そこまで考えたところで、ふっと空気が揺れた気配がした。
ちらりと視線を上げれば、ティボー公爵が口元を手で覆っている。そして僅かに揺れる肩。何か? と訝し気な視線を無礼にならない程度に送ってみると、何度か空咳を繰り返した後、ティボー公爵が口を開いた。
「……いや、我が息子は前途多難だと……思ってね」
……公爵様の息子……と言えば、絶賛女装中のアラン様の事だろう。表向きには隣国に留学中だという。
そりゃまぁ、ご子息が女装してれば前途は多難だろうなと思わず遠くを見てしまう。 因みにアラン様は今この屋敷のどこかにいると思う。朝、今日は実家に顔を出すっておっしゃってたから。なんでも月に一回は実家に顔を見せる約束らしい。 念の為という事で、公爵家から迎えに来た馬車をこっそり点検したら、まぁ案の定だったんですけどね。 車軸に細工がしてあって、あのまま走り続けていれば、公爵家へ辿り着く前に車軸は折れて脱輪していたであろう。 なので、アン様がお出掛けになる前に、馬車の再手配をしつつ、脱輪した時にでも襲い掛かるつもりだったらしい暗殺者を片付けるよう公爵家の護衛さんにお願いしたりと、何かと慌ただしかった。 そして、ご帰宅されるアラン様、いや女装中だからアン様か? の護衛をしつつ、公爵様への定期報告に上がった次第だ。 さすがに公爵邸の中までは護衛は必要ないだろうと言うことと、アン様の護衛の合間を縫って報告を上げるよりは、このタイミングの方がいいだろうと言う、ご依頼人(ティボー公爵)様の配慮もあって、この場が秘密裏に設けられた訳で。「アンはね……隣国に狙われてるんだ」
おもむろに公爵様が話し出す。
って、聞きたくないんですが? それ、下手したら国に関わる機密ですよね? そんなわたしの内心を知ってか知らずか、公爵様のお口は止まらない。「どうやら隣国は、我が国の王太子に王女を輿入れさせたいらしくてね。
で、一番の候補であろうア「誰? いいよ入って」 公爵様の不用心な言葉に、思わずいつでも逃げ出せるようにする。 だって入ってきたのがアン様だったら、なんでわたしがココにいるのか説明するのめんど…じゃなかった、大変だし。 ちょっと緊張してたら、入室してきたのは男性使用人だった。 服装から見るに公爵家の家令さんかな?「……お嬢様が女学院へお戻りになるそうです」 わたしの存在に一瞬だけ気配を揺らす家令さん。 ごめんなさいね、不審者で。 お宅のお嬢様のご帰宅に合わせて来ているもので……。お約束もせずにお邪魔しております。 そもそも玄関通ってきてないしね。「なんだ、ずいぶん早いな。彼奴は何をそんな……」「なんでも同室のお嬢様にお土産を渡したいから、早めにお戻りになるとのことでして……」 家令さんの言葉になんとなく視線を逸らすわたし。 あの……その……同室のって、もしかしなくともわたしのことですね?「ふぅん……あの子にしてはずいぶんと懐いたものだねぇ。……その同室のご令嬢とやらに」 公爵様からからかい混じりの視線が飛んでくる……。 いや、誰が同室かご存知ですよね?! そんな公爵様と家令さんのやり取りを気配を消しながら聴いてると、にわかに扉の外からざわめきが近づいてきた。「……あぁ、お嬢様がお戻りになる前に旦那様へご挨拶をとの事でしたので」「……せっかちだなぁ。もうそこまで来てるんだろう? 慌ただしくなってすまないね。ではこれからもよろしく頼むよ」 公爵様のお言葉を合図に、わたしはその場から姿を消した。 ……と言ってもアン様の護衛なので
「ふんっ! あのお高く留まった公爵令嬢が大事にしてるっていうからどんなのかと思ったら、全然大したことないじゃないっ!」 ……さようでございますね。 アン様は確かに素晴らしいお方ですが、たかが同室なだけの田舎令嬢が素晴らしいかどうかは別問題だと思うし。「髪の色も目の色も地味だしっ!」 ……護衛職は地味な方が目立たなくていいんですよ? 貴女様の金髪は護衛職に向かなそうですね。ぐるんぐるんの縦ロールも目立ち過ぎです。「顔だって平凡だしっ!」 ……護衛職は平凡な方が……以下略。 貴女様の派手なお顔立ちは護衛職に……以下略。ていうか、せっかく整ったお綺麗な顔なのに、元々ネコみたいに釣り目気味の目尻も、しっかりと整えられた柳眉もキリキリと上がっていて、幼子が見たら泣いちゃいそうなお顔になってますよ?「タヌンそっくりだしっ!」 うっせえわっ! 誰が害獣だっ!! ていうか、なんで一国の王女サマがタヌン知ってるのよっ!! と叫びたくても、口元を布で縛られているので声を出す事もできない。うーと唸るくらいしかできないし、そうするとますますケモノっぽくなってしまうので、とりあえず黙っている。「ホントにこの女を人質にすれば、あのティボー家の女は言う事聞くのっ?!」 いえ、聞かないと思いますよ? さすがに一介の田舎令嬢が攫われたからといって、たかだか同室なだけの公爵令嬢様が動くとは考えにくい。 ……むしろ女装の秘密を知ってるわたしを、手を汚さずにポイ出来るから万々歳とか……って流石にソレはないか。 そこまで薄情なお方ではないだろう。アン様は。「もうっ! とりあえずあの女に道理をわからせるわよっ! この小娘はここに閉じ込めておきなさいっ! ……今はまだ……ね」 そう言ってにやりと微
まぁ、わたしが学園で攫われたからなんですが。 え? 護衛の癖にあっさりと攫われるなよって? いやごもっともなんですが。 でもね? 最近アン様への襲撃がホント酷くて……。女学院の警備に公爵家の護衛を追加してもらって……と色々対策しても収まらない襲撃。 わたし自身が護衛だとはまだバレてないけど、それ以外の護衛については公爵様の方からアン様に伝えてもらった。本人に狙われてる自覚がある方が、いざって時に違ってくるしね。 それに……命を狙われること自体は正直今までもあったらしい。 それは『王太子の花嫁候補』って言うだけじゃなく、対外的には女性であるアン様を拉致して、身代金や公爵様の立場を危うくしようと動く者達の仕業だったりとか……。公爵様への逆恨みとかまぁ色々。 高位貴族の宿命だよ、とはティボー公爵様の弁だけど、誰だって命を脅かされるのはストレスだ。 なので、今回襲撃が頻繁に行われたことによって、アン様が精神的に少々参ってしまっても仕方なくて……。 それはアン様のお心が弱いとかでは決してなくて。 ……どんどん元気のなくなっていくアン様を見ていると……わたしもなんだか苦しくて。 なのでっ! ティボー公爵様にもご許可を取って、こちらから打って出ることにしたのだ。 証拠がないとか、隣国との関係が…とかそんなの、顔色の悪いアン様を前にしたら吹っ飛ぶというものだ。 アラン様モードの時も、普段の傍若無人な態度(世間でアレは俺様系というそうな)は鳴りを潜め、なんだか静か過ぎて……わたしの調子も狂うしね。 いっちょ本気出しますよっ! ……と思った矢先にわたしが襲われたので、これ幸いと攫われてみたわけです。 恐らくわたしが拉致された事は公爵家の護衛の方も直ぐに気づくでしょうし、そしたら現場を抑えて言い逃れのできない状
ずるりと手や腕に絡みつくその感触は、高級な絹糸のようにさらさらで、どこまでも柔らかくて。 持ち主の体温を存分に含んでいる事がありありと伝わる温もりは、どこまでも現実を突きつけてきて。 呆然としながら、自分の手のうちにバサリと飛び込んできたその銀色に輝く塊の正体を把握すれば。「ぴえぇ?!」 人間らしい言葉の一つも出なくなるってものです。「……貴様……やってくれたな?」 つい先程まで、銀糸のように美しい髪をさらりと靡かせて、ピンと背筋を伸ばした美しい立ち姿で、鈴を転がすようなという表現がピッタリの声を震わせて、自らを公爵家の令嬢だと名乗ったはずのその人が。 どうして男の人のように短く整えられた、夜空みたいに艶めく黒髪をさらりと揺らしながら、わたしを壁際に追い詰めているのか。 どうして過渡期の少年のようなちょっと低めの掠れた声で、わたしの名を呼ぶのか。 どうしてわたしの手の内にある銀色をした毛束の塊が、目の前の御仁の頭から落ちてきたのか。 わたしにはさっぱり理解できなかったのです。 ◇◇◇ わたしの名前はレリアーヌ。レリアーヌ・バタンテール。親しい人にはレアって呼ばれてます。 辺境のバタンテール辺境伯家の娘です。 まぁ、辺境伯家と言えばなんかイイ感じですが、要はド田舎です。王都の人達から言わせれば所詮ヨソモノです。 何故かと言うと、我が国、クレスタ王国は、王家と三大公爵家によって建国された歴史ある大国なのですが、大国というからには色々あったわけですよ。 こう……国土を広げる為に、穏便に、時には不穏に周辺の土地を、その土地に住む人々を取り込んでいったのです。 で、我が家もその一部でして、元は蛮族と呼ばれる山や森や大地と共存していくスタイルの民族だったのですが、大国の手は迫るし、大国からもたらされる圧倒的な技術に気圧されるしで、このままでは早晩立ちいかなくなるだろうと……。 ついでに、ちょっと嫌な感じの『厄介な隣人』がいたのもあって……。 そこで当時の長的立場だった我が家のご先祖様が決断されたそうです。 森の恵みや山から採れる鉱物、蛮族と呼ばれる所以となった戦闘技術を提供する代わりに、クレスタ王国の配下にくだろうと。 時の国王陛下はそれをお認めになり、中心となって動いていた我が家に辺境伯の地位を与え、我
「お初にお目にかかります。レリアーヌ・バタンテールと申します。この度お部屋をご一緒させていただくことになりました。 田舎出身の粗忽者ゆえ、何かとご迷惑をおかけするやもしれませんが、なにとぞよろしくお願いいたします」 そう言って深々と、それはもう深々と淑女の礼をとる。 これだけはっ! と幼少期よりわたしの面倒を見てくれた家庭教師の先生が仕込んでくれたので、ある程度様になってるはずだ……大丈夫よね? ここは、王都にある女学院に併設された寮の一室。 この女学院は、貴族令嬢として生まれたからには16から18の間必ず通わなければならない学院で、自立心を育てる為に、在校生は全て女学院併設の寮で過ごす。 ここでは、一般教養や礼儀作法は勿論の事、必要に応じて外交や領地経営、その他経営や経済などなど、貴族令嬢が修めるべき学問が取り揃えられており、ここを卒業できなければ貴族令嬢として認められない程だ。 因みに我が国では、政治でも経済でも女性だからと排除される事はない。 近隣のとある国では、女性には一切政治に口出す事は許されず、仕事にも付けず、子を産む事だけを役目として家に閉じ込めているというところもあるようだが、我が国は全くそのような事はない。 その才覚一つで、なんにでもなれる。そこに男女差はない。 まぁ、体力や体格で男女差が出る部分もあるが、それは区別というものだ。 さて、話を戻して。 わたしが今相対している相手は、このたびめでたく(もないが)わたしの同室となった……違うな。 元々彼女の部屋に新入生であるわたしが同居する形となったのだ。 女学院の寮はだいたい二人部屋で、必ず先輩と後輩が同室になる。 寮生活のアレコレなど全く分からない状態で入学してくる新入生への配慮なのだろう。 先達がいれば何とかなる的な。 因みに誰と同室になるかは、神……なのか女学院の学長か誰が決めてるかは分からないが、爵位や派閥などは、よっぽどの事情がない限り考慮されない…&hel
かくて話は冒頭に戻る。 躓いたわたしを、親切にも支えてくれた彼女の美しい銀髪が、わたしの制服のボタンに引っかかって、それを取ろうと手を伸ばしたら、髪の毛全部ずり落ちてきたとか……本当なんの冗談なんですかね? 聞いてないんですがご依頼主(ティボー公爵)様っ?! そして……男子禁制のはずの女学院で、女生徒の制服を着た、でも明らかに男性のこの人の存在が、ますますわたしを非現実に放り込む。「ちっ。早々にバレるとは面倒な……。……とりあえず消すか?」「ぴえぇぇ!?」 その後、彼(か)のお方の物騒な物言いに命の危険を感じ、全力で自らをプレゼンしたのは言うまでもない。 現在女学院に在籍する貴族家の中で、一番扱いやすいのが、弱小田舎伯爵家の自分である事を。(我が家を弱小田舎貴族だと侮るのは実情を知らない低位貴族くらいだけど) わたし自身が田舎出身の粗忽者である事から、わたしの方が令嬢としての粗が目立って、そちらの違和感が目立ちにくくなる事を。(実際、鍛錬に明け暮れるわたしはご令嬢らしくない自覚の一つや二つありましてよ) だってまだ死にたくないし。人知れず消されたくないし。依頼不履行はまずいしっ! ていうか、わたしに命の危機を感じさせるって、ご令息?様いったい何者ですか?! 護衛ホントに要りますか?! そんなこんなでなんだかんだと屁理屈を捏ね上げ、全力で命乞いしている間に目の前のお方の興味は引けたらしい。 だって『おもしれー女』って言われたし。 今もなんとか生きてるし。 これでご依頼も無事遂行できますからねっ! ご依頼主(ティボー公爵)様っ!! で、どうなったかというと……。 「ふん、どうやら貴様はバタンテール辺境伯家の落ちこぼれのようだな」 いえ、そんなことはありませんが? 兄が二人いる三兄弟で一番強いですが何か? 『お前が長子だったら……いや、それはそれで危険だな。バランスのよいリカルドがやはり次期当主に相応しいな』とはお父様の冗句だ。その言葉を聞くたびに長兄のリカルド兄様が苦笑いしてる。
「貴女ちょっと生意気なのよっ!! ドが付く田舎のぽっと出のご令嬢のくせしてっ!! あの方にご迷惑をかけてる事に気づかないの!! 大体何?! これ見よがしにあの方の瞳の色と同じ色の貴石が付いた腕輪なんかしてっ! 図々しいのよ!!」 どうも、ごきげんよう。 レリアーヌ・バタンテールです。現在地は女学院の校舎裏です。 ところでもし相手に気づかれないように、周囲にバレないように、日中暗殺する時って、どこがいいと思います? 移動中の馬車の中? 用を足してる化粧室の中? ……若しくはこういった人気のない裏庭に呼び出す? 残念っ! どれも不正解ー。特に最後! 人気のない裏庭に呼び出すって、色々ダメー。 そもそも呼び出したのを誰かに見られたらその時点で犯人は絞られるし、相手が裏庭に行くのを見られてもダメ。不自然過ぎる。 だから、日中暗殺するなら人混みの中がおススメです。どさくさに紛れて手を下しやすいし、人混みに紛れて逃げやすいし……。 なので、逆に言うと我が家みたいな護衛職を生業にしている人間は、人混み滅茶苦茶警戒します。 だから、護衛対象がそう言った人の多いところに行きたいと言い出すと、ちょっぴりげっそりとした気分になります。 ……表には出さないけどねっ! 人間だものっ! 仕方ない。 で、何が言いたいかというと……。 どこぞのご令嬢達に裏庭に呼び出されたわたしが、命の危機に関わるものではないなぁと判断して、のんびり静観してしまうのも致し方ないのですよ。 ……だから、そんなどこぞの国にいるという恐ろしいオニもかくやといった形相で近づいてこないでくださいアン様。 普通に怖いです。「っ?! 聞いてるのっ!! それとも田舎令嬢は耳までドンくさいのかしらぁ!?」 いえ、わたしドンくさくないです……。アン様の前で躓いたのは……事故ですって。 そしてそろそろお口を塞いだほうがよろしいですよ? ご令嬢方。 あのお方、実のところ結構な俺様ですので、自分の玩具に手を出されるの、死ぬ程嫌いみたいなんですよねー。
「……お友達とのおしゃべりですよ、アン様」「そうなの? そうは見えないのだけど?」 頬の下あたりに手を当てて、こちらを見ながら首を傾げるアン様。 いや、顔面蒼白で、ぶるぶる震えてて、今にもぶっ倒れそうなご令嬢方のお姿見えてますよね? ここで全員倒れられでもしたら、後処理が面倒ですよっ! ちなみに、女装の時のお名前は、アン・ティボー・ル・ロワ公爵令嬢様だ。 恐れ多くもアン様とお呼びする事を許されている。 ……だから、こういったご令嬢方に呼び出しくらうんだけどね。普通なら家名でお呼びするものだし、お名前で呼ぶ許可を出すって事は、相手を懐に入れてもいいって判断されたって事だからね。「テ、ティボー様っ! これはっ!!」 どうやらご令嬢の一人が正気に返ったらしい。 蒼白だった頬に血の気を取り戻し、むしろ血色の良くなったお顔でアン様に詰め寄る。「このっ! 無作法な田舎者に道理を説いていたのですっ! ティボー様のような高貴なお方のお名前を軽々しく呼ぶなどと!! まして四六時中付き纏うなどっ! 淑女の風上にも置けませんわっ!! 「……わたくしが良いと言っても?」 ……?!」 コテリと首を傾げると、さらりと銀の髪が揺れた。……あれがカツラだとか、未だに信じられない。 ……今度わたしも貸してもらおうかな? 真っすぐな銀髪、憧れなのよね。 そんな詮無い事を考えているうちに、ご令嬢方とアン様のお話は付いたらしい。「だからね? レアはわたくしのものなの。 他の誰も、レア本人ですらもわたくしから引き離すことはできないの」 お分かりになって? そう告げるアン様にいくつか物申したいんですが? え? わたしアン様から離れられないの? えぇ?!「だからね? レアをわたくしの関知しない状態で連れ出すのは止めてくださらない?」 そう言ってうっすらと微笑
まぁ、わたしが学園で攫われたからなんですが。 え? 護衛の癖にあっさりと攫われるなよって? いやごもっともなんですが。 でもね? 最近アン様への襲撃がホント酷くて……。女学院の警備に公爵家の護衛を追加してもらって……と色々対策しても収まらない襲撃。 わたし自身が護衛だとはまだバレてないけど、それ以外の護衛については公爵様の方からアン様に伝えてもらった。本人に狙われてる自覚がある方が、いざって時に違ってくるしね。 それに……命を狙われること自体は正直今までもあったらしい。 それは『王太子の花嫁候補』って言うだけじゃなく、対外的には女性であるアン様を拉致して、身代金や公爵様の立場を危うくしようと動く者達の仕業だったりとか……。公爵様への逆恨みとかまぁ色々。 高位貴族の宿命だよ、とはティボー公爵様の弁だけど、誰だって命を脅かされるのはストレスだ。 なので、今回襲撃が頻繁に行われたことによって、アン様が精神的に少々参ってしまっても仕方なくて……。 それはアン様のお心が弱いとかでは決してなくて。 ……どんどん元気のなくなっていくアン様を見ていると……わたしもなんだか苦しくて。 なのでっ! ティボー公爵様にもご許可を取って、こちらから打って出ることにしたのだ。 証拠がないとか、隣国との関係が…とかそんなの、顔色の悪いアン様を前にしたら吹っ飛ぶというものだ。 アラン様モードの時も、普段の傍若無人な態度(世間でアレは俺様系というそうな)は鳴りを潜め、なんだか静か過ぎて……わたしの調子も狂うしね。 いっちょ本気出しますよっ! ……と思った矢先にわたしが襲われたので、これ幸いと攫われてみたわけです。 恐らくわたしが拉致された事は公爵家の護衛の方も直ぐに気づくでしょうし、そしたら現場を抑えて言い逃れのできない状
「ふんっ! あのお高く留まった公爵令嬢が大事にしてるっていうからどんなのかと思ったら、全然大したことないじゃないっ!」 ……さようでございますね。 アン様は確かに素晴らしいお方ですが、たかが同室なだけの田舎令嬢が素晴らしいかどうかは別問題だと思うし。「髪の色も目の色も地味だしっ!」 ……護衛職は地味な方が目立たなくていいんですよ? 貴女様の金髪は護衛職に向かなそうですね。ぐるんぐるんの縦ロールも目立ち過ぎです。「顔だって平凡だしっ!」 ……護衛職は平凡な方が……以下略。 貴女様の派手なお顔立ちは護衛職に……以下略。ていうか、せっかく整ったお綺麗な顔なのに、元々ネコみたいに釣り目気味の目尻も、しっかりと整えられた柳眉もキリキリと上がっていて、幼子が見たら泣いちゃいそうなお顔になってますよ?「タヌンそっくりだしっ!」 うっせえわっ! 誰が害獣だっ!! ていうか、なんで一国の王女サマがタヌン知ってるのよっ!! と叫びたくても、口元を布で縛られているので声を出す事もできない。うーと唸るくらいしかできないし、そうするとますますケモノっぽくなってしまうので、とりあえず黙っている。「ホントにこの女を人質にすれば、あのティボー家の女は言う事聞くのっ?!」 いえ、聞かないと思いますよ? さすがに一介の田舎令嬢が攫われたからといって、たかだか同室なだけの公爵令嬢様が動くとは考えにくい。 ……むしろ女装の秘密を知ってるわたしを、手を汚さずにポイ出来るから万々歳とか……って流石にソレはないか。 そこまで薄情なお方ではないだろう。アン様は。「もうっ! とりあえずあの女に道理をわからせるわよっ! この小娘はここに閉じ込めておきなさいっ! ……今はまだ……ね」 そう言ってにやりと微
「誰? いいよ入って」 公爵様の不用心な言葉に、思わずいつでも逃げ出せるようにする。 だって入ってきたのがアン様だったら、なんでわたしがココにいるのか説明するのめんど…じゃなかった、大変だし。 ちょっと緊張してたら、入室してきたのは男性使用人だった。 服装から見るに公爵家の家令さんかな?「……お嬢様が女学院へお戻りになるそうです」 わたしの存在に一瞬だけ気配を揺らす家令さん。 ごめんなさいね、不審者で。 お宅のお嬢様のご帰宅に合わせて来ているもので……。お約束もせずにお邪魔しております。 そもそも玄関通ってきてないしね。「なんだ、ずいぶん早いな。彼奴は何をそんな……」「なんでも同室のお嬢様にお土産を渡したいから、早めにお戻りになるとのことでして……」 家令さんの言葉になんとなく視線を逸らすわたし。 あの……その……同室のって、もしかしなくともわたしのことですね?「ふぅん……あの子にしてはずいぶんと懐いたものだねぇ。……その同室のご令嬢とやらに」 公爵様からからかい混じりの視線が飛んでくる……。 いや、誰が同室かご存知ですよね?! そんな公爵様と家令さんのやり取りを気配を消しながら聴いてると、にわかに扉の外からざわめきが近づいてきた。「……あぁ、お嬢様がお戻りになる前に旦那様へご挨拶をとの事でしたので」「……せっかちだなぁ。もうそこまで来てるんだろう? 慌ただしくなってすまないね。ではこれからもよろしく頼むよ」 公爵様のお言葉を合図に、わたしはその場から姿を消した。 ……と言ってもアン様の護衛なので
そこまで考えたところで、ふっと空気が揺れた気配がした。 ちらりと視線を上げれば、ティボー公爵が口元を手で覆っている。そして僅かに揺れる肩。 何か? と訝し気な視線を無礼にならない程度に送ってみると、何度か空咳を繰り返した後、ティボー公爵が口を開いた。「……いや、我が息子は前途多難だと……思ってね」 ……公爵様の息子……と言えば、絶賛女装中のアラン様の事だろう。表向きには隣国に留学中だという。 そりゃまぁ、ご子息が女装してれば前途は多難だろうなと思わず遠くを見てしまう。 因みにアラン様は今この屋敷のどこかにいると思う。朝、今日は実家に顔を出すっておっしゃってたから。なんでも月に一回は実家に顔を見せる約束らしい。 念の為という事で、公爵家から迎えに来た馬車をこっそり点検したら、まぁ案の定だったんですけどね。 車軸に細工がしてあって、あのまま走り続けていれば、公爵家へ辿り着く前に車軸は折れて脱輪していたであろう。 なので、アン様がお出掛けになる前に、馬車の再手配をしつつ、脱輪した時にでも襲い掛かるつもりだったらしい暗殺者を片付けるよう公爵家の護衛さんにお願いしたりと、何かと慌ただしかった。 そして、ご帰宅されるアラン様、いや女装中だからアン様か? の護衛をしつつ、公爵様への定期報告に上がった次第だ。 さすがに公爵邸の中までは護衛は必要ないだろうと言うことと、アン様の護衛の合間を縫って報告を上げるよりは、このタイミングの方がいいだろうと言う、ご依頼人(ティボー公爵)様の配慮もあって、この場が秘密裏に設けられた訳で。「アンはね……隣国に狙われてるんだ」 おもむろに公爵様が話し出す。 って、聞きたくないんですが? それ、下手したら国に関わる機密ですよね? そんなわたしの内心を知ってか知らずか、公爵様のお口は止まらない。「どうやら隣国は、我が国の王太子に王女を輿入れさせたいらしくてね。 で、一番の候補であろうア
「……アン様、今日は第二食堂の方へ参りませんか?」 第一食堂の方から風に乗ってふわりふわりと食べ物の匂いがする。「……別に構わないけど……珍しいわね、レアが軽食中心の第二食堂へ行きたがるなんて……」 足りるの? とコテンと首を傾げるアン様は今日も麗しい。……言ってる事はなかなかに失礼だが。 いや、確かに第一食堂は女学院にあるまじきボリューム重視ですが、本来であれば美味しいんですよ! 大体アン様だって、その見目の麗しさからかけ離れた健啖家ぶりを見せてるじゃないですか!! わたしがそれ以上にがっつり食べてるから、バレてないだけですからねっ?! むしろわたしの存在に感謝してくれていいですからねっ?! そう頭の中で悶々としつつ、アン様の華奢なように見えて、意外にしっかりとした手を引いて第二食堂へ向かう。 ……その日の夕方、第一食堂で食中毒が発生したとの報が寮を駆け巡った。「仕事の方はどうかな?」 ふわふわとクッション性が高く、気を抜けば腰を取られふんぞり返って沈み込んでしまいそうな高級ソファに、なんとか背筋を伸ばしたまま座り続ける。……このソファ、ある意味鍛錬になるな? と詮無い事を考えながら、目の前の圧のある人物に視線を戻す。 といっても、相手を直視しないよう視線は落としたままだ。 そもそも、ソファの対面に座らせてくれるのだって、相手の爵位を考えれば破格の対応で、一介の田舎令嬢には過ぎた待遇だ。 ……だから、目の前のテーブルに用意されているお菓子にもなかなか手を伸ばすことが出来ない。 ある意味わたしに辛すぎる拷問だこれ。 あぁ、あの真っ白な粉糖で飾られた丸いクッキーとか、ピンク色に染まったクリームをちょこんと乗せたカップケーキとか、ほんと美味しそうなんですがっ!! くぅぅぅっ!!
「……アン様? やりすぎです」 コポコポと繊細な絵柄のついたティーカップにお茶を注いでいく。 湯気と同時にふわりと広がるのは、アン様の瞳によく似た赤い実の香りだ。 乾燥させたそれを茶葉に混ぜ込んだこの香りよい紅茶が最近のお気に入りらしい。「……どこがだよ。俺のモノに手を出そうとしたんだ。それ相応の報いは受けてもらわねぇと……な」 相変わらずふんぞり返るように椅子に座っていたアン様、いやあの口調からアラン様は、わたしがアラン様の前に紅茶の入ったカップを置くと、あっという間に姿勢を正し、ピンと背筋の伸びた美しい所作でカップを取り上げ、香りを楽しんだ後、一口含んだ。「……ん。うまいな。最初は茶の一つも入れられず、どうなる事かと思ったが……」 ニヤリと意地悪な笑みを浮かべるアラン様。 そう、今目の前にいるのは、白シャツと細身のトラウザーズを身に着けた人物だ。その名をロベール・アラン・ティボー・ル・ロワ様という。対外的には隣国に留学している筈のアン様の双子のお兄様……となっているらしい。 その辺りの事情は深くは聞いてない。……聞いたらなんだか戻れなくなりそうだからだ。依頼にも含まれてなかったし、きっと護衛が知る必要のないものなのだろうと、無理やり自分の気持ちを納得させている。 ちらりと視線を前に投げれば、紅茶を飲み終わって、再びふんぞり返る姿勢に戻ったアラン様がいた。 いくつかボタンが留められていない胸元から覗くまっ平な胸……のくせにどこか艶めいて見えるのは、何故だろう?「厳しいご指導ご鞭撻アリガトウゴザイマス」 最後カタコトになりつつそう告げて、自らが淹れた紅茶に口を付ける。うん、なかなか……。「カタコトかよ」 ぷはっと破顔するアラン様。 初対面でわたしの(極めて遺憾だが)お
「……お友達とのおしゃべりですよ、アン様」「そうなの? そうは見えないのだけど?」 頬の下あたりに手を当てて、こちらを見ながら首を傾げるアン様。 いや、顔面蒼白で、ぶるぶる震えてて、今にもぶっ倒れそうなご令嬢方のお姿見えてますよね? ここで全員倒れられでもしたら、後処理が面倒ですよっ! ちなみに、女装の時のお名前は、アン・ティボー・ル・ロワ公爵令嬢様だ。 恐れ多くもアン様とお呼びする事を許されている。 ……だから、こういったご令嬢方に呼び出しくらうんだけどね。普通なら家名でお呼びするものだし、お名前で呼ぶ許可を出すって事は、相手を懐に入れてもいいって判断されたって事だからね。「テ、ティボー様っ! これはっ!!」 どうやらご令嬢の一人が正気に返ったらしい。 蒼白だった頬に血の気を取り戻し、むしろ血色の良くなったお顔でアン様に詰め寄る。「このっ! 無作法な田舎者に道理を説いていたのですっ! ティボー様のような高貴なお方のお名前を軽々しく呼ぶなどと!! まして四六時中付き纏うなどっ! 淑女の風上にも置けませんわっ!! 「……わたくしが良いと言っても?」 ……?!」 コテリと首を傾げると、さらりと銀の髪が揺れた。……あれがカツラだとか、未だに信じられない。 ……今度わたしも貸してもらおうかな? 真っすぐな銀髪、憧れなのよね。 そんな詮無い事を考えているうちに、ご令嬢方とアン様のお話は付いたらしい。「だからね? レアはわたくしのものなの。 他の誰も、レア本人ですらもわたくしから引き離すことはできないの」 お分かりになって? そう告げるアン様にいくつか物申したいんですが? え? わたしアン様から離れられないの? えぇ?!「だからね? レアをわたくしの関知しない状態で連れ出すのは止めてくださらない?」 そう言ってうっすらと微笑
「貴女ちょっと生意気なのよっ!! ドが付く田舎のぽっと出のご令嬢のくせしてっ!! あの方にご迷惑をかけてる事に気づかないの!! 大体何?! これ見よがしにあの方の瞳の色と同じ色の貴石が付いた腕輪なんかしてっ! 図々しいのよ!!」 どうも、ごきげんよう。 レリアーヌ・バタンテールです。現在地は女学院の校舎裏です。 ところでもし相手に気づかれないように、周囲にバレないように、日中暗殺する時って、どこがいいと思います? 移動中の馬車の中? 用を足してる化粧室の中? ……若しくはこういった人気のない裏庭に呼び出す? 残念っ! どれも不正解ー。特に最後! 人気のない裏庭に呼び出すって、色々ダメー。 そもそも呼び出したのを誰かに見られたらその時点で犯人は絞られるし、相手が裏庭に行くのを見られてもダメ。不自然過ぎる。 だから、日中暗殺するなら人混みの中がおススメです。どさくさに紛れて手を下しやすいし、人混みに紛れて逃げやすいし……。 なので、逆に言うと我が家みたいな護衛職を生業にしている人間は、人混み滅茶苦茶警戒します。 だから、護衛対象がそう言った人の多いところに行きたいと言い出すと、ちょっぴりげっそりとした気分になります。 ……表には出さないけどねっ! 人間だものっ! 仕方ない。 で、何が言いたいかというと……。 どこぞのご令嬢達に裏庭に呼び出されたわたしが、命の危機に関わるものではないなぁと判断して、のんびり静観してしまうのも致し方ないのですよ。 ……だから、そんなどこぞの国にいるという恐ろしいオニもかくやといった形相で近づいてこないでくださいアン様。 普通に怖いです。「っ?! 聞いてるのっ!! それとも田舎令嬢は耳までドンくさいのかしらぁ!?」 いえ、わたしドンくさくないです……。アン様の前で躓いたのは……事故ですって。 そしてそろそろお口を塞いだほうがよろしいですよ? ご令嬢方。 あのお方、実のところ結構な俺様ですので、自分の玩具に手を出されるの、死ぬ程嫌いみたいなんですよねー。
かくて話は冒頭に戻る。 躓いたわたしを、親切にも支えてくれた彼女の美しい銀髪が、わたしの制服のボタンに引っかかって、それを取ろうと手を伸ばしたら、髪の毛全部ずり落ちてきたとか……本当なんの冗談なんですかね? 聞いてないんですがご依頼主(ティボー公爵)様っ?! そして……男子禁制のはずの女学院で、女生徒の制服を着た、でも明らかに男性のこの人の存在が、ますますわたしを非現実に放り込む。「ちっ。早々にバレるとは面倒な……。……とりあえず消すか?」「ぴえぇぇ!?」 その後、彼(か)のお方の物騒な物言いに命の危険を感じ、全力で自らをプレゼンしたのは言うまでもない。 現在女学院に在籍する貴族家の中で、一番扱いやすいのが、弱小田舎伯爵家の自分である事を。(我が家を弱小田舎貴族だと侮るのは実情を知らない低位貴族くらいだけど) わたし自身が田舎出身の粗忽者である事から、わたしの方が令嬢としての粗が目立って、そちらの違和感が目立ちにくくなる事を。(実際、鍛錬に明け暮れるわたしはご令嬢らしくない自覚の一つや二つありましてよ) だってまだ死にたくないし。人知れず消されたくないし。依頼不履行はまずいしっ! ていうか、わたしに命の危機を感じさせるって、ご令息?様いったい何者ですか?! 護衛ホントに要りますか?! そんなこんなでなんだかんだと屁理屈を捏ね上げ、全力で命乞いしている間に目の前のお方の興味は引けたらしい。 だって『おもしれー女』って言われたし。 今もなんとか生きてるし。 これでご依頼も無事遂行できますからねっ! ご依頼主(ティボー公爵)様っ!! で、どうなったかというと……。 「ふん、どうやら貴様はバタンテール辺境伯家の落ちこぼれのようだな」 いえ、そんなことはありませんが? 兄が二人いる三兄弟で一番強いですが何か? 『お前が長子だったら……いや、それはそれで危険だな。バランスのよいリカルドがやはり次期当主に相応しいな』とはお父様の冗句だ。その言葉を聞くたびに長兄のリカルド兄様が苦笑いしてる。