気づくと、遺体はすべて跡形もなく消えていた。その瞬間、紅葉が生き返ったのではないかという錯覚さえ覚えた。警察は紘に伝えた、紅葉の友人が遺体を引き取っていったと。紘の目は血が滲むほど赤くなり、低く怒りを噛み殺すように叫んだ。「ありえない……あいつにはもう友達なんていないはずだ!」楓は隠れるつもりはなかったため、紘はすぐに行き先を突き止めた。紘はカエデの木の下に座り込み、ぼんやりと虚空を見つめた。掘り返されたばかりの土からは、ほのかに草の香りと湿った土の匂いが漂っていた。桑名家の旧宅はすでに長い年月、放置されており、すべてが厚い埃に覆われている。カエデの木の下には墓標もなければ、小さな土盛りすらない。まるで紅葉がこの世に存在したことさえなかったかのように。紘はざらついた幹に額を押し付け、声を張り上げて泣き叫んだ。頭を何度も幹に打ちつけながら、「紅葉!……紅葉……!」彼自身もわからない。紅葉への憎しみが強いのか、それとも愛が強いのか。ここには来なくてもよかったのに。まだ寧々が生きているのだから、愛する寧々を取り戻しに行くべきなのに。だが、紘の膝はまるでこのカエデの木の下に根を張ったかのように、微動だにしなかった。彼は木の下で膝をつき、指で一掴みずつ土を掘り返す。「紅葉……かくれんぼしてるのか?もういいだろ……出てきてくれ……俺は、君を見つけられないんだ……」滲んだ涙の向こうに、紘は幼い頃の記憶を垣間見た。あの頃の彼と紅葉は、このカエデの木の下で追いかけっこをし、かくれんぼをして遊んでいた。それなのに、どうして今は、彼ひとりだけがここにいるのか。紘は自らの胸を拳で叩き、これまでのことをひとつひとつ思い返す。そしてようやく気付いた。自分はどれほどの過ちを犯してきたのかを。「……ごめん……紅葉……俺が……間違ってた……俺は、本当は……君を愛してるんだ……」この瞬間に紡がれた愛の言葉は、ただただ滑稽だった。遠くからその言葉を聞いていた紅葉と楓だったが、紅葉の心は何の揺らぎもなかった。紘を愛していた紅葉は、とうの昔に死んでいる。「これはほんの始まりに過ぎない。紘はこれから、少しずつすべてを失っていくんだよ」紘が今、心の底から誰を愛していようと、紅葉にとってはどうで
紅葉が自分以外の誰かを愛する可能性なんて、一度も考えたことがなかった。たとえそれがただの「可能性」に過ぎなくても、紘には到底耐えられなかった。彼は紅葉と二人の子供が眠るあのカエデの木の下から、どうしても離れることができなかった。水一滴も口にせず、まるでここ数日の通夜をすべて埋め合わせるかのように、ただひたすらその場に留まり続けた。「人は死んでから7日後に、魂が完全に消滅するって言うよな……」乾いた唇を噛み締めながら、紘はぼそりと呟いた。「もし、お前の魂がまだ残っているなら……もう一度だけ、俺の前に姿を見せてくれないか?」彼は知らなかった。彼が気づかぬ場所で、紅葉は何度も彼を見下ろしていたことを。しかし、それは未練ではなく、怒りと恨みに満ちた視線だった。どれほどの時間が経ったのかも分からないまま、ついに紘は意識を失い、秘書によって屋敷へと連れ戻された。「副島様、申し訳ございません!どうか許してください!あの時、子供たちにあんなことをするべきではなかったです!」「副島様、俺たちはただ命令に従っただけなんです!」「副島様……副島様、あれは……あれは子供たちが弱すぎたんです!俺たちのせいじゃ……うわああああ!」かつて朔と晴を虐げた使用人たちは、今や地面に這いつくばり、まるで打ち捨てられた犬のように号泣しながら命乞いをしていた。部屋の中には、無数の蛇や虫、ネズミが放たれていた。彼らの身体にはすでに多くの傷が刻まれ、裂けた皮膚から滲み出る血が、獣たちの餓えた目をさらに鋭く光らせていた。使用人たちも、生き物たちも、ずっと飢えていた。誰もが飢えを満たすために、必死になっていた。せめて、毒を持つ生き物を使わなくてよかった。そうでなければ、こんな壮絶な生存競争を見ることはできなかっただろう。大人は子供よりも頑丈で、力も勇気もある。命乞いが通じないと悟ると、彼らは蛇やネズミに必死に抗い、殺し合い、なんとか生き延びようとした。「ぎゃああああああ!」断末魔の悲鳴が響き渡る。紘は車椅子に座り、青白い顔で冷たく彼らの苦しみを見下ろしていた。「まだ足りない。これっぽっちじゃ、全然足りない!」子供たちがどれほど残酷な虐待を受けたのか。こんなものでは、到底償えるはずがない。紘は命じた。
紘が突然狂ったという噂は、遠くフランスにいる寧々の耳にも届いた。だが、彼女はただの笑い話として聞き流し、全く気にも留めなかった。実のところ、彼女の記憶は徐々に戻りつつあった。あの日、資料を見た瞬間から、記憶がゆっくりと蘇り始めていたのだ。寧々はすべてを思い出した。彼女は、あの時、自分がビルの上から飛び降りた瞬間の後悔と痛みを、今でもはっきりと覚えている。幸運にも命を取り留めることができたが、あの骨が砕け散るような痛みを、彼女は二度と味わいたくなかった。副島紘は、元々狂人だった。記憶を失い、紘の人生から抜け出せたことを、寧々はこの上なく幸運に思った。紘の気まぐれな態度に翻弄されていた頃の自分は、まるで狂ったように彼の些細な言動に怯え、最も冷酷な男からのわずかな愛情を期待していたのだから。寧々は苦笑を噛み殺し、恋人の胸に飛び込み、紘のことをすぐに忘れ去った。紘が狂ったのは、紅葉と楓が仕組んだことだった。彼らがそんな男を放っておくはずがない。楓はじわじわと副島家を侵食し、紅葉は紘のそばに寄り添い、時折声をかけたり、ほんの一瞬だけ姿を現したりした。回数は決して多くない。楓の力を消耗するため、紅葉は無駄遣いする気はなかった。だが、そのわずかな回数だけで、紘の精神を崩壊させるには十分だった。「これはおじさんが紘に残した万年筆でしょう?私にくれていいの?」紅葉の儚げな声が、遠く近く、不規則に響く。「紅葉なのか!?」紘は周囲を見回したが、紅葉の姿はどこにもなかった。彼は理解していた。また幻覚を見ているのだと。ベッドに凭れかかりながら、彼はその万年筆を手に取り、そっと撫でた。瞳には、後悔と懐かしさが溢れている。万年筆の先に映るのは、ポニーテールを揺らし、恥ずかしそうに微笑む紅葉の姿。ゆっくりと手を伸ばし、その頬に触れようとした。だが空を掴んだだけだった。こんなことが何度あっただろう。夢なのか現実なのか、もはや区別もつかないほどに。さらには、二人の子供が甘い声で「パパ」と呼ぶ幻まで見た。今でも覚えている。あの日、看護師から子供たちを受け取ったとき、彼らは手のひらに乗るほどの小さな命だった。まるで生まれたばかりの猿のように。紘の目の下には深い
「特には」紅葉は少し考え込むふりをして、そう結論を出した。しばらくして、二人はふっと軽く笑った。紘は傘も差さず、雨が衣服を濡らすがままにしていた。彼は虚ろな目で棺が土に埋められるのを見つめ、まるで魂まで一緒に埋葬されるかのようだった。「副島様って、本当に愛してるのね……もし私が彼にこんなに愛されていたら、どんなに幸せだったかしら」「本当よね……」葬儀に家族と共に参列していた少女たちは、憧れの眼差しで紘を見つめていた。彼の端正な容姿と、名家の跡取りという財力に、完全に魅了されていたのだ。だが、事情をよく知る年長者たちは、内心でため息をついていた。この男は狂っている。紘に惹かれるなど、どれほど愚かなことか。今日の葬儀の主役が、それを何よりも証明しているではないか。かつて紅葉が紘に溺愛されていた頃、彼女は喜多野市の輝ける宝石だった。誰もが彼女を羨望の眼差しで見つめ、唯一無二の特権を享受していた。だが、紘の愛を失った途端、その地位は地に落ちた。まるで道端の雑草よりも惨めな運命を辿ったのだ。無実の罪で投獄され、最愛の我が子すら守れなかった。この場にいる名家の人々は、皆、副島家との提携を望んでいた。しかし、それでも自分たちの娘を紘に近づける気にはなれなかった。桑名家の悲劇が、あまりに鮮明な教訓となっているから。もともと、紘の権力によって、紅葉の投獄や桑名家が彼の手にかかって崩壊した事実は、世間にほとんど知られていなかった。上流階級の人々も、ただ朧げに噂を耳にする程度だった。だが、それを黙って見過ごせなかったのが楓だった。彼は紘の「純粋な愛」という欺瞞を暴くため、紅葉や寧々との関係、桑名家が紘によってどれほど悲惨な末路を迎えたかを詳細にまとめ、上流階級の各家にそれぞれ一通ずつ送りつけたのだ。人々が、密かにこの暴露を楽しみながらも、表向きは紘に対する態度を変えなかった。ビジネスのためには、彼との関係を維持せねばならないからだ。しかし、近頃の副島家はトラブル続きで、紘自身も仕事に身が入らず、業務に支障をきたしていた。この状況を見て、多くの企業が新たな提携先を模索し始めていた。経営者の人格も、取引先を選ぶ上での重要な要素なのだから。葬儀が終わると、紘は三束の花を手
「僕は紅葉の友達で、桑名家の友達だ」楓は珍しく真剣な表情で、地面に跪く男を冷たく見下ろした。「はっ……紅葉の友達、ね」紘はゆっくりと立ち上がり、挑発するように口角を上げた。「そんなに俺についてきてるってことは、彼女の仇を討ちたいのか?」そして、腕を広げて堂々と言い放つ。「さあ、殺せよ!殺せって言ってるんだ!紅葉がいないなら、生きている意味なんてないんだよ!」もし別の誰かだったら、怒りに任せて衝動的に紘の望みを叶えてしまっていたかもしれない。だが、楓は違った。紘は死ぬべき存在だ。だが今ではない。あいつがすべてを失う前に、楽に死なせてたまるか。楓はこれ以上関わる気もなく、紅葉を連れてその場を去った。紘はその場に立ち尽くし、楓が去っていく方向をぼんやりと見つめていた。まただ。楓のそばにいると、どこか懐かしい気配を感じる。楓が現れるたびに、紅葉がまだ生きているような錯覚を覚える。だからこそ、さっき彼を挑発したのだ。楓を煽って「俺を殺せ」と言えば、きっと紅葉が止めに来るのではないかと――そんな馬鹿げた期待を抱いて。紅葉は彼を愛している。彼が死ぬことを望まない。そう自分に言い聞かせ、現実を歪め、行動の正当性をこじつける。紅葉は、彼を愛していたはずなんだ。紘は自らの欺瞞に溺れながら、魂の抜け殻のように会社へ戻った。机の上には大量の未処理の書類が積まれていたが、それらに手をつける気力も湧かない。「社長、これらは急ぎの案件です。明日の夜にはチャリティーパーティーもあります……」秘書が次々と予定を報告するが、紘は一言も聞いていなかった。「パーティーはキャンセルしてくれ」机に残された、ただ一冊のアルバムを開く。そこには幼い頃の自分と紅葉の写真が詰まっていた。「で、ですが……このパーティーは断れません!」秘書が困ったように説得する。「……分かった」長い沈黙の末、紘はようやく承諾した。翌日のパーティー。煌びやかな会場で、華やかな笑顔が飛び交う中、紘は隅の席で一人、酒を煽り続けていた。そんな彼の前に、トレーを持ったシンプルな服装のウェイトレスが現れた。「お客様、大丈夫ですか?お部屋でお休みになりますか?」清楚な顔立ち。紅葉に三、四割ほど似ている。
望は金が必要だった。だから紘は金で彼女を側に置き、秘書として雇った。今度こそ、彼女が自分の知らないところで傷つくことはないだろうと、そう思った。望は紘に興味はなかったが、彼の提供する待遇と金銭を当然のように享受した。紘が誰かを甘やかすとなると、それはもう全身全霊をかけて尽くすものだった。だが残念なことに、望は職業俳優だった。紘はすべてを投げ捨て、望を連れてあちこちを旅行し、彼女を喜ばせるためにあらゆる宝石やアクセサリーを買い与えた。もし楓が常に注意を促していなければ、望はこの幸福に飲み込まれてしまっていたかもしれない。だが幸いなことに、彼女はまだ二人の約束を覚えていた。その間、副島グループでは次々と問題が発生していた。しかし紘は、まるで関心がないかのように一切処理をしなかった。彼の時間はすべて、望を喜ばせることに費やされていた。同時に、多くの競争相手がこの隙を嗅ぎつけ、次々と副島グループを攻撃し始めた。内憂外患の中、紘はなんと望を連れてフランスへ遊びに行ったのだった。だが彼自身が忘れていたのかもしれない。フランスには寧々がいるということを。フランスの街角で、紘は望の手を引きながら、思いがけず寧々と出くわした。視線が交わる一瞬、紘は珍しく怯んだ。彼はいつの間にか望の手を離し、寧々を見つめる目には、底知れぬ感情が広がっていた。寧々は望を頭からつま先までゆっくりと見定めた後、静かに口を開いた。「久しぶりね、副島さん。あんたの趣味、どんどん悪くなってるんじゃない?」「随分経ったけど、私の記憶が確かなら紅葉はもう死んでるはずよね?なのにあんた、まだ身代わり遊びに夢中なの?本当に哀れだわ」寧々の目には、嫌悪と軽蔑の色が滲んでいた。彼女自身、かつてこの男に命を賭けるほどの執着を抱いていたことが、今となっては信じられなかった。寧々の言葉に、紘の顔から血の気が引いた。新しい恋人と元恋人の対面。思ったよりも痛快ではなかった。だが寧々にとって、もはや紘は何の価値もない存在だった。彼女には彼女の人生がある。その背中が視界から消えるまで、紘は立ち尽くしていた。再び寧々と再会したというのに、かつての執着はもう思い出せなかった。いつの間にか、彼の人生において寧々という存在は、何
紘はしばらく呆然とした後、ようやくゆっくりと起き上がり、服を整えて急いで会社へ向かった。巨大企業である副島家グループの破産が発表されるや否や、会社のビルの前にはメディアが押し寄せ、瞬く間に足の踏み場もない状態となった。紘は人混みに押されながら、なんとか中へ入ろうとした。「俺は副島紘だ!通してくれ!」自らの名前を名乗り、道を開こうとしたが、メディアたちはまるで飢えた獣のように彼の言葉に反応し、一斉に群がった。「副島グループ破産の内幕についてお聞かせください!」「副島さんには殺人の疑いがかかっていますが、事実ですか?」「副島家の破産は副島さんの恋愛遍歴と関係があるのでしょうか?」「桑名紅葉、寺島寧々、花城望、本当に愛したのは誰ですか?」「今日の破産発表は、副島さんの計画の一部だったのでしょうか?」.....次々と向けられるマイクが彼の顔や体に当たるが、誰も気にしない。一方、黒いキャップを深く被った少年が、隅でこの滑稽な光景を静かに見つめていた。「どう?約束通り、これからもっと悲惨な目に遭うよ」楓は隣に立つ紅葉に微笑みながら囁いた。紅葉は薄く笑い、「ええ、分かってるわ。とても満足よ」「誇りに思っていた権力が手の中から消え去る気分はどう?生きるも死ぬも他人次第の感じは?」「絶望させてやるわ!」副島グループのトップという肩書きを失った紘は、今や無礼なメディア記者たちすら制御できない。どれほどの時間が経ったのか、ようやく彼はメディアの波をかき分け、そこから脱出した。髪はぐしゃぐしゃに乱れ、スーツのボタンは一つちぎれ、革靴は何度も踏みつけられていた。とりあえず家に戻って、事態が落ち着くのを待とうとしたが、自分の名義の車も家もすべて抵当に入れられていると知り、彼は愕然とした。たった一夜のうちに、何もかも失ってしまったのだ。現実を受け入れられない紘は、呆然としたまま街を彷徨った。しばらくして、彼は望に電話をかけた。「申し訳ございません。おかけになった電話番号は現在使用されておりません……」彼は何度も番号を見直し、間違えていないことを確認した。それでも何度試しても、結果は同じだった。諦めきれず、今度は望にビデオ通話をかけようとした。しかし、望のアカウントをどうしても見
かつての知り合いに会うのを恐れた紘は、小さな会社で面接を受けることにした。彼の能力は優れていたが、長年トップの立場にいたため、考え方や視野がそれらの小さな会社とはまるで異なっていた。その結果、どこに行っても採用されることはなかった。何度も挫折を味わった紘は、ついに開き直り、大手企業の面接を受けることを決めた。知り合いに会ったところで、多少嘲笑されるくらいで命に別状はない。しかし、現実は想像とは違っていた。面接官たちは彼を嘲笑するどころか、採用するのをためらっていた。紘が経営を誤り、恋愛に溺れ、最終的に副島家を破産させたことは、誰もが知っていた。過去の実績がどれほど素晴らしくても、彼を雇うことがリスクになるのではないかと不安に思われていたのだ。特に、かつて副島家と関係の悪かった企業は、彼を採用しようとすら考えなかった。むしろ、追い討ちをかけないだけでもまだ良心的な方だった。紘は、自分の知識と頭脳を武器に、もう一度成功を掴もうと考えた。しかし、次第に彼は気づき始めた。いつの間にか、思考の速度が遅くなり、記憶力も衰え、かつてのような鋭い判断力がなくなっていた。かつては難なく使いこなしていた知識も、今では思い出すのに苦労する。その事実に、紘はようやく恐怖を覚えた。できる仕事はどんどん減っていき、頭を使う仕事はほぼ不可能だった。時間が過ぎるごとに、紘はまともな仕事を見つけることができずにいた。生活費は、以前所有していた高級品を売った金でまかなっていたが、それも次第に底を尽き始めていた。このままでは、いずれ餓死してしまう。今の状況では、紘はかつて見下していた肉体労働を受け入れるしかなかった。しかし、家事すらほとんどやったことがない彼にとって、皿洗いや料理すら満足にできなかった。そこで、彼は自慢の容姿を活かし、高級レストランのウェイターとして働き始めた。ウェイターの仕事は、頭を使う必要はなく、手際よく動ければそれでよかった。仕事は大変だったが、少なくとも食いっぱぐれることはなかった。紘は何も考えず、黙々と働き続けた。日々の忙しさに追われ、過去を振り返ることも少なくなった。しかし、この仕事も長くは続かなかった。ある日、とある裕福な家の令嬢が誕生日パーティーのためにレストランを貸し切った。紘も、そのパ
紅葉はあちこち探し回ったが、楓が存在した痕跡を何一つ見つけることができなかった。彼女は楓がかつて住んでいた家に身を寄せ、机の上に置かれた一枚の免許証を目にした。そこには「楓、女、……」と書かれている。免許証の写真に映る顔は、見覚えがあるようでいてどこか違和感があった。まるで紅葉自身と楓が混ざり合ったかのような顔立ち。さらに、生年月日は彼女のものとまったく同じだった。「そんなはず……ないよね?楓、君は確かに存在していたんだよね?」紅葉は信じられず、震える声で呟いた。しかし、返ってくるのは外で風に揺れるカエデの木が立てる、さらさらという葉擦れの音だけだった。家の外に立つカエデの木は、まだそれほど大きくはなかったが、すでに風雨を遮るほどに育っていた。紅葉は急いで鏡の前に向かい、自分の顔をまじまじと見つめた。やはり、免許証とまったく同じ顔。鏡の中の自分を見つめながら、紅葉は笑い、そして気づけば涙がこぼれていた。「なんで私を生かしたの……?もう一度生きる価値なんてないのに……」鏡に映る自分の顔をそっと撫でた。まるで、かつての楓に触れているような感覚だった。彼女はふと、自分が誰なのかわからなくなった。自分は紅葉?それとも楓?答えは出ないまま、時間だけが過ぎていった。どれほどの時が経っただろう。楓はついに家を出て、新たな人生を歩み始める決意を固めた。これからは孤児院の子どもたちの世話をしながら、空いた時間に木を植えていこう。そうしたら、あの少年が戻ってくるかもしれないから。彼女はもう、紘のことを気にすることはなかった。とうの昔に彼女の人生から消え去った人間だから。道ですれ違ったとしても、すぐには思い出せないほどに。すれ違ってしばらくして、ふと彼女は思った。あぁ、さっきの人は紘だったんだ。でも、それだけだった。彼女の新しい生活に、紘の存在は何の影響も与えなかった。だが、紘にとっては違った。道端でぼんやりと診察記録を眺めていた彼は、ふと顔を上げる。すれ違ったその後ろ姿に、どこか懐かしさを覚えた。彼は即座に立ち止まり、振り返る。遠ざかるあの姿を、じっと見つめた。紅葉、久しぶりだな。次の瞬間、紘ははっと我に返った。今の自分の姿がどれほどみすぼ
かつての知り合いに会うのを恐れた紘は、小さな会社で面接を受けることにした。彼の能力は優れていたが、長年トップの立場にいたため、考え方や視野がそれらの小さな会社とはまるで異なっていた。その結果、どこに行っても採用されることはなかった。何度も挫折を味わった紘は、ついに開き直り、大手企業の面接を受けることを決めた。知り合いに会ったところで、多少嘲笑されるくらいで命に別状はない。しかし、現実は想像とは違っていた。面接官たちは彼を嘲笑するどころか、採用するのをためらっていた。紘が経営を誤り、恋愛に溺れ、最終的に副島家を破産させたことは、誰もが知っていた。過去の実績がどれほど素晴らしくても、彼を雇うことがリスクになるのではないかと不安に思われていたのだ。特に、かつて副島家と関係の悪かった企業は、彼を採用しようとすら考えなかった。むしろ、追い討ちをかけないだけでもまだ良心的な方だった。紘は、自分の知識と頭脳を武器に、もう一度成功を掴もうと考えた。しかし、次第に彼は気づき始めた。いつの間にか、思考の速度が遅くなり、記憶力も衰え、かつてのような鋭い判断力がなくなっていた。かつては難なく使いこなしていた知識も、今では思い出すのに苦労する。その事実に、紘はようやく恐怖を覚えた。できる仕事はどんどん減っていき、頭を使う仕事はほぼ不可能だった。時間が過ぎるごとに、紘はまともな仕事を見つけることができずにいた。生活費は、以前所有していた高級品を売った金でまかなっていたが、それも次第に底を尽き始めていた。このままでは、いずれ餓死してしまう。今の状況では、紘はかつて見下していた肉体労働を受け入れるしかなかった。しかし、家事すらほとんどやったことがない彼にとって、皿洗いや料理すら満足にできなかった。そこで、彼は自慢の容姿を活かし、高級レストランのウェイターとして働き始めた。ウェイターの仕事は、頭を使う必要はなく、手際よく動ければそれでよかった。仕事は大変だったが、少なくとも食いっぱぐれることはなかった。紘は何も考えず、黙々と働き続けた。日々の忙しさに追われ、過去を振り返ることも少なくなった。しかし、この仕事も長くは続かなかった。ある日、とある裕福な家の令嬢が誕生日パーティーのためにレストランを貸し切った。紘も、そのパ
紘はしばらく呆然とした後、ようやくゆっくりと起き上がり、服を整えて急いで会社へ向かった。巨大企業である副島家グループの破産が発表されるや否や、会社のビルの前にはメディアが押し寄せ、瞬く間に足の踏み場もない状態となった。紘は人混みに押されながら、なんとか中へ入ろうとした。「俺は副島紘だ!通してくれ!」自らの名前を名乗り、道を開こうとしたが、メディアたちはまるで飢えた獣のように彼の言葉に反応し、一斉に群がった。「副島グループ破産の内幕についてお聞かせください!」「副島さんには殺人の疑いがかかっていますが、事実ですか?」「副島家の破産は副島さんの恋愛遍歴と関係があるのでしょうか?」「桑名紅葉、寺島寧々、花城望、本当に愛したのは誰ですか?」「今日の破産発表は、副島さんの計画の一部だったのでしょうか?」.....次々と向けられるマイクが彼の顔や体に当たるが、誰も気にしない。一方、黒いキャップを深く被った少年が、隅でこの滑稽な光景を静かに見つめていた。「どう?約束通り、これからもっと悲惨な目に遭うよ」楓は隣に立つ紅葉に微笑みながら囁いた。紅葉は薄く笑い、「ええ、分かってるわ。とても満足よ」「誇りに思っていた権力が手の中から消え去る気分はどう?生きるも死ぬも他人次第の感じは?」「絶望させてやるわ!」副島グループのトップという肩書きを失った紘は、今や無礼なメディア記者たちすら制御できない。どれほどの時間が経ったのか、ようやく彼はメディアの波をかき分け、そこから脱出した。髪はぐしゃぐしゃに乱れ、スーツのボタンは一つちぎれ、革靴は何度も踏みつけられていた。とりあえず家に戻って、事態が落ち着くのを待とうとしたが、自分の名義の車も家もすべて抵当に入れられていると知り、彼は愕然とした。たった一夜のうちに、何もかも失ってしまったのだ。現実を受け入れられない紘は、呆然としたまま街を彷徨った。しばらくして、彼は望に電話をかけた。「申し訳ございません。おかけになった電話番号は現在使用されておりません……」彼は何度も番号を見直し、間違えていないことを確認した。それでも何度試しても、結果は同じだった。諦めきれず、今度は望にビデオ通話をかけようとした。しかし、望のアカウントをどうしても見
望は金が必要だった。だから紘は金で彼女を側に置き、秘書として雇った。今度こそ、彼女が自分の知らないところで傷つくことはないだろうと、そう思った。望は紘に興味はなかったが、彼の提供する待遇と金銭を当然のように享受した。紘が誰かを甘やかすとなると、それはもう全身全霊をかけて尽くすものだった。だが残念なことに、望は職業俳優だった。紘はすべてを投げ捨て、望を連れてあちこちを旅行し、彼女を喜ばせるためにあらゆる宝石やアクセサリーを買い与えた。もし楓が常に注意を促していなければ、望はこの幸福に飲み込まれてしまっていたかもしれない。だが幸いなことに、彼女はまだ二人の約束を覚えていた。その間、副島グループでは次々と問題が発生していた。しかし紘は、まるで関心がないかのように一切処理をしなかった。彼の時間はすべて、望を喜ばせることに費やされていた。同時に、多くの競争相手がこの隙を嗅ぎつけ、次々と副島グループを攻撃し始めた。内憂外患の中、紘はなんと望を連れてフランスへ遊びに行ったのだった。だが彼自身が忘れていたのかもしれない。フランスには寧々がいるということを。フランスの街角で、紘は望の手を引きながら、思いがけず寧々と出くわした。視線が交わる一瞬、紘は珍しく怯んだ。彼はいつの間にか望の手を離し、寧々を見つめる目には、底知れぬ感情が広がっていた。寧々は望を頭からつま先までゆっくりと見定めた後、静かに口を開いた。「久しぶりね、副島さん。あんたの趣味、どんどん悪くなってるんじゃない?」「随分経ったけど、私の記憶が確かなら紅葉はもう死んでるはずよね?なのにあんた、まだ身代わり遊びに夢中なの?本当に哀れだわ」寧々の目には、嫌悪と軽蔑の色が滲んでいた。彼女自身、かつてこの男に命を賭けるほどの執着を抱いていたことが、今となっては信じられなかった。寧々の言葉に、紘の顔から血の気が引いた。新しい恋人と元恋人の対面。思ったよりも痛快ではなかった。だが寧々にとって、もはや紘は何の価値もない存在だった。彼女には彼女の人生がある。その背中が視界から消えるまで、紘は立ち尽くしていた。再び寧々と再会したというのに、かつての執着はもう思い出せなかった。いつの間にか、彼の人生において寧々という存在は、何
「僕は紅葉の友達で、桑名家の友達だ」楓は珍しく真剣な表情で、地面に跪く男を冷たく見下ろした。「はっ……紅葉の友達、ね」紘はゆっくりと立ち上がり、挑発するように口角を上げた。「そんなに俺についてきてるってことは、彼女の仇を討ちたいのか?」そして、腕を広げて堂々と言い放つ。「さあ、殺せよ!殺せって言ってるんだ!紅葉がいないなら、生きている意味なんてないんだよ!」もし別の誰かだったら、怒りに任せて衝動的に紘の望みを叶えてしまっていたかもしれない。だが、楓は違った。紘は死ぬべき存在だ。だが今ではない。あいつがすべてを失う前に、楽に死なせてたまるか。楓はこれ以上関わる気もなく、紅葉を連れてその場を去った。紘はその場に立ち尽くし、楓が去っていく方向をぼんやりと見つめていた。まただ。楓のそばにいると、どこか懐かしい気配を感じる。楓が現れるたびに、紅葉がまだ生きているような錯覚を覚える。だからこそ、さっき彼を挑発したのだ。楓を煽って「俺を殺せ」と言えば、きっと紅葉が止めに来るのではないかと――そんな馬鹿げた期待を抱いて。紅葉は彼を愛している。彼が死ぬことを望まない。そう自分に言い聞かせ、現実を歪め、行動の正当性をこじつける。紅葉は、彼を愛していたはずなんだ。紘は自らの欺瞞に溺れながら、魂の抜け殻のように会社へ戻った。机の上には大量の未処理の書類が積まれていたが、それらに手をつける気力も湧かない。「社長、これらは急ぎの案件です。明日の夜にはチャリティーパーティーもあります……」秘書が次々と予定を報告するが、紘は一言も聞いていなかった。「パーティーはキャンセルしてくれ」机に残された、ただ一冊のアルバムを開く。そこには幼い頃の自分と紅葉の写真が詰まっていた。「で、ですが……このパーティーは断れません!」秘書が困ったように説得する。「……分かった」長い沈黙の末、紘はようやく承諾した。翌日のパーティー。煌びやかな会場で、華やかな笑顔が飛び交う中、紘は隅の席で一人、酒を煽り続けていた。そんな彼の前に、トレーを持ったシンプルな服装のウェイトレスが現れた。「お客様、大丈夫ですか?お部屋でお休みになりますか?」清楚な顔立ち。紅葉に三、四割ほど似ている。
「特には」紅葉は少し考え込むふりをして、そう結論を出した。しばらくして、二人はふっと軽く笑った。紘は傘も差さず、雨が衣服を濡らすがままにしていた。彼は虚ろな目で棺が土に埋められるのを見つめ、まるで魂まで一緒に埋葬されるかのようだった。「副島様って、本当に愛してるのね……もし私が彼にこんなに愛されていたら、どんなに幸せだったかしら」「本当よね……」葬儀に家族と共に参列していた少女たちは、憧れの眼差しで紘を見つめていた。彼の端正な容姿と、名家の跡取りという財力に、完全に魅了されていたのだ。だが、事情をよく知る年長者たちは、内心でため息をついていた。この男は狂っている。紘に惹かれるなど、どれほど愚かなことか。今日の葬儀の主役が、それを何よりも証明しているではないか。かつて紅葉が紘に溺愛されていた頃、彼女は喜多野市の輝ける宝石だった。誰もが彼女を羨望の眼差しで見つめ、唯一無二の特権を享受していた。だが、紘の愛を失った途端、その地位は地に落ちた。まるで道端の雑草よりも惨めな運命を辿ったのだ。無実の罪で投獄され、最愛の我が子すら守れなかった。この場にいる名家の人々は、皆、副島家との提携を望んでいた。しかし、それでも自分たちの娘を紘に近づける気にはなれなかった。桑名家の悲劇が、あまりに鮮明な教訓となっているから。もともと、紘の権力によって、紅葉の投獄や桑名家が彼の手にかかって崩壊した事実は、世間にほとんど知られていなかった。上流階級の人々も、ただ朧げに噂を耳にする程度だった。だが、それを黙って見過ごせなかったのが楓だった。彼は紘の「純粋な愛」という欺瞞を暴くため、紅葉や寧々との関係、桑名家が紘によってどれほど悲惨な末路を迎えたかを詳細にまとめ、上流階級の各家にそれぞれ一通ずつ送りつけたのだ。人々が、密かにこの暴露を楽しみながらも、表向きは紘に対する態度を変えなかった。ビジネスのためには、彼との関係を維持せねばならないからだ。しかし、近頃の副島家はトラブル続きで、紘自身も仕事に身が入らず、業務に支障をきたしていた。この状況を見て、多くの企業が新たな提携先を模索し始めていた。経営者の人格も、取引先を選ぶ上での重要な要素なのだから。葬儀が終わると、紘は三束の花を手
紘が突然狂ったという噂は、遠くフランスにいる寧々の耳にも届いた。だが、彼女はただの笑い話として聞き流し、全く気にも留めなかった。実のところ、彼女の記憶は徐々に戻りつつあった。あの日、資料を見た瞬間から、記憶がゆっくりと蘇り始めていたのだ。寧々はすべてを思い出した。彼女は、あの時、自分がビルの上から飛び降りた瞬間の後悔と痛みを、今でもはっきりと覚えている。幸運にも命を取り留めることができたが、あの骨が砕け散るような痛みを、彼女は二度と味わいたくなかった。副島紘は、元々狂人だった。記憶を失い、紘の人生から抜け出せたことを、寧々はこの上なく幸運に思った。紘の気まぐれな態度に翻弄されていた頃の自分は、まるで狂ったように彼の些細な言動に怯え、最も冷酷な男からのわずかな愛情を期待していたのだから。寧々は苦笑を噛み殺し、恋人の胸に飛び込み、紘のことをすぐに忘れ去った。紘が狂ったのは、紅葉と楓が仕組んだことだった。彼らがそんな男を放っておくはずがない。楓はじわじわと副島家を侵食し、紅葉は紘のそばに寄り添い、時折声をかけたり、ほんの一瞬だけ姿を現したりした。回数は決して多くない。楓の力を消耗するため、紅葉は無駄遣いする気はなかった。だが、そのわずかな回数だけで、紘の精神を崩壊させるには十分だった。「これはおじさんが紘に残した万年筆でしょう?私にくれていいの?」紅葉の儚げな声が、遠く近く、不規則に響く。「紅葉なのか!?」紘は周囲を見回したが、紅葉の姿はどこにもなかった。彼は理解していた。また幻覚を見ているのだと。ベッドに凭れかかりながら、彼はその万年筆を手に取り、そっと撫でた。瞳には、後悔と懐かしさが溢れている。万年筆の先に映るのは、ポニーテールを揺らし、恥ずかしそうに微笑む紅葉の姿。ゆっくりと手を伸ばし、その頬に触れようとした。だが空を掴んだだけだった。こんなことが何度あっただろう。夢なのか現実なのか、もはや区別もつかないほどに。さらには、二人の子供が甘い声で「パパ」と呼ぶ幻まで見た。今でも覚えている。あの日、看護師から子供たちを受け取ったとき、彼らは手のひらに乗るほどの小さな命だった。まるで生まれたばかりの猿のように。紘の目の下には深い
紅葉が自分以外の誰かを愛する可能性なんて、一度も考えたことがなかった。たとえそれがただの「可能性」に過ぎなくても、紘には到底耐えられなかった。彼は紅葉と二人の子供が眠るあのカエデの木の下から、どうしても離れることができなかった。水一滴も口にせず、まるでここ数日の通夜をすべて埋め合わせるかのように、ただひたすらその場に留まり続けた。「人は死んでから7日後に、魂が完全に消滅するって言うよな……」乾いた唇を噛み締めながら、紘はぼそりと呟いた。「もし、お前の魂がまだ残っているなら……もう一度だけ、俺の前に姿を見せてくれないか?」彼は知らなかった。彼が気づかぬ場所で、紅葉は何度も彼を見下ろしていたことを。しかし、それは未練ではなく、怒りと恨みに満ちた視線だった。どれほどの時間が経ったのかも分からないまま、ついに紘は意識を失い、秘書によって屋敷へと連れ戻された。「副島様、申し訳ございません!どうか許してください!あの時、子供たちにあんなことをするべきではなかったです!」「副島様、俺たちはただ命令に従っただけなんです!」「副島様……副島様、あれは……あれは子供たちが弱すぎたんです!俺たちのせいじゃ……うわああああ!」かつて朔と晴を虐げた使用人たちは、今や地面に這いつくばり、まるで打ち捨てられた犬のように号泣しながら命乞いをしていた。部屋の中には、無数の蛇や虫、ネズミが放たれていた。彼らの身体にはすでに多くの傷が刻まれ、裂けた皮膚から滲み出る血が、獣たちの餓えた目をさらに鋭く光らせていた。使用人たちも、生き物たちも、ずっと飢えていた。誰もが飢えを満たすために、必死になっていた。せめて、毒を持つ生き物を使わなくてよかった。そうでなければ、こんな壮絶な生存競争を見ることはできなかっただろう。大人は子供よりも頑丈で、力も勇気もある。命乞いが通じないと悟ると、彼らは蛇やネズミに必死に抗い、殺し合い、なんとか生き延びようとした。「ぎゃああああああ!」断末魔の悲鳴が響き渡る。紘は車椅子に座り、青白い顔で冷たく彼らの苦しみを見下ろしていた。「まだ足りない。これっぽっちじゃ、全然足りない!」子供たちがどれほど残酷な虐待を受けたのか。こんなものでは、到底償えるはずがない。紘は命じた。
気づくと、遺体はすべて跡形もなく消えていた。その瞬間、紅葉が生き返ったのではないかという錯覚さえ覚えた。警察は紘に伝えた、紅葉の友人が遺体を引き取っていったと。紘の目は血が滲むほど赤くなり、低く怒りを噛み殺すように叫んだ。「ありえない……あいつにはもう友達なんていないはずだ!」楓は隠れるつもりはなかったため、紘はすぐに行き先を突き止めた。紘はカエデの木の下に座り込み、ぼんやりと虚空を見つめた。掘り返されたばかりの土からは、ほのかに草の香りと湿った土の匂いが漂っていた。桑名家の旧宅はすでに長い年月、放置されており、すべてが厚い埃に覆われている。カエデの木の下には墓標もなければ、小さな土盛りすらない。まるで紅葉がこの世に存在したことさえなかったかのように。紘はざらついた幹に額を押し付け、声を張り上げて泣き叫んだ。頭を何度も幹に打ちつけながら、「紅葉!……紅葉……!」彼自身もわからない。紅葉への憎しみが強いのか、それとも愛が強いのか。ここには来なくてもよかったのに。まだ寧々が生きているのだから、愛する寧々を取り戻しに行くべきなのに。だが、紘の膝はまるでこのカエデの木の下に根を張ったかのように、微動だにしなかった。彼は木の下で膝をつき、指で一掴みずつ土を掘り返す。「紅葉……かくれんぼしてるのか?もういいだろ……出てきてくれ……俺は、君を見つけられないんだ……」滲んだ涙の向こうに、紘は幼い頃の記憶を垣間見た。あの頃の彼と紅葉は、このカエデの木の下で追いかけっこをし、かくれんぼをして遊んでいた。それなのに、どうして今は、彼ひとりだけがここにいるのか。紘は自らの胸を拳で叩き、これまでのことをひとつひとつ思い返す。そしてようやく気付いた。自分はどれほどの過ちを犯してきたのかを。「……ごめん……紅葉……俺が……間違ってた……俺は、本当は……君を愛してるんだ……」この瞬間に紡がれた愛の言葉は、ただただ滑稽だった。遠くからその言葉を聞いていた紅葉と楓だったが、紅葉の心は何の揺らぎもなかった。紘を愛していた紅葉は、とうの昔に死んでいる。「これはほんの始まりに過ぎない。紘はこれから、少しずつすべてを失っていくんだよ」紘が今、心の底から誰を愛していようと、紅葉にとってはどうで