば、完治の見込みは十分にあります」芽依の瞳が冷たく輝いた。これまでの診察には必ず謙人が付き添っていた。全て手回しされていたということか。愛していたはずの婚約者の仕打ちは、本当に残酷だった。薬を受け取った後、リハビリ室でマッサージを受ける。壁の時計に目をやる。この時間なら......謙人は自分がまだパリにいると思っているはず。そう思うと、入院の手続きを取ることにした。しばらくここで過ごそう......翌日の夕刻、新しいリハビリを終えた芽依は退院すると、そのままスターライトマンションへと向かった。謙人が強く主張してバチェロレッテパーティーを開くことにした場所だ。以前は自分を大切に思ってくれているのだと信じていた。今になって思えば、人は普段と違う態度を見せる時、必ず裏がある。これも彼らの罠の一環なのかもしれない。しっかり計画を練らなければ。パーティールームに足を踏み入れた瞬間、謙人と奏音が楽しげに談笑している姿が目に入った。謙人は芽依の探るような視線も気にせず、すぐさま奏音のことを持ち出した。「芽依、昨日は忙しくて聞けなかったんだけど、牧谷さんの担当者には会えなかったみたいだけど、奏音のことは話せた?デビュタントパーティーの件、牧谷家から内々に後押ししてもらえそう?」芽依は瞳を沈ませた。自分はど
「ピコン」携帯が鳴り、親友の戸賀愛瑠(とが あいる)から上階から届いたメッセージを確認する。「全て順調よ、安心して」戸賀家は奈津城では最大手とは言えないものの、どの名家も一目置く存在だった。優秀な私立探偵を抱えているからだ。今夜の計画には愛瑠の助力があれば、まず間違いない。携帯をしまった芽依は、パーティーの隅で静かに計画の時を待つつもりだった。しかし、周囲から漏れ聞こえる会話に、否応なく耳が引き寄せられた。「梅原芽依さんって足が不自由なのに、どうして朝倉家は彼女にこだわるのかしら」「そんなの明らかじゃない?医療業界に進出したいからでしょ。利用価値があるってことよ」かつての令嬢が今や雀の子より劣るという陰口に、芽依の表情が冷たく青ざめていくのを見て、奏音は内心で歓喜の花を咲かせていた。わざと仲間たちにセレブ達の間で話題を広めさせ、もっと酷い言葉で傷つけてほしいと願っているかのようだった。芽依は表情を変えずに耳を傾けながら、時折冷ややかな視線を投げかける。女性たちの中で一番声高に話している者が、奏音の親友だと一目で分かった。「確かに香水部門は落ちぶれたけど、医療はまだ健在よ。お父様が亡くなった後は母親一人で切り盛りしてるんでしょ?やり手なのね」「一人の女で家業なんて支えられるわけないじゃない。きっと......ねぇ、分かるでしょ?」奏音の親友が意味ありげな口調で言った。「パシッ」言葉が終わる前に、芽依の平手が相手の頬を打った。「きゃっ!」「何するの!」奏音の親友が悲鳴を上げる中、芽依は冷徹な瞳で警告した。「両親が揃ってるのに、まともな躾も受けていないようね。代わりに教えてあげましょう──その汚い口は慎むことね」芽依の予想外な強気な態度に、奏音は不快感を覚えながらも感情を抑え、親友と芽依の間に割って入った。「まあまあ、今日はお姉さまのパーティーなんだから、私の顔を立ててくれない?」「あなたの顔なんて、何の価値もないわ」思いがけない切り返しに、奏音は驚いて振り向いた。目に涙を浮かべ、震える声で訴えかける。「お姉さま......どうしてそんな冷たい言い方を......」「冷たい?」芽依は唇の端を軽蔑的に上げた。「人間扱いする価値のある相手にしか、人間らしい言葉は使わないわ」奏音は言葉につまり、
芽依は、今宵の梅原グループと各企業グループとの提携が頓挫すれば、その責任は必ず自分に押し付けられることを悟っていた。最近、奏音の実父である梅原東彦(うめはら はるひこ)叔父が取締役会の勢力を味方につけ、母に対して会長の座を譲るよう何度も圧力をかけていた。これらの写真は、間違いなく東彦親子が仕組んだ策略に違いない。もしこのまま彼らの思い通りになれば、海外で梅原グループのために奔走している母への顔向けができない。その時、親友の戸賀愛瑠がパーティー会場に駆け込んできた。「芽依!私の部下たちがもう制御室に向かってるわ。到着次第、映像を切断できるから!」息を切らしながら芽依の傍らに駆け寄った愛瑠の声は切迫していた。「その必要はないわ」芽依は顔を上げ、澄んだ瞳でスクリーンを見つめた。その表情には冷静さが漂っていた。「本当に大丈夫なの?」愛瑠は不安げに問いかけた。芽依は頷き、落ち着いた様子でスマートフォンを取り出すと、プライベートメールから幾つかのデータを取り出して愛瑠に転送した。「これを先程の写真と一緒にスクリーンで流すように手配して」いつもの芽依らしい威厳のある態度を目にして、愛瑠は安堵の表情を浮かべ、データを手に人混みをかき分けて立ち去った。「お姉さま」奏音は目に悪意を宿したまま、芽依を追い詰めようと心に決めていた。蜜のように甘ったるい声色で言い放った。「自分の気持ちだけを優先して、梅原グループのことなんて考えてないじゃない。父から聞いたけど、今日おじさまたちと話し合う案件は、会社にとって死活問題なのよ」「たかが数枚の写真で、今夜の提携が潰れると思ってるの?」杖に体重を預けながら姿勢を整えた芽依は、確信に満ちた表情で言い放った。「じゃあ、賭けをしない?私が提携を成立させられたら、どうする?」「はっ」奏音は天下一品の冗談でも聞いたかのように嘲笑した。「お姉さま、今なら発言を撤回できるわよ」「無駄話はいい。賭けるかどうか、はっきりしなさい」芽依は一歩も引かなかった。「いいわ!」奏音は芽依が考え直す前に、急いで悪意に満ちた賭けの内容を口にした。「負けたら、みんなの前でポールダンスを踊ってもらうわ」「構わないわ」芽依は冷静に応じた。「でも、私が勝ったら、あなたにステージで歌を歌ってもらうわ」奏音の目が一瞬、不安
周囲から「梅原お嬢様一人で朝倉プロを支えているようなものだ」という声が聞こえる中、朝倉の両親は内心穏やかではなかったものの、表向きは笑みを浮かべるしかなかった。梅原グループの重役陣も素早く提携先との話をまとめ、顔中に笑みを溢れさせていた。芽依は人々の手のひらを返したような態度を静かに観察しながら、瞳の奥に小悪魔的な笑みを宿した。「賭けは賭け。では、奏音さんによる歌の披露をお願いしましょう」澄んだ声が喧騒を切り裂いた。芽依の言葉に、人々は賭けの決着がまだついていなかったことを思い出した。人気スターの生歌が聴けるとあって、会場は一気に盛り上がった。「あ、今日は喉の調子が......」奏音は慌てて両手を振りながら言い訳を始めた。「シングルも出してるスターなのに、たかが一曲くらい大したことないでしょ?」「言い訳はやめなさいよ。喉が悪くても歌えるでしょう?賭けに負けて逃げるなんて......もしかして、シングルって本当にあなたが歌ってたの?」追い詰められた奏音は、歯を食いしばりながら渋々ステージに上がり、マイクの前に立った。イントロが流れ始め、奏音は小さな声で歌い出した。しかし音響スタッフは意図的に伴奏音量を下げ、彼女の音痴な歌声が露わになった。会場は騒然となった。「なんだこれは!?」「耳がだめになっちゃいそう!」「確か前のシングルは良かったはずよね?全部嘘だったの?」「どうなってるんだ!スピーカーを切れ!」朝倉謙人は慌てて作業員に指示を飛ばした。「申し訳ありません。システムに不具合が生じて、すぐには止められません......」「電源を落とせ!今すぐに!」謙人は声を荒げた。電源が切れれば会場は真っ暗闇になるはず。それでもなお奏音を守るために、謙人はここまでするつもりなのか。会場の空気が一変し、ざわめきが広がった。なぜ婚約者の芽依よりも奏音への配慮を優先させるのか、という疑問の声が次々と漏れ始めた。先ほどまで芽依が不当な非難を浴びていた時、彼は一言の弁明すら口にしなかったというのに。だが二分後、息を切らしながら戻ってきた作業員が報告した。「誰かが既に非常用電源を起動させていまして、主電源を切っても意味がありません......」「もういい」謙人は疲れ切った表情を浮かべた。奏音の「熱唱」はわずか数フ
部屋の中の男は車椅子に座っていた。背の高い整った体格で、病気の色が窺えるものの気品のある美しさは隠せず、身体の不自由さも凛とした風格を損なうことはなかった。芽依の瞳が僅かに縮む。この男の醸し出す雰囲気は、あのパリのホテルでの夜の男そのものだった。牧谷諒よりも、あの人に似ている――その時、別室からボディーガードが現れ、芽依に告げた。「牧谷社長がお待ちでした」牧谷社長......噂では牧谷グループの実権を握るのは次男、正体不明で姿を現すことの稀な牧谷大騎。残虐な性格で知られ、長年海外に住み、一度も帰国していないという。そして......身体が不自由だという......自室に彼が現れた理由は問うまでもない。この奈津城全体が彼の縄張りなのだから。芽依が気になったのは、その容貌だった。細く傲然と伸びた目の奥には、触れてはいけない何かが潜んでいる。避けたいのに、その漆黒の瞳の渦に引き込まれそうになる。牧谷大騎は、あの夜の記憶の中の男にあまりにも酷似していた。芽依は表情を完璧にコントロールしようと努めながら、あのホテルでの夜の断片的な記憶を辿った。気づけば頬が熱を帯びていた。あの男は力強かった。体の不自由な人のものとは思えない力だった。もし大騎が下半身不随だとすれば、あの夜のホテルの男は......やはり諒だったのか。確信が持てない。ただ、大騎の眼差しには何か複雑なものが潜んでいるように感じた。「諒との取引条件は承知した。だが、私にも条件がある」大騎の冷たい声が彼女の思考を遮った。その声音には高貴な威厳が漂っていた。「どういった......?」「牧谷家に嫁ぐこと」大騎は薄い唇を固く結び、冷徹に告げた。「内密の結婚としてだ」「なぜ?」芽依は眉尾を僅かに上げた。「なぜって......分からないのか?」大騎は平然と彼女と視線を合わせ、鋭い眼差しを向けた。あの夜のことが理由......?芽依は目を伏せながら、密かに大騎の様子を観察した。その冷静で理性的な態度は、まるで諒という子供の失態の後始末をする保護者のようだった。これは、あの夜の男が確かに諒だという証拠になる。しかし疑問が残る。諒のキャリアが絶頂期を迎えているこの時期に、密かな結婚が彼にとって何の得になるのだろう。不審に思いながら、眉を寄せて
芽依は大騎の前に真っ直ぐに立ち、躊躇なく断った。「申し訳ありませんが、そのご提案はお受けできません」大騎は細い目を上げることもなく、彼女の返答など意に介さない様子で続けた。「先ほど、この部屋に男が送り込まれた。君は、厄介な状況に陥っているようだな」「ご心配には及びません。既に対処済みです」芽依は毅然と拒否の姿勢を崩さなかった。大騎の細い目が僅かに狭まった。これほど聡明な女が、あの夜の相手が自分だと気付いているはずだ。それなのに、なぜこれほどまでに結婚を拒むのか。「だが、いつでも別の男を寄越すことはできる」大騎の声音は冷たさを帯びていた。芽依の瞳が暗く沈んだ。「私を脅されているんですか?」「脅すつもりはない」大騎は悠然と告げた。「承諾さえすれば、牧谷グループは惜しみない支援を提供する。梅原グループの再建を望んでいるんじゃないのか?それに......私なら、その足も治せる」その上から目線の物言いに芽依は嫌悪を覚えた。しかし......彼の言葉の一つ一つが、確かに自分の弱みを突いていた。力の入らない左足を一瞥する。この足を早急に治さなければ、好機を掴んで形勢を逆転させることはできない。あの非道な男女と渡り合うにも、何もできやしない。さらに、東彦叔父の勢力に牛耳られている取締役会。整理したくとも、長期的な戦略が必要だ。現実は、そんな悠長な時間を与えてくれるだろうか。深く息を吸って、芽依は尋ねた。「どうやって治すんです?期間は?」「このアドレスへ行け。医師が鍼治療を施す」大騎はテーブルに一枚の名刺を投げ出した。「三日で自由に歩けるようになる」三日?芽依の長い睫毛が僅かに震えた。二年も足の治療に費やし、専門医でさえ完治の期限を約束できなかったというのに、たった三日で治るという?笑い話にしか聞こえない。だが、男の表情には確固たる自信が滲んでいた。一縷の望みを託さずにはいられず、芽依は問いかけた。「そんな名医がいるなら、なぜ先にご自身を治療なさらないんですか?」「信じるも信じないも勝手だ!」生まれてこの方、こんな口の利き方をする者などいなかった。まさか、命知らずが現れるとは。大騎の目に怒りの色が浮かび、車椅子を回転させながら後ろの付き人に退出の合図を送った。「牧谷家の女が不具では話にならん。三日
芽依は目に宿った鋭い光を隠し、訝しげな表情を装って尋ねた。「何かあったんですか?皆さん、どうしてこんなに早く......」「叔母さんが起こしに来たのよ!今日は謙人くんとの婚約式でしょう。早めに支度しないと」芳子は芽依の横をすり抜けて真っ先に部屋に入り、室内を落ち着きなく見回した末、奥の寝室のベッドに目を留めた......そこには乱れた寝具が......布団の下は何かが膨らんでいるように見える......「まあ、この子ったら。さあ早く片付けなさい。もうすぐスタイリストが来るわよ」芳子は大股で寝室に向かいながら言った。「私が自分でします!」芽依は慌てて後を追った。「私が手伝うわ!」芳子は真相を暴く機会を逃すまいと、ほとんど飛びつくようにベッドに駆け寄り、躊躇することなく布団を勢いよく引き剥がした!床に投げ捨てられた布団。目の前の光景に、芳子は呆然と立ち尽くした――ベッドは綺麗なまま――男の影すらない。芳子は首を縮めながら、同じく困惑した表情を浮かべる東彦の方をちらりと見た。奏音が言っていた通り、芽依の部屋に男を忍び込ませたはずなのに......どこに?「私一人で大丈夫です。叔母様は、ご自分のお嬢様の世話でお忙しいでしょうから」芽依は床から布団を拾い上げながら、皮肉めいた口調で言い放った。その言葉の二重の意味に気付かない芳子は、東彦の方を向いて慌てて言った。「奏音、まだ起きてないわ。様子を見てくるわ」東彦が芳子を連れて隣室へ向かう後を、芽依もついて行った。さらに後ろの一行にも声をかける。「皆さんもご一緒にいかがですか?」「......」後ろの一同は始終、困惑の表情を隠せないでいた。謙人と芽依の婚約式の朝に、東彦夫妻に呼び出され、上階で何かあるから証人になってほしいと言われ、ここまで来たものの。一体何を証明するというのか。皆目見当もつかないまま、芽依の後を付いて行くしかなかった。芳子が奏音の部屋の予備カードを取り出す。「ピッ」ドアが開く。目の前の光景に、東彦夫妻は凍り付き、朝倉の両親も、後ろの重役たちも、言葉を失った......「謙人......どうして奏音の部屋にいるの?」凍り付いた空気の中、最初に声を上げたのは芽依だった。「い、いや、誤解だ!今、今来たばかりで....
「ふん!」梅原グループの古株の重役たちは袖を払うように立ち去りながら、捨て台詞を残した。「この件は必ず清算させてもらう!」東彦の顔からは血の気が引き、朝倉の両親もため息をつくばかり。実のところ、彼らは息子の本性を知っていた。部屋に入った瞬間、謙人と奏音の怪しげな様子を目にして、すべてを察したのだ。とはいえ、奏音は所詮梅原家の傍系の娘。芽依とは格が違う。今は芽依の機嫌を取ることが先決だった......両親の視線を受け取った謙人は、慌てて芽依に近寄った。「芽依、信じてくれ。昨夜は何も......」芽依は謙人の手を払いのけ、涙を流しながら立ち去ろうとする。謙人の母が慌てて彼女の腕を掴んだ。「まあ待って、これから婚約式があるのよ。行かないで」「おばさま、謙人さんは私を裏切っておいて、まともな説明すらしない。このまま強引に結婚させる気なんですか?」芽依の凛とした眼差しに、謙人の母は手を放すしかなかった。すると今度は謙人の母が激情に駆られ、東彦に向かって叫んだ。「全て奏音さんが仕組んだことでしょう!うちの家に入り込もうと策略を巡らせて!でも、絶対に許しませんからね!」「何を言い掛かりつけてるの!誰が策略なんて!はっきり言いなさいよ!」芳子が娘を庇って飛び出してきた。「誰って?上が腐れば下も腐るってことよ!」両家の醜い言い争いの隙を突いて、芽依は静かに姿を消した。先ほどの一部始終は、戸賀愛瑠が仕掛けた隠しカメラに収められていた。これこそが、不義理な二人を制裁する切り札となるはずだった。*午前九時。婚約式の開始時刻を迎えたその時、招待客全員に突如として通知が届いた。梅原家と朝倉家の婚約式が中止になったという。「どういうことだ?昨夜までは何も......」「聞いたところによると、朝倉さんが浮気を......」立ち去る来賓たちの噂話が飛び交う中、芽依と愛瑠は人々の動揺に乗じて、昨夜の監視カメラが捉えた「素材」の選別を進めていた。芽依は意図的にぼかした数枚の写真を選び出し、愛瑠に指示を出した。「まずはこれを流して」「えっ、これだけ?」愛瑠は目を丸くした。「なんで決定的な動画を出さないの?あの不倫カップルを完全に潰せるのに!これじゃ画質も悪いし、絶対に否定してくるわよ!」「まだその時じゃないの」
急遽開かれた宴が終わり、老夫人は特別に車を手配して芽依を送らせた。時計を確認すると、ちょうど株式市場の終値の時間だった。朝倉グループの株価はストップ安を記録していた。梅原東彦と謙人の父が必死に世論の沈静化を図ろうとしているものの、超高層ビルの大型スクリーンに映し出された映像の衝撃は、当分の間消えそうにない。芽依は冷ややかな目つきで最新ニュースをスクロールしていく。奏音の降板が決まった CM、撮影予定だったドラマ、バラエティ番組......複数の海外高級ブランドが彼女の広告を一斉に撤去し、巨額の損害賠償を請求している。芸能界の共演者やスタッフたちまでもが次々と暴露を始め、奏音のデビュー以来の悪評を語り始めた。世論は完全に彼女を非難する方向に傾いていた。芽依は冷笑を浮かべた。これが品行方正でないことの報いよ。いざという時、味方になってくれる者など誰一人いない。芽依は自宅には戻らず、会社へ向かった。香水事業部のスタッフと新製品ラインについての会議があった。会議を終えると、携帯には奏音からの不在着信が何件も残っていた。無視するつもりでいたが、またも着信が入る。少し躊躇した後、芽依は電話に出た。「お姉さま......」受話器の向こうから、奏音の取り乱した声が響く。「助けて......私が悪かった。本当に悪かったの。お姉さましか頼れる人がいないの......」「ふん」芽依は嘲笑うように言った。「私に頼むの?」「ええ、お願い、お姉さま」奏音は取り乱して泣き始めた。「私を事故に遭わせ、偽薬を使わせ、婚約者を奪って、二年も騙し続けた。死んでくれれば良いのに」芽依は一語一語に怒りを込めた。「私が間違ってた......でも、私たち姉妹じゃない......」奏音の声が震えていた。「私を陥れる時は、姉妹だなんて考えもしなかったくせに」芽依が電話を切ろうとした瞬間、向こうで大きな音が響いた。「奏音!俺が何をした!?なぜここまで俺を陥れようとする!」朝倉謙人の怒声が受話器から漏れてきた。奏音の携帯は床に叩きつけられたらしく、切る間もなかった。向こうで謙人が狂ったように奏音の首を掴み上げ、今にも気管を潰しかねない力で締め付けた。「甘く見すぎていたようだな!なぜ俺を、朝倉グループを潰そうとした!?」「わ、私は......
「まさか、選ばれた方が足の不自由な方だなんて?」周囲の貴婦人たちの間で、ざわめきが起こった。「ふむ」老夫人が咳払いをすると、一瞬にして静寂が訪れた。「あなた、あの子のことを知っているの?」老夫人が尋ねた。「私は彼女のことなど知りませんが、今や奈津城の誰もが知る噂の的です。今朝方も、婚約者と従妹の不倫現場が超高層ビルの大型スクリーンで流されたばかりで......」詩織は老夫人が芽依に対して怒りを覚えたと思い込み、更に火に油を注いだ。「ああ、あの梅原家のお嬢様ね。この二日間、梅原家と朝倉家の騒動で持ちきりだったわ。あのビルの映像、ご覧になりました?」「見ないわけにはいきませんでしたわ。まさかあんな生中継が......」貴婦人たちは口元を押さえ、目配せし合いながら囁き合った。周囲の噂話に勢いづいた詩織は、老夫人の険しい表情にも気付かず、さらに言葉を重ねた。「マダム、おかしくありませんか?家でこんな騒動があったというのに、今こうしてマダムに取り入ろうだなんて!」「そのような不幸な出来事があったからこそ、嘲笑うのではなく同情すべきではないのかね?」老夫人の力強い一言に、部屋中が水を打ったように静まり返った。詩織は顔を真っ赤にし、慌てて言い訳を始めた。「あの......マダム、個人的な事情は置いておくとしても、足の不自由な方が奈津城の代表として国際パーティーに出るなんて。彼女自身も、奈津城も笑い者になってしまいます!」ちょうどその時、芽依が部屋に入ってきた。詩織の言葉が耳に入る。芽依は平然とした様子で、静かに老夫人の元へ歩み寄った。「マダム!ご覧ください!」詩織は目を見開いて芽依を指差した。「なんて無作法な!お呼びもないのに勝手に入ってきましたわ!」老夫人は黙ったまま、微笑みながら手を上げた。詩織はようやく自分の意見が認められたと思い、急いで握手しようと手を伸ばした。しかし老夫人はその不遜な手を避けるように、芽依の手を取った。「私の庭園はどうかしら?気に入ってくれたかな?」「おばあ様の庭、本当に素敵です。どの場所も違った趣があって」芽依は愛らしい笑顔を浮かべた。詩織は息を呑んだ。誰もが「マダム」と呼ぶ老夫人を、「おばあ様」と呼ぶなんて。この娘と牧谷家は一体どういう関係なのか。「先ほどから古賀さんが私のことに
傍らの母親、古賀香澄(こが かすみ)は軽蔑的な目つきで芽依を見やった。「足の不自由な娘が取り入ろうとしたところで、何も怖がることはないでしょう」詩織は一瞬にして安堵の表情を浮かべ、母の腕にしがみついた。「ママの言う通り!マダムと親しくできる人なんて、国内でもほんの僅か。ママはその一人なんだもの!」「安心なさい。大騎様は親孝行だって聞いているわ。あなたが上手く立ち回れば、マダムが一言おっしゃるだけで、お父様の会社も安泰。デビュタントパーティーの招待状も、あなたのものになるはずよ」香澄はショールの位置を優雅に直しながら言った。その言葉に自信を得た詩織。母娘は揃って背筋を伸ばし、高々と顎を上げて歩き出した。 *古賀母娘は長い間庭を歩き回っていたが、いっこうに使用人が迎えに来る気配はなかった。いら立ちを募らせた詩織は思案顔で、突然桜の木の下にいる芽依に向かって歩き出した。「あら、これは梅原お嬢様じゃない?牧谷家にお伺いするのに、こんな地味な服装で、すっぴんまでとは。梅原家もずいぶん落ちぶれたものね」芽依が振り向くと、宝石をちりばめた華やかな装いの女性が、鋭い眼光を向けていた。古賀詩織?まさか彼女までここに。芽依は牧谷家で外部の人間と揉め事を起こすつもりはなかったが、詩織は止まる気配がなかった。「妹さんと婚約者に裏切られたのに、悲しそうな顔一つしないなんて。野心家ね!もうマダムに取り入ろうとしているの?」「ママ、ねえ。あんな男女と関係を持っていた人間の品性なんて、知れてるんじゃない?」芽依の瞳が一瞬冷たく光った。落ち着いた声で切り返す。「あなたの親友、梅原奏音のことを散々持ち上げていたのに、今になって人の品性を語るなんて。ご立派な友情ぶりですこと」「私を侮辱するつもり!?」詩織の声が険しくなった。芽依は目を伏せ、相手にする価値もないという表情を浮かべた。「自分に心当たりがあるからそう感じるんでしょう。少しは分かってるみたいね」「調子に乗らないで。こんな貧相な格好で、足まで不自由なあなたが、奈津城の代表としてデビュタントパーティーに出られると思ってるの?夢見過ぎよ!」「じゃあ誰が相応しいって?あなた?」芽依は冷笑を浮かべた。「何よ、その笑い方!」詩織は焦りを隠せない様子で叫んだ。「ママはマダムのお友達なのよ
祖母の目には諒が瞑想好きの若者として映っているのだから――芽依は言葉を選びながら答えた。「その…明るくて、自由奔放というか」老夫人は完全に驚き果て、柳葉の方を振り向いた。柳葉は必死に頭を働かせ、想像を巡らせた末、老夫人の耳元で慌てて囁いた。「おそらく、大騎様は梅原様の前では、私どもの前とは違うお姿を......」そうよね、そうよね。老夫人は頷きながら考えを巡らせた。8年前のあの事故さえなければ、大騎もこんなに冷たい性格にはならなかったはず。本当に好きな人の前なら、心を開くこともできるのかもしれない。「良かった、良かった」老夫人は何度も頷いた。「素晴らしい子ね。ただ、結婚を隠さなければならないなんて、辛いでしょう」「いいえ、全然です。大局を考えてのことですから」芽依は内心、むしろ長く隠しておきたいと願っていた。老夫人は芽依のことが本当に気に入った。梅原家はよくぞこんなに大局観があって、優しく可愛らしい娘に育て上げたものだ。あの出来事の後、孫の心は死んでしまったと思っていたのに、こんな幸せが待っていたなんて。そう思うと、老夫人の笑顔はより一層輝きを増した。「私が風雅園であなたたち用のマンションを買っておいたの。これからのお二人の住まいにしてね」芽依は断ろうとしたものの、結婚したのに実家暮らしというのも不自然だと思い直し、頷いて承諾した。こっそり諒の今月の予定を確認すると、帰宅の余裕など全くないことが分かり、安堵の溜め息をついた。程なくして、使用人が来客を告げに入ってきた。老夫人の表情が一瞬で曇った。芽依が外を窺うと、まるで小規模なパーティーのような数の来訪者が外庭に集まっていた。帰国早々、静かな時間を過ごしたかったであろう老夫人に、機嫌を取ろうとする者たちが休む間もない。不機嫌そうな老夫人の様子も無理はない。老夫人が客人の相手を始めると、大騎は時間の無駄だと言わんばかりに車椅子を回転させ、振り返って芽依に目配せした。芽依は素早く反応し、従順に車椅子を押して部屋を出た。「諒さんは今日いらっしゃらないんですか?」沈黙を破るように、芽依が話題を投げかけた。「奴が何のために帰ってくる」「......」芽依は唇を軽く噛んだ。諒がこれほど自由気ままでいられるのは、周りの甘やかしのせいだろう。「今晩荷物を
車から一人の男が降り立ち、恭しく彼女たちの車の前に立った。芽依は一目で彼を認識した。オーディションの時、牧谷大騎の車椅子の後ろに控えていた秘書だった。昨日の牧谷諒との約束を思い出し、芽依は愛瑠に簡単に状況を説明すると、秘書の車へと乗り換えた。「梅原様、牧谷家の本邸へご案内に参りました。老夫人様がお待ちです」と秘書は丁寧に言いながら、数枚の書類を差し出した。「週末の予定ではなかったでしょうか」と芽依は尋ねた。「老夫人が予定より早くご帰国なさいまして、到着されるなり芽依様にお会いしたいとのことで」と秘書は説明した。「分かりました」芽依は自身の華やかなドレス姿を見下ろし、少し間を置いて「申し訳ありませんが、先に自宅で着替えてもよろしいでしょうか」と切り出した。秘書は独断では決められないと判断し、恭しく電話をかけ、牧谷大騎に確認を取った後、芽依に受話器を渡した。「梅原様、社長がお話を......」「車に用意した資料に目を通しておけ。質問されることもあるだろう。絶対に矛盾のないように」大騎の冷たい声が響いた。芽依は眉を寄せた。やはり牧谷諒は当てにならない。まるで子供のよう。自分の妻のふりをさせておきながら、叔父に全て段取りをさせるなんて。資料に目を通すと、誕生日や趣味、習慣などが細かく書かれていた。趣味の欄に「読書・瞑想」とあるのを見て、思わず噴き出してしまった。「どうかしましたか?」電話の向こうで不審げな大騎の声が響く。感情を抑えながら、芽依は「ご心配なく、しっかり覚えておきます」と答えた。牧谷家の老夫人様の目には、諒は読書好きで瞑想までする孫に映っているのだろうか。普段の諒からは想像もつかない姿。家族の前でずいぶん良い子を演じていたようね――と、少し可笑しくなってしまう。牧谷家の本邸に到着すると、古風な趣きの庭園が広がっていた。玄関に足を踏み入れた途端、芽依の目に車椅子に座る牧谷大騎の姿が飛び込んできた。彼を見るたびに、パリのホテルであの夜の光景が鮮明に蘇る。大騎ではないと分かっているのに、思わず胸が高鳴ってしまう。叔父と甥、あまりにも似すぎている。しかも、大騎の身に纏う沈着さと決断力は、数々の試練を乗り越えてきた証。諒には到底及ばない深みがそこにはあった。「来たか」思いがけない大騎の
「ガシャン!」謙人の父の手からワイングラスが落ち、床に砕け散った。「この畜生め!」自分の立場も忘れ、激怒した声が轟いた。「早く!!早くあの映像を止めろ!」部下たちが必死に調べ回ったが、謙人と奏音の居場所は特定できない。高層ビルの制御システムも何者かによって掌握されており、映像を止めることもできなかった。奈津城の街全体が、朝倉グループの御曹司と人気女優の生々しい映像配信に沸き立っていた。通りを行き交う人々は足を止めて指を差し、朝倉グループの記念式典会場は騒然となり、ライブ配信のサーバーは一時ダウンするほどのアクセスが殺到した......しかし、街中が騒然となる中、高層ビルに映し出される二人は周囲の状況など知る由もなく、艶めかしい光景は続いていった。「昨夜、芽依お姉さまと一緒だったんでしょう!まだ私を騙すの?」「違う!お前は狂ってる!」謙人が奏音の体を振り払おうとするも、彼女は即座に飛びかかり、彼の肩に噛みつき、そのまま首筋に唇を這わせた。「あなたが言ったじゃない。私としか感じられないって。他の誰も代わりになんてならないって!」謙人はすぐに快感の虜となり、その後の映像は目を覆いたくなるような内容となっていった。メディアは騒然となった。「清純派として売り出していた梅原奏音が、姉の婚約者を誘惑し、密かに子まで宿していたなんて......常識を疑うレベルです!」「未婚での妊娠も、堕胎を企てていたことも、全て隠蔽しようとしていた。モラルも人間性も完全に欠如しています」「朝倉謙人は妻想いを演じていたけど、全て嘘だったんですね。梅原奏音という不倫相手が、正統な婚約者との関係を阻止しようとする。まさに前代未聞のスキャンダルです!」10分後、ようやく朝倉グループの関係者が高層ビルの映像を遮断することに成功した。しかし、先ほどまでの映像は既に奈津城中の人々のスマートフォンに、そして記憶に深く刻み込まれていた。朝倉家の両親と株主たちは慌てふためいて本社ビルに逃げ込み、扉を閉め切った途端、激しい言い合いが始まった。「会長!我々は謙人様の取締役就任に反対です!」「それでも強行されるなら、朝倉グループの破産も時間の問題でしょう!」謙人の父は言葉を失い、目を血走らせながら叫んだ。「早くあの不埒な者を見つけ出せ!必ず裁き
芽依は謙人の隣に立ち、彼から贈られた大振りな薔薇の花束を抱えていた。その派手な花束は否が応でも人目を引いた。「朝倉さん、梅原さんが国際デビュタントパーティーへの招待状を獲得されたと伺いましたが」予想通り、記者たちは一通りの質問の後、朝倉・梅原両家の婚約に関する騒動へと話題を向けてきた。「その通りです!」謙人は即座に芽依の手を取り、誇らしげな眼差しを向けながら、より一層彼女を抱き寄せた。「改めて婚約パーティーは開催されるのでしょうか?」「もちろんです!」謙人は強い確信を込めて答えた。「将来の奥様が結婚後も外で活躍されることについては?」記者が重ねて尋ねた。「今の時代ですからね。女性にも自己実現の機会があって当然です」謙人は作り笑いを浮かべながらも、とろけるような優しい声で続けた。「彼女が好きなことをして、幸せならそれが私の幸せです」会場は歓声と笑い声に包まれ、朝倉・梅原両家の不仲や謙人の不倫疑惑は雲散霧消した。「さすが朝倉さん、理想の恋人ですね!」「理想の恋人どころか、理想の後継者じゃありませんか!」メディアは競うように賞賛の言葉を投げかけた。「これまで奈津城の名家で、これほどの後継者は稀有な存在でした」「そうですね。朝倉さんはいつも謙虚で、私生活で朝倉グループに迷惑をかけることなど一度もありません!」朝倉家の両親は満足げに頷きながら微笑んだ。「確かに。謙人は幼い頃から向上心が強く、分別のある子でしたね」「私は幼い頃から謙人を朝倉グループの後継者として育ててきました。謙人の品格は即ち朝倉グループの品格。清廉潔白そのものです!」追従するメディアを見つめながら、芽依は感情の欠けた微笑みを浮かべ、瞳の奥には冷たい光が宿っていた――もうすぐ、謙人がどれほど清廉潔白か、皆さんにお分かりいただけるわ。「それでは皆様、こちらへお移りください。10分後、対岸の奈津城最高峰ビルにて、朝倉グループ創立30周年記念の映像をご覧いただきます」朝倉家の秘書がメディアと来賓を広場へと案内し始めた。謙人が歩き出そうとした時、背後から腕を掴まれた。振り返った彼の目が驚きで見開かれた。「なんでお前がここに?!」帽子とマスクで顔を隠した奏音は、混乱に紛れて謙人を人気のない場所へ引きずり込んだ。「謙人さん、今日こそ
既に謙人のオフィスには隠しカメラが設置してあり、全ての映像が芽依のスマートフォンの九分割画面に映し出されていた。芽依は運転手に自宅への帰路を指示した。しばらくすると、愛瑠の手配した偽装パパラッチたちが朝倉グループのビル前に集結した。奏音が謙人のオフィスから外を覗き見る位置に、まさに絶妙なタイミングで。まさかパパラッチがこんなに早く追跡してくるとは。奏音は慌てふためき、謙人の携帯に電話をかけた。その時、芽依は振動するスマートフォンを手に取り、謙人に成り代わって電話に出た。「謙人さん......私、朝倉グループのビルで囲まれちゃった。早く来て......」芽依は奏音の言葉を遮り、パソコンの再生ボタンを押した。愛瑠が用意していた音声が流れ始めた。「謙人~誰からの電話?」「どうでもいいことだよ。俺の目には君しか映らない」「本当?」「もちろんさ。君がいて、取締役会の支持があれば、俺の人生は勝ち組だ。他のことなんてどうでもいい!」「でも普段、奏音と親しそうにしているから、ああいうタイプが好みかと思ってた」「まさか。あいつは芸能界で、誰にでもあんな風に媚び媚びしているじゃないか。君は上品で、頭も良くて、有能だ。俺だってバカじゃない。どっちが良いか分からないわけないだろう?安心して、あいつは会社の金づるとして利用してるだけさ」技術的に合成された芽依と謙人の声は、あまりにも生々しかった。奏音は立っていられなくなり、震える体で床に崩れ落ちた。なるほど。今日、謙人が警告してきた理由が分かった。夜は会社の周年記念パーティーの準備で忙しいから連絡するなと言い、目立つなと釘を刺してきたのは。こんなことをしていたなんて!奏音は憎しみで掌に爪を立てた。だが次の瞬間、耳に飛び込んできたのは、謙人の艶めかしい吐息だった。この声......間違いようがない。奏音が一番よく知っている本物の声。謙人は芽依に手を出したことはないと言っていたのに。まさか姉妹両方と関係を持ち、二股をかけていたなんて!ずっと、騙されていた!奏音は怒りと焦りに駆られ、謙人に詰め寄ろうとしたが、ビル前に集まるパパラッチやファンの数は増える一方。身動きが取れない状況に、謙人のオフィスを行ったり来たりと落ち着かない様子で歩き回っていた。しかし次第に、体から力が
二人が入室するなり、芽依は見覚えのある香水の香りを察知した。自分がいつも使っているブランドと同じ。ふん。芽依は目を伏せ、冷笑を浮かべた。以前、謙人の服から女性用香水の香りがすると二度ほど問いただしたことがある。その後、奏音が偽善的な態度で近づいてきて、芽依の愛用している香水のブランドを聞き出した。それ以来、奏音は同じ香水を使い続けていた。姉の婚約者との不倫を隠蔽するため......僅かな知恵も悪事にしか使えないとは。芽依の心中など知る由もない奏音は、取り繕った笑みを浮かべている。「お姉様、わざわざ謙人さんにも来てもらったんです。直接説明させていただいて、誤解を解きたくて」「国際デビュタントパーティーの参加権を手に入れた私に対して、まだ誤解という言葉を使うの?」芽依は皮肉を込めて返した。奏音は慌てて手を振り、作り笑いを浮かべた。「まさか、むしろ嬉しく思っています」その時、謙人が前に出て、芽依を強引に抱き寄せた。「芽依、あの夜は酔っ払っていたんだ。約束する。もう二度とあんなに飲まない。でも奏音とは何もないんだ。信じてくれ、俺が愛してるのはお前だけだ。数日後には、改めて婚約しよう!」恋って本当に人を愚かにするのね。こんな薄っぺらい言い訳を、以前の自分はどうして信じられたのだろう。深いため息をつき、その場で罵倒する衝動を抑え込む。謙人は芽依が信じたと思い込み、さらに探りを入れた。「芽依、明日は朝倉グループの周年記念パーティーなんだ。父が記者会見で正式に私の取締役就任を発表する。明日からは、もっと素晴らしい生活を君に約束できる!」巨大な利権に目が眩んだ様子で、謙人は急いで付け加えた。「だから芽依、明日の朝、一緒に出席してくれないか?そうすれば、メディアの疑惑も消えるはずだ......」「ええ」芽依は奥歯を噛みしめながら頷いた。謙人は歓喜の表情を浮かべ、興奮して芽依の頬にキスを落とした。「よかった!安心して、数日後の婚約パーティーでは、もっと素敵なサプライズを用意するから!」「楽しみにしてるわ〜」芽依は長い睫毛を瞬かせながら、これから実行する計画を思い浮かべ、瞳に冷たい光を宿した。「私からも、素敵なサプライズを用意させていただくわ〜」そう言いながら、芽依は謙人を抱きしめたまま、さりげなく彼のスマートフォ