斎藤陽翔が彼女を売りつけようとしたとき、相手が躊躇するのを恐れて由佳の身元については何も語らなかった。彼が話したのは、自分が長らく食事にありつけず、道で彼女が一人でいるのを見かけて悪心を抱き、彼女を攫ったというだけだった。追い詰められた人間は、何だってやってしまうものだ。男は斎藤陽翔の様子から彼が警察から逃げていることを察し、その話が本当かどうか深く疑わなかった。由佳としては、自分の本名を明かすわけにはいかない。男が名前を聞く理由は、自分の家が本当に金持ちかどうかを確かめたいからにすぎない。もし清次に繋がることがあれば、彼の性格を知った後、男は由佳を殺す可能性もあった。清次には過去に実例がある――かつて彼女の歩美を人質にとって清次を脅そうとした者がいたが、清次は脅しに屈するどころか逆に警察に通報したのだ。少し間を置いて、由佳は言った。「このコート、リサイクルショップで六万円の価値はある。信じられないなら、一度店で確認してみてもいいわ。それから、私は高村です。父は高村英松といって、服飾会社『永島』を経営してるの。調べればわかるわよ」由佳は高村の名前を借りた。高村の家は裕福で何不自由ない生活を送っているが、清次ほど目立つ存在ではない。このとき由佳は幸運だと思わずにはいられなかった。斎藤陽翔が彼女のバッグを奪ってくれたおかげで、中に入っていた名前のあるICカードを見られずに済んだからだ。「高村……」男は名前を繰り返し、由佳を一瞥すると言った。「ここで少し待て」彼は振り返り、ドアを閉めると、近くで見張りをしている部下を呼び寄せ、由佳との会話について話した。部下は「二千万円」と聞くなり目を輝かせた。「兄貴、彼らなら二千万円どころか、三千万円だって出せると思いますよ」男も心が動いた。「彼女は高村で、父親が高村英松って言ってた。服飾会社をやってるらしいが、本当にそんな人物がいるのか調べてこい」部下はあまり教養がなく、どう調査すればいいかも分からなかったため、検索エンジンに「高村英松」と入力するだけだった。すると、この名前の人物がずらりと並び、それぞれ異なる肩書きを持っていた。男は部下の後ろに立ち、スクロールする画面を見ながら眉をひそめた。そして、不意に言った。「待て」男は部下の携帯を奪い取り、画面に目を落とした。
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