しかし、遺体を処分する際に、思わぬ出来事が起こった。 聡は、その女性の遺体が妊娠していることに気づいたのだ。 彼はさらに、女の腹部に焼け焦げた傷跡を見つけた。 彼がいつも灯りを消して私と寝るようにしていた。それは私のこの顔が彼を不快にさせるからだった。 だが、それでも私の身体には十分に慣れていたはず。 私の腹部には、父がタバコの火で焼きつけた痕がある。 聡はベッドでそこにキスするのが好きだった。それを「梅の花みたいだ」と言い、神から与えられた私だけの印だと語っていた。 それなのに今、彼はその馴染み深い梅花の烙印を目にしても、わずかに一瞬だけ驚いただけで、迷うことなく私を硫酸の池に投げ捨てた。 不思議だな、私はすでに死んでいるのに。 それでも、身体が硫酸で溶かされるとき、私はその胸を刺すような痛みを感じた。 特に、聡の冷淡な目つきを見た瞬間、私は思わず問いかけたくなった。 聡、これが私だと分かっていたの? それとも、最初からこうするつもりだったの? 「どこの家の娘か知らんが、妊娠しているのにバラバラにされるなんてな……」聡の背後で、薫が幽かにため息をついた。 聡は少し間を置いたが、何も気にせずに笑い飛ばした。 「闇市に売られるような人間だ、誰にも見捨てられた存在だよ。誰も気にしやしないさ」 なんてことだ。誰にも見捨てられた、誰も気にしないなんて。 その短い言葉は、まるで私の無意味で虚しい人生そのものを言い当てられたような気がした。 聡、あなたにとって、私もそのような存在に過ぎなかったのね。
帰る途中、聡は少し疲れた様子で眉間を揉んだ。 重要なことを成し遂げたはずなのに、なぜか心が落ち着かない。 何かを思い出したのか、彼はスマートフォンを手に取り、lineを開いた。 細長い指が私とのチャット履歴に止まった。 そこには、まだ私たちのケンカの記録が残っていた。 一ヶ月前、聡は突然、私と結婚したいと言い出した。 実は私が成人した頃から、私たちは同じベッドで寝ていた。 それでも、これまで聡は私を彼女として認めたことは一度もなく、外ではただ「妹」としてしか紹介されなかった。 結婚の話なんて、もちろん一度もなかった。 そんな彼が急にプロポーズした。 思い返せば、私にとってそれは人生の中で数少ない喜びの瞬間だった。 しかし、次の瞬間、彼の一言が私を奈落の底に突き落とした。 「俺と結婚するには条件がある。 お前の腎臓を一つ、葵に提供してくれ」 篠宮葵、彼が何年も心に強く残っている女性。 その時、私はどうやって手話で伝えたのか、今でも覚えていない。 気がついた時には、すでに断っていた。 そして聡は激怒した。 私たちは大きな喧嘩が巻き起こった。 「夕星、お前はいつからこんなに自分勝手になったんだ! お前は葵に唯一適合する腎臓の提供者なんだ。信じてくれ、俺はこの分野の最も優秀な医者だ。お前たちを危険にさらすことはない」 私は手で必死に、腎臓を提供できないことを伝えた。 だが、彼は失望し、私を突き放した。 「夕星、お前には本当にがっかりだ。お前にとってはただの腎臓一つだろ、葵にとっては命がかかっているんだ! お前はお前の冷酷な父親と同じだ。おぞましいよ。お前は本当に死ぬべきだ!」 そう言い捨てて、聡は振り返ることなく部屋を出て行った。私がどれだけ必死に手で伝えても、彼は一度も振り返らなかった。 だから、彼は私が手話で示したその言葉を見ていなかった。 ごめんね、聡。私は手伝いたくないわけじゃないの。ただ、私も一つしか腎臓が残っていないから。 私はどんなにプライドを捨てても、生き続けて彼のそばにいたかった。 私が死ぬまで。 でも今思えば、たとえあの時聡が知っていたとしてもどうしようもなかった。 たぶん気にしないだろう。 最初から最後まで、彼は私を憎んでいた
私は聡の隣人で、幼い頃から一緒に育った幼馴染だった 私は幼い頃に母を亡くし、酒浸りの父と一緒に暮らした。 聡は、両親が離婚し、優しい母親とともに私の隣に住んでいた。 聡の母親は私をとても気にかけてくれ、時々抱きしめては「うちの聡のお嫁さんにならない?」と冗談を言っていた。 その度に、聡は嫌がっていた。 「誰がこのダンマリを嫁にするんだ」 それでも、聡は外では私を守ってくれた。 石を投げつけられたり、犬をけしかけられたり、物を奪われたりする度に、彼はすぐに飛び出して私をいじめる人たちと戦ってくれた。 たとえ全身傷だらけになっても、彼は私を必死に守り続けてくれた。 「俺はダンマリが好きじゃない。でも、星ちゃんを永遠に守る」と、そう言ってくれた。 あの年、父が巨額のギャンブルの借金を抱え、無力な「口のきけない女」である私を売ろうとしていた時、聡の母親がそれを見つけてくれた。 彼女は私を救ってくれたが、酔った父に十三回刺され、二度と目を覚ますことはなかった。 病室で目を覚ましたとき、聡が私を見る目を永遠に忘れない。 それは絶望と無限の憎しみを帯びた眼差しだった。 「夕星!お前のほうが死んだらいいのに!お前のことが嫌い!一生お前を憎む!」 パァン—— 激怒した聡は私に平手打ちをした。 その一撃は私をめまいさせた。 そして、それは私の左耳を永遠に聞こえなくした。 だが、その一撃こそが、聡を私のそばに留めることになった。
聡は私を憎んでいるが、同時に少しばかりの罪悪感も抱いている。 あの夜、私たちは共に家族を失った。 私は聴覚を失い、言葉も話せない。そして、聡の母親が残した「星ちゃんは私が守る宝物だ」という言葉のおかげで、彼は私を見捨てなかった。 それどころか、兄としての義務を背負い、私を育ててくれた。 しかし、私はわかっていた。彼はそれでも私を憎んでいる。 何年経っても、彼は母親の命日になると酔いつぶれるまで酒を飲み、一人で母親を弔いに行く。 私は一度ついて行ったが、酔っ払った彼に蹴飛ばされた。 彼は私の首を絞め、凶悪な表情で言った。「夕星、お前なんか俺の母親の前で跪く資格がない!」 だが、彼が正気に戻ると、私を抱きしめ、首にできた痣を何度も撫でながら謝った。「星ちゃん、ごめん。俺はただ……どうしても葛藤してしまうんだ。」 彼が葛藤しているのはわかっていた。 彼は私と寝る時ですら、私の顔を隠していた。 実際のところ、私も葛藤していた。 彼を兄として、永遠にそばにいたいと願った。 でも、現実はそうはいかなかった。、二十年の時が経ち、私はどうしようもなく彼を愛してしまったのだ。 それでも私は知っている。 彼は決して私を愛さない。 結婚の約束すら、彼の慕っている女性への腎臓提供のための取引に過ぎなかったのだ。
車の中で、薫はぶつぶつと話しかけてきた。 「お前んちのダンマリのことを考えてるのか?」 「いや、誰があいつなんか考えるもんか」 聡はスマートフォンを放り投げ、冷淡な声で答えた。 「お前、あんなに好きじゃないなら、ちゃんと彼女に説明すればいいのに。あの子、口もきけないし、本当に可哀想だろう」 「あいつが可哀想?」聡はネクタイを引っ張りながら、妙に苛立ちを覚えた。「何が可哀想なんだ?俺はこれまで、何不自由なくあいつを育ててきた。それなのにどうだ?結局、育ったのは自分勝手な恩知らずだ。ちょっと注意しただけで、冷戦を始めるなんて、大したもんだよ。」 「まあ、子供の頃から一緒に育ってきたんだし、恋がなくても家族愛くらいはあるだろう。電話でもかけて、少し落ち着かせたらどうだ?」 「そんな必要ない。」聡はスマートフォンを一瞥し、さらに冷たく言い放った。「誰が彼女の我がままを助長したんだ」 そうは言いながらも、しばらくしてから彼はスマートフォンを手に取り、私に一通のメッセージを送った。 内容は至ってシンプル。 「明日の夜、家に戻って夕食を食べる」 ほら、彼はこんな風に、自分が正しいと信じて疑わない態度でしか和解を求めない。私の気持ちなんて、いつも無視している。 ただ、聡はまだ知らないんだ。 もう、私の気持ちを気にする必要なんてないことを。 私は、もう何も感じられなくなっているから。 車内に「ピン」とlineの通知音が響いた。 聡は目を開け、少し奇妙に感じた。 「阿風、今、車の中でスマートフォンの音がしなかったか?」 「まさか。車にはお前と俺しかいないんだぞ。スマホの音なんかなかったよ。お前、このところ疲れすぎて幻聴でも聞こえたんじゃないか?」
「そうか?」 聡は眉間を揉みながら、再び目を閉じた。 私も目を閉じた。 もし、聡がもう少しだけ自分の考えを明確に伝え、たとえ電話一本でもかけてくれたなら―― たとえ彼の声を永遠にはっきりと聞けなくても。 私の携帯の着信音が鳴るでしょう。 鳴るはずだった―― 彼のこの車のトランクの中で。 だが、彼はそうしなかった。 以前も、今も。 これからも、もう二度とないでしょう。 私の腎臓のおかげで、葵の手術は大成功だった。 聡は本当に葵を気にかけていた。彼女が目を覚まさなくても、彼はずっと彼女のそばを離れなかった。 葵が目を覚ましたとき、ようやく聡は心から安堵の息をついた。 「聡、私を救ってくれてありがとう。」 「気にしないで、葵。俺たちは友達だし、葵も昔俺の命を救ってくれたじゃないか。」 葵はかすかに笑みを浮かべ、それ以上は何も言わなかった。 術後の弱さゆえに、言葉を発する力がないように見えた。 だが、私だけは知っていた。 彼女が言葉を飲み込んだのは、罪悪感からだということを。 彼女は知っていたのだ。 かつて聡を救ったのは彼女ではなく、私だったということを。 それでも、聡にとっては、彼を救った人が誰かなんて重要ではなかった。 重要なのは、篠宮葵という存在そのものだったのだ。
篠宮葵が私たちの生活に現れたのは、聡が大学に入った年のことだった。 彼は頻繁にある女の子の名前を口にするようになった。 篠宮葵。 私はこっそり彼女を見に行った。とても美しく、家柄も良い、まるで高貴な白鳥のようだった。 話すこともできず、聞き取ることすらできない私とは、まるで雲と泥のように別世界の人。 その後、聡と彼女が山に登りに行くとき、私は密かに二人の後を追った。 そこで私は、聡の笑顔を目にした。 それは、私の前では見せたことのない、軽やかな笑顔だった。 その瞬間、彼を失うのが怖くなった。 私は陰気なピエロのように、その美しい二人の後ろをこそこそとついて行った。 二人が口論し、別れるのを目にして、私はようやく安堵の息をついた。 だが、その口論が、聡の命を危険にさらすことになった。 彼は足を滑らせ、崖から転落してしまったのだ。 私はどうやって彼を見つけたのか覚えていない。 体重が50キロにも満たない私が、70キロを超える彼を背負って、どうやって一歩一歩大通りまで運んだのかもわからない。 ただ、その夜の月光がとても優しかったことだけを覚えている。 そして、聡がずっと私の耳元でささやいていた。 「ダメだ、俺は死ぬわけにはいかない。俺の星ちゃんが家で待っているんだ……俺がいなければ……みんな星ちゃんをいじめるんだ」 その瞬間、私の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。 聡、あなたはいつもそうだ。いつも、そうなんだ…… だから、私はどうしてもあなたを諦められない。
葵のすべての数値が正常であることを確認して、ようやく聡は満足して家に帰った。 彼は私にlineでメッセージを送り、今夜は家で夕食を取ると言っていた。 彼は、帰りを待っている私がエプロンをつけて、テーブルにたくさんの料理を並べ、まるで飼い主を待つ犬のように尻尾を振って喜んで迎える姿を想像していたのだろう。 だが、彼が予想していなかったのは、彼を迎えたのが冷え切った家の静けさだった。 彼はすべての部屋を探し回ったが、私の姿はどこにもなかった。そして、ついに携帯電話を取り出した。 彼はようやく私に電話をかけた。 私が死んでから三日目に。 スマホの向こうから聞こえてきたのは、予想通りの電源オフの音だった。 聡はスマホを床に叩きつけた。 「夕星!ダンマリ!ついに頭に乗ったな!いいだろう!お前が一生駄々をこね続けられると思うなよ!」 そう言って、聡は再びスマホを拾い上げ、長い指で勢いよくメッセージを打ち込んだ。「夕星、今夜家に戻ってこなければ、もう二度と帰ってくるな!」 彼はそのメッセージを送ってから、携帯をソファに投げ捨て、さらに思い直して強い口調で続けた。 「もし今夜12時までに返事がなかったら、俺たちの結婚もなしだ!」 私は空中から彼を見下ろし、彼が自暴自棄になってネクタイを引きちぎる様子を苦笑いしながら見守っていた。 聡、今夜私は確かに戻らない。 そして、もう二度と帰ることはない。