両親はすごく仲良しで、大学卒業してすぐに結婚して、すぐに悠真が生まれて、3人家族で幸せに暮らしていた。悠真が6歳の時、ただの風邪で熱が出たんだけど、全然治らなくて、医者にそれとなく状況が良くないって言われて、東京や仙台の病院に行くように言われたんだ。両親は受け入れられなくて、色んな病院を転々として、あらゆる検査をしたけど、結局結果は変わらず、急性前骨髄球性白血病って診断された。名前を見ただけでも、すごい病気だって分かる。両親は親戚みんなに頼んでHLA検査してもらったけど、適合する人はいなかった。医者に兄弟姉妹の方が適合する確率が高いって言われて、もともと悠真一人っ子でいくつもりだったのに、もう一人子供を作ることにしたんだ。正確に言うと、私は4人目の子供。一番目が悠真で、2番目と3番目は、お母さんが妊娠5ヶ月の時にHLAが適合しなくて、中絶された。私はHLAが適合したから、生まれてきた。幸運なのか、不幸なのか、分からない。生まれた時、恵子おばさんだけが大学生の頃で、看護師さんから私を受け取ってくれた。お父さんとお母さんは悠真の手術室の前で待っていた。手術は成功して、みんな悠真が治ったと思っていた。その後数年は本当にそうだった。あの頃は、家族で珍しく穏やかで幸せな時間だった。悠真が中学1年生の時、また高熱と咳が出始めて、歯磨きすると血が出るようになった。幼稚園児の私は、それが何を意味するのか分からなかった。でもそれから、悠真が入院する度に私も一緒に入院して、悠真が注射をされると私も注射された。最初は採血の時、看護師さんに押さえつけられて、泣き叫んでた。でもそのうち、採血の時もじっとベッドに横になって、暴れもせず、泣くことも、話すこともなくなった。看護師さんに偉いねって言われたけど、ただ慣れただけ。この病気の生存期間は数ヶ月から数年だって言っていた。悠真は6歳で発症して、13歳で再発して、今年18歳。医者にはすごい頑張っているって言われた。悠真は病気と闘うヒーローで、私も小さなヒーローだって、二人とも勇敢だって言っていた。実際は採血の時、すごく痛くて、本当は泣きそうだった。全然勇敢じゃない。採血の後、いつも力が出なくて、少しでも体力を無駄にしたくなかった。泣くのだって疲れる。悠真の病気はどんどん悪化し
Last Updated : 2024-11-18 Read more