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第73話
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翔太の視線には何か意味があったが、美羽は頭がぼんやりしているうえ、気分が重く、深く考える気になれなかった。彼が結菜を辞めさせるつもりがないなら、美羽に言うことはなかった。せいぜい、慶太にそれとなく伝え、妹に翔太へ深く感情を注がないよう注意するように促すくらいだった。ところが翔太は淡々と、「君は秘書室のトップだ。部下の誰が適していないと思うなら、辞めさせればいい。そんな小さなこと、俺に聞く必要はない」と言った。それはつまり、結菜を辞めさせても構わないということだろうか？翔太の考えはいつも掴みどころがなかった。本当に何を考えているのかわからなかった。結菜の言う通り、彼のような男は確かに征服欲をそそった。彼が心をさらけ出す姿を見てみたいと誰もが思うだろう。だが、美羽はそれを試みて、見事に失敗した。今ではもう、彼の愛を求める気にはなれなかった。ただ、自分を無事に解放してくれることだけを願っていた。翔太は立ち上がり、美羽の目の前まで歩いてきた。美羽は思わず顔を上げると、彼はそのまま彼女の顎をつまんだ。「相川グループと碧雲グループは多くの業務が重なり、競争関係にもある。こんなこと、真田秘書にわざわざ教える必要はないよな？慶太とは距離を置け、わかったか？」美羽はすぐに答えた。「相川教授とはただの友人です。仕事の話など一切しません。それに、彼は教授で教職に専念しています。相川グループのこととは関係ありません」翔太は彼女の顎を軽く揺らしながら言った。「それは、彼が言ったのか？」「いいえ、私自身の考えです。でも、もし夜月社長が相川グループが碧雲グループの機密を盗むことを心配しているのなら、最初から相川さんを秘書として受け入れるべきではなかったと思います。秘書のほうが重要な機密文書にアクセスできますから」翔太は興味深そうに考え込んだ。「結局のところ、君は結菜に嫉妬しているのか、それとも慶太をかばいたいのか？」美羽は少し間を置いて、「どちらでもありません。ただ事実を述べているだけです」と答えた。翔太はもう議論するのが面倒になったようで、「とにかく、慶太とは距離を置け」と言い放ち、彼女の顎を離した。そして、手で軽く指し示しながら、「準備ができたら出発するぞ」と告げた。美羽は唇をかみしめながら立ち上がり、彼の差し出した腕に手を
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第75話
美羽は化粧をしていたが、その顔色は今にも倒れそうなほど蒼白だった。そういうことだったのか……そういうことだったのか。半年ぶりに翔太が突然自分を宴会に連れてきた理由も、あの男たちの変な視線も、他の女性がいきなり自分を罵った理由も、すべてこれで説明がついた。男たちは彼女を自分たちのものと思い込み、女性たちは彼女を狡猾なライバルだと見なしていたのだ。ただ、自分だけが真実を知らなかった。翔太だけが、自分に真実を隠していたのだ。美羽が真実を知った瞬間、まず頭をよぎったのはこの場から逃げ出したいという思いだった。しかし、すぐに思い出した。ここは四方を海に囲まれた場所で、どこにも逃げられなかった。翔太が以前言った「逃げ場なんてない」の意味が今になってようやく理解できた。彼の計画に気付いた美羽は、恐怖と無力感、そして絶望感を覚えて、目元が真っ赤に染まった。涙が溢れ出る前に、彼女は素早くそれを拭った。どうしてまだ泣くんだろう？こんな男のために泣くなんて、もうやめるべきだ。彼が自分に冷酷なことをしたのはこれが初めてではない。泣く暇があれば、今すべきのは自分を救う方法を考えることだ。この船から降りられない以上、圧倒的に不利な状況で彼女にできるのは、冷静になり、どんな小さな自救のチャンスでも逃さないことだった。絶対に翔太の駒として利用されてはならなかった。彼女は感情を抑え込み、再びレストランに向かった。翔太はまだ同じ席に座っており、彼の前には新しい社長が座っていた。彼の地位が明らかだった。常に他人が彼との接点を求めて近づいてくるのだ。美羽がゆっくりと近づいていくと、翔太はその社長の話を淡々と聞いていた。社長は自分の会社の自慢話を延々としていたが、翔太は特に熱心に反応することはなかった。美羽が席に戻ると、ようやく彼は目を上げた。「そんなに長くかかったか？」美羽は短く「ええ」とだけ答えた。彼女はその社長が若い女性を同伴していることに気づいた。その女性はまだ未成年かと思えるほど幼い顔立ちだった。美羽が冷たく艶やかな百合の花なら、その女性は誰にでも摘み取られそうなほど儚げなカモミールだった。その社長も翔太が興味を示していないことを察し、誘惑的な提案をしてきた。「夜月社長、もう少し楽しみを増やしませんか？」翔太は
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第76話
翔太がパートナーを交換するかどうかは、彼の一存にかかっていた。翔太は淡々とした声で言った。「天野社長、この話に随分とお詳しいようだね？」「もちろんだとも！俺が手懐けた女たちは、誇張抜きで言えば100人はいなくても80人はいるぞ！」天野社長は得意気に笑った。翔太は口元を少し歪めて言った。「それで、そんなに若いパートナーを連れてきたわけか。もっと若い子にも手を出したことがあるんだろう？」天野社長は「しーっ」と嘘ぶいた仕草をしながら、得意げに笑った。その顔は、法律など彼には関係ないと言わんばかりだった。「そんなこと、ここで言ったらまずいだろう？違法行為で捕まるってのは冗談にならない話だからな、ハハハ」美羽は聞いていられず、思わず立ち上がった。しかし、翔太がその手を押さえ、止めた。彼女は動けなかった。天野社長は椅子を翔太の方に近づけ、こう続けた。「でも、夜月社長が興味をお持ちなら、良いルートを紹介することもできますよ」翔太は冷ややかな目で彼を見つめていた。それを見て、天野社長は話が通じると思い込み、さらに身を乗り出し、何か言おうとした。しかし、その瞬間、翔太は手元のワイングラスを天野社長の顔に向けて振りかけた。「うわっ！」天野社長は驚きの声を上げた。翔太はシルクのハンカチを取り出し、ゆっくりと手を拭きながら、呆然とした天野社長に向かって冷静に言った。「さっきまで話していた取引、ここで終わりにしましょう」天野社長は顔にかかった赤ワインを拭いながら、動揺した声で問い返した。「どうして？」「君が刑務所行きになるような人間だと分かっていて、俺が取引を続けるなんて、自分からトラブルに飛び込むようなものだ」「刑務所だと？何の話だ？」天野社長の顔色はみるみる変わった。翔太は美羽に目を向け、「真田秘書、天野社長の先ほどの言葉を聞いていなかったのか？早く警察に通報しろ」と言った。美羽は躊躇なくスマートフォンを取り出した。その様子を見て、天野社長は翔太が冗談を言っていなかったことに気づき、慌てて立ち上がった。翔太は椅子に深く座り直し、その体勢でも天野社長を圧倒するほどの存在感を放ちながら言った。「女性をどう扱うかは、俺の勝手だ。お前に指図される筋合いはない。天野昴！」天野社長は翔太を睨みつけた。顔が青ざめたり赤くなった
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第77話
慶太は眉を少し上げた。これまで美羽はいつも分別がある女性だった。一緒に食事をしたりコーヒーを飲んだりしても、彼女の振る舞いからは決して誤解を招くような曖昧な印象を与えることはなかった。そんな彼女が、初めてこのように彼の手を握った。まるで溺れる者が唯一の浮木を掴むかのように、必死に。慶太は彼女を見つめ、彼女の目に赤みが差していたのに気づいた。ため息をつき、優しく尋ねた。「真田さん、何かあったんですか？」美羽は吹きつけた海風に頭痛を感じながら、不意に問いかけた。「相川教授、パートナーは連れてきましたか？」「いいえ、連れてきていません」「じゃあ、あなたのお兄さんは？」「兄は連れてきました」「彼女ですか？」慶太は控えめに答えた。「その辺りは詳しく知りません」もし彼女が正式な恋人なら、慶太が知らないはずはない。自分の義姉になるかもしれない人を見知らぬ他人のように扱うはずがなかった。「よく知らない」という言葉は、間接的に「兄が連れてきたのは交換用のパートナーだ」ということを意味していた。この船に乗る以上、ゲームのルールを知らない人などいなかった。彼女だけが騙されてここに来たのだ。美羽は乾いた唇を噛み、慶太を真っ直ぐに見つめた。彼女は整った顔立ちで、どこにも欠点が見当たらなかった。その漆黒の瞳は澄んでいて、美しく輝いていた。そして、彼女は突然こう言った。「碧雲グループと相川グループが競争しているプロジェクトがありますよね。私は最近あまり会社の仕事に関わっていませんが、そのプロジェクトが両グループにとって非常に重要だということは知っています」慶太が話を遮った。「真田さん、僕は会社のことには関与していませんよ」「知っています。ただ、友人としてお願いしたいんです。お兄さんに伝えてもらえませんか。もし彼が私を交換で受け入れ、手を出さずに無事に解放してくれるなら、私は彼に協力できます」「協力？」慶太は危険な縁を歩んでいた美羽を見て、思わず眉をひそめた。「君は……碧雲グループを裏切るつもりですか？その結果を考えていますか？」美羽は少しぼんやりとしながら呟いた。「自分を守るためです」ゲームのルールに逆らえないなら、そのルールの中で安全な位置を確保するしかない。慶太はこの船上で唯一、彼女を助けられる存在だった
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第78話
ウェイターがコーヒーを運んできた。翔太は手を伸ばし、小さなトングで角砂糖を一つ掴み、コーヒーカップの中に落とした。軽い音とともに、静かなコーヒーの表面に波紋が広がった。彼はスプーンを使い、ゆっくりとかき混ぜた。袖口が少しだけまくれ、孔雀石の文字盤が美しい腕時計が露わになった。そのさりげない高級感が彼の品位を際立たせていた。翔太は伏し目がちにコーヒーを見つめながら静かに言った。「旧市街のプロジェクトは非常に良い案件です。我々だけでなく、鷹宮キャピタルも目をつけています」悠真は穏やかに答えた。「だからこそ、相川グループが譲歩すれば、碧雲グループの勝算はさらに高くなるはずです」翔太はスプーンをそっと置き、目を上げた。その視線は淡々としていた。「相川社長、他の条件にしてもらえませんか？」悠真が少し動揺したように間を置き、美羽もカフェの中で思わず驚いた。彼は、断ったのだろうか？翔太が彼女を交換することを拒否したのだろうか？美羽はぎゅっと唇を引き結んだ。「この条件は、夜月社長にとって受け入れがたいものですか？」悠真が尋ねた。「それとも、夜月社長には他に真田秘書を必要とするプロジェクトがあるのでしょうか？」翔太は答えず、「夜の宴会、相川社長も参加されるのですよね？」と話を切り替えた。「もちろんです」それはメインイベントだった。翔太は礼儀正しくコーヒーを一口飲み、立ち上がりながら言った。「今夜が過ぎたら、またこのプロジェクトについて話しましょう。少し予定があるので、失礼します」悠真は引き止めず、立ち上がって握手を交わした。「分かりました」翔太が階段を降りると、その表情は一瞬で冷たく硬いものに変わった。翔太が去った後、悠真はゆっくりとコーヒーを飲みながら、カフェの中に向かって声をかけた。「真田さん、出てきてください」美羽はやっとのことで姿を現した。悠真は顔を少し上げて言った。「今の話、真田さんも聞いていましたよね？」「ええ」「彼は了承しませんでしたね。しかし、拒否もしませんでした。代わりに宴会の話を持ち出しました……つまり、彼にはもっと優先順位の高いプロジェクトがあるのでしょう。そちらで君を使って何か取引が成立するかどうか試したいのでしょうね。もしそちらで不要とされた場合、改めて旧市街のプロジェクトに
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第79話
この航海で最も重要なイベントとされるこの夜の宴会には、全員が顔を揃える予定だった。翔太は美羽のためにいくつかのドレスを用意し、ハンガーに掛けて選ばせていた。さらにプロのスタイリストチームも待機していた。彼が彼女を着飾らせようとすればするほど、美羽の心は冷たく沈んでいった。まるで美しく飾られ、高値で売られるような感じだった。気分が沈んだまま、美羽は適当に一着を指差した。ソファで雑誌をめくっていた翔太は、そのドレスを一瞥しながら言った。「そのドレスだと、あの翡翠の簪とは合わない」そうだ、と美羽は思い出した。翔太が昨晩あの簪を買ったとき、「この簪に合うドレスを選べ」と言ったことを。美羽は仕方なく、もう一度選び直し、淡い緑色の新作の和服に決めた。その和服は足首までの長さがあり、正面から見ると優雅で端正な印象を与えたが、背中は大胆に空いていて、肩甲骨が美しく露わになるデザインだった。その控えめながらも自然な色気が女性らしさを引き立てていた。スタイリストは彼女の髪を片側にまとめ、翡翠の簪を挿した。メイクも清楚でナチュラルに仕上げられた。口紅を選ぶ際、化粧師は少し迷っていた。そのとき、美羽の背後から手が伸び、一つの口紅を取った。化粧師は空気を読んで下がり、美羽は鏡越しに背後の翔太を見た。彼は既に漆黒のスーツに着替えており、整った端正な姿をしていた。彼は口紅をくるりと回して出し、美羽の唇に当てて色を確認し、最終的にシナモンカラーを選んだ。そして、慎重に、丁寧に彼女の唇に塗っていった。美羽は動かずに見守ったが、翔太はさらに指の腹で唇の縁をぼかして自然に仕上げた。彼がこうして彼女に口紅を塗るのは初めてだった。そもそも彼女が化粧をする姿を彼が見る機会も少なかったはずだ。それでもこの熟練した動作を見る限り、きっと他の誰かで練習を積んだのだろう。翔太が直接手を下す相手など、彼女の知る限り一人しか思い当たらなかった。月咲だろう。口紅を塗り終えたあと、美羽は静かに「ありがとう」と礼を言い、真珠のイヤリングを手に取って耳につけた。美羽の顔立ちはもともと涼しげな印象があり、こうしたお嬢様の風の装いによってその魅力が最大限に引き立てられた。最後にニットのショールを肩にかけた美羽に、翔太が近づいて手を伸ばし、彼女のショールの位置
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第80話
そのとき、主催者が近づいてきて声をかけた。「翔太！」翔太は微笑みながら、美羽に低く囁いた。「後で舞踏会が始まったら、左側に行け。俺が引き止める」左側に行け？ 美羽はその意味がわからなかったが、中年の男性が二人の前に来たため、聞こうと思った言葉を飲み込んだ。「伯父さん」翔太が軽く頭を下げた。男性は六十歳近い年齢で、穏やかで親しみやすい雰囲気を漂わせていた。「まったくお前さんはね、みんなここに来るのは楽しむためだぞ。和気あいあいとしてこそ商売も繁盛するというのに、あんなに人を怖がらせてどうするんだ？」一見、責めるような言い方だったが、その声色には冗談交じりの調子があり、翔太を後輩として非常に可愛がっていることが見て取れた。翔太もこの伯父には親しげに接しており、美羽は彼がこうして長上に親しく話すのを初めて見た。翔太の父親でさえ、このような態度を引き出せなかったのに。「伯父さんは俺を責めたいのですか？俺は伯父さんのために厄介者を取り除いただけですよ。あんな人が船を汚さないように」「相変わらず理屈ばかりだな！」竹内会長は大笑いした。「だが、俺が本気でお前を責めると思うか？ お前は半分俺の息子みたいなものだ。俺が守らないで誰が守る？」美羽は心の中でその言葉を噛み締めた。半分息子？それは翔太が娘婿という意味か、それとも養子のような関係なのか？彼女は長年翔太のそばにいたが、彼がこれほどまでに親しい関係を持つ家族がいるとは知らなかった。翔太はふと口を開いた。「瑛司は帰ってきましたか？」瑛司！その名前を聞いた瞬間、美羽は無意識に翔太を見た。翔太の横顔は冷淡で、竹内会長との会話に集中しており、美羽の視線には全く気づいていないようだった。美羽はそのときになって初めて、この宴会が竹内家によるものであることを知った。「瑛司は自分の考えを持っていてな、行動も自由すぎるんだ。俺ですら彼の居場所を把握しきれない。この前も呼び戻したが、帰ってきたのか、この船に乗ったのかもわからんよ」竹内会長はため息をついた。「彼が母親側と近づきすぎるのは心配だよ。無鉄砲すぎて、いつか死んだという報せが届いても俺は驚かんだろう」翔太は短く答えた。「人はそれぞれです」美羽は手にしていたグラスを強く握りしめた。瑛司……その名前を心の中で
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第81話
「……何の話ですか？」美羽は、翔太が瑛司の名前を出した理由がまったく分からなかった。彼女と瑛司に関する記憶は、すべて高校時代のもので、その頃はまだ翔太と出会ってすらいなかった。「夜月社長のおっしゃる意味が分かりません」翔太は無表情のまま言った。「本当に分からないなら、それでいい」美羽は本当に彼の言葉の意図が理解できなかった。翔太は冷たい視線で彼女の探るような目を見つめ、突然、苛立ちを覚えた。彼は腰に添えていた手を離し、短く言い捨てた。「しばらく俺の前に姿を見せるな」そう言い残すと、さっさと歩き去った。美羽はその背中を呆然と見送った。彼の突然の怒りが全く分からなかった。周囲には知らない客ばかりで、美羽はその場に立ち尽くし、少し戸惑っていた。ただ、これまでに似たような宴会に多く参加してきた経験で、気を取り直し、すぐに落ち着きを取り戻した。美羽は一人、宴会場の隅に向かって歩き、ひっそりと佇んだ。そのまま宴会が終われば、彼女にとっては理想的な展開だった。今夜が終わり、明日船を降り、明後日には辞職する……全てが順調に進むはずだった。しかし、それは叶わない願いだった。突然、会場の照明がすべて消え、美羽は一瞬驚いて動きを止めた。反射的にポケットからスマホを取り出そうとしたその時、ステージ上にスポットライトが点き、一人の女性が登壇していた。その女性はピンクのチューブトップドレスを着ており、手にマイクを持っていた。「レディス・アンド・ジェントルメン！まずは、竹内グループを代表して、本日この盛大な宴にお越しいただいた皆様に、心からの感謝を申し上げます。ありがとうございます！一年ぶりにこうしてまた皆様と集まることができました！」会場内は大きな拍手に包まれた。美羽は、何かトラブルがあったわけではなく、単なる進行の一環だと理解し、自分も拍手をしながら周囲を見回し、翔太の姿を探した。女性の司会者は微笑みながら続けた。「例年通り、今夜の宴はダンスから始めましょう！皆様には目隠しをしていただき、ダンスフロアにお入りください。感覚と思いに任せて、自分のパートナーを見つけてください。このダンスを通じて、絆を深め合いましょう！」目隠し？美羽は戸惑ったが、ウェイターたちがトレイを持って客席を回り、トレイの上には黒い布が並
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美羽は丁寧に挨拶をした。「お義母さま、お一人ですか？」夜月夫人は親しげに美羽の手を取り、じっと彼女を見つめた後、少し咎めるような口調で言った。「あなた、この一ヶ月以上も家に顔を見せに来てないわね。どう見てもまた痩せたみたいじゃないの」美羽は申し訳なさそうに答えた。「このところ少し忙しかったんです」夜月夫人の表情には曇りが見えた。「まあ、それにしても、あなたが来てたとしても、家ではきっとまともにおもてなしできなかったと思うわ」「どうしてですか？」「翔太とお父さんのことだよ」夜月夫人は首を振りながら言った。「あの月咲っていう秘書のことで、親子の仲が最悪の状態になってるの。翔太、このところ全然家に帰ってないし、電話もLineも返事がないのよ」翔太が家に帰らないのは珍しいことではなかったが、電話やLineまでも返さないのは確かに初めてだった。それだけ二人の関係が悪化しているのが伺えた。美羽は夜月夫人をそっと見つめた。翔太と父親の不和の一因が夜月夫人にあるのではないかと考えたが、彼女に対して特に悪印象を持ったことはなかった。むしろ、義母としての立場を弁えてよくやっていると思っていた。彼女が翔太の父親と結婚した後、自ら避妊具を装着し、子供を作って翔太と財産や地位を争う意図がないことを示したと言われていた。「どうしてあんな秘書がそんなにいいのか、全然理解できないわ。美羽、あなたのほうがずっと素敵なのに」夜月夫人の愚痴が続いた。こういった言葉には何も返さないのが賢明だと、美羽はただ黙って聞いていた。夜月夫人はさらにため息をつき、「こんなに親子の仲が悪くなるなんて、どうしたらいいのかしら。あの秘書が、家柄でも能力でもどちらか一つでも備わっていたら、翔太のお父さんもそんなに反対しなかったでしょうけど……でも翔太があれだけ好きなら、仕方ないわね。認めるしかないのかしら」母性に溢れた優しい顔をした彼女の態度から、夜月夫人が最終的には折れる立場であることが見て取れた。このまま翔太が冷戦状態を続ければ、夜月家の一人息子としての立場が優先され、父親も結局は後継者や家業のために月咲を認めざるを得なくなるだろう。月咲が夜月家に入る可能性は完全にゼロではなさそうだった。夜月夫人も、美羽の前で他の女性の話をするの
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第99話
美羽は少し間を置いてから、HRに「大丈夫です、また次回お会いしましょう」と返信した。急な仕事で予定が変わるのはよくあることだった。最初、美羽は特に気にせず、水を汲みに洗面所へ行き、窓際のミントの鉢植えに水をやった。ミントの香りは清涼感があり、心を落ち着かせる効果があるはずだったが、その時ふと胸騒ぎがした。彼女は再びスマホを手に取り、HRにメッセージを送った。「そういえば、花蓮さん。月曜日に直接鷹宮キャピタルに行けばいいですか？」しかし、30分経っても返事はなかった。ミントの香りを吸い込みながら、美羽の気持ちは徐々に沈んでいった。昼になり、花音がキッチンから顔を出して声をかけてきた。「ねえ、美羽。今日、鷹宮キャピタルのHRさんとランチの約束してたよね？もう行く時間じゃない？」美羽はスマホを見せながら答えた。「まだ返事がないの。タイムラインを見たら、花蓮さんが料理の写真を投稿してたけどね」投稿には位置情報がなかったが、写真の片隅に写り込んだ看板から、星煌市内の和食店だとわかった。「確か、銀月市に急いで戻るって言ってたよね？」と花音が不思議そうに首を傾げた。美羽は淡々と笑い、投稿に「いいね」を押した。数分後、その投稿が消えた。削除されたのか、他の理由なのかはわからなかった。美羽はそのままHRからの返信を待つことをやめ、静かに結論を出した。「予定が変わったみたい。もう行かなくていいんじゃない？」花音は驚いて問い返した。「どうしてそんなこと言うの？急に何かあったの？」美羽は静かな笑みを浮かべて言った。「きっと、誰かが先に手を回したんだと思う」なぜ悠真が急に彼女の入社を拒むようになり、HRが約束を反故にしたのか、その答えはすぐに浮かんだ。これができる人物はただ一人、翔太だった。翔太が動いた理由は明白だった。契約期間中に慶太と接近したことへの報復か、あるいは単純に彼女が順調に進むことが面白くなかったのかもしれない。美羽は内心、これくらいは想定していたので、思ったほど驚きもしなかった。しかし、花音は違った。「最低！なんて酷い人なの！こんなにも非道なことをするなんて許せない！」彼女は怒りをあらわにし、続けた。「あなた、体を壊して大変だったのに何の補償もしてくれない。彼の浮気
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第98話
美羽は少し心に引っかかるものを感じていた。取引を持ちかけた当初、悠真は彼女の入社に非常に興味を示していた。昨夜も「条件を忘れないように」と念押ししてきたほどだった。しかし、なぜ今日になって急に彼女を遠ざけるような態度を取ったのか？その答えを考える間もなく、美羽の問題は新たな局面を迎えようとしていた。彼女はスーツケースを引き、アパートへタクシーで戻った。玄関の鍵を開けた瞬間、突然「パン！」という音が響き、彼女は思わず驚いて身をすくめた。次の瞬間、色とりどりの紙吹雪が舞い散り、花音が歓声を上げた。「美羽！これで完全に苦難から解放ね、おめでとう！」美羽は笑いながら応じた。「大げさすぎるでしょ、こんな仕掛けまで用意して。何か爆発したのかと思ったわ」花音は得意げに笑い、「計算済みよ！明日は土曜でしょ？契約満了が今日だから、ちゃんとお祝いしないとね！」彼女は美羽のスーツケースを受け取りながら聞いた。「どう？翔太とちゃんと話はついた？これからはお互い別々の道を歩むわけだよね？」「まあ、一応ね」美羽は船上での出来事には触れずに答えた。「下船の時にお土産が配られてたの。ホテルのバスローブ、タオル、スリッパとか、実用的で良さそうだったから、もう1セット頼んであなたに持ってきたわ」花音はニコニコしながら言った。「さすが美羽！本当に頼れる友達だね。先に休んでて、今夜は私が料理するから！」彼女はうどんスープを煮込む予定で、タイミングを見計らってキッチンへ向かった。美羽はスーツケースの中身を片付け、薬を飲むために水を一杯注いでソファに座り、スマホを手に取った。ちょうどその時、慶太からLINEが届いた。「まだ完全には治ってないから、薬を続けて飲んでね」との内容だった。美羽は微笑みながら返信した。「わかりました」ついでにタイムラインを開いてみると、2分前に慶太がデッキで撮った月の写真を投稿しており、キャプションには月の絵文字が添えられていた。美羽は迷わず「いいね」を押した。さらにスクロールしていくと、鷹宮キャピタルのHRも新しい投稿をしていた。その頃、花音がキッチンから戻り、向かいのスツールに腰を下ろして話しかけてきた。「美羽、結局、鷹宮キャピタルに入社するんでしょ？」「うん、そうだよ」美羽は
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第97話
美羽は慶太の好意を理解し、彼を友人として信頼していたため、隠し立てせず正直に話した。「相川教授、ご安心ください。不正な取引などしていません。私は相川社長にこう約束しました。もし私を助けてくれたなら、相川グループで働き、5年間の雇用契約を結びます。私の仕事の能力を考えれば、5年以内に老城区のプロジェクトにも劣らない利益をもたらせるはずです」実際、相川グループは以前から美羽にオファーを出していた。美羽が以前検討していた外資系の2社、鷹宮キャピタルと相川グループだった。このうち彼女は鷹宮キャピタルのほうが自分に適していると判断し、相川グループとは接触していなかった。しかし、昨晩は他に選択肢がなく、自分を駒として悠真に交渉を持ちかけた。悠真は総合的に考慮した上で、この取引に応じた。ただし条件として、相川グループでの5年間、基本年俸のみで歩合やボーナスは支払われないという条項が追加された。商人たるもの、自分に損をさせるわけがなかった。この取引の最大の勝者は翔太であり、美羽はその代償を大きく払う結果となった。この詳細は慶太には話さず、美羽は簡単に言った。「相川グループで働けるのは私にとっても光栄なことです」慶太はうなずいた。「それなら安心しました」美羽のセットメニューには天ぷらもあった。慶太は自然に箸を伸ばして彼女の皿から天ぷらを取った。「僕のほうは寿司ですから、それと交換しようか」美羽は首を横に振った。「交換しなくていいです。このままで大丈夫です」この何気ないやり取りが翔太の目には互いの料理を分け合い、親密な関係のように映った。美羽の笑顔を見ていると、彼女は新しい仕事を迎える準備が整ったように見えた。相川グループは碧雲グループと大差なく、彼女の今回の職場移動は平行転職と言えた。ある意味、めでたい話だった。だが、翔太はそうした円満な解決を好まなかった。翔太はナプキンで手を拭きながら、淡々と紫音に尋ねた。「千早さん、もう食事は済みましたか？済んだならお送りしましょう」紫音は瞬きをしながら答えた。「どこに送ってくれるの？」「当然、相川社長のところへだ」翔太は軽く笑いながら言った。「どうした？一晩で旧主を見限るつもりか？」紫音は含みのある笑みを浮かべた。「そうね、夜月社
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第96話
「……」美羽は目を閉じ、自分がただの病気で、どうしてこんなミスをしてしまったのかと自問した。少し考えた後、美羽は女性スタッフに尋ねた。「何か着られる服を貸してもらえますか？どんな服でも大丈夫です」とにかく、慶太の前に何も着ずに出るわけにはいかなかった。スタッフは一瞬驚いた様子だったが、すぐに答えた。「私が着ている制服でもよろしいですか？」「大丈夫です」「それでは、10分ほどお待ちください。すぐに取りに行きます」「ありがとうございます」スタッフは浴室を出て、ついでに寝室のドアも閉めてくれた。美羽はシャワーを浴びることなく、濡らした洗顔用タオルで軽く顔を拭き、浴衣を着て浴室を出た。まだ頭がぼんやりしていた美羽は、浴室の前に敷かれたマットにつまずき、数歩よろめいた末、反対側のベッドに倒れ込んだ。立ち上がる間もなく、翔太が勢いよく部屋に入ってきた。……この病気、本当に厄介だった。……もちろん、美羽は翔太に何も説明するつもりはなかった。彼が勝手に思い込むならそれでいい。彼が自分を嫌うほうが都合が良い。これで無事に退職できるのだから。美羽はその夜、浅い眠りを繰り返しながら過ごし、翌朝目覚めたときには、まだ少し頭がぼんやりしていたものの、昨夜ほどひどくはなかった。これまでこんな体調を崩したことはなかったが、体質が弱くなったのはあの流産が原因だろう。汗をたっぷりかいた美羽はシャワーを浴びた。スーツケースはまだ翔太の部屋にあり、昨夜持ってくるのを忘れていた。しかし、問題なかった。慶太が昨夜クリーニングに出した着物は、今日には返ってくると言っていた。美羽はフロントに電話をし、着物を届けてもらうよう依頼し、ついでに使い捨ての下着もお願いした。フロントはすぐに対応してくれた。「かしこまりました、すぐにお届けいたします」浴衣を着たまましばらく待っていると、ドアベルが鳴った。美羽は立ち上がり、ドアを開けた。確かに、フロントが頼んだ服を届けに来てくれた。しかし、そのスタッフの後ろには慶太もいた。慶太は軽く眉を上げた。「まず服を着替えてください」美羽は人を玄関先に待たせるのも気が引けた。「相川教授、中でお待ちください。すぐに済みます」慶太は目を細めて笑い、言った。
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第95話
美羽は考えていた。自分と翔太は円満に別れることはないだろうと。だが、ここまでこじれるとは思っていなかった。彼は結局、どんな形であれ、どんな状況であれ、美羽を他人に譲った。渡してしまった事実に変わりはなかった。美羽の頭上にぶら下がっていたダモクレスの剣が、ついに落ちたのだ。それもいいだろう、と美羽は思った。彼女は未練深い性格だったが、翔太はその未練すら自らの手で断ち切った。美羽は簪をベッドサイドのテーブルに置いた。この簪はあまりにも高価なものだから、明日翔太に返すつもりだった。また何かを理由に彼が嫌がらせをしてくるのを防ぐためにも。美羽は酸痛に耐えながらなんとか体を起こし、ベッドサイドのランプをつけた。そして、慶太のコートを丁寧に整え、きれいに畳んでソファに置いた後、再びベッドに戻り、毛布を引き上げて体をすっぽりと包み込んだ。彼女は心身ともに疲れ果てていたので、すぐに眠りについた。しかし、その眠りは浅かった。単に気分が落ち込んでいるだけでなく、彼女の体調もよくなかった。だからこそ、慶太のところで吐いてしまったのだろう。宴会場で飲んだ風邪薬が、めまいや暗闇を引き起こし、彼女は慶太の部屋にたどり着いた。慶太は美羽が発熱していたのを発見し、解熱剤を飲ませてくれた。しかし、どうやらその薬と前に飲んだ薬が相性が悪かったのか、胃の中がひっくり返るような感覚が襲ってきた。美羽は反射的に慶太から体を離したが、吐き出した時にはすでに二人の服を汚してしまっていた。それでも慶太の教養の高さは際立っていた。普通なら嫌悪感を抱くところだが、彼はゴミ箱を差し出し、背中をさすってくれた。美羽はほとんど何も食べていなかったので、最終的には水しか吐けなかった。そして、飲んだ薬を吐き出した後、少し楽になり、意識もはっきりしてきた。彼女は申し訳なさそうに、慌てて謝罪した。「本当にごめんなさい、相川教授。気がつきませんでした……」慶太は温かい水を一杯差し出しながら答えた。「気にしなくていいですよ。病気なんですから、誰のせいでもありません。とりあえずうがいをして。医者を呼びますから」美羽は苦しそうに眉を寄せながらうなずいた。慶太はさらにティッシュを渡し、船の医師に連絡を取った。医師が来るまでの間、清掃道具を取り出して吐瀉物を片付け
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第94話
悠真はティッシュを一枚取って美羽に渡した。美羽は小さく息をついてそれを受け取り、失礼します、と一言添えてから、頬を伝った涙を拭った。その涙が何を意味するのか、自分でもよくわからなかった。慶太は特に何も言わなかった。彼は彼女たちより少し年上で、男女のあいだの感情にまつわるもつれにはとても通じていた。感情というものは人の意志を最も消耗させるものであり、彼はそれに深入りしないよう距離を置いて生きてきた。「慶太に連絡しておいた。すぐ来るだろう」悠真は淡々とそう言った。美羽は即座に拒否した。「いいえ、こんな時間に相川教授に迷惑をかけるわけにはいきません」悠真はちらりと彼女を見た。「今夜、どこで過ごすつもりだ？」「……」確かに。ここは船上であって陸地ではなかった。追い出されても、適当なホテルを探して部屋を確保することはできなかった。もちろん、悠真と同じ部屋に一晩泊まるわけにもいかなかった。彼らの関係は潔白だとしても、他人の目にどう映るかはわからない。例えば彼女と慶太が翔太の目にどう映ったかのように。翔太は紫音を連れていった。今夜、二人の間に何かが起こる可能性もあるだろう。翔太は紫音を嫌いではなさそうだったし、彼女も月咲ほどの存在感はないにせよ、翔太がその気になれば十分なのだ。だが、彼が紫音とどう過ごそうと、美羽には関係のない話だった。誰の部屋にも行かずにデッキや宴会場の片隅で一夜を明かすという選択肢もあった。ただし、それも未知の危険が伴った。慶太はすぐにやって来た。兄である悠真に挨拶を済ませると、悠真は軽く頷いて言った。「慶太、真田さんを部屋へ連れていってやってくれ。真田さん、先ほど話したことを忘れないように」美羽は軽く頷いた。忘れるはずもなかった。慶太は美羽を連れて部屋を出た。数メートル歩いたところで、彼は自分のコートを脱ぎ、美羽の肩にそっと掛けた。「まだ体調が戻っていないんですから、無理をしないで」美羽は申し訳なさそうに言った。「相川教授にたくさん迷惑をかけてしまいました」「こんなこと、迷惑でもなんでもありません。友人として、助けが必要な時に手を貸すのは当たり前です」慶太は柔らかく微笑むと、コートの襟を整え、彼女を連れて三階へ向かった。立ち止まった先を見て、美羽は意外
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第93話
美羽は理解した。翔太は彼女が慶太と何かをしたと思い込み、その身体を確かめようとしているのだ、と。その瞬間、美羽の胸中には爆発しそうなほどの怒りと悲しみが湧き上がった。彼女は彼の所有物なのか？誰も彼女に触れてはならず、もし他人に触れられた可能性があるなら、自ら検査するというのか。彼は彼女を人間扱いしていなかった。もう限界だった。どこから湧いた力なのかわからなかったが、美羽は翔太を突き飛ばし、バスローブを整えた後、ベッドから降りて部屋を出ようとした。翔太は後ろから追いかけて彼女の手を掴んだ。美羽は考える間もなく振り返り、彼の頬を打とうと手を振り上げた。だが、その一撃は空を切った。彼女のもう片方の手も翔太に掴まれた。彼は勢いよく彼女を壁に押し付け、両手を背後で押さえ込んだ。それでも、美羽は諦めずに彼を蹴ろうとしたが、翔太は彼女の両足の間に自身の膝を割り込み、完全に反抗を封じた。「随分と大胆になったな。俺に手を上げるとは」翔太は冷たく睨みつけながら低く言った。美羽の胸は怒りで大きく上下し、目元には抑えきれない涙が滲み始めた。「……翔太！あなたは最低よ！本当に最低な人間！」翔太は冷笑を浮かべた。「背後に支えでもできたのか？よくも俺に逆らえるようになったな」美羽は必死にもがいたが、解放される気配はなかった。「離して！」翔太の胸中にも怒りの火が燃え盛っていた。「君が海に落ちたと思って、船内外で君を探していたその時、君は何をしていた？慶太とベッドにいたのか？美羽、君は死にたいのか？」美羽は鋭く言い返した。「私が探してくれって頼んだ？何のために私を探したの？またどんなプロジェクトで私を使い物にするつもりだったの？私を使ってどれだけの利益を得ようとしていたの？」その態度が可笑しくて仕方がなかった。「私自身の身体なのに、誰と一緒になるかを決める資格はあなたにあって、私にはないって言うの？」なんて理不尽な話だった。翔太は一瞬の迷いもなく答えた。「君には資格がない」美羽は奥歯を噛み締めた。本当に最低だ。彼女は必死に抵抗しながら怒鳴った。「また契約で脅すつもり？もう日付が変わったわ！今日は土曜日。元々休日のはずだから、厳密に言えば、私と碧雲グループの契約は今日で終了しているの
総裁、早く美羽秘書を追いかけて！彼女の値打ちは3000億円に達したからだ 第92話
美羽は翔太のことをよく知っていた。だから、今の彼の心情が極めて悪いこともわかっていた。彼は明らかに怒りを抱いていた。翔太が本当に怒ることは少なかった。彼の立場上、望むものはすべて手に入り、不愉快なことがあれば部下に一言指示するだけで片付いた。彼をここまで怒らせる事態は滅多になかった。美羽はおそるおそる声をかけた。「夜月社長」翔太は無言で彼女の手首を掴み、乱れたベッドから力強く引き起こした。その力は強烈で、美羽は支えを失い、彼の胸にぶつかるように倒れ込んだ。彼は香水をつけていなかったが、凛とした清々しい香りがした。それはまるで冬の日に漂う雪の匂いのようで、どこか遠い存在に思えるのに、その侵略的な感覚は否応なく嗅覚を支配した。松の香りなど、一瞬で忘れてしまうほど圧倒的だった。頭の中は、彼の香りだけで埋め尽くされた。だが、その手の力はあまりにも強く、彼女の手首を折りそうなほどで、美羽は耐えきれず小さく呻いた。「夜月社長！」と低い声で非難した。それでも翔太は手を緩めず、そのまま彼女を連れて行こうとした。すると、扉の前で慶太が立ちはだかった。彼は眼鏡をかけ直し、チェーンが肩に垂れ下がっていた。落ち着いた気配を保ちながらも、その存在感は揺るがなかった。「夜月社長、僕の部屋から人を連れ出すのであれば、まず僕の許可を取るべきではありませんか？」これまで火花を散らしてきた二人は、とうとうここで決定的に対立することになった。翔太は目の前の男を冷ややかに見据えた。この男を今すぐ海に放り込んでサメの餌にしてやりたい気持ちを抑えながら。特に、二人が同じホテルのバスローブを着ているのを見た今、怒りはさらに募っていた。翔太はふっと軽蔑的に笑った。「お前のものだとでも？俺の秘書を俺の許可なく所有しようだなんて、悠真ですらそんな無礼をしない。お前は何様だ？」美羽は翔太が悠真を侮辱する言葉を聞いて黙っていられなかった。「夜月社長、言葉を慎んでください！」彼女が慶太をかばうような態度を見せたことに、翔太の表情がさらに険しくなった。しかし、慶太は怒ることなく、穏やかなままで答えた。「夜月社長、僕が真田さんを連れてきたと思っていますか？むしろ、彼女自身の意志でここに来たのでは？夜月社長が彼女を縛るのに使えるのは、たった一
